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【はぐれものたちの島】

- 風雷の郷・1 -



 何はともあれ、マネマネショーも無事終了。
 気絶していたマルルゥはいつの間にか復活し、プニムも起きて、再びにトーテムポール。
 どさくさに紛れて引っ張ってこられたヤードも含めた客人一行は、そうして風雷の郷に辿り着いた。

「…………!!」

 木々の間から垣間見える風景を見て、はその場に凍りつく。
さん?」
 隣を歩いていたヤードが、不思議そうに覗き込んできた。
 ちょっと前では、
「こちらが風雷の郷ですよー♪」
 と、マルルゥが元気に行く手を示している。
 だが、再びマルルゥが進むより早く、その横をすり抜けた人影がひとつ。
!?」
 云うまでもない。
 頭のプニムを放り出し、は、気づけば無我夢中で地を蹴っていた。
 やわらかな下草を蹴って、背の低い山に囲まれた盆地――風雷の郷へ、一気に駆け下りる。
 心にあふれるのは、云いようのない懐かしさ。
 それから、ほんの少しの郷愁の念。
 顔が紅潮するのが判る。心臓が早鐘のようになっているのは、走っているからだけじゃない。

 ――ザッ、と、大きく茂みを揺らし、は風雷の郷に踊り出た。

「――――……っ」

 遠い――遠い、それはもう、想い出のひとかけら。
 あと数年もすれば、二桁の年を数える昔になるのだろう、まだあちらの世界にいたころの記憶。
 小学校の夏休み。
 連れて行ってもらった、母方の田舎。
 緑も鮮やかな山々に囲まれて揺れていた、たくさんの稲穂。広い水田。畑。
 家屋は畑や田んぼの間に点在していて、そのうちの一軒が祖母の家だった。
 ちょっと歩いたところに小さな駄菓子屋があって、滞在している間、お小遣いを握りしめて何かしら買いに行った。
 親戚同士の集まりだったから、従兄妹たちといっしょに。
 灼けるような太陽の熱をものともせず、みんなと、毎日転げまわって遊んだ。
 宿題の教え合いをしたり、工作の共同制作をしたり。

 遠い――はるか遠い、もう帰れない場所の記憶。
 もう忘れかけていたはずの、在りし日を思い起こさせる、目の前の光景。

 たぶん、さっき見たフレイズのそれと、同じような表情をしているに違いない。
 いや、きっと、自分のほうがひどい。
 心臓が、ぎゅうっとわしづかみにされたような感じがする。目の奥が熱くなる。
 置いてきた、遠いあの日が。
 置いてきた、優しい人たちの記憶が。
 怒涛をなして、感情を突き動かそうとした。
 でも。
殿、いらしていたのですか」
 その場にしゃがみこまずにすんだのは、それこそ、唐突に降ってわいた気配のおかげ。
「キュウマ……さん……?」
「――どうかなさったのですか?」
「あ、いえ。なんでもないです」
 一度地面に視線を落とし、零れだそうとしていた水滴ごと、目のあたりを乱暴にぬぐう。
「ちょっと、あたしのいた世界に似てたから……懐かしくなって、走ってきちゃいました」
 怪訝な、というよりも、むしろ心配そうに見下ろす鬼忍に、そう云って笑ってみせる。
 ことばと表情と、どちらに納得してくれたかは判らないが、「そうですか」と、キュウマの表情もやわらいだ。
「では、他の方々も間もなくみえられるのですね?」
「あ、はい。こっちから……」
「ニーンニーンさぁーん!」
 の伸ばした手の向こう、茂みをかきわけて、マルルゥが飛び出してきた。
 それを聞くなり、キュウマががっくりと肩を落とす。
 堅物っぽい彼のことだ、マルルゥの呼び名に抵抗があるのだろう。ことばにして何も云わないところを見るに、諦めている節濃厚だけど。
 それでも、さすがシノビ。
 一秒もせずに立ち直ると、きりっと真顔に戻って、到着する一行を待った。
 また走らされる羽目になった最後尾のヤードが到着し、息を整えるのを待つ間、が、レックスとアティに「おいていったね」「おいていきましたね?」とかつっつかれる光景を、苦笑して眺めて。
 そうして、一同の注意が自らに向いたのを確認し、半歩身体をずらす。
「ようこそ、風雷の郷へ。護人として、あなたがたを歓迎いたします」
 それから一時間もしないうち、またしても顔を崩すことになるなど、そのときキュウマは予想もしてなかったに違いない。



