一分とかからず、一行は、泉の水辺に辿り着く。
ふとメイメイを見上げると、彼女は瞼を半分ほど伏せて、ちょっと難しい顔。
「……やっぱし、気が乱れまくってるわねえ。こりゃ、ご協力お願いして正解だったわ」
イスラとプニムを一瞥し、メイメイはそうつぶやいた。
その視線とことばを受けて、プニムは「ぷ!」と胸を張り、イスラは
「――そのことだけど」、ぐっ、と手のひらを握りしめ、強い口調で切り出した。
「協力する代わりに、最後までのこと、送っていくから」
「…………は?」
「無限界廊の最奥って場所まで、僕も行くから」
「はあ?」
待てこら病み上がり。
一度は納得しておいて、ことここにおいて何をいきなり云いだすか。
呆気にとられたやレックス、アティ。背に負われたヘイゼルは、事情が飲み込めないのか戸惑いの色が濃い。
「にゃふ?」
完全に面白がってる表情のメイメイ共々、こちらをじっと見つめて、イスラは続けた。
「……気になってた。いや、後悔してた」
「何を?」
「あの日、僕とが最初に逢った日。……僕がちゃんと、港まで君を送って行ってたら、君はこんなことに関らないですんだのにって」
……
それはまあ、なんというか。今となっては、随分と遠い昔のことのよう。その実、数ヶ月も経ったかどうかというのが、あの日以来の日々の濃厚さを物語る。
首を傾げるレックスたちの傍らで、その日に思いを馳せたは、
「――何をいまさら」
呆れを隠せず、もとい、隠そうともせずにそう云った。
それはとっくに過ぎたことだし、むしろ島に流れ着いたことを、今では感謝してさえいるくらいだし。
「そうだね」
でも、と、イスラは続ける。
「僕がそう思ってたことは、本当なんだ。……だから、今度はちゃんと、君が帰るのを見届けたいんだよ」
「でも、イスラ、病み上がりでしょ。無限界廊、障害物いるよ。正直タイムアタックだし、一人のほうが気楽だなあなんて」
「――だいじょうぶ」
黒い髪揺らして、微笑むイスラ。
「このくらい出来なきゃ、君の友達なんてやってられないだろ?」
「…………あんた、あたしを何かはなはだしく誤解してない…………?」
思わず半眼になったの追及を、けれど、イスラは小さく笑って躱す。
「本当にだいじょうぶだよ。君が分けてくれた力があるから」
「分けた?」
あたし、そんなことしたっけ? 首をひねるの頭上で、プニムが一声鳴いた。
「ぷ」
手をつなぐようなジェスチャーをし、その後、背後に炎めらめらっ、てな感じに胴体を揺らがせる。
解読のために数秒を要し、「あ」と先んじたのはアティだった。
「そっか。この間、遺跡で、がイスラと一緒に亡霊を退けたときですね」
「そう。あのとき、お互いにお互いの力が流れて、それで――特にの力っていうのは傷つけるものじゃないから。逆に活力をくれた」
気づいてみれば、病魔に蝕まれつづけた疲弊も押しのけて、白い焔が裡に居座っていたのだと、イスラは笑ってそう云った。
「……」
正直、信じる材料はない。
たしかに力が流れ合った覚えはあるが、それが彼にどう作用したかまで、たしかめることは難しい。
難しい――けど。
「だから、もう三十六計はやめてね?」
「……はいはい」
何を隠してる様子もない、にっこりにこにこイスラのことば。拒否したときの反応を鑑みて、は苦笑い浮かべて頷いた。
腰の長剣を剣帯と鞘ごと外し、イスラに手渡す。
「だいじょうぶね?」
「うん。信じて」
慣れた手つきで剣を腰に佩きながら、イスラはてらいなく微笑んだ。
そこに、レックスが顔を覗かせる。
「じゃあ……君が戻るまで俺たちも待ってようか?」
