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【“今日”の事後報告】

- ただいまとおかえり -



 光が迸る。嫌な浮遊感。
 それが消えた後、の目の前にあったのは、随分と久しぶりに見る気がする一室。
 そこはたしかに、自分とバルレルが、あの日……いや、“今日”ミモザにすっ飛ばされるまで、のんびりくつろいでいた部屋だった。
 天井も、床も――かなり記憶が怪しいけれど、見る限りはあのときのまま。窓辺がコゲてるのは、今はもういない電気ウナギの放電現象、その名残だろうか。
「あ! ほら、ギブソン! ――ちゃんとちゃん帰ってきたじゃない!」
「ミモザ、それは結果論だ。大体、披検体の許可もとらずに実験したことを棚に上げるな」
「何よ、結果オーライは万国共通の棚上げ語よ?」
「それが駄目だと云ってるんだ!!」
 ……珍しい、ギブソンの怒鳴り声。
 本気で怒っているというよりは、ひどい頭痛に悩まされてるような感じだけれど。
 しみじみと部屋を見渡していた視線を、そこで、声の方向に動かした。
 なんとなく判ってたけど、人物だけが、あのときと違う。
 いたのはとバルレルと、乱入してきたミモザだったけれど、今は、それに加えてギブソンと――
「あ、パッフェルさん」
「……さぁぁぁぁん……」
 いちばん真新しい記憶とは百八十度の位置にあると思しき表情、つまりは無表情と半泣きで、今は後者のそれを浮かべたパッフェルの実に形容し難い呼びかけに、はそのまま引きつった。
「ど……どーしたんです、かああぁぁぁッ!?」
 最後までことばを紡がせず、パッフェル、に向かって急発進。勢いを殺しもせずに飛びついて、力の限りしがみつく。
 肩口に押し当てられた表情は、からでは見ることが出来ない。
さんずるいですずるいですずるいです――――!! わ、わたしっ、私が――私がどれだけ……ッ!! どうして仰ってくださらなかったんですか、どうして私今まで何も気づかなかったんですか私のばかばかばかばかばか――――!!」
 ……くどいようだが、パッフェルの頭はの肩口にある。
 つまり、耳元でこの絶叫だ。
 鼓膜突き抜け脳天震わせる叫びを聞いたの思考は、そのまま華麗にシェイキング、真っ白になるどころかあれよあれよとマーブル模様。
 それでもどうにか、ツッコミどころを見つけて、は、すすり泣くパッフェルにこう云った。
「どうしても何も……仰れるわけないじゃないですか、あたし、たった今そのへんの諸々経験してきたばっかなんですか―― 「そんなの判ってますよう、でもどうして内緒にしてたんですか、仰ってくだされば、私、わたし――もういろいろ云いたいこととか約束とかまた逢おうってこととかお名前とかですね――!」 ――ら」
 ……だめだこりゃ。
 ため息ついて、すがりついたままのパッフェルもそのままに、再度視線を動かした。
 気づいたミモザが、手のひらサイズの時計片手にこちらを振り返る。
「お疲れ様ー。ねえねえ、どう? 時間すっ飛んだ感触は。2時間56分、3時間にはちょっと及ばなかったけど、まあまあ狙いどおりよね?」
「……」
「――――ね?」
「…………」
「――――――――ね、ねえ……?」
「……………………。ふッ。」
「ひいっ!? ちゃんがコワいッ!?」
 時計放り出したミモザが、慄いて手近な壁に張り付いた。
 呆れ全開でそれを一瞥したギブソンが、入れ替わってやってくる。
 この人もまた、どうしてここにいるんだろう。そう思ったのが伝わったわけでもないだろうが、彼は、優しく苦笑して告げた。
「面白い実験をしてるから、と、さっき呼ばれてね。パッフェルさんがケーキを持ってきてくれているというし、来てみたんだ。……まさかこんな実験だったとは、思わなかったけれど」
 それで、ここで待機もといミモザに説教してたということなんだろうか。少なく見積もっても1時間ほど?
 想像してうんざりしたを、ギブソンは、真顔になって見つめる。
「気兼ねしないで、正直に答えてくれるかな? ――“どこへ行ってた”んだい?」
「だからギブソン、それは……」、
 壁に張りついたまま何か云おうとしたミモザが、あら、と首を傾げた。
ちゃん……服装、変わってない? それに、何か髪も心なし伸びて……それにバルレル……いない……?」
 ことばの途中から何かに気づいたらしく、ミモザの声はだんだんと小さくなっていった。最後の方なんか、ほとんど呼気と変わらない。
 ざー、と音立てて引いていく血の気を見、は、浮かべたままだったやさぐれ笑顔を少しだけ戻す。――性格悪いかもしんないけど、ちょっぴり溜飲が下がりました。
 そんなふたりの反応を見たギブソンが、やっぱり、とでも云いたげなため息をつく。
 彼に重ねて問われる前に、はおもむろに口を開いた。
「吹っ飛ばされましたよ、ええ、ものの見事に。――まずは」、少し迷ったが、どうせそのうちバレそうだと考え直す。「二年半くらい前のサイジェントにとおりすがって」
「……」
「……」
 そのことばが、皮切りだったのだろうか。
 ピシッ、と、音高く硬直したのはミモザだけではなく、ギブソンもだった。
 距離のあるミモザは判らないが、ギブソンの目がそりゃあもう忙しなく虚空をあっちこっち泳いでたり、額には冷や汗が流れたり、かと思えばひたっとに視線を固定し、「まさかそんな……だがたしかに髪を伸ばして目も色を変えれば……」とかつぶやくのを見るに至って、も覚悟を決めた。
 しがみついてるパッフェルのせいで自由にならない両手の代わりにもならないが、せめてとばかりに肩をすくめたその瞬間、
「まさか――“”ッ!?」
「“とおりすがりのフラットの味方”は君だったのか!?」
 さっきのアルバイターさん以上の絶叫が、それぞれの方向から、めがけて一斉射撃。――鼓膜直撃、ダメージ甚大。
 ていうかギブソンもミモザも、一度か二度くらいしかこっちを見てないはずなのに、よく、具体的な姿形覚えてたものである。そんなに印象強かったのだろうか、フラットの味方。それはそれで嬉しいような空しいような。
 そうして、ふたりともパッフェルと同じような行動に出るかと思いきや、
「――――ミモザ――――ッ!」
「きゃああああっ、ごめんごめんギブソン!! いやちゃん! 本当に私が悪かったわ――――!!」
 普段の物腰柔らかな様子をかなぐり捨てたギブソンの怒声は、出来るものなら壁を通り抜けて向こうの部屋に行ってしまいたいとばかりの態を見せているミモザへと。
 でもってミモザもミモザで、さっきまであった余裕もどこへやら、平謝りのコメツキバッタ、大混乱絶好調。
 パッフェルはというと、まだにくっついたまま、いまや放心状態。
 一緒に帰ってきたメイメイはどうしたのだろうと改めて視線をめぐらせたら、最初に出てきた場所から動かず、一連のやりとりに腹をおさえ、爆笑するのを必死にこらえているようだった。……大物。
 そんなある意味阿鼻叫喚的状態を、どうしたものかと思ったとき、
「――こんにちは」
 風を通すため開けていて、今もそのままだった扉から、新たな人物が姿を見せた。
 ノック代わりに扉脇の壁を叩いた手は、ともすればより小さい。いっそバルレルと比べたほうが早い。背丈も。が、佇まいは正反対で、老成とも云い換えられそうな落ち着いたものだった。
 ……それも当然か。
「あら、総帥様。遅かったじゃないの〜」
 にゃはははは。説教をくらわせるのとくらうことに気をとられて気づかぬ蒼の派閥所属二名より先に、メイメイが軽やかにそう云った。
 どこか呆気にとられて室内の光景を見ていた総帥様、ことエクスは、何やら手に持っている書簡をひらりと振って、彼女に応える。それから、ふっと、視線をへ。
「……こんにちは、。――――お疲れ様」
「知ってたんですか?」
「まあ、君がどことどこへ行ってたかくらいはね。メイメイが、出かける前にはしょって説明してくれた」
「……はあ」
 曖昧に応じながら、の視線はエクスの手にある書簡へ。それに気づいたエクスは、「ああ」と再度それを掲げてみせた。
「ギブソンとミモザに、内示なんだけど――取り込み中みたいだから、もう少し後にしようか」
 わざわざ、それ持ってここまで来たのか、蒼の派閥の総帥。わりと暇なのか、周囲が泣いたのか。たぶん後者。
 そんなやりとりさえ見えていないのか、ギブソンのお説教はまだまだやまない。ミモザもまた、他に気をまわしてる余裕なんてなさそうだ。
 それを単に取り込み中の一言で片付けて良いものかどうかは実に疑問だが、下手に割り込んでとばっちりくうのも辛い。しばらく静観していようか、そう思った矢先。
 ――ぷっぷー♪
 部屋の一角に据え付けてあった壁掛け時計から、青い小さな生き物を模した人形が出てきて、のんきに時刻をお知らせした。

