――――そうして、屋敷の一室をひとしきり賑わせた喧騒も、ようやく落ち着いた。
三時間前はふたり分しかなかった茶器は、室内にいます全員分が用意され、椅子も足りない数は隣室から持ち込んで、すっかり小会議室体制。
自ら淹れた茶で口を湿らせたミモザが、「はあ」と盛大なため息とともに頭を下げた。
「ごめんなさい。――まさか、そんなことになっちゃうなんて全然考えてなかったわ」
「ミモザは少し、行動の前に一拍置いて考えるようにしたほうがいいね」
「まったくだぜ。オレらだったから戻れたようなモノの……」
椅子に斜めに座り、片膝立ててテーブルに肘をつく、といった行儀悪さのバーゲンセール中であるバルレルが、ギブソンのことばを受けてぶつくさぼやく。
まあ実際、実験の生贄になってたのがでなくバルレルでなく、たとえばトリスやマグナ、もしくは他の護衛獣だったとしたら――うん、なんつーか、前向きな展望というのが描きづらい。
バルレルが悪魔だったから、サイジェントでは切り抜けられた。はそう思う。
がだったから、あの島から帰ってこれた。――というのはともすれば自惚れになってしまいそうだから、ちらりと思うだけ。あちらにはメイメイが迎えに行ってくれてたし。……でも、がかき乱さなかった場合絶望は絶望のままだったんだろうか、そしたら迎えに行った意味とかあったのか、そもそも“今”はあったのか……
……深く考えるのはやめよう。頭痛が痛い。
疲労のせいか、どことなし崩壊気味の思考回路はそこで停止。思いついたことをそのままに、今度は言語中枢を働かせる。
「んー、でも。戻ってこれたから結果オーライ。そういうことにしとこうよ」
「……まあ、過ぎたことうだうだ云ってもムダだけどよ」
その過ぎたことをさんざん引っかきまわした当人たちは、目を合わせて頷きあった。
「だがよ、メガネオンナ。もうやるな二度とやるな金輪際やるな。時間に手ェ出すなんてなァな、命の枠を組み換えようとするくらいタチ悪ィんだからな!」
「ううう、判ったわよう……」
こんな偉そうな口を利けば、普段はミモザによるほっぺた伸ばしの刑が執行されたりもするのだが。さすがに、今回は堪えたらしい。
まあ、自分たちも経験したサイジェントの例の騒動。あれに深くかかわってた相手が目の前のふたりだったとか、あまつさえそのうちのひとりは、さらに十数年以上時間遡って縁もゆかりもないはずの場所にすっ飛ばされてたとか聞かされれば、そのへんの気力もなくなって当然だろう。
もっとも、バルレルにしたって、普段の勢いに比べると追及が弱い感も否めない。
……それは、も同じだ。
だって。
三時間だよ。
三時間なんだよ。
サイジェントで過ごした日々、あの島で過ごした日々、それって、戻ってきてみたら、たかだか三時間、半日さえ経たない間のことになっちゃってるんだよ。
……これでやるせなさを感じない方が、どうかしてるってもんだ。
「――――」
それで。やバルレル以上に打ちひしがれた様子なのが、パッフェルだった。
事情を知らぬ数人は、時折怪訝な目を向けているが、思いっきりその原因にかかわっていたは、目を向けることも出来ず視界の端におさめるばかり。
ヘイゼル、イコール、パッフェル。
この公式が出来るまでの間――がすっ飛ばした十数年の間、彼女に何があったのかは判らない。けれども、そのために多大な影響を与えたろう家庭教師コンビ(特に姉の方)と行動を共にしてた誰かさんが、やはりイコールで結ばれるということに、パッフェルは気づいてるらしかった。
そうでなければ、さっきの狂態はありえない。あの叫びも。
ぼうっ、と虚空を見上げ、時折ぐすっと鼻をすすり、衝動的に浮かぶ涙を懸命にぬぐっている様はなんともかわいらしいものがある――ヘイゼルと一発で結びつかなかったのも、しょうがない変化ぶりだ。
当時彼女を連れてったことになってるメイメイが、笑いながら面倒をみてやってるから、あちらは任せてだいじょうぶだろう。
「それで――総帥。今日はどのようなご用事で、こちらに?」
いい加減話の矛先を変えたくなったか、ギブソンが、黙って成り行きを見守っていたエクスに話しかけた。
「ああ。僕のほうは……さっきも云ったけど、内示を持ってきたんだよ」
「内示?」
人事異動とかの?