「いや、そんなことしなくていい」
慮ってるレックスのことばに応えるイスラの返答は、明瞭簡潔。ちょっと息を飲んだレックスを正面から見つめて、一拍。続けられることば。
「君たちには君たちのやるべきことがあるはずだ。それは、ここでただ時間を無為にするってことじゃないだろう?」
「――――」
「僕が云う必要もないよね。……時間が惜しいのは、君たちだって変わらないんだから」
溢れかえる亡霊。
真に解き放たれるを狙う島の意志。
完全ではない封印は、時が過ぎれば過ぎるほど、ほころびを増していくばかり。
口元を引き結んで頷くレックスに、ふと、メイメイが手を差し出した。
「ちゃんを送ったら、私もそのまま、この彼女連れていくわ」
云いながら、ゆっくりとレックスの背からヘイゼルをおろし、自分の肩にその身を預かる。さすがに背負ったり抱え上げたりするのは難しく、傷ついた足の側で肩を支えてる体勢。
そのまま、メイメイは悪戯っぽく笑ってみせた。
「戻ってくるまでお店、ないけど。空き地だからって、再利用しちゃ嫌よ」
言外に、またそこに店を構えるんだから、と匂わせる彼女のことばに、レックスとアティは微笑んで頷いた。
傍らで、とイスラは顔を見合わせる。
戻るまで店がない、ってことは、ここで移動すると同時に店が消えるということか? 正に不思議を体現したひとだ、メイメイさんって。
各々の仕草に気づかぬわけはないだろうに、メイメイはそれについては言及せず、「じゃあね、先生」と、手をひらひら振ってみせた。
「少し時間がかかるかもしれないけど、宴会までには戻るわねっ」
語尾にハートマークたっぷりくっつけた彼女のことばに、がくがく、と、一同崩れ落ちる。
とうのメイメイに支えられたヘイゼルだけが、かろうじて己の身体を支えていた。……いや、それを差し引いても、ちょっぴし意外。ここに到着してからのやりとりで耐性が出来たのか、それとも、元から素質があったのか。
あはは、気の抜けた笑いとともに、身を起こしたアティが頭を下げる。
「はい。じゃあ、メイメイさん、よろしくお願いします」
「みんなで、おいしい酒で乾杯しましょう」
けどお手柔らかに、と、レックスが云って、笑い声が零れる。
そんな気心知れたやりとりのなか、イスラがまだ戸惑ったように一行を順繰りに眺めてて、ヘイゼルもまた、どこか憮然としたまま。
そうして。
レックスが、アティが――「じゃあ」と簡単なことばを置いて身を翻す。
同じく「じゃあ」と「また後で」を織り交ぜたことばが、泉に佇む数名から発される。
――見送る数名の視線の先で、泉を囲む林のなか、船に、皆のところへ戻る道へと踏み込んだふたりが、最後に一度だけ、名残惜しそうに振り返った。
その笑顔が、みるみる崩れる。
泣き出しそうに歪められたのが、もう随分開いてしまった距離があってもよく見えた。
ふたりは、乱暴に目元を拭う。そのまま、手のひらを口の横に添え、
「メイメイさん、ヘイゼルさん、元気で!!」
「きっとまた逢いましょうね! ――イスラもがんばってください!」
疲れて戻ったときのために、大急ぎで島のことも、どうにかしちゃいますから!! などと云われたイスラが、思わず苦笑している。
そうして――最後にもう一度、レックスとアティは叫んだ。
「!! ――はずっと、俺たちのおかあさんだから!」
「また逢えるのが、わたしたちがおばあちゃんになった後だとしても、変わりませんから……!」
「をいッ!!」
ビシィ! 豪快な擬音とともに繰り出した裏拳は、素晴らしい勢いで宙を薙ぐに終わった。
いくら状況が状況だからって、今云うかッ!?
