何事もなく迎えた朝が終われば、何事もない昼が来る――
そう思いがちかもしれないが、そうは問屋が卸さない。
授業と船の修理、それぞれの午前中の課題をすませて、少し早めの昼食を終えるまではたしかに何事もなかった。
ここ数日ですっかり板についてしまった、日々の繰り帰し。
だけども、そんな光景は、いともあっさり打ち破られる。
「……」「……」
「……………………」
今。
レックスの手のひらに乗って、にっこにこ笑っている妖精さん。
プラス、
子供たちに叱られて、しょげている召喚獣たち。
彼らのおかげで、今日も続くと思われた昨日までの日々は、ある意味終わりを告げたのだった。
「えっと……マルルゥちゃん?」
「はいです!」
首をかしげたアティのことばに、妖精さんことマルルゥちゃんは、にっこやかに応えてくれた。
さっき、子供たちの召喚獣に追っかけられてパニック起こしてた姿は、どこへやら。
ひょいっ、と、アティの頭の上からカイルがマルルゥを覗き込む。
「つまり――集落を案内するために、来たってのか?」
「そうですよー」
妖精さん、またもやにっこり。
彼女が笑うたびに、お尻についてるまるっこい花の色が、心なしか鮮やかになってるような。
「マルルゥは、護人さんたちに頼まれて、集いの泉や4つの集落を先生たちに案内するために、ここに来たですよ」
「ふうん? 『たち』ってことは、護人さんの総意ってとっていいのかしら?」
「うーん、マルルゥ難しいことは判りません!」
おいおいおい。
比較的堅物の一団が、がっくりとずっこけた。
名を挙げるなら、ヤードやウィル。
でもですね、と、やっぱりマルルゥは笑う。
「集いの泉には、護人さんたちが全員揃って皆さんをお待ちしてるですよ!」
なるほど。
「となると……、皆さんでわたしたちをお招きしてくださってるんですね」
両手を胸の上であわせたアティが、マルルゥに負けず劣らず周囲に花を飛ばしつつ云った。
「それじゃあ、さっそく」
レックスの笑みも、相当ぽわわんとしたものだ。
護人の彼らとの約束が果たされるのが、相当うれしいんだろう。
だけど、行こうか、の、い、を彼が口にするかしないかのうちに、ソノラがかぶせてこう云った。
「そんじゃ、いってらっしゃい」
…………
「え?」
「ソノラ、行かないの?」
アティと。
赤髪女性ふたりのことばに、ソノラは、うん、と当たり前のことのように頷く。
見れば、海賊一家の表情はどれも似たようなもの。
カイルは苦笑いしてるし、スカーレルはにっこり微笑んで手をひらひら振ってるし、ヤードも遠慮しますって顔に書いて一歩さがった場所にいる。
「えっと、じゃあ、ナップくんたちは……」
海賊一家から視線を移したアティが、子供たちを見つつそうつぶやく。
今回はそう危険なこともないという予想があるのか、レックスも、特にアティを引き止める様子もない。
だけど。
「結構ですわ。いってらっしゃいませ」
子供たちはちらりとお互いを見交わし、そうして、代表みたいな形でベルフラウが返答した。
……結局。
集落めぐり参加者は、レックスとアティと。以上赤髪3名様に留まったのである。
レックスとアティは、物事を常に良いほうに考える名人だろうか。
林のなかを泉まで先導するマルルゥ、それについていくレックスとアティの背を見つつ、はしみじみ思う。
ちょっと名残惜しげに船をあとにしたふたりは、みんなの分まで仲良くなって帰ってこよう! と、実に前向きこの上ない会話を交わしていたのである。
今だって、マルルゥになんやかんやと質問したりして楽しそう。
マルルゥの底抜けの明るさ+レックスとアティのほのぼの光線にあてられたせいかどうか判らないが、自身は時折相槌を打ちながら、彼らのあとについていくのみ。
「先生さんたちは、きょうだいですよね?」
ふと、そんな問いかけが耳に届いた。
「うん。俺とアティは姉弟だよ」
「じゃあ、姉先生さんと妹先生さんと弟先生さんですねっ」
「えっと……一応、わたし、アティって名前があるんですが」
「ちっちゃい女先生とおっきい女先生、それと男先生のほうがいいですか?」
「いやいや、それ名前じゃないし」
……って。
「え? ちっちゃいのとおっきいの?」
「それって、とわたしですか?」
はアティを見て、アティはを見る。
いつの間にか、ナチュラルに姉妹扱いされてたらしい。
身長差がン十センチとかあるわけではないんだけど、たしかに、ある意味『大小』だ。
「ちがうですか?」
足を止めた3人を、マルルゥが不思議そうに振り返る。
ふよふよと飛んでいた妖精は、やっぱりふよふよと宙に浮いていた。
特に羽とかあるようには見えないのだけれど、どうやって浮かんでるんだろう。
もしかして、あの花の蕾みたいなのがロケットエンジンみたいに推力噴射してるとか。……いやいや、レオルド改造後じゃあるまいし。
「違うよ、マルルゥ。俺とアティは姉弟だけど、とは違うんだ」
「えー? でもでも、髪の色がおんなじですよぅ!?」
ひゅーん、と宙を移動してきたマルルゥが、とアティの周囲を飛び回る。
「髪の色が同じでも、血が繋がってるとは限らないんだよー」
それにほら、赤は赤でも、微妙に色合いが違うでしょ?
