そんなこんなで林を抜け藪を切り払い、進むことしばらく。
ようやく見えてきた建造物に、はことばを失っていた。
「どうしたの?」
思わず立ち止まったにぶつかりかけたソノラが、不思議そうに訊いてくる。
「……あれって……鳥居……」
「トリイ?」
「ああ、たしかシルターン独自の建造物だって……」
さすが教師というべきか、レックスが、と同じ方向を眺めてそう告げる。
こっくり、と頷くの耳に、この場にいる人間以外の声が聞こえてきたのはその直後。
唸り声――威嚇と敵意混じりの。
完全にその場に停止した一行を囲むように、四方からそれは漏れ聞こえる。
隠そうともしてない気配、突き刺さるような殺気。
獰猛な印象の強いそれは間違いなく、
「はぐれ召喚獣――?」
アティがそうつぶやいたとき、
「立ち去れ……」
「立ち去れ……」
「立ち去れ――!」
まるで、地の底を這うような低い声が、どこからとなく聞こえ出した。
反響をうまく利用しているのだろう、出所はつかめない。
周囲に満ちる気配すべてが発しているようでもあり、どこかに身を潜めた誰かが発しているようでもあり。
シュプレヒコールならぬ立ち去れコールは、こちらが戸惑ううちにどんどん増加していく。
あまつさえ、立ち去らねば命はない、などとぬかされる始末。
さすがにこれは無視できず、
「ちょっと待ってくれ! 俺たちは、争いにきたわけじゃ――」
と、レックスが声を張り上げようとしたのだけれど。
たぶんそれを合図にしたのだろう、ヒュ、と大気を切り裂いて、小刀が彼の足元に突き立った。
「うわ!?」
あわてて身を退いた彼の分を埋めるように、わらわらと――
「うっわ! 本物の雪女!!」
出てきた物の怪の群れを見て、は、場の状況も忘れて歓声をあげていた。
唐突な大喜びの気配に、物の怪たちも戸惑ったらしい。
小刀を投げつけようとした体勢のまま雪女が固まっているかと思えば、その横で、赤提灯ことアカベエが目をまんまるにしている。
どうやら、彼らは人間のことばを解することが出来るようである。
でなければ、
「わあわあ、ナマで見たの初めてだー」
と、殺気も敵意も奇麗に無視して、るんたったとスキップ混じりに近づく女の子を戸惑った目で眺めたりなどするまいて。
「お……おい、! 危ねえって!!」
「あ、だいじょうぶ。この人たち、本気で殺そうとしてません」
「え?」
「ですよね?」
じゃなかったら、あたしが近づくの許したりしませんよね?
かなりの至近距離まで近づいて、はにんまり笑ってみせる。目の前にいる雪女に。
文字通りの真白い肌、白い着物に身を包んだシルターンの物の怪は、う、とうろたえたりなんかしちゃって。
……かわいいぞコノヤロー。
と思った次の瞬間、のことばを否定するように、小刀が投げつけられる。
が、毒気を抜かれた攻撃なんぞ、避けるのは容易い。
ちょいっと身体をずらしたの背後に、硬い音をたてて小刀は突き立った。
あっさり避けられたことに、雪女も動揺を隠せないでいる。アカベエたちは、どうすりゃいいのかおろおろおろ。
「――おひきください」
あなたがたではおそらく、この者たちにはかないますまい。
タイミングを見計らっていたかのように、物陰から声がまた追加。
きゅ、と、は口元を引き締める。
この場に姿を見せていた物の怪たちと違って、今の声は、予想もしなかった場所から響いた。つまり、完全に気配を消していたということだ。
さわさわ、と、周囲の草や藪に再び身を消す物の怪たちとすれ違うようにして、レックスたちもの傍に駆けてくる。
そうして声の主もまた、彼らの前に姿を現した。
「…………うわ」
その姿を目にして、、またも感激しかける。
出てきた人物から受ける印象に、ひどく覚えがあったからだ。
カザミネとシオンを足したような感じ、といえば近いだろうか。まとう衣装も、その印象を助長させる。
ただし、額に生えた二本のツノが、彼が人外のものであることを示していた。
シルターン出身の人たちから何度か聞いた、これが鬼神という種族なのだろうか。
「あんたが、あいつらの親玉か?」
感激してるの横から、カイルが剣呑な声で問う。
けれど、解は否定。
「いいえ。自分はそのようなものではありません。――この郷の護人です」
「……もりびと?」
「シノビじゃないんですか?」
レックスにつづけたのことばに、その人物の目が丸くなる。
「――シノビを、ご存知なのですか」
あなた方はリィンバウムの人間ではないのですか?