そんな、こちらの反応は予想済みだったんだろう。その声を最後に、レックスとアティは、腕をおろして破顔する。
「――――」
いっそ千切れんくらいの勢いで腕を振り回し、ばっ、と身を翻すと、そのまま林の中へと駆け込んでいった。
は呆然と、イスラとメイメイは「おかあさん?」と首を傾げ、彼らの背中を見送った――そのときだ。
「……待ってッ!!」
こちらも呆然としていたヘイゼルが、ばねに弾かれたようにして、レックスとアティへ呼びかけた。
だけどその声は小さい。
深く巻いたマフラーに遮られ、まだ本調子ではない体調のもと、唐突な発声を強いられた喉から零れたその呼びかけは、遠ざかるふたつの背中、そのどちらに届くことなく溶け消える。
それを悟っていたヘイゼルは、メイメイを突き飛ばすようにして身体を離すと、彼らを追いかけるべく地面を蹴った。
が、
「ッ!」
ここへ来るのでさえ、アティに抱えられ、レックスに背負われて、だったのだ。
不意に走り出すようなことをして、体勢を崩さないほうがおかしい。やわらかな下草に手をついて、転倒することだけは避けたものの、もう、ふたりを追える状態でもないことは明らかだった。
慌てて、メイメイが彼女を助け起こす。
「無茶よ、貴方……」聞き分けのない子供を叱るように、「足の怪我だって、まだ完治してないんでしょ?」
云い聞かすそれは、だが、ヘイゼルの耳朶を震わせただけ。
彼女の意識は、ただ、前方へ。とうに、レックスとアティの姿を飲み込んで揺れる、緑鮮やかな木々の向こうへ。
「一方的、すぎるじゃないの……ッ!」
その声はさっきより大きいけれど、距離もまた、遠い。
「私は――貴方たちに、何も云ってないのに――!」
礼も。
名も。
何も、何もかも、まだ。
先刻まであった戸惑いと摩り替わるようにして浮かぶやるせなさに、も、イスラも、ヘイゼルを立たせるメイメイも、沈黙を保たざるを得なかった。
――――知り合うのは、今ではない、いつかどこかで。
それでも。
そのことを、は、ヘイゼルに教えるわけにいかなかった。
同じくどこかで悟っていても、メイメイはそのことを明確にヘイゼルに告げなかった。
ヘイゼルもまた、だからこそ、叫ばざるを得なかった。
「聞いて!!」
声の限りに。
ざあ、と、吹いた突風が、大きく梢を揺らしたことも意識の外で。
「私の本当の名前は――」
の云ったとおり、
「名前は……ッ!!」
レックスとアティに告げなかったそれは、
――――ざああぁぁぁっ
「わっ、ぷ」
不意に吹いた突風で、地面に落ちていた葉っぱが巻き上げられ、レックスの顔面を直撃した。
慌ててそれを払い落とす彼の横、
「す、すごい風でしたね」
同じく、いや、長さの分だけより乱された髪をなおしながら、アティがぼやく。
うん、とひとつ頷いて、レックスは、止めていた足を再び踏み出し――
「ん?」
「あら?」
アティ共々、ふと耳の後ろに手のひらを当てて、視線を上に持ち上げた。
自然動いた視線は虚空に。が、そこには何もない。
もう少し上に向ければ、さっきの名残でかすかに揺れてる梢と、まだ日も中天には達してないながら、気持ちよく澄み渡った空が見れるだろう。
「何か、聞こえませんでした?」
ぽつり、アティがつぶやいた。
「うん――ヘイゼルさんの声だったような」
風に乗ってきたのだろうか。そんなことを考えながら、レックスは、耳から手を離す。
「なんて云ってたか判る?」
言外に、自分は聞こえなかったけど、と意思表示。アティは、
「……えへへ」
しばし間をおいて、照れくさそうな笑みを浮かべた。いや、誤魔化し笑顔というべきか。
「……アティもか」
「レックスもでしょ」
今度は、ふたり揃って、真っ赤になった目のまま顔を見合わせ照れ笑い。まあ、聞こえるほうがこの場合すごいし並外れてるんだろうけれど。
「まあ、今度逢ったときに訊きましょう」
「そうだな。覚えててくれるといいんだけど、俺たちのこと」
も、ヘイゼルさんも。
その笑みを、ぴっかり晴天に切り替えて、ふたりは云い、止めていた歩みを再開した。
それは、たぶん叶うだろう。
どれだけの時間や出来事が、それぞれの道にあったとしても――だいじょうぶ。
願えばいつか、何かは叶う。
それが欲しいすべてではなくても、何がしかの形はかなう。
だいじょうぶ。
だから、きっといつか、また逢おう。
彼らは歩き出す。仲間たちの待つ、船へと向かって。
その終わりを、遠い時間の先でまた逢える、大事なひとたちにそうして語ろう。
確りと、胸に携える。それは、遠い――遠い、約束。