 ……そこはかとなく、彼女の目が輝いているのは判っていた。
 故郷を思い出したというから、懐かしく思っているのだろうことは、予想できた。
 この郷を束ねる己の主が住まう御殿に案内する間も、周囲を見渡しては袖を引き、あれはあれでこれはこれで、それはそれでしょう、と。
 指さして告げるそれが、一々的中しているのも、また正解に大喜びしているのも、見ていて微笑ましいとは思った。
 後ろをついてくる一行が素直に感嘆しているのも含め、実に和やかな道中だった。
 先日まで気を張り詰めていた自分たちが、少し馬鹿馬鹿しくなるくらいには。
 そして、歩くことしばらく。
 目的地である御殿に到着した瞬間、その事件は起こったのだ。

 一歩、敷地に足を踏み入れた瞬間だった。
 道々さんざん腕を引っ張っていた少女の手は、いまだキュウマの袖をつかんだままで。
 故に、彼女が立ち止まれば、キュウマもつられて止まらざるを得ない。
 そして文字通り、少女は“ぴたっ”とその場に固まったのである。
 何か妙なものでもそちらにあっただろうかと、キュウマは視線をめぐらせる。
 ――普段と何も変わらぬ御殿の光景が、彼の目には映った。
 竹を網代組にした垣根、丁寧に掃かれた庭先、縁側。少し向こうには、井戸もある。
 はて、何か彼女を立ち止まらせるようなものがあるのだろうか。
 背後の一行は、ほどあからさまな驚きを示していない。めずらしいものを見ている、そんな雰囲気はあるけれど。
「どうかしましたか?」
〜? おーい?」
 手慣れた調子で、レックスがぱたぱたとの前で手を振った。
「この島に来てから驚いてばかりですけど、今日の、一段とすごいですねぇ」
「まあ、各界の暮らしを目に出来るという点では、私も感激しているんですが……」
 アティと、たしかヤードと云ったか?
 赤い髪の三人組以外とは、まだろくに話もしていないため、キュウマの記憶もあやふやだ。
 だが、たしかヤードという青年は、の召喚主であるらしい。
 袖をつかまれて立ち止まったまま、つらつらとそんなことを考えていたキュウマは、ふとに視線を戻して、空いている手で軽く肩を叩いてみる。
殿。お待たせしている方がいますので、もう少し歩いていただきたいのですが」
「…………あ、あの」
 だが、キュウマの声は聞こえているのかいないのか。
 うるうるうるっ、と、両目に涙をたたえて見上げられた瞬間には、さしもの彼も、シノビの心得を忘れてうろたえてしまった。
 つける擬音さえ考えづらい表情を浮かべ、は、キュウマに詰め寄ってくる。
「あのっ……!」
「なんでしょう?」
 内心の動揺をなんとか押し隠し応えたキュウマに、はほとんど抱きつくようにすがりついて。
 何度か口を開閉させ、やっとのことでといった風情も強く、叫ぶ。
「たっ……たたみ!」
「タタキ?」
 マルルゥが首をかしげてつぶやいた。
「サンマじゃなくて、たたみ! ――畳ですよね!?」
 こんな和風和風した外見で、畳じゃないなんてことになったら、J○ROに訴えますよ!?

 ……キュウマは、こくこく頷くのが精一杯だった。


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