重ねて発された問いに、どう答えるべきか一瞬迷って。
「……いえ。出身は名も無き世界です」
結局答えたのは、バカ正直な己の事情。
他の同行者が目を丸くするより先に、付け加える。
「小さいときに来て以来、この世界で暮らしてます。……だから、どっちとも云えません」
シノビをどうして知ってるかについては、あなたと同業の知り合いがいるんです。
そもそもの彼の疑問解消のために足したことばと一緒に、笑みを浮かべてみせる。
人影――その男性は、しばし凝然とを見ていたけれど。
ふ、と、小さく息をついた。
「では、一つ問います……あなたの召喚主は健在ですか?」
「いいえ」
健在も何も、あたし、どっちかてゆーと自分から渡ったよーな気がしてるこのごろです。
心中でつぶやいてかぶりを振る、と同時。
男性のかもしだす気配が少しだけやわらかくなったような、気がした。
そうですか、と、口の動きだけでことばを作って、からレックスたちに視線を移す。
「さきほどの様子を見るに、どうやら貴方がたは、この島のことを何も知らないようですね」
「そうだよっ。こっちだって、嵐で流れ着いたばっかりなんだから」
むっとした顔で、ソノラがくってかかる。
カイルが、そんな妹の頭を軽く叩いてなだめていた。
「なるほど……」
つぶやいて、人影は踵を返す。
あわや騒然としかけた一行に、振り向きもしないままの彼の声。
「着いてきてください。この島について、説明しましょう」
勿論、断る理由など誰にもなかった。
それどころか、なんぞ小走りに駆け出してその男性の横に並ぶ始末である。
「あの。お名前を訊いてもいいですか? あたしはって云います」
「……キュウマです。先ほども申しましたが、この風雷の郷の護人を務めています」
云いながら、男性――キュウマは口に指を差し入れると、ピィッ! と甲高い口笛をひとつ。
応えて、頭上にいくつもの羽音。木々の間から降りてくる、数匹の鳥。
シオンの鳥を見慣れていたためか、すぐに、訓練された鳥なのだとわかった。
や、後方の一行が見守る前で、キュウマは鳥に幾つかのサインを出す。
終わるや否や、鳥たちはすぐに舞い上がり、それぞれ異なった方向へ飛び立っていった。
「ありゃなんだ?」
額に手をかざし、頭上をすがめ見たカイルがいぶかしげにつぶやく。
「連絡です。これから向かう場所へ、護人たちを集めなければなりませんので」
「――すごいです……、よく訓練されてるんですね」
「集める……って、他にもその護人ってゆーのがいるの?」
「ええ」
頷きながらも、キュウマは歩調を落とさない。
たちが下草を払わなければ歩けないような道を、なんでもないようにすたすたと歩いていく。
そんな調子で行かれると、当然後続との差は開くわけだが、何故か、一定――会話の届くギリギリ以上にそれが開くことはない。
なるほど、これが妥協してもらってる限界なのか。
「自分の他に、3名の護人がいます。詳しくは、到着してから話しましょう」
「は、はい」
やっぱり振り返りもしないキュウマのことばに、戸惑いがちなレックスの声。
振り返ってみると、どもってるのは案内人の対応にだけではないようだ。
下草を払いつつ歩いているせいで、会話に主をおきつづけるわけにいかないんだろう。
待っておくべきかな――そう思って、は歩調を落とす。
「?」
と。
怪訝な顔で、キュウマが振り返った。
今の今まで隣を歩いてたが、唐突に立ち止まったせいなのだろうか。
こちらの視線を追って、ようやくレックスたちを見――得心のいった表情になる。
懐から小振りの刀を取り出して、その頃には歩き始めてた彼の周囲の草が、その刀で払われていく。
で、まさにそうしようとしてたは、抜きかけた剣を再び鞘におさめて彼の隣に並んだ。
キュウマが下草をどけてくれるなら、レックスたちとの距離が開きすぎる心配はないと思ったからだ。
そうして予想にたがわず、背後で草を払う音が格段に少なくなった。歩調の乱れも、大きなものは見られない。
そのことに安心して、はキュウマを見上げた。
「あの」
「はい」
けっしてこちらを見ないけれど、気配は気にしてくれてるんだろう。
でなければ、さっき振り返った理由の説明がつかない。
「キュウマさんは、鬼神っていう種族ですか?」
「いいえ……鬼に連なるものではありますが、鬼神ではなく鬼人です」
そこで、ちらりとキュウマの視線がに向けられる。
「……本当に、よくご存知ですね」
「シルターンだけじゃないですよー。ロレイラルにもサプレスにも、メイトルパにもそれなりに詳しいです」
「召喚師――ではないようですが」
えっへん、と意味無く胸を張るに、怪訝な色の濃い声で問いが投げられる。
「あ、違います。その世界出身の友達がいるってだけです」
正確に云うなら、友達ってだけじゃなくて人生の先輩と云ったほうがいいような人ばっかりですが。
今は遠い明日にいるんだろう、彼らのことを思い出して答えた。
そうですか、と、また口の動きだけでキュウマもつぶやく。
「なんかさぁ」
やっとこちらに追いついたソノラが、よいしょとばかりにの腕をひっつかんだ。
「今さらだけど。って、何者?」
「しがないあてなき旅人でーっす」
「よかったら、今度の経歴聞かせてくれませんか?」
「あはは、聞いてもつまんないですよ」
背筋はゾッとするかもしんないけど。
「子供たちに話すのも駄目? 人生教育の一環なんていって」
「嫌な影響与えまくると思いますから却下」
「……どういう人生送ってるんだよ、おまえは」
最後尾を、一応警戒しつつ歩いてたカイルが、追いついて頭を軽く叩く。
思いの外力の入ってたそれに、がバランスを崩し、体重を預けてたソノラと一緒に地面と仲良しになる、という笑うしかない一幕もあったものの。
「――見えてきました」
木々の向こうに見えるそれを指してキュウマが告げるのは、そのすぐ後のことだった。