彼女が間近を飛び回るおかげで、なんともくすぐったいそよ風が起きて髪を舞い上げる。
頬にかかったそれをどかしながら苦笑すると、
「そうなんですか?」
と、いまいち納得いかなさげな表情とことばでお返事がきた。
「そうそう。――ほら、例えが逆だけど、さっきの船に子供たちがいただろ? 覚えてる?」
「はい! マルルゥを追っかけた皆さんのご主人様ですね?」
ご主人、というよりは、友達、なんだけど。
称した彼女自身、特に深い意味があるようではなさそうだから、あえて聞き流して。
「うん」
と、レックスより先に頷いてみた。
ついでに彼が云いたかったことも察してしまったため、そのままことばを形作る。
「あの子たち、髪の色とか違うけどれっきとした兄弟なんだよ」
「えぇ!? そうだったですか!?」
マルルゥ、ちっとも気づきませんでした!
驚愕がそのまま動力になったのか、妖精さんはさきほどの数倍の速さで宙を舞う。
ひとしきりそれを続けたあと、――ぴたり。
再び3人の前でぷかぷか浮かび、うーん、と彼女は腕を組んだ。
「そうなのですかー。それじゃ、先生さんたちがご兄弟じゃないお話も本当なのですね?」
「そうそうそう」
「うーん……」
判ってくれてありがとう、という喜びを含んだレックスの肯定にもかかわらず、マルルゥは何故か、まだ腕を組んでうなっている。
どうしたんですか、と、アティが問いかける素振りを見せたが、それよりマルルゥのほうが早かった。
「それじゃあ、先生さんたちの区別は男先生と女先生でいいとして……ちっちゃい先生じゃないさんは、先生じゃないんですよねえ?」
「うーん、出来ればちっちゃい先生じゃないさんも勘弁してください」
そうでなくても、ちょっぴし、身長コンプレックスだし。
後ろ頭に手をやったを見て、マルルゥは、しばしの間考え込んだ。
なんとなくジャマするのも憚れて、3人も、口を閉ざして小さな妖精を見つめる。
いや、出来れば名前を呼んでほしいのはやまやまだ。
やまやまなんだけど、たぶん、マルルゥはそういうものなんだろう。
だとしたら、名前に固執するのも意味はないし。
「――あっ! そうだ! シマシマさんが云ってたお名前はどうですか!?」
というと?
首をかしげた3人に、マルルゥは、自信満々得意満面でこう云った。
「ムジナさん!!」
集いの泉。
島の中央に位置し、まだ余人の預り知らぬところだが、島を流れる力が流れ着くこの泉は普段、しんとした静寂に包まれている。
無人状態であることが多いから、というわけではない。
今この場に、こうして4人の護人が集っていても、それは変わらないのだ。
ラトリクスから出向いてきたアルディラ。
狭間の領域から出てきたファルゼン。
風雷の郷からやってきたキュウマ。
ユクレス村から珍しく来たヤッファ。
4人は、各々適当な場所に自分の位置を決め、ある者は目を閉じ、ある者は空を眺め、客人が訪れるのを待っていた。
そのうちの誰かは、もしかしたら、先日のように戸惑いがちな一行が現れる光景を思い浮かべていたかもしれない。
――ひらり、
目を閉じていたキュウマの間近を、梢からこぼれた葉が横切っていった。
薄くまぶたを持ち上げてそれを視界におさめ、彼はまた、瞑目する。
――ひらり、
また葉が舞い下りる。
肩に身を預けてきたそれを、アルディラがそっと払って落とす。
そんなささやかな音でさえ、はっきりと聞こえる。それだけ、周囲が静寂に満ちているということ。
だが。
次の瞬間、彼らの耳に届いた音は、そんな静寂から数光年ほどかけはなれていた――
ずだだだだだだだだだッ!!
