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【いつかへの約束】

- 写し身のひと -



 梢の演奏を楽しむ暇も、あらばこそ。
「よし」
 と、は、手のひらを身体の前で打ち合わせた。
 傍から見れば、そのまま門に突っ込みそうな気合いだったが、生憎、そういうわけではない。
 佇んだまま、は、特に指標もない視線を虚空に合わせて口を開いた。
「お疲れ様でした、師匠」
「ぶはー、はーはーはー」
 声に応えて、の姿が切り替わる。
 自分で見ることは出来ないけれど、焦げ茶の髪して黒い眼を持つ“”の姿になったはず。そして、重ねてたフィルムを取り外したように傍らに現れたのは、さすがに無理がたたってるらしく、息を荒げてる黒髪さんことマネマネ師匠。
 横にいたイスラが、目をまん丸にした。それから、「そっか」と納得したように頷きをいくつか。
 その彼にちらりと視線を向け、から分離したマネマネ師匠は朗らかに、
「やっほう、坊。元気じゃったか?」
「……はい。おかげさまで」
 問われたイスラは、はにかんだように笑んで応える。
「うむうむ。まるで憑き物が落ちたようじゃの――ってか、マジに落ちてるけど」
「「……」」
 満足そうに頷く師匠のことばに、とイスラは、思わず顔を見合わせる。
 それから、おそるおそる、宙に浮かぶ黒髪さんを見上げて問うた。
「あの……もしかして……」
「イスラの病魔……気づいてたんですか?」
「うん」
 うっわ。さらっと頷きやがりました。
「だから魔よけあげたじゃないか。すぐ手放したみたいだけど。ちゃんと持ってりゃ、ちょっと卓越した召喚師で祓えるくらい、病魔弱ったのに」
 まあ、誰が何を誰にあげようが別にワシの関与するとこじゃないから、坊がそう判断したんならいいかなーと思ってたんだけど。
「……」
「……」
 沈黙数秒。
 力なく、その場に膝をつくイスラとは逆に、
「それを先に云ってくださいよッ!!」
 は怒鳴った。そりゃあもう力の限り。
 けれども、マネマネ師匠は、心外だと云いたげに目を見開いた。
「云ったよ? 病み上がりだしいらん奴に憑かれとかんよーに、って」
「狭間の領域の“いらんやつ”じゃなかったんですか!?」
「だって、うちの集落、そんなタチ悪いことするもんはおらんし」
「…………」
 うっわー。言葉も出ないとはこのことだ。
 なんだか真っ白になってしまったイスラと同じく、燃え尽きてしまいたい衝動を、どうにかこうにか抑え込む。
「うむむ、ことば足りんかったかなあ。ごめんごめん」
 まあ、魔よけなくっても落ちたみたいだし、結果的にはオッケイってやつじゃないかい?
 これはさすがに気まずくなったらしく、マネマネ師匠の笑い声もどことなく乾燥気味。ははははは。
 同じく乾いた笑いをこぼして、は「まあ」と気を取り直した。そのついでに、懐に入れっぱなしだった魔よけを取り出す。奇怪デコレーションは相変わらず、鈍く輝いていた。
「イスラがくれたおかげで、あたしのほうが何回か助けてもらっちゃいましたしね――潜伏中とか、オルドレイクにやられかけたときとか」
「あ、そっか? それじゃ結果オーライじゃな。よかったよかった、ほらほら坊、いかんぞいつまでも落ち込んでちゃ」
「……落ち込む立場、逆だと思う……」
 力なくつぶやき、それでも、イスラはどうにか立ち上がる。
 肩を並べたふたりと、その頭上に鎮座するプニムを均等に視界におさめて、マネマネ師匠はにっこり笑った。
「それじゃあな、、プニム」
 ――遠い明日の、まれびとさん。
 からかうような慈しむような。そんな師匠のことばに、とプニムは、くすぐったい気持ちそのままの笑みを浮かべる。
「イスラも、無理はせんようにな。戻ってくるまで待っててやるから」
「……え?」
「ワシ、戦力外だもの」
 先刻、待機を申し出てイスラに断られたレックスやアティなら、もしくは、弟分であるフレイズならいざ知らず、自分はちょっぴりお茶目なただの幽霊だから、と。
についてってもいいけど、戦闘の役には立たないし、なによりあの白いのがない今じゃ、負荷がでかいわな。だから、ここで待ってるよ」
 そんなことばを打破するだけのものを持っておらず、反応に迷ったイスラへたたみかけるように、黒髪さんはことばを重ねる。
「それに正直、亡霊うようよのなか、帰るのキツイし。ここなら、ちょっとは回復も早いし――まあワシのことは気にせんでいいから、とにかく行っておいで」
 時間時間。
 そう促され、改めて、無限界廊挑戦がタイムアタックであることを思い出す。
「はい! イスラ、どうする? 帰る? 来る?」
「――もちろん行くよ」
 寸たりと間をおかず頷いたイスラと、顔を見合わせる。頭上から飛び下りて、「ぷ!」と臨戦体勢のプニムとも。
 それからふたりと一匹は、もう一度、マネマネ師匠を振り返った。
「それじゃあ――師匠、また今度」
「ぷ、ぷぷー」
「いってきます」
「ん。またな、、プニム。――イスラは、いってらっしゃい」
 にこやかに。微笑んで手を振る黒髪さんに、ふたりと一匹も、同じく笑って手を振り返す。

 そして、マネマネ師匠が見守る前で、彼らは足を踏み入れた。
 無限界廊。
 夢と幻のその向こう、限りなき界廊の果てなき彼方、その最奥へ。

 目指すは、幻影にまどろむ龍姫坐す場所。
 いざや向かうは――無幻の最奥。


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