「あ」

 その瞬間、

「――あ――」

 光が迸る。
 さっきが感じてたのと同じ、色が様々に交じり合ったスパーク。
 その中央あたりから、人影ひとつ。
 スパークの残像だか影だかによってひび割れたように見えるその空間に浮かぶ影は、小柄。逆立った髪の毛や、一対の翼や、先のとがった尻尾のシルエット。
「……バ」、
 なんでバカ正直に三時間後に戻ってきてるんだ不可抗力なのか意図的なのかもし後者なら実は案外でなくてもいい奴なのか狂嵐の魔公子?
 などと思考がよぎったものの、そんなの、目の前でようやく実体を見せた彼の姿に比べたら重要度なんて微々たるもの。
 しがみついたままだったパッフェルから、ごめんなさいと云いつつ解放してもらう。と云っても、彼女まだ自失気味なもので、人形よろしく腕を外させていただいたのだが。
 そして取り戻した自由の身。
 眼前には、あの日はぐれた外見ちびっこ悪魔。
 床に尻餅ついた形になったバルレルは、一度ぷるっと頭を振って目を開け――

「バルレルっ!」

 全身全霊、衝動のまま抱きつきにかかったを見て、目をまん丸にしたのだった。

「ごめんねごめんねごめんね! おかえりー!!」
「お、オウ?」

 小さな身体で苦労して、それでも律儀に受け止めてくれたバルレルは――やっぱり、案外どころでなくいい奴なのかもしれない。
 しばらくのち、べりっと引っぺがされるまで、は久々に、ちびっこ悪魔の抱きごこちを堪能したのだった。


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