だが、それだけではまだ話は終わらない。
「……ほんに嬉しそうじゃのう」
ころころと笑っている女性こそが、風雷の郷を束ねる鬼姫ことミスミである。
あでやかな、けれど動き易げな着物に身を包み、真っ直ぐに流した黒髪の間から覗くツノは、額に二本。
客人を迎えに出向いたキュウマが、待たせていた人物だ。
当人は鬼姫の傍に控え、そんな彼らの正面にかしこまっているのがレックスたち。
で、その客人たちから斜めにずれた、ちょうど陽だまりになっている畳に寝転がり、幸せそうに頬ずりしているのがである。
ひととおりの紹介を終え、簡単な挨拶を交わしている間中、ずっと彼女は畳を手のひらでさわっていた。
弛みまくりの彼女の表情のおかげで、鬼姫は笑いをこらえるのに精一杯だったらしい。
挨拶もそこそこに互いの協力を約束すると、さっそくに話しかけ、問うに曰く、
「おぬし、畳が好きなのか?」
少女、答えて曰く、
「大ッ好きです!」
間髪入れずの回答に、とうとう鬼姫は声を立てて笑い、好きにせよとのお許しを出して――その結果が、これである。
楽にせい、そのことばのとおりレックスたちも足を崩したものの、さすがにほど我を忘れたりは出来ないらしい。
「……ていうか、、理性飛んでない?」
「飛んでます〜飛んでます〜」
「マルルゥも飛んでますよー」
実に間抜けなやりとりに、ミスミがとうとう腹と口をおさえた。
郷を束ねる鬼姫がふきだすのを必死にこらえる光景など、他の者には見せられない――そう考えるキュウマも、さっきから苦笑ばかりを浮かべているのだが。
「。嬉しいのは判りますけど、まだ一ヶ所まわるところがあるでしょう?」
そろそろ起きないと、戻るのが遅くなっちゃいますよ。
立ち上がったアティが、つんつんとをつっついた。
「あと一ヶ所?」
「あ、はい。ユクレス村から狭間の領域をまわってきたんです。これから、ラトリクスに行く予定で……」
「なんじゃ、それならば問題ないではないか」
「ぷい?」
観光ルートを説明するレックスのことばを聞いて、ミスミが実になんでもなさそうにそう云った。
首をかしげたレックスに重なって、プニムの疑問符。
「ラトリクスに行くのなら、帰りにもここを通るじゃろ?」
そのときに、を拾っていけばよいではないか。
「……ここまで嬉しそうなのを、そうあっさり引き離すわけにもいかぬからのう」
実に人情味あふれたことを云いつつ、ミスミの口元はぴくぴく痙攣している。
腹をおさえたままの手が、彼女の精神状態を如実に物語っていた。
も、ぱっと表情を輝かせる。
が。
「それは出来ません、ミスミ様」
とたんに曇った少女の顔を、努めて視界に入れないようにしながら、キュウマはミスミに告げる。
「彼らには、集落をまわったのち、集いの泉に一度戻るように依頼しています。そのときに彼女もいなければ、不審に思われましょう」
集いの泉は、4つの集落の中央。
すなわち、ここへ殿を引き取りに戻っていては、彼らの時間を無駄にします。
「……あう……」
「おぬしはそう云うがな」
しょぼーん、と身を起こしたを横目に眺め、ミスミの反論。
「はしゃぐ子供から菓子を取り上げるような真似は、どうかと思うぞ?」
「――あう」
べしゃっ、と、が突っ伏した。
それでも畳に触れて悦に入っているあたり、なんと云えばよいのやら。
ぷいぷいー、と、プニムがぺちぺち頭を叩いている。返事はない。屍になったらしい。
――妙に気の抜ける既視感を覚えながらも、キュウマはレックスたちを振り返った。
応えて、レックスとアティがの腕を引っ張り起こす。
「な、? 今度また、お邪魔させてもらえばいいから」
「今日のところは、これでおいとましましょうね?」
ほらほら、起きて。
「はぁい……」
屍復活。
もそもそと起き上がったは、一度、大きく頭を振って、数度またたき。
喜悦にひたっていた表情は、それでかき消える。少しだけほころんだままなのは、いっそご愛嬌ととるべきか。
名残惜しげな彼女に、ミスミがさらに一声。
「そうじゃ。そんなに畳が気に入ったのなら、おぬし、一枚持っていくか?」
「いいんですかッ!?」
「無理! 、無理だから!!」
「ミスミ様! それは、あまりにも無謀というものです!!」
ずざっとミスミに迫ったの首根っこをひっつかんで、レックスが引き止める。
キュウマもまた、普段の自分をかなぐり捨てて叫んでいた。
「……いかんかのう?」
「いけません」
「むぅ。ケチめ」
「そういう問題ではありません」
すっぱりさっくり切って捨てたところに、が横から顔を出す。
「えっと、ミスミ様。お持帰りはあきらめます」
一瞬でも期待したんだな、。
「……でも……、また、ここにお邪魔してもいいですか?」
「うむ。いつでも来やり」
「ありがとうございますっ!」
しっかとミスミの手をとり、全身で感謝の意を表すを、一行、もはや遠巻きに眺めることしか出来ずにいたとか。
ただひとり、マルルゥだけは「よかったですねぇ」とにこにこしていたんだけども。