そんなこんなで、もう少し林を探索してみる、というレックスたちを送り出し。
プニムには、その辺で遊んでてくれとお願いして。
「〜♪♪」
「……」
は、上機嫌に卓の準備をしているメイメイに、なんと声をかけていいものやら判らずに突っ立っていた。
――メイメイを、は知ってる。
――メイメイは、を知らない。
自分の生きていた時間、そして今存在する時間、それを考えれば当然のことだというのに、知らないでいるメイメイが少しだけ恨めしい。
呼びかけたい。メイメイさんって。
それから、話したい。あの日のこと、今までのこと、これからの不安や、愚痴も聞いてほしい。……それは、どんなに親しくなってもレックスたちでは叶わないことだから。
でも、メイメイにもそれは出来ないのだと、先刻しっかり思い知らされた。
「はぁい、準備できたわよ」
ささ座って座って。
折檻するとか云ってたくせに、実にフレンドリィなお誘いである。
が、あえて話を蒸し返すのも躊躇われ――正直彼女の繰り出す折檻がどんなものなのか、想像もつかない不安もあって――は、手招きにしたがって卓についた。
すぐさま、ほかほか湯気の立つミルクが差し出される。
「……っ」
それでまた、既視感。
最初にファナンで逢ったときも、メイメイは、同じようにミルクを出してくれたから。
息を飲んだを見て、こちらのメイメイが首を傾げる。
「ありゃん? もしかしてミルク嫌いかしら?」
「い……いいえっ!」
だめよう、大きくなれないわよぅ、と笑うメイメイに、はあわてて否定を返す。熱を伝える器をそのまま両手でくるみ、自分の方に引き寄せた。
「――――あたし、これ、大好きです」
「そ? ならよかった、お代わりたんまりあるから、じゃんじゃん飲んでねぇ〜♪」
「……はい」
うまく動かない顔の筋肉を誤魔化すために、は、俯き加減にミルクを口に運ぶ。ほんのりとした温かさと甘味が、口内に広がった。
覚えのある味に、ほっとする。
湯気が刺激したとばかり、指で軽く目じりをこすった。
「えーっと、ちゃんだったかしら?」
「あ、……はい」
がカップを置くのを待って、メイメイが話しかけてきた。酒を切らしていたというのはウソじゃないんだろう、が見覚えているそれよりも頬の赤みは薄いし、双眸もあまり潤んではいない。
どちらかというと、真面目な話をするときの表情。――そう思って、姿勢を正す。
「なんですか?」
「うん。率直に訊いちゃうんだけどね?」
メイメイにしては――の知っている彼女にしては、だが、珍しく、云い難そうな切り出し。
沈黙でもって先を促すと、うん、とメイメイは頷いて、
「ちゃん、これに見覚えとかないかしら?」
差し出されたそれは、
――精緻な細工の施された、銀色のペンダント。
「……」
息を飲む、とか、そんなレベルじゃない。
思考が、呼吸が、その一瞬にして停止した。
目が離せない。その銀色から。
頭が動かない。その瞬間から。
さながら人形にでもなったような、けれどそれもたかだか数秒のことだろう。は、微動だに出来ずそれを凝視した。
「――――」
メイメイは、そんなを黙って見ている。
ペンダントに気をとられているは気づかないが、それは、こちらの反応をつぶさも見逃すまいとする観察者の視線だった。けっして冷たいものではないが、笑み溢れた彼女を知る向こうの人々が見れば、きっと表情を改めずにはいられまい。
「――――」
だが、今対峙している唯一の人間、にはとてもそんな余裕などなかった。
なんと答えるべきか。
“”をまだ知らぬメイメイに。
何を告げるべきか。
“あの日”などまだ遠い、この時間に。
迷う。
逡巡する。
この時代に落ちてきて初めての、それは歪められない決断のときで――
「……知…………ません」
どれくらい時間が過ぎたのか。
少なくとも、まだレックスたちは戻ってきていないのだから、そう長いわけではなかったのだろうけど。三日分の思考をその数分に使い果たして、は、掠れた声でそうつぶやいた。
あらら……と、メイメイががっくり肩を落とす。
が、すぐに彼女は身を乗り出して、
「ねえねえ、じゃあちゃん、メイメイさんをよーく見て見てっ、何かこうピーンとくるものとかないかしらっ?」
「…………」
ああ。そうだ。
彼女とメイメイさんは、友達だったんだ。
――リィンバウムは、四界の中心に位置する、輪廻の終点。巡る魂はいつか、ここへと辿り着く。
つまり――メイメイは、を、彼女の生まれ変わりだと思っているのだろう。この世界との繋がりを断って行ってしまった、今はまだ、どこかで泣いている魂。
無理もない、そう思う。
だって、は今、あの力を使える。彼女の象徴であった、白い焔。彼女の傍にいたメイメイなら、そのことを感じていても不思議じゃない。
こんな条件があれば、いくらペンダントに見覚えがないと云っても、そう思われて仕方ないだろう。
……心が痛い。
嘘ばかり重ねる、反動だ。
そうするしかないと判っていても、この後ろめたさは、がである限り、決して消えることはない。
「……」
目を伏せて、首を横に振る。
「……そっかあ」
先刻以上に大きな落胆を含んだメイメイのことばが、また、胸を抉った。
けれど、その直後。
「にゃははー、変なこと訊いてごめんねっ? 前にちゃんと同じ名前の友達とはぐれちゃって、ずっと探してんのよぅ」
顔を上げられないでいるに、明るさを取り戻した声が聞こえる。
りぃん、と銀の鳴る音。
それに呼ばれるように顔を上げると、覚えのある笑顔を浮かべたメイメイが、ペンダントをぶら下げて笑っていた。
「……友達」
その表情に、ことばをなくした。
何か云わねばと思ったものの、出来たことは、意味もなくメイメイの科白を繰り返しただけ。
笑顔の向こうに、哀しみが透けて見えた。
切ない。
辛い。
痛み。
そうして――深い、深い、それは嘆き。
……いつだったろう?
