小一時間前よりも、さらに大所帯になって戻ってきた一行を出迎えてくれたメイメイの表情は、驚きと呆れと納得とが程よい割合で混合されていた。
それでも、時間がおしているからという理由もあってか、わらわらやってきた一行の姿を認めるなり「こっちよ」と云って先を行き出したのは、さすがに場慣れしていると云うべきか。
事情説明は道々、と、翻された赤い布地の意図に応えて、確実に想定外だったろう同伴者、ヘイゼルのことからの会話になった。
そのヘイゼル、さすがにいい加減お姫様抱っこは嫌になったらしくて、アティとしばらく交渉し、今はレックスの背中にいたりする。……これもこれで恥ずかしそうだが、ごめん。少なくとも、“”に関しては本気で時間が惜しいんだな。
「……そういえば。プニムも、一緒に帰るんだよね」
「ぷーぅ?」
こそこそ、と、話すとプニム。
「目的地は違うけど」
「ぷ?」
「なんかどさくさ紛れって感じだけど、お別れ――云わなくてよかったの?」
「……ぷっ」
語調かろやかに、プニムは鳴いた。……何か面白がってるような、ほくそえんでるような……むしろ、企んでるような?
まあ、本人がいいと云うのならいいんだろう。
思い返してみれば、こやつ、いたって平静に今回も同伴してくれてるし。プニムもプニムで何がしか、プニムしか知り得ぬ明日の光景を持っているのかもしれない。
そうして前方では、アティたちの会話がつづく。
曰く、ヘイゼルは自分たちと違って望んで島に残ったわけじゃない、半ば巻き添えになってしまった形だと。だから、出来ればメイメイに脱出させてやってほしいと。これは、アティがヘイゼルを船から連れ出しに行く前、たちには説明していたことだから、メイメイ以外、黙ってふたりの会話を聞いている。
そうして頼まれたメイメイの側は、さして異論ないらしい。アティのことばが進むたびに、数度相槌を打っていた。
けれど、
「勝手に決めないで」
予想してたよりずっと強い声で、当のヘイゼルが、ふたりのやりとりを遮った。反応がここまで遅れたのは、疲労のためと云うよりは、唐突な連れ出しに呆然としていたせいもあるんだろう。後、おんぶされてる照れ臭さ?
会話を止めて注視するふたりの、それから、現在外野扱いになっている三人と一匹の視線を受け、彼女は云う。
「私は、このまま島と共に滅んでも――」
構わない、と。まだ思い通りには動かぬ身で移動している疲れが出たか、ことばの後半は半ば呼気めいていた。
「それは無理だよ」
応じたのは、アティではなくレックスだった。
それまでは黙って成り行きを見ていた彼の、唐突な横槍に、ヘイゼルは僅かに眉を寄せて、すぐ間近にある彼の顔を見つめる。もとい、睨む。体勢が体勢だから、あんまり怖くないけれど。
だからというわけではないが、険を露にした彼女の気配に、レックスは怯む様子もない。
「俺たちは、滅びるなんて思っていないから」
「そうそう」
気楽に頷くと、その傍らで小さく笑みを浮かべているイスラを見て、ヘイゼルは何を思っただろう。たぶん何か云おうとしたのかもしれないが、それより先にアティが云った。
「だから、ヘイゼルさん――島に残っても、あなたの望みは叶いません」
ね? と念を押すようなことばに口ごもるヘイゼル。そこへさらにたたみかけるアティ。
「云ってましたよね、今まで、自分には選択肢なんてなかった、って。だったら、これを最初の選択にすればいいんですよ」
「……む」
そういうこと云ってたのか、ヘイゼルさん。
が知っているのは、いつでも元気溌剌な敏腕アルバイターのパッフェルだ。そのギャップに、思わず腕組みしてうなる。
だけどそれ以上に、ここが彼女にとって何かの転機だったのだろうことも、うっすらとだけれど感じる。ヘイゼルがアティと何を話したのかは判らないけど、少なくとも、今、瞠目してる彼女には、これまでより強くパッフェルの面影を見ることが出来るから。
「……つまり何ですか、ヘイゼルさん、ここで島と心中したかったんですか?」
「なっ」
身も蓋もないのことばに、ヘイゼルが、ばっとこちらを振り向いた。
「かいつまめば、そうなるみたいだよ」
アティから大まかにでも話を聞いてたらしいレックスが、どこかとぼけた口調で告げる。
「でも、生憎島壊す気ないですしね」
今アティさんが云ったけど。
「そうそう。みんなそのつもりだよね」
さらにそらっとぼけたのことばに、今度は、レックスが大きく頷いた。
「心中なんてはた迷惑なだけさ」
