ともあれ、たちは、レックスたちが帰ってくる前に無事に船まで戻ることが出来た。
待っていてくれたウィルとナップも揃ったところで、再度、今日のお散歩は内緒の口裏合わせ。フレイズには帰り際に頼んできたし、黒髪の天使さんは滅多に表に出ないっていうから、まあ心配はないだろう。タケシーとトードスたちも、声を揃えて了解してくれた。……通訳なしではことばが通じないんだから、全然心配はないだろう。
だが、そんなことをやったおかげで、奇妙な連帯感が生まれてしまったのだろうか。
夕食後、それを指摘してきたのは気配りのお兄さん、スカーレルだった。
「あれから、何かあったわけ? あのコたちと、やけに仲良くなってたじゃない」
食事を終えたのち、人気のない船の裏でのことだ。
今日の夕食当番はだったため、後片付けまでが仕事に入る。さあ始めようと立ち上がったところ、「手伝うわ」とやってきたのがスカーレルだったというわけ。
だがしかし、表立って仲良しさんにはなってないはずなんだけど、うん。
そりゃあまあ、子供たちがレックスたちに対する態度は悪化の一途を辿っているが、そのあてつけのように振舞う対象にはだけでなく、海賊一家もちゃんと含まれているのだし。
「え。あ、いや、別に何もないですヨ」
お皿洗いに集中しています――そんなふうに見えるといいなあ、と思いながら。前置きもなく発された質問に、はしどもど、俯いたまま応じる。
が、何かと鋭いスカーレルが、んなことで騙されてくれるはずもない。
ふ、と、小さなため息が彼の立ってるあたりで零れた。
「……お芝居が下手ねえ」
「…………」
待て。待つんだ自分。
ここで「そんなことないですヨ!」とか憤ったら、敵(?)の思うツボ。もしかしたら引っかけようとしてるのかもしれないし、ここはひたすら忍の一字で耐えるのみですよ。
「で、。トードスは美味しかった?」
ざばがっしゃーん。
「……!」
手が滑ったどころの騒ぎではない。
むしろ掌底で叩き割りました、的皿の残骸が、水しぶきといっしょに舞い上がる。遠く届く、かそけきたき火の明りを受けて、きらきらと夜空を彩った。
「ー? どーしたのー?」
「なんでもないわ。手が滑ったみたいよ」
さすがに聞き逃せる音ではなかったのか、食後の運動と称して投げナイフの手馴らしをしていたソノラの声。
が何か云うより先に――というか、あまりの衝撃に云えるものも云えないのだが――、スカーレルがそれに応えた。
あははははー、ドジだー、と笑う声。
いつもなら食ってかかりに行くが、生憎、はスカーレルを振り返ってカタカタ震えるばかりである。
「す、すす。すかぁれるさ……!?」
「……食べたの? 本当に?」
どもりまくりに呼ばわった直後。
素晴らしく胡乱気な眼差しを向けられて、直感した。
――ハメられた……!!
背後に雷トーンベタ張り、てな感じである。しかも渦巻いた奴。実物をご覧になったことのない方は、機会があればスクリーントーンカタログなりご参照ください。
閑話休題。
彫像のごとく固まったを見て、スカーレルはくすくす笑う。
「おバカさん。アタシと駆け引きしようなんて、十年早いのよ」
そう云って、うなじの辺りを指でつつかれた。――なでられた?
目の前に持ってこられた指先には、たぶん固まれば毒々しい色になるだろう粉が数粒。
プチトードスのばら撒いてた胞子だ。幸い、毒性を持っているようではないみたいだけど。
要するに、洗い損ねたそれを、スカーレルは目ざとく見つけたんだろう。……目ざとすぎです、おニイさん。いや、おネエさん。
「ここらで胞子持ってる奴なんて、トードスしかいないものねえ?」
「…………食べてはないですよ」
降参。
気分的に白旗を掲げつつ、は頷いた。
実際、旗なぞここにはないので、代わりとばかりに布巾を振って。
他言無用とお願いしたら頷いてくれたので、手短に、狭間の領域でのことを説明する。
……聞いているスカーレルの表情に混ざる呆れがだんだん濃くなっていったのは、きっと、気のせいではあるまい。
そうして話し終えた後、スカーレルはため息ひとつ。
「あのねえ、?」
幼子に諭すように、目線を合わせるためにしゃがみこんで。
「気まずいのは、あのコたちとセンセたちの問題なのよ? アナタがいちいち考えることじゃあないの。――下手に口出し手出ししたら、余計にこじれることだってあるのよ?」
「そ……それはそうですけど、でも……」
「中途半端に関るだけなら、最初からおよしなさい。放っておけないからって手を出してあのコたちに懐かれて、それでアナタ、ちゃんとセンセたちに返してあげることが出来るの?」
「――――それって」
「……アナタのそれは、あのコたちにとっては暖かい手だわ。センセたちとうまく打ち解けられない今、それを吐露出来る他人は救いのようなものね。だけど、それに甘えさせちゃいけないって判るでしょう?」
アタシたちは、センセとあのコたちにとっては部外者なのよ。深く入り込むのは領域侵犯になる。
スカーレルのことばは、そういう意味だった。
「…………」
そして。
何故か、は、むっとした。
なにが領域侵犯か。なにが部外者か。
そういうの、いったい“誰が”決めるのか。
そういう、決める基盤がないものを怖がってたら、一歩も動けないじゃないか。
そういう状態を動かす何もがなくて、ただ刺激しないようにしてるんじゃ、何も変わったりしないじゃないか。
そうして、気づく。
スカーレルがそう意図したわけではないのだろうが、それは、自身の立ち位置をも云い表しているのだということに。
ああ。だからむっとしたんだ。
あんまり図星で。あんまり正鵠で。
……つかず離れずかかわって、差し障りなくこの時代を抜けていこうって思ってた、あたし自身を指摘されたみたいなものだったから。
それがずるいんだぞって。
中途半端にしか、この時代と彼らと関わる気がないのなら。最初から、手を出さずにいたほうがずっとマシだったんだぞって。
領域侵犯とか、部外者とか。
そういうのを一番気にしてたのは、他の誰でもない、あたしだったんじゃないか――
俯いた頭上から、優しい視線を感じる。
スカーレルは、決して、を叱っているわけではない。
ただ、お互いが必要以上に傷つかずにすむのなら、下手な手出しは慎むべきだと案じてくれているだけだ。
その問題は、先生たちと子供たちのもの。
だから、彼らが解決するのを待つべきなのだと。
何もせず?
