ギロッ。
――第一声、もとい、第一瞥はそれだった。
霊界集落、狭間の領域。
マルルゥが説明してくれることには、ここの住人はもっぱら、魔力ことマナの力の強まる夜に活動することが多い。
昼間静まり返っているのは、魔力の消耗を抑えるために、大半が眠っているのだと。
精神生命体たるサプレスの住人の魔力確保については、もしみじみ感じ入るところがあった。
レックスもアティもそれぞれ納得していたし、それじゃあ、護人のファルゼンと付き人のマルルゥ曰く“天使さん”に挨拶していこう――そんな流れで直行したのが、ここ、瞑想の祠。
「――外界の人間たちはともかく、悪魔をつれてくるとは聞いていませんでしたが?」
第一声。
この流暢なしゃべり方でも判るように、強烈な第一瞥と第一声をくれたのは、ファルゼンではない。
彼が、“天使さん”なのだろう。
ウェーブのかかった、薄い金色の髪。なんとなくレイムを思い起こさせる優男っぷりが伺えるが、腰の剣は、伊達ではなさそうだ。
そして特筆すべきは、背に生えた白い翼。
――天使だ。
その文字通りの“天使さん”は、マルルゥのかわいらしい呼び名を使ったら、たぶん速攻叩ききられそうな剣呑さを漂わせて、一行を――もとい、を睨みつけていた。
「カレラハ、アクマ……ナノカ?」
「彼ら全員ではありません、ファルゼン様」
いぶかしげなファルゼンの問いに応える間も、天使は、から視線をそらさない。
レックスとアティは、悪魔呼ばわりされたと呼ばわった天使をうろたえつつ見ているし、マルルゥはおたおたと互いの間を飛び交っている。
が。
当のには、事情がつかめてしまった。――はっきり、はっきりと。
「ぱっと見にはそれと判らぬほど巧妙に隠してありますが、天使たる私を誤魔化せると思ったら大間違いです」
突き立つ氷のような、冷たさと刺々しさ。
天使と悪魔が仇敵だというのは判ってたけど、今さらながら思い知らされた感じだ。
なにしろ、のいちばん身近な天使と悪魔――つまりアメルとバルレルは、どちらかというと比較的穏やかな間柄なので。
などと思ってる視界の先で、きらりと光が生まれた。
“天使さん”の抜き放った剣が、周囲の水晶の生み出す光を反射してつくる、淡い輝き。
「彼女は悪魔です――しかも、かなり位の高い」
改めて問おう。何者だ。
――狂嵐の魔公子バルレル仕立ての着ぐるみかぶりっ子でーす。
「って云ったら楽しいだろうなあ……ふふふ……」
「……」
遠い目になったを、心配そうにアティが覗き込んできた。
「あ、だいじょうぶです」
「何をぬけぬけと――天使の前でよくも、そんなことが云えますね」
悪魔の存在そのものが、我らにとっては許し難いもの。
「無事で帰すと思っているのですか」
「……フレイズ……!」
「いくらファルゼン様のおことばでも、それだけは聞けません」
恨むのなら、私の前にのこのこと姿を現した自分を恨みなさい!
そう云いきって、“天使さん”ことフレイズが地を蹴った。
背中の翼も使ってのことか、かなりの速さ。
「てっ、天使さん! やめてくださいですよー!!」
この人たちは、島のお客さんですよっ!?
