何はともあれ、マネマネショーも無事終了。
気絶していたマルルゥはいつの間にか復活し、プニムも起きて、再びにトーテムポール。
どさくさに紛れて引っ張ってこられたヤードも含めた客人一行は、そうして風雷の郷に辿り着いた。
「…………!!」
木々の間から垣間見える風景を見て、はその場に凍りつく。
「さん?」
隣を歩いていたヤードが、不思議そうに覗き込んできた。
ちょっと前では、
「こちらが風雷の郷ですよー♪」
と、マルルゥが元気に行く手を示している。
だが、再びマルルゥが進むより早く、その横をすり抜けた人影がひとつ。
「!?」
云うまでもない。
頭のプニムを放り出し、は、気づけば無我夢中で地を蹴っていた。
やわらかな下草を蹴って、背の低い山に囲まれた盆地――風雷の郷へ、一気に駆け下りる。
心にあふれるのは、云いようのない懐かしさ。
それから、ほんの少しの郷愁の念。
顔が紅潮するのが判る。心臓が早鐘のようになっているのは、走っているからだけじゃない。
――ザッ、と、大きく茂みを揺らし、は風雷の郷に踊り出た。
「――――……っ」
遠い――遠い、それはもう、想い出のひとかけら。
あと数年もすれば、二桁の年を数える昔になるのだろう、まだあちらの世界にいたころの記憶。
小学校の夏休み。
連れて行ってもらった、母方の田舎。
緑も鮮やかな山々に囲まれて揺れていた、たくさんの稲穂。広い水田。畑。
家屋は畑や田んぼの間に点在していて、そのうちの一軒が祖母の家だった。
ちょっと歩いたところに小さな駄菓子屋があって、滞在している間、お小遣いを握りしめて何かしら買いに行った。
親戚同士の集まりだったから、従兄妹たちといっしょに。
灼けるような太陽の熱をものともせず、みんなと、毎日転げまわって遊んだ。
宿題の教え合いをしたり、工作の共同制作をしたり。
遠い――はるか遠い、もう帰れない場所の記憶。
もう忘れかけていたはずの、在りし日を思い起こさせる、目の前の光景。
たぶん、さっき見たフレイズのそれと、同じような表情をしているに違いない。
いや、きっと、自分のほうがひどい。
心臓が、ぎゅうっとわしづかみにされたような感じがする。目の奥が熱くなる。
置いてきた、遠いあの日が。
置いてきた、優しい人たちの記憶が。
怒涛をなして、感情を突き動かそうとした。
でも。
「殿、いらしていたのですか」
その場にしゃがみこまずにすんだのは、それこそ、唐突に降ってわいた気配のおかげ。
「キュウマ……さん……?」
「――どうかなさったのですか?」
「あ、いえ。なんでもないです」
一度地面に視線を落とし、零れだそうとしていた水滴ごと、目のあたりを乱暴にぬぐう。
「ちょっと、あたしのいた世界に似てたから……懐かしくなって、走ってきちゃいました」
怪訝な、というよりも、むしろ心配そうに見下ろす鬼忍に、そう云って笑ってみせる。
ことばと表情と、どちらに納得してくれたかは判らないが、「そうですか」と、キュウマの表情もやわらいだ。
「では、他の方々も間もなくみえられるのですね?」
「あ、はい。こっちから……」
「ニーンニーンさぁーん!」
の伸ばした手の向こう、茂みをかきわけて、マルルゥが飛び出してきた。
それを聞くなり、キュウマががっくりと肩を落とす。
堅物っぽい彼のことだ、マルルゥの呼び名に抵抗があるのだろう。ことばにして何も云わないところを見るに、諦めている節濃厚だけど。
それでも、さすがシノビ。
一秒もせずに立ち直ると、きりっと真顔に戻って、到着する一行を待った。
また走らされる羽目になった最後尾のヤードが到着し、息を整えるのを待つ間、が、レックスとアティに「おいていったね」「おいていきましたね?」とかつっつかれる光景を、苦笑して眺めて。
そうして、一同の注意が自らに向いたのを確認し、半歩身体をずらす。
「ようこそ、風雷の郷へ。護人として、あなたがたを歓迎いたします」
それから一時間もしないうち、またしても顔を崩すことになるなど、そのときキュウマは予想もしてなかったに違いない。
……そこはかとなく、彼女の目が輝いているのは判っていた。
故郷を思い出したというから、懐かしく思っているのだろうことは、予想できた。
この郷を束ねる己の主が住まう御殿に案内する間も、周囲を見渡しては袖を引き、あれはあれでこれはこれで、それはそれでしょう、と。
指さして告げるそれが、一々的中しているのも、また正解に大喜びしているのも、見ていて微笑ましいとは思った。
後ろをついてくる一行が素直に感嘆しているのも含め、実に和やかな道中だった。
先日まで気を張り詰めていた自分たちが、少し馬鹿馬鹿しくなるくらいには。
そして、歩くことしばらく。
目的地である御殿に到着した瞬間、その事件は起こったのだ。
一歩、敷地に足を踏み入れた瞬間だった。
道々さんざん腕を引っ張っていた少女の手は、いまだキュウマの袖をつかんだままで。
故に、彼女が立ち止まれば、キュウマもつられて止まらざるを得ない。
そして文字通り、少女は“ぴたっ”とその場に固まったのである。
何か妙なものでもそちらにあっただろうかと、キュウマは視線をめぐらせる。
――普段と何も変わらぬ御殿の光景が、彼の目には映った。
竹を網代組にした垣根、丁寧に掃かれた庭先、縁側。少し向こうには、井戸もある。
はて、何か彼女を立ち止まらせるようなものがあるのだろうか。
背後の一行は、ほどあからさまな驚きを示していない。めずらしいものを見ている、そんな雰囲気はあるけれど。
「どうかしましたか?」
「〜? おーい?」
手慣れた調子で、レックスがぱたぱたとの前で手を振った。
「この島に来てから驚いてばかりですけど、今日の、一段とすごいですねぇ」
「まあ、各界の暮らしを目に出来るという点では、私も感激しているんですが……」
アティと、たしかヤードと云ったか?
赤い髪の三人組以外とは、まだろくに話もしていないため、キュウマの記憶もあやふやだ。
だが、たしかヤードという青年は、の召喚主であるらしい。
袖をつかまれて立ち止まったまま、つらつらとそんなことを考えていたキュウマは、ふとに視線を戻して、空いている手で軽く肩を叩いてみる。
「殿。お待たせしている方がいますので、もう少し歩いていただきたいのですが」
「…………あ、あの」
だが、キュウマの声は聞こえているのかいないのか。
うるうるうるっ、と、両目に涙をたたえて見上げられた瞬間には、さしもの彼も、シノビの心得を忘れてうろたえてしまった。
つける擬音さえ考えづらい表情を浮かべ、は、キュウマに詰め寄ってくる。
「あのっ……!」
「なんでしょう?」
内心の動揺をなんとか押し隠し応えたキュウマに、はほとんど抱きつくようにすがりついて。
何度か口を開閉させ、やっとのことでといった風情も強く、叫ぶ。
「たっ……たたみ!」
「タタキ?」
マルルゥが首をかしげてつぶやいた。
「サンマじゃなくて、たたみ! ――畳ですよね!?」
こんな和風和風した外見で、畳じゃないなんてことになったら、J○ROに訴えますよ!?
……キュウマは、こくこく頷くのが精一杯だった。