訊き返すに、エクスはこくりと頷いてみせる。
「そうだよ。今回は、異動というより昇進だけれど」
「昇進ン?」
眉をしかめて、バルレルがおうむ返し。
この屋敷にいる蒼の派閥関係者といえば、現時点、ふたりしかいない。自然、視線はギブソンとミモザに集中した。
「――え?」
「私たちが、ですか?」
目を見張るふたりへ、エクスが再度こくり。
「他に、例の件で依頼したいこともあるんだけど……それに関しては明日、派閥のほうへ来てくれるかな。一応内密のことだから」
とにかく今日は、これを。
差し出された書簡は二通。厳重に封蝋までされたそれを、ギブソンとミモザはそれぞれ手にとり、開いていく。
どこかおそるおそるといった感じの緩慢な動作に痺れを切らした、そんなわけでもないのだが、沈黙だけで見守るのも落ち着かず、はせっかく切り替えられた話を蒸し返してみる。
「ねえ、ミモザさん」
「え……なに?」
「別に責める気はないし、単に気になっただけなんですけど――なんで、飛ばす先が三時間後だったんです?」
――ぴた、と、ミモザの手が止まった。
それにつられるようにして、ギブソンの手も止まる。
ふたりに集まる視線は変わらなかったが、そこに、それまでとは別物の思惑も加算された。
ミモザが、書簡に落としていた視線を持ち上げる。片手でそれを持ったまま、もう片方の手を懐へ。――取り出したるは、一通の手紙。いや、速達か。
なんでも金の派閥が事業化を検討してるらしい、郵便物の応用系だ。
今は、馬や人による配達が主流のため、届くまでに時間がかかるし、万一はぐれにやられる可能性もある。そのリスク――特に時間のほうを軽減せんと、金の派閥は召喚獣による郵便配達を考え出したらしい。
たとえば、メイトルパにいる獣人。彼らは姿形こそリィンバウムの人間にオプションがくっついたような感じではあるが、その身体能力は桁違い。
それに一々召喚せずとも、皮肉ながら、この世界には帰るに帰れぬ召喚獣、はぐれが多いのも事実。そこで、自分で稼ごうという意欲のある者に斡旋するための仕事の口、そのひとつとして、今あげた郵便速達があるわけだ。
とりあえず、いくつかの指定都市を拠点として実験的に実施されているそれは、なかなかの成果をあげているようだ。
特に王都と頻繁にやりとりする必要のある所からは、手放しで歓迎されてるらしい。たしかに、迅速な決裁は統治の要でもある。
ミモザが取り出したのは、そんなふうにして配達されてきたと思しき一通だった。封はされていない、というよりはカード……名も無き世界風にハガキとか云ったほうがいいかもしれない。これを使ったということは、見られても構わない用件だということなのだろう。
そのハガキを目にしたは、
「……」
これまでの混乱もどこへやら――ひたり、ミモザからハガキを渡された姿勢のまま、硬直した。
白を基調とした厚手の用紙。表書は“聖王都ゼラム××通△ー○○”というこの屋敷の番地。その左下に、刻印がひとつ。木、葉、そんな感じの紋様をモチーフにして考案されたそれは。
「――――ルヴァイド様だ!!」
喜色も露なの声に、もはや我関せず特に派閥どーのこーのはとか、そんな感じでコゲついたままの窓辺に移動し、退屈そうに欠伸していたバルレルが落ちかけた。
「あ?」
「あらま?」
「なんて書いてあるんですか?」