フォルテとたしか、こんな会話をした。
「シャムロックさん、下戸なのに。なんで豊漁祭のとき、あんなにお酒飲んだんでしょうねえ」
心底疑問だったのだが、フォルテはそれを思いっきり笑い飛ばしてくれた。
「はははははっ、理由なんかねえって!」
単に、周りのノリに押し負けて、勧められるだけガバ飲みしちまっただけだっつの!
そう笑い飛ばして――
「ただ……」
ちょっと苦い顔になって、フォルテは云ったのだ。
「酒ってのはよ、実に都合のいい魔法なんだな」
「魔法?」
「おう。飲んでる間は感覚がぼやけちまうから――嫌なこと辛いこと、それをいっときでも忘れるには、ちょうどいい……手っ取り早い魔法なんだよ」
トライドラもローウェン砦も、あんなことになっちまったし。
もしかしたら、シャムロックの奴は、少しばかり魔法に頼ってみたかったのかもしんねぇな。
告げるフォルテも、同じようにして気を逸らしたことがあったのだろうか?
にそう思わせるに充分だった、彼のそのときの表情は。今も、心に残ってる。
衝動が、口を突いて出た。
「……メイメイさん……」
彼女が、常に酔っているのはもしかして。
――もしかして――
だけど、メイメイは、それ以上の何かをに見せようとはしなかった。
「にゃふ?」
いつもの、笑い声ともため息ともつかぬそれをこぼして、メイメイの笑顔は笑顔になる。透けて見えてたそれは、再び、きれいに隠し遂される。
「こらこらちゃん? 眉間にシワ寄せちゃってぇ、もぉ。かわいいお顔が台無しよ?」
むにっ。
細い指が、の頬をつかんで伸ばす。
最初に逢った、あのファナンでも。
この人は、同じように笑って。そう、云ってくれた。
ひとしきり引っ張って遊んで、メイメイは、されるがままになってたを解放した。
「……ちゃん?」
「――――」
一度。
そう思ってしまったら、そうだとしか思えなくなる。
さっき見た、この人の哀しみは、とても深くて大きくて。
心が、ぎりぎりと絞られる。
話したい。
あなたの友達は、救われますよって。
大事なひとといっしょに、また、笑えるときがきますよって。
教えたい。
幾つもの嘆きも悲しみも、遠い明日に笑顔になりますよって。
――だけどそれは、してはいけないことだ。
ファナンで逢ったとき、メイメイは、何故にペンダントを渡した?
が彼女の生まれ変わりなのだと思って、そうしたのではないか?
……が、生まれ変わりになってしまってはいけない。
何より、そのときのメイメイは、訪れる明日をまだ得ていなかったはず。あり得る星の動きを読んで、おぼろげな流れを汲み取っていたに過ぎない。
――今はまだ、それよりも遥かに時を巻き戻した時代。
…………云えるわけがない。
遥か先に出逢う、遠い明日の出来事を大事に思うなら。
幾重にも嘘を塗り固め、後ろめたさに心が絞られても、けして、の抱える記憶を明らかにしてはならないのだ。
何も云えず、じっと自分を見つめるだけのを見て、メイメイが息をつく。
「……ごめんね? 心配させちゃったかしら?」
「…………」
いいえ、と、かぶりを振った。
それから、息をつく。
痛みも逡巡も吐き出せとばかり、強く短く。
が持つはずのないモノは、すべて吐き出してしまえ。
それで、はになるのだと。
「お友達――また逢えるといいですね」
なんてありきたり、なんて偽善。
「そうねぇ、ありがと♪」
己を糾弾するの心まではさすがに見えないか、メイメイはにっこり笑って頷いた。
……いつか、メイメイは云っていた。
名も無き世界から来たからだろうか、の星は読むことがとても困難なのだと。
今は、心底。
そんな自分の身の上を、ありがたいと思った――――