午前中に働いた分、午後からは自由時間だ。
昼食後、レックスとアティは、授業のために子供たちを連れて砂浜に出た。毎日のそれは、今のところ欠かされた様子はない。
はというと、しばらく胃がこなれるのを待って、砂浜でカイルと軽く手慣らしをしていた。
「しっかしなあ……いつ来るんだろうな、そのお迎えってやつは」
「島の案内の?」
そうそう。
云いながらくりだされる拳は、ちゃんと力がセーブしてある。
左手で受け止めて、握りしめた右腕を相手の鳩尾に。
それが届く前に、カイルは自ら身を退いた。
羽織っただけの上着をなびかせて、離れた岩場に着地する。
「おまえや先生たちには悪いけどよ、本当にオレたちゃ、この島の奴らとうまくやれるのか……ってな」
向かってくるを、カイルはその場で迎えうつ。
連続して打ち出す拳は、8割方防がれた。――2割は当たっているけれど、の力じゃダメージまではいくまい。
「カイルさんは、召喚獣って苦手?」
「そういうんじゃねえよ。ただな、歩み寄るきっかけってもんが何もねえだろ?」
どうも、目の前に行っても会話のネタがないっていうかさ。
「“いいお天気ですね”、とか」
「“そうですね”。…………で、そのあとは?」
「ゴメンナサイ」
横なぎに迫る蹴りは、さすがに怖いので結構本気で避けてみた。
少し体勢が崩れたところに、当たると痛そうな拳が迫る。
格闘、というよりはケンカ慣れしているカイルの攻撃は、本人手加減しているつもりでも、当たると痛いポイントを突いてくることが多く――
「ッ!」
バシィッ!
高い音をたて、渾身の力で拳を弾く。
「ま、なるようになるよ」
「……っとと、悪ィ」
の防御で、力の入れどころを間違えたのを察したんだろう。
連撃につなげようとした手といっしょに、カイルの動きが止まる。
「痛くしてねぇか?」
「あ、いえいえ。そんなひどくないですよ」
少し赤くなった手のひらを心配そうに覗き込んで、彼は云う。
「ちっと本気入れちまったみてえだな……」
手加減したつもりなんだがよ、と。
照れているのか自嘲しているのか、あいまいな笑みを浮かべて笑って。
直後、「おい」と眉根を寄せた。
「敬語」
「あう」
「やりあってっときは普通に話せんのによ、なんで終わると敬語なんだよ」
「戦闘中の相手と敬語で話すっつーのも、どうかと思いますけどー……」
じゃあ四六時中戦うか?
などと冗談混じりに云うカイルの腕は自身の頭に伸び、乱暴に、金色の髪をかきまわす。
――やっぱり、どことなく。
まだ遠い明日にいる、同じ金髪の彼女を思い出させる仕草。
性別も違うし年も違うのに、根底に流れる何かが同じ。
……まさか、ね。
浮かんだ考えを、はあっさり否定する。
モーリンの父親は、ファナンで道場を開いてた。つまり、陸の上で生活してたってことだ。
でも、カイルは海賊。海の上こそが彼の世界。
「むずがゆいっつーかなあ……なんか、おまえ無理してねえか?」
「はい?」
頭に手をおいたまま、カイルは、の思考を打ち切らせた。
「無理って?」
「敬語ってな、たしかに潤滑剤なんだろうよ。うちの先代も、目上や恩のある奴への礼儀にゃ厳しかったしさ」
けどな、
「その敬語も、ずっと使われてっと……距離をおかれてるんじゃねえかって思うのさ」
ましてや、オレが使われ慣れてねぇ分よけいにな。
ソノラも云ってたと思うが、オレたちは育ちが育ちだし――そう云って。
だけど、カイルは視線をから逸らさない。
「――そのへん、どうなんだ?」
「…………ご明察です…………」
「えらくあっさり認めたな、オイ」
すっとぼけられるのを予想してたんだろうか。
心なし肩を落として頷いたに、気の抜けたようなカイルのツッコミが入る。
「なんて云うのかなあ……あたし、人見知りっていうのもあるんですけど……もといた場所に家族や友達がいるんですよね」
「おう」
どっか、と岩場に腰を下ろして、カイルはのことばに頷いた。
彼の手招きに従って、もすとんと座り込む。
太陽であたたまった岩場の熱、それに身体を動かしたあとの熱さが混じる。
そんな熱たちを、潮風がゆっくりとさらっていった。
「あたしが帰る場所は、あそこで――何がなんでも帰りたいのは、あそこで」
たとえば、それはカイルさんが海をねぐらにしてるのと同じで。
「そんなすぐ帰れるわけじゃないし、そしたらどんどん時間が過ぎるし……だから、あんまり……その。仲良くするのは楽しいんですけど、もししすぎちゃって、友達とか帰る場所のこと、忘れちゃったらどうしよう――って」
だからせめて、最低一線はひいとこう、って考えがある……ような気がします。
おまけに、には前科がある。
頭ぶつけて記憶をなくした、いっそ笑い話でしかない前科が。
アレは、今になっても幸だったか不幸だったか判らない――
が。
少なくとも、歩く道を定めたきっかけのひとつは間違いなくそれだ。
ため息のこぼれかけた口からは、けど。
「なーに云ってやがる」
「あたっ!」
そんなことばとともに繰り出された手のひらが、後頭部にヒット。ため息は見事にかき消された。
「忘れたりしねえよ、そんな大事なモンなら」
「……いたい……」
力加減を考えてくれたのかどうか、今の一撃はかなり怪しい。
もし拳骨だったら、確実にたんこぶが出来ている。
頭を押さえてうらめしげに見上げるの、半泣きの顔がそんなにおかしいのだろうか。
喉を低く鳴らして笑いながら、カイルは次に、その手のひらでぽんぽんと軽く叩いてくれた。
「本当に大事なモンなら、忘れたり諦めたりなんて出来るわけがねぇさ」
――オレもそうだった。
「カイルさんも?」
「おうよ」
だからまあ、なんだ。
「オレも、きっかけがどうのっていうのはやめにすっから、気楽にやろうぜ」
年上にゃ敬語ってのが教えなら教えでいいから、せめてオレたちにまで使ってくれるな。
「……そー……ですね」
にっこり。いや、にかっと。
笑うカイルの笑顔は、やっぱし、モーリンに似てる。
だから、余計に。
心安く思えるときがあって。
近づきすぎちゃいけないと思うときがあって。
代わりだと思ってるみたいで、双方に申し訳なくて。
……でも。
「カイルさん」
「“さん”は抜けねぇか、やっぱ?」
呼びかける、名前は。
その人の名前だから。
苦笑するカイルに、は、すっくと立ち上がって手を伸ばした。
「とっ……友達になろう!? カイル……さんは抜けないけど!!」
自分にしては、一世一代の大勝負――だったと思う。
たぶん、顔が真っ赤になってるんだろう。
太陽にあたためられたってだけじゃない熱が、頭をぐるぐるめぐってく。
どきどきどき。
そんな心臓の音も、もしかして、聞こえたかもしれない。
唐突なの発言に、ちょっとだけ目を丸くしたカイルは、
「――おうよ!」
にっ、と笑うと、差し出した手に、自分の腕をがっちりクロスさせてきてくれた。