擬音にするなら、こんな感じだろうか。
形容するなら、『爆音』。
それらの音ともに土煙を巻き上げて疾走してくるのは、遠目にも鮮やかな赤い髪の少女だった。
「ヤ……ッファ、さん――――!!」
一瞬にして千々に引き裂かれた静寂の残滓を、その叫び声がとどめとばかりに霧散させた。
泉の中央につくられた集いの場、そこへと通じる水上の通路を走り抜け、
ダン!!
と、声の主ことが、地面に足を叩きつけてヤッファに迫る。
彼女のあまりの形相に、普段ののらりくらりとした表情はどこへやら、目も瞳孔も丸くして、幻獣界集落の護人は、島への客人のひとりを見下ろした。
「あのですね!」
肩を怒らせ息を荒げ、全身で憤りを表現しつつ、少女は怒鳴る。
「いったい何がどうなって、あたしがムジナなんですか!?」
「…………、――は?」
しばしの沈黙。
おそらく、の怒鳴ったことばの意味を理解するまでの沈黙だろう。
そして理解と同時、飛び出したのがその一語。
さしものヤッファもうろたえ気味に他の護人を見渡したが、他の3人も首を傾げるばかり。
冷静に眺めているように見えるキュウマたちだが、実は、心境的にはヤッファの発言とそう変わらない。
こっちこそが、いったいどこからムジナなんてもんが出たのか訊きたいくらいだ。
そうして、誰の助力も得られなかったヤッファは、実に複雑な問題にぶち当たった表情を浮かべてを見下ろす。
「……あのな。そりゃ、オレが訊きてぇ」
なんでオレが、アンタをムジナ呼ばわりする必要があるんだよ。
実に正論なのだが、怒りオーラを撒き散らす少女にはまだ、ヤッファの感じてる戸惑いは通じてないらしい。
むっ、と眉根を寄せて、なお云いつのる。
「だって、マルルゥが云ったんですよ!?」
――ヤッファさんが、あたしのこと、ムジナって云ってたって!!
「……はあ!?」
云ってないぞ、そんなことは。
といった意図のことばをつむごうと開きかけたヤッファの口は、次の瞬間「ん?」と閉ざされた。
「マルルゥが? 云ったって?」
「そうですっ!!」
……
ぽん。
ちょっぴり間抜けな音といっしょに、ヤッファの手が自身の後頭部を叩いた。
白黒縞模様のやわらかな毛に覆われた尻尾が、力なく持ち上がって落ちる。
「あのバカ……」
後頭部にあった手は、がっくりとヤッファの顔を覆う。
「――あのな。よく聞け」
「なんですか」
「たしかにムジナはムジナだけどな。おまえさんが怒るような意味で云ったんじゃねえ」
「はい?」
どっと疲れたらしいヤッファのことばと仕草に、も怒気を抜かれたようだ。
いぶかしげに首を傾げる様からは、つい数秒前までの怒りはほとんど消えているように見える。
「あんたも、召喚されたんだろう?」
この間逢ったとき、たしかにそう云ってたよな?
「……はい」
「だから、同じ穴のムジナみたいなもんだなって、この間マルルゥに話したんだよ」
そしたらまあ、何を勘違いしてか、あんた=ムジナって図式を勝手に組み立てやがったらしい。
「……」
がっくり。
赤い髪の少女は、しばらく無言でヤッファを凝視していたけれど。
やはり無言のまま見守るヤッファと護人三名の前で、ずるずると床に這いつくばる。
「……おい。生きてるか?」
「……………………」
「返事がないってことは……屍と見なして狭間の領域に運ぶわよ?」
苦笑まじりに、アルディラが茶化す。
「死んでないもん……」
力なく、赤い髪が左右に振られた。
一同はほとんど放心して、力なく床に横たわる少女を見下ろすばかり。
なんだかなあ、と、彼らは思ったという。
外界からの客人が島人に受け入れられるかどうか、試してみる意味合いもある今回の招待。だけどこんなことしなくても、このユカイな少女をはじめとした一行は、だいじょうぶなんではなかろうかと。
……もっとも、こんなこと考えてるなんて他の者に云ったら何云われるか、判ったものではないけれど。
ともあれ。そのときちょうど、護人たちの視界に、遅ればせながら林を抜けてやってきた残りの一行の姿が入ったのであった。