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【無限界廊】

- まどろむひと -



 初めてこの記憶を見る。
 識っていた記憶を、ここで初めて知る。
 その不思議をただ不思議と。矛盾としては思考が螺旋。出口のない渦巻きに陥るは愚か、そう在ることこそがただ大事。

 ――森を駆ける、蒼の担い手。その仲間たち。
 目指す遺跡はもうすぐ目の前、次々現れる亡霊らは瞬時に退け、ぽっかりと口を開けた入口に飛び込んだ。

 ――泉にくつろぐ、写し身の幽霊。
 梢の音に口元をほころばせ、時折、本当に稀に泉へと迫ってくる亡霊たちを、億劫そうに追い返す。

 ――船で留守居を担う海賊たち。
 不安そうにしている集落の民は、彼らの(あえて根拠は問わない)どっしり構えた警護体勢で、安心を得て、遺跡に向かった者たちの帰りを待っている。

 無限界廊。
 どこの界にも属さず、どこの界からも訪れることの出来る場所。
 狭間といえば判りやすいが、狭間からでは辿り着けぬ。
 悠久の夢幻。
 界ある限り終わりはしない、それは夢か幻か。
 たとえば如何なる傷を負おうと、一歩、己の界に立ち戻れば、それらすべては無に帰していく。残るのはただ、戦いで得た経験のみ。
 無限界廊。
 だからこそ、ここは、果てなき試練を与える場所。

 ――遺跡に、蒼の担い手たちが突入した。
 亡霊らを退ける、その強さはもはや他に類する者もないだろう。
 力ではなく、その、ただ前を見据える強さ。
 それを識っていた。そして初めて知る。
 ほどなくして、担い手たちは、その存在と邂逅するだろう。
 “エルゴを否定するもの”――はるか古、ディエルゴと称された、誰もが持つ心のひとかけら、それが強く大きく凝ったものと。
 そう云えば、云われた相手は驚くだろうか。
 エルゴを否定したことなどないと。

 ……でもね。

 夢幻の言祝ぎに身をひたし、たゆたいながら、彼女は思う。

 ……でもね。何をも否定せずに生きていくことなど、誰も出来やしないのよ。

 道を右に曲がろうと思えば、左に曲がる道を否定したことになる。
 無数の書物から一冊を選べば、他の書物を拒否したことになる。

 選択は肯定、そして否定。表裏一体の、真理。
 その究極がエルゴ。世界の意志へ抱く思い。

 すべての源。
 すべての根源。
 すべての命がそこから生まれた。
 すべての選択がそこからはじまった。
 ありとあらゆる存在は、すべてエルゴからはじまった――

 ――そうして、蒼の担い手の前に、その存在は咆哮する。
 すべてを否定するもの。故にエルゴを否定するもの。
 否定のために否定を重ね、否定のために否定を否定する。途切れぬ螺旋。
 あらゆる肯定を否定し、否定を否定することさえ否定する。終わりなき螺旋。

 否定に否定を重ね否定を続け否定し……否定するものがなくなるまで、すなわち、すべてが等しく否定されるまで、ただ、繰り返される否定。螺旋。

 ……故に、それは、誰の心にも等しく在る欠片。

 肯定だけでは生きられない。
 否定だけでは生きられない。

 生きるに臨むはただ選択、表裏は一体、肯定と否定。

 故に。
 相反するものなど、この世のどこにも在りはしない。

 等しくすべては肯定され、等しくすべては否定され、そして誰もは生まれ往く。

 ならば肯定のみを肯定するも、
 そして肯定も否定も否定するも、

  ――究き極めてゆけば、ただの無為。

 肯定と否定、生じる矛盾、全部全部腕に抱き、生きていくのが命なら。

 エルゴ。
 それこそは命の外に在るもの。

 ディエルゴ。
 それこそは命から外れたもの。


 ――世界はすべてエルゴから生まれ、すべてはエルゴと繋がっている。
   それをも否定するものならば、ディエルゴ。
   最初から、否。最初に、否定するはその自身。


 肯定も。
 否定も。
 そして生まれる幾つもの“もし”も幾つもの“矛盾”も。

 ……ディエルゴ。
 否定することを受け入れて、それでも生きる命たちを、ただ否定しか知らぬおまえが、否定出来るわけがない――

 ……嘆き、痛み、怒り、あらゆる負の感情を用いても。
 それを受け入れる命たちに、負しか持たぬおまえが、侵蝕出来る道理もない――

 ――果てしなき蒼の継承者。その仲間たち。
 彼らの得るひとつの結末、もう、それを識っている。

 そうね、だから。

 ――知りたいのは、まだ識らない、あの子の歩む方の道――

 ふっ、と、意識を切り替える。
 夢幻にたゆたう龍姫の意識にそして、一組の男女と一匹の動物が鮮やかに映し出された。

 ……あらら。

 垣間見えたその映像に、彼女は苦笑い。

 ……“私”ってば、短縮してちょっぴり手強い道、繋いじゃってたのねえ。

 もしも彼らにそのつぶやきが届いていたら、
「どこがちょっぴりだ――――!!」
 なんて、力の限り絶叫されたかも、しれない。


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