振りかぶられた剣との間に、マルルゥが割り込む。
いくら悪魔が仇敵でも、さすがに彼女ごと切り捨てる気はないのだろう。
ぎょっと目を見開いて、フレイズの接近が止まった。
「退きなさい!」
「退きません!」
剣を携えていない方の手を横になぎ、フレイズが云う。
ぐっと胸を張り、仁王立ち(浮遊中だけど)して、マルルゥが云う。
「いいから退きなさい! 退かないと――」
「マルルゥは、切られても退きませんよ!!」
「いえ、そんなことはしませんけどね」
すっ、と、フレイズの、空いてるほうの手がマルルゥの正面に向かう。
ぴん。
「あ〜〜〜れ〜〜〜っ!?」
デコピンの要領で弾かれて、マルルゥは、レックスとアティのとこに飛ばされた。
……笑っちゃだめだろうな。たぶん。フレイズさん、真顔でやってるし。
とはいえ、そんなだから余計笑えるのが正直なトコロ。
心なし、ファルゼンも呆然としてるよーな気がする。鎧に覆われた奥のその表情は、ちょっと見えないけど。
あわててキャッチしているレックスを見、それから、マルルゥに続くつもりなのか、足を踏み出そうとしてるアティに、かぶりを振ってみせた。
「天使って……仰いましたね」
「ええ。あなたも悪魔の端くれならば、私の感情も理解できるでしょう?」
「残念ながら、ちっとも」
あたしは別に、フレイズさんを殺したいとか思いませんもん。
「などと油断させ、背中を突くのが悪魔の常套手段でしょう。その手は通用しませんよ」
「……疑い深いですね、たいがい」
そこまで云われちゃしょうがない。
気は進まないが、この段階で身の証を立てる方法を、はひとつしか知らなかった。
この身にかかった、術を解く。
バルレル曰くのふたつめの鍵、『が自身であると世界に宣言すること』。
す、と息を吸い込む。
大声を出す必要はない――必要なのは、ただ一言。
「あたしは……」
「はです」
だけど。
その名をつむごうとした瞬間、別の声が先を奪った。
「え?」
まるでをかばうように割り込んだその人は、こちらに背中を向けてフレイズと向かい合っている。
赤い上着、赤い髪。背中に背負った剣。
「……レックスさん……」
の声が聞こえているのかいないのか。
その表情は、背中側から窺い知ることは出来ないけれど。
彼の声にこめられた真摯な気持ちは、おそらく、全員に届いたのではないだろうか。
レックスは云う。
「悪魔でも、天使でも、他の何でも、がであることに変わりはありません」
アティがつづける。
「は、行きずりの間柄であるわたしたちを――わたしたちの預かった子供たちを、助けてくれたんです」
ただ、袖が触れ合っただけの関係。
見過ごしても良かったのに、
「わたしたちがここに流れ着く原因になった嵐の日だって……カイルさんたちの船に移ってもよかったのに、子供たちのために、海に飛び込んでくれたんです」
「天使でも、悪魔でも」
レックスがそう繰り返した。
「彼女がいなかったら、俺たち今ごろ、どうなってたか判らない。だから、お願いします」
ちゃんと、俺たちの――の話も聞いてください。
「……しかし……」
ふたりの訴えに、フレイズの、剣を持つ手がさがる。
けれど、まだ、物問いたそうな色は消えない。
……サプレスっていったい、どんなところなんだろう。四六時中、天使と悪魔が戦ってるよーな世界なんだろーか。
「フレイズ」
つと、ファルゼンがフレイズに呼びかけた。
「カノジョハ……センジツニモ、ワレラヲ、ジョリョク……シテクレタ」
「ほらほらほらほら! 悪魔さんにだって、きっといろんな人がいるんですよ!」
ここぞとばかりに、マルルゥも援護。
「いや、てゆーかそもそも、あたし、悪魔違うし」
「そうですよ。は名も無き世界の――……あ!」
がばっ、と、アティが立ち上がる。
「そうか!」
さすが弟というべきか、続いてレックスが立ち上がる。
「少し待っててください! が悪魔じゃない証拠をつれてきますから!」
「マルルゥ! 俺たちの船までの道、案内してくれ!!」
「はい! わかりましたですよ!」
云うなり、マルルゥの先導に従って、レックスとアティは走り出す。
いや、まだ道をちゃんと覚えてないのは判るんだ。
判るんだけど。オイ。
「……彼らは、物を考えているのですか?」
「…………さあ…………」
すさまじく胡乱げな、だけども、毒気を完全に抜かれた様子のフレイズの問いに、は、首を傾げることしか出来なかった。
この場にひとり残した場合、フレイズが戦意を復活させる可能性があることを、果たして今からでも叫んでみるべきか。
迷って、結局、それはやめた。
「……トモアレ……シバシ、マツトシヨウ」
無機質なファルゼンのことばに、かなり疲れたものが混じっていたことも、とりあえず、黙っておくことにした。