――笑っちゃうよ。出来るわけない、そんなこと。
だって、自分は前科もち。
サイジェントで、最初は裏でこそこそやろうって云ってたくせして、その舌の根も乾かないうちにアヤたちの目の前に出てしまった。
そんな自分が、この時代ではうまく立ち回ろうなんて――出来るわけがないじゃないか。そういうのが得意なバルレルはいないし、嘆いたって出てきてくれるわけじゃないし。
……だったらば、ねえ?
それに、今日だって、結局子供たちを誘っちゃったし。
――だったらば。ね?
うん。
“だいじょうぶ”――
「だいじょうぶ」
「?」
自然と口をついて出たことばに、スカーレルが首を傾げた。
が、あえて彼の疑問符には気づかなかったふりをして、は続ける。
自分に云い聞かせるように――事実、云い聞かせるために。
「うん。だいじょうぶ。全力前進しなけりゃ結果が出ないことくらい、ちゃんと判ってたはずなのに」
いつの間に、忘れてたんだろう。
いつの間に、こんな臆病になってたんだろう。
――ダメだなあ。
ちょっとトラブル起こると、すぐに弱気になっちゃうんだから。まだまだ、あたしは弱虫だね。
ね、ゼルフィルド。
あなたの知ってる“”は、もっと無茶で無鉄砲だったでしょ?
懐に手を当てて、お守りの存在を確かめて。
それから、ようやっと、は顔を上げてスカーレルを見た。
「……だいじょうぶです」
スカーレルは何も云わない。
怪訝な顔をして、首を傾げるだけ。
促されているんだと察して、は言を続けた。
「ちょろちょろっと手出しして痛み分けるより、手加減しないで全力でぶつかって出来た傷のほうが……そりゃ痛いけど、ずっとすっきりするはずです」
「――で、結論は?」
一瞬、スカーレルは表情を消していた。
いつも浮かべてる笑み――相手をからかうようなそれがないと、化粧をしてさえ男性を感じさせる雰囲気があった。それはもしかしたら、彼が普段見せることのない、深層の部分だったのかもしれない。
自分の何が彼をしてそんな表情にさせたのか――当のは、気づく由もなく。
すぐに取り戻された彼の笑顔に向けて、にっ、と笑ってみせる。
にこり、でも、にっこり、でもなく。
ただ真っ直ぐに、ことばを紡ぐべき相手を見た。
夜の色。
緑の色。
宿す色彩が変わっても、その奥までは変わらない。ゼラムにいる仲間たちが見たら、そう評してくれたろう眼差しで。
「中途半端にしなければいいんです。仲良くなるときも、一緒に過ごすときも、――別れるときも」
そう。それがたとえ、遠い時間の果てだとしても。
……きっと、レックスやアティもそう云うだろう。
今はまだ戸惑っていても、折に触れて見せる彼らの行動は、そう信じるに十分なものを持っている。
「……それがあっさり出来れば、誰も苦労しないのよ」
「苦労しなければ出来るんです、きっと――っていうか体験談ですけど」
「あーあ、即答されちゃったわ」
しかも逆に諭されちゃうし。
愚痴めいたそれは、だけど、笑みを浮かべてつむがれた。
「でも、今日のはちょっと減点だってことは変わらないわよ?」
「判ってます」
頷いて。
「だからまあ、何か企む悪い人になっちゃおうかな。ナップくんたちをかどわかすような」
そしたらレックスさんたちだって、ナップくんたちの気持ちがつかめない、とかなんとか戸惑ってる場合じゃなくなりますしね。
云って、立ち上がる。
割れた皿はとうの昔に始末し終わり、洗い物も片付け完了。
追って身を起こしたスカーレルを見上げ、は、空いた片手で力こぶをつくるジェスチャーをしてみせた。
「というわけでスカーレルさん。ご協力、お願い出来ますか?」
「あらあら。アタシに依頼しちゃうの? 云っておくけど、高いわよ?」
などとうそぶくスカーレルは、その実、ひどく楽しそうに微笑んでいたのだった。
笑いながら戻ったふたりを、ソノラが奇異の目で見ていたことはとりあえず別のお話。そして、2対1のつっつきあいがその場で展開されたかどうかは――各々の想像に任されることであった。