上からバルレル、メイメイ、パッフェル。――最後のひとり、ようやく復活したらしい。
興味津々と集中する視線もなんのその、問われるまでもなく、はハガキをひっくり返した。
「――――」
数年ぶりくらいに見る気のする、見覚えのある文字。書いた本人の性格をよく示すような簡潔な文体で、用件がしたためられていた。
「“旧王国領内における騎士団の活動範囲が粗方折り合った。一段落したことになるので、一度そちらに立ち寄る”――わあ! ルヴァイド様帰ってくるんだ!!」
正確に云うなら、帰るというより戻るのほうが適切なのだが。故郷はあくまでもデグレアだったり、帝国だったり、名も無き世界だったりするし。
だけど今、そんな些事を突っ込んでもしょうがない。
手放しで喜ぶを見る周囲の目は、実に微笑ましかった。
万歳、と持ち上げた両手は目一杯開かれて、その弾みで手にしていたハガキがひらりと舞い落ちる。それを拾い上げたメイメイが、ふとミモザに目をやった。
「それで、どうしてそれが三時間後になったの?」
「右下、ごらんなさい」
云われて、メイメイは、ハガキに視線を落とす。
「ん――ああ、日付書いてるのね。にゃはは、律儀ねえあの御仁も。書類のたぐいでもないのに」
笑うメイメイに、書簡の開封をさておいたミモザが続けた。
「でね。これまでの経験からなんだけど――だいたい、ルヴァイドたちってそういう手紙を出した直後に、移動始めてるみたいなのね」
「はあ。思い立ったが吉日ですね」
「ちょっと違うけど。……で、まあ、日付がそれでしょ。それと、当時の彼らがいた地点、今までにおける到着時間なんかを合わせて考えて。で、その数時間を飛べれば待ち時間――――」
「オイ。」
ミモザの解説を遮って、バルレルが、窓辺からを手招いた。けれど視線は外へ向けたままで、手をひらひらさせてるだけ。
その体勢で、空いてる片手を口の横に添え、バルレルは――外へ向けて声を張り上げた。
「そこで止まってろ! すぐ出てくっからよ!!」
ガタン!!
バルレルのことばが半ばまで紡がれるかどうかのうちに、は椅子を蹴立てて立ち上がる。開け放ったままの扉へ向かおうとした身体を、だが、左足を軸にして回転。逆方向――つまり窓辺へ。
心得たもので、そのときにはとっくに横手に移動してたバルレルの横をすり抜けて、頭どころか全身、窓から乗り出した。
ざあ、と、吹き渡る風が髪を巻き上げる。
視界を遮る焦げ茶のそれを、乱暴にかきあげて――見下ろした先には、やっぱり数年ぶりに逢う気がする赤茶色の髪、それから傍らには金色の髪。
メイメイのセリフではないが、バルレルのことばどおり律儀にそこで立ち止まってこちらを見上げていた彼らは、の姿を認めると、同時に、それぞれの表情で笑ってくれる。
赤い双眸細めて、金髪の持ち主が軽く手を振った。
その傍らで、赤紫の眼が優しくすがめられる。
「」
特に張り上げたわけでもないだろうけれど、その声は、強く心へ届く。感銘を受けたかのように、は一度身を震わせて――
「ルヴァイド様! イオス!!」
――そのまま、窓から庭へと飛び下りた。
さっきバルレルにそうした以上の勢いで、全身全霊をもって飛びついたを、ルヴァイドは微笑んだまま受け止めた。
大きな手。
大きな肩。
広い胸。大好きなにおい。
頬をくすぐる赤紫の髪、逢わない間に少しだけ伸びた?