「あんたが云うな」
ぺち、と、イスラの腕を叩いてツッコミ。
あくまでも自分たちだけの会話、わざとらしく視線をヘイゼルに合わせようとしない三人のやりとりに、ヘイゼルは少し、毒気を抜かれたようだった。
その肩を、ちょいちょい、僅かに歩調を落としてレックスに並んだメイメイがつつく。
「ねえ? こんな異変のなか、ほったらかしていかれた貴方が生き残ってるなんて、普通、思ったりなんかしないわよねえ?」
「……っ」
ほのめかされた何かに、ヘイゼルが息を飲む。
メイメイのつついた反対側の肩に、そっと、アティが手を置いた。
「やり直してください。最初からは、無理かもしれないけど」
穏やかな口調と同時に浮かべるのは、きっとやわらかな笑みで。
「少なくとも、もう、あなたを縛りつけるものは、ここから先にはないと思いますから」
それは紅き手袋。
それは茨の君という二つ名。
天変地異めいた異変の続くこの島に、そんなものたちは置いていけと。
「しあわせに、なってください」
これが、わたしから、あなたへのお願いです。
「――――」
位置関係のせいで、アティがどんな表情だったか正確には判らない。
それがなんとなく惜しくなって、足を速めた。少し移動して、歩く全員が視界にはいるような位置をキープ。
目に入ったのは、いつか見せてくれたのと同じ、確りした笑みを浮かべたアティと、戸惑った顔で彼女を見ているヘイゼル。
ふと、ヘイゼルがの視線に気づいた。
「あなた」
惑いは別の惑いにすりかわる。
「はいはい?」
ことばがそこまで紡がれた時点で、笑って応える。
くるり、少し苦心しながら、ヘイゼルはへと首を傾げた。
「あなた――名前は」
「……」
そう来るか、というのが正直なところ。視線を反らしただけでは、諦めてくれそうにない。
今さらわざわざ“”って名乗るのも、どこかうそくさいし。口をつぐんだままでいると、そんな逡巡など知らぬヘイゼル、重ねてこう云った。
「“私”を知っているのでしょう? それとも、当てずっぽうだったの?」
問うているヘイゼル自体、答えは前者以外に返らぬことを判っているような口ぶりだ。
その期待に応えようと思ったわけではないけれど、しょうがないか、と、は素直に頭を上下させた。
「ここからのあなたなら知ってます。……あと、名前は――――」
でしたよ、と、それはかすかに持ち上げた唇の動作でだけ。読み取るか読み取らないかはヘイゼル任せというずるいやり方だが、他に対策も思いつかなかった。
けれど幸い、ヘイゼルはことばの前半部分に注目したらしい。どこかむっとした口調で、
「それは答えにならないわ」
おぶわれていることも忘れたのか、に詰め寄ろうとし、あわててレックスに支えなおされている。
そうしてはというと、そんなヘイゼルへ笑いかけ、
「はい。だから、謎々にします」
「……謎々?」
何を子供じみたことを、と云いたげなヘイゼルへ、さらに告げる。
「いつかまた逢いましょう、ヘイゼルさん。そのときあなたがヘイゼルじゃなかったら、あたしがあなたを知っていた謎々の“なぞ”くらい解けると思います」
暗に伝えた意図。
紅き手袋でなく茨の君でなく、――その奥に残ってる、あなたの名前で出逢えたら、そのときは。
「――――」
そのときはきっと、“”との出逢いになるはずだから。
緊迫といえばそうだろう、だけど幾分やわらかに張り詰めた静寂を破ったのは、レックスだった。
「ほら。もう、選択肢が出たよ」
笑みを含んだことばに、
「どうします? がんばって、の謎々、解きますか?」
便乗してアティも笑う。
イスラは何も云わないけれど、たぶん、以前向けてたのとは違うんだろう穏やかな表情で、ヘイゼルを見ていた。
そのいずれにも、ヘイゼルは答えない。迷いか困惑か。そのまま、ぷいっとそっぽを向く。
クスクス、さっきから口元押さえてくぐもった笑みを零してたメイメイが、堂々巡りになりそうな彼らのやりとりをそこで打ち切る。
「さあさ、もう彼女も心決まったみたいだし?」決まってなんか、と云いかけたヘイゼルのことばはあっさりシカト。「そういうわけで――そろそろ到着よ」
後方、こちらへ向けていた視線を、メイメイは正面へと戻した。
それにつられるようにして、互いを見ていた一行の視線も、自然と前方へ動く。
……風にそよぐ木立ちの向こう、亡霊溢れてもなお鮮やかに萌える緑の先に、
りん、
メイメイの腕を飾る銀の鳴る音さえ、はきと聞こえる静寂に満ちて――在るは、集いの泉。