なんだかなあ、と思う。
周りぐにょぐにょフラクタル、複雑な形状した何かがふよふよと、形容出来ない動きで漂ったその空間に対して、今さら驚きもしない自分の神経を、ちょっぴり疑いたい気分。
……まあ、何度も何度も通った場所だ。慣れが生まれても当然か。
などと余裕こいたことを考えていられるのも、傍らに佇む同行者がいるからだけど。
いつぞは魔公子がいたその場所に今いるのは、占い師。
「にゃ? だいじょーぶ?」
「あ、はい。もう慣れました」
歩いて平気? ――一応目が慣れるまでの時間を待っててくれたらしいメイメイのことばに、こくりと頷く。
「そっか。じゃあ行きましょ」
差し出されたそれをとって、ふたり、手をつないで歩き出す。
いつかと同じ、けれど、いつかとは違う。
前を行く赤い服来た背中に、は、ためらいがちに話しかけた。
「ねえ、メイメイさん……」
「にゃに?」
「バルレル……今、どうしてるか判ります?」
とにもかくにもケリが着いた今、気になるのはやっぱり、自分のせいではぐれてしまった魔公子のことだった。
が、メイメイはにっこり笑ってその不安を払拭する。
「ああ、それなら心配ナシナーシ。ちゃんと帰ってるわよ、伊達に魔公子やってるわけじゃないんだし〜」
「伊達に、って」
「だから心配しなくていいんだってばぁ。戻る力が働くのは同じなんだし、そのあたりをちゃんと調整するくらい、彼にとっちゃお茶の子さいさいよ」
現にほら、彼と一緒にいたときは、無闇やたらにこちらからのお呼びがかかることってなかったでしょ?
云われ、そういえば、と思い返す。
サイジェントにいた頃、一度も、あの手の光が見えることはなかった。ちゃんと正攻法――というのもおかしな話だが――で帰ろうとして、実際、それはもう少しで達成出来るってところまで行ってたのだ。
……それがバルレルの意志か力か、何がしかに依るものだったというのなら――
「うわああ……もう頭上がらない……」
「ま、あそこじゃあエルゴたちが共謀してたって部分もあるけどねえ」
頭抱えたの横、さらなる事実を暴露して、けらけらとメイメイは笑った。
ていうか、このひと、本気でどこまで知ってるんだろう。
追究してみたい気がしないわけではないが、あえてそのあたりには沈黙を保つ。代わりとばかり、口にしたのは別のこと。
「――じゃあ、メイメイさんは、どのあたりから来たんですか?」
「うんー……ちゃんたちがお屋敷から飛ばされて、少ししてから。ちょっと来客中だったから、遅れちゃったわー」
と云っても、はサイジェント経由であの島に行き、メイメイは即座にあの島へ直行したことを考えると、そも遅れたのどうの考えることすらバカバカしい。
などと思ったのが伝わったわけでもなかろうが、ふとメイメイが足を止めた。
つられ、もそこに立ち止まる。
「そうそう。それで、ちゃんどうしよっか?」
「え?」
てっきり別の問いが来るかと思っていたら、意に反して、振り返った彼女はまったく予想してなかったことを訊いてきた。
「戻る時間、どうする? 3時間後がミモザの目標だったわけでしょ、ぶっちゃけその程度の誤差なら問題ないし――彼女の実験、一応成功させてあげる?」
「……あー」、そういえばそうか。「じゃあ、まあ、……」
沈黙、そして思考。
ミモザさんには恨みつらみ山と積もっていないわけなど全然ないわけがないのだがええいややこしい、とにかく、正直心中複雑。
ゼルフィルドのことをこうして考え直すきっかけをくれたことは感謝してるけれど、それに付随して起きた数々の騒動とか、あまつさえ死にかけたこととか考えると……貸借とんとん、と、素直に考えられないところ。
では、あるのだけれど。
云うではないか、古より。
のどもと過ぎれば熱さ忘れる。――忘れないけど、過ぎたことだし。
「3時間後でお願いします。年長者には花を持たせてあげるってことで」
狙いどおり、時間越えたこと自体は間違いないわけだし。
「まあ、ちゃんてばちょっと見ない間にオトナになっちゃって!」
両手を頬に当て、盛大な感激を表現したメイメイは、「それで……」と表情を改めた。
「……進める?」
バルレルのように糸を手繰ったりせずとも、メイメイは、このしっちゃかめっちゃかの空間をどう進めばいいか、きちんと判っているらしかった。
特に意識もしなかったが、歩くにつれて過ごした時間が浮かんで消えていくのは以前と同じ――そうして足を止めたその場所は、あのとき、が進めなかったところ。
こんなことまで知ってたのか、それとも、ただ純粋な気遣いか。
その光景は。
飛んでいくシルヴァーナ、その背のミニス。
ファミィ、ケルマ。
黒の旅団。
レイム、そして悪魔たち。
黒の旅団。
喪われた。シルヴァ、ゼスファ――優しかった彼ら。
黒の旅団。
ルヴァイド。イオス。
くろがねの背中。
――――ゼルフィルド。
その手は優しく、の頭を撫でてくれた。
「ちゃん」
「……お茶の子さいさいです」
これまでと逆に、メイメイを引っ張るようにして、だけど歩調を変えずに数歩を進んだは、少し目を丸くしてる占い師を見上げて、笑ってみせた。
砕けたくろがね。
喪われた機械兵士。
閃光迸る刹那、ただひとしおに、前を見据えていた双眸。
積み重ねてきたものすべて、たった一瞬にして砕くその選択をしながら――その先を見ていた、彼の瞳。
初めて――やっと。それを目に出来た。
ゼルフィルド。
それが、あなたの選んだ道。あなたの示した誇り。
道手繰るために、記した軌跡。
その先にいる自分を、皆を、そしてあなたを。
「大好きですから」
あなたのすべてを、選んだ道を、そして生まれた悲しみさえも。そして進めなかったあの日と、進めた今と、この先を。
「だから。進めます」
蓋などしない。哀しいけれど。
目を逸らすまい。辛いけれど。
忘れはしない。幾度泣いても。
その道を。選んで歩いてきたからこそ、今、ここにいる。
辿るすべて。
得たすべて。
喪ったすべて。
辿る道得るもの喪うもの、すべて。
――――いま。ここにいる、ここにいた、あかし。あたしがここに立つための誇り。
にっこり微笑む少女と目を合わせ、メイメイもふわりと相好を崩す。
「そっか。じゃ、帰りましょうか」
「はい。帰りましょう」
元のとおり、メイメイがの手をひく形で、ふたりは再び歩き出した。
そこから数えること数十秒、余人立ち入らぬはずのその空間から、人影がふたつ、かき消える。
……そしてまた、誰の歩みも止まることなく、連なる糸は紡がれる。
……物語は、綴られる。終わることなく、歩みのままに。
そうしてこれは、ひとときの寄り道――そのおしまい。