ぎゅうっ、と。目一杯伸ばして彼の胴に巻きつけていた腕を、ルヴァイドがゆっくり解いた。大人しくされるがままにしていると、そのまま腰と足に腕がまわされ、浮遊感。持ち上げられる。
そうしてルヴァイドは、自分の胸、肩に寄りかからせるように、を移動させた。
腕に腰かける形になったのすぐ真横に、ルヴァイドの顔。……鋭い目を細めて、やわらかく笑ってる養い親。目が合う。笑みがさらに深められる。
「――変わりなさそうで何よりだ」
「ルヴァイド様も、お元気そうで何よりですっ!」
傍らにやってくる、金色の髪。やわらかなそれは風に遊ばれて、彼の整った容貌をきらきらと縁どっている。
「久しぶりだね、。逢いたかったよ」
「うん! イオスも元気だった?」
手のひら持ち上げてそう云うと、心得たもので、イオスも同じく手を持ち上げ――響くは、パン! と小気味よい音。
そのままお別れになるかと思った手を、そこでイオスがそっと掴んだ。
ん? と首を傾げるの、疑問混じりな視線もなんのその、引き寄せた手の甲に唇落として、上目遣いにまた笑う。悪戯が成功したような表情で。
「うわ、イオスますます王子様」
「にだけね」
実になんでもないことのように答え――イオスは、ふと、首を傾げた。
「……。君、少し、変わったか?」
髪もやけに早く伸びてるようだし。問いに付随することばに、ああやっぱあのふたりは騙せないかも、と、窓辺から三人のやりとりを見ていたミモザが頭を抱えた。それを見た周囲、バルレルとパッフェルとメイメイが、生ぬるい笑みを浮かべてる。
とうに書簡の存在を忘れたらしい彼女の代わりに先んじて内容をたしかめたギブソンが、エクスから、明日の派閥来訪について打ち合わせ中。もっともこちらは室内のため、外から見えるのはせいぜい、頭を抱えたミモザとそれを囲む三人だけだ。
ちらりとそちらを一瞥したは――正直隠すつもりも騙すつもりもとんとないので――、「まあねー」と、湧き起こるおかしさもそのままに笑ってみせた。
だけど、口にしたのは、ちょっとだけ別方向のこと。
「実はね」、
にっこり笑って、腕を伸ばしてブイサイン。
「あたし、たぶん向こうに帰っててずれた分の時間、三分の一くらいは埋め合わせられたような気がするんだー」
というわけで、晴れて戸籍に偽りなし度増量ってことで!
「テメエあれをそれで済ますか――――!?」
……どこからともなく響く、ちびっこ悪魔の絶叫もなんのその。
難しい顔で、崩れ落ちたミモザやら笑い転げるメイメイやら再び虚ろな視線を彷徨わせるパッフェルやらを一瞥したルヴァイドとイオスは、最後に、にっこり笑ったままのを見た。
「……何があったのだ?」
問うルヴァイドの表情は、どちらかというと苦笑寄り。イオスも同じ。
応えるの笑顔は実に晴れやか。
「ちょっと筆舌に尽くし難い旅行」
「……また厄介ごとだった、とか?」
「うん。大騒動“だった”」
重点をおいた過去形に、ルヴァイドもイオスもちゃんと気づく。そこに含まれたの意図にも。
「そうか。ならば、後ででも話を聞かせてもらおう」
「まったく。今度は何をしたんだい?」
「ふふふふふ、イロイロ」
「ふうん。イロイロ、ね」
ほくそえむに合わせるように、イオスの浮かべたものも、それに似せた笑み。
肩口と傍らで笑う養い子と腹心の部下、ふたりを均等に見やったルヴァイドもまた、目を伏せて口の端を持ち上げた。
それは、ようやっと訪れた“今日”の事後報告。
そして、
「……ところでエクス総帥」
「なんだい?」
「極秘任務とはなんですか? よければ概要だけでも今……」
「ああ――ちょっとね。とある、島の調査をね――」
きっと、途絶えぬはじまり、そのひとつ。