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【突然か、必然か】

- 君の願いは -



「……へ?」

 返す声が間の抜けたものになってしまったのは、ある意味仕方ないのかもしれない。
 島の現状を、メイメイだって知ってるはずだ。
 いったいどういうつもりなのかと、のろのろ腕を持ち上げる。かろうじて確保出来ていただけの視界を、マントを持ち上げることで少しだけ広げた。
 とたん、メイメイの視線に射竦められる。
「――」
 向こうでも、こちらでも、滅多に見ることのなかった彼女の真剣な眼差しは、養い親のそれとはまた違う威圧を感じさせる。
 傍らで、レックスとアティが息を飲む気配。
 一瞬にして乾ききった喉を、どうにか湿らせて、口を開いた。
「……どうして、です?」
 その声で、レックスたちの硬直も解けたらしい。
「あの、どうして、が今帰らなくちゃいけないんですか?」
 どこか必死な声で、アティが問いかける。
 島はまだ大騒ぎ、戦いがこれからようやく最後のそれに向かおうというときに、どうして欠けさせるようなことを云うんだろう。蒼い眼に浮かんでいるのはそんな疑問。
 レックスも、気持ちは似たようなものらしい。
「そうだよ。それにメイメイさん、この間――」
 先日、彼ととで押しかけたときのことを切り出そうとしたレックスのことばを、メイメイは、手のひらを持ち上げて立たせることで留め、
「この間はこの間よ」
 そう前置きして、要の部分を

ちゃん。貴方、術を解いたわね? それから、道も」

 ――すっぱり、さっくり、淡々と告げた。

 レックスとアティが、ぎょっとした顔でを振り返る。限界まで見開かれた蒼い二対の双眸が、視界の端に。それより間近にある黒い布地が少し邪魔。
 ……いや。
 それよりもっと手前、目のすぐ横なんじゃないかってあたりで、ずっと、ちらちら、ちらちら、存在を主張してる光が煩い。一色じゃない。なんというか、文字通りの色とりどり。だけどそれを透かして見る景色は逆に色を失っていて、少し気持ち悪い。
「……」
 既視感。
 これとよく似た光を、いつか、目にしたことはなかったか。
 けれど自問へと沈むより先に、メイメイの問いに答えるだけの分別を、はまだ残していた。
「はい」
 こくり、頷く。
「そっか」どこか脱力したようにメイメイは応じて「――ああ、別に責めたりするつもりじゃないの。残すも離すも、それはちゃん次第だもの」
 私がどうこう指図出来るものじゃないわ。そう告げた。
 それから、気がかりそうに、レックスとアティを一瞥する。ふたりは、メイメイからそんなふうに見られる理由が判らないらしく、きょとんと首を傾げてみせた。
 メイメイは彼らに何か云おうとしたようだけれど、もまた、同じように首を傾げているのを見て、持ち上げかけた唇を閉ざす。
 逡巡だろうか、視線を少し宙へ散歩させた後「ま、いっか」と自分を納得させるかのようにつぶやいた。
「……えっとね。ちゃんのまとってた術と、持ってた道が消えて、見えたものがあるの」
「見えたもの?」
「ええ」
 おうむ返しにつぶやくを、ひた、と見据えてメイメイは頷く。
ちゃんと、“今”の繋がりが、もう、その剣だけしかないってこと」
「え……!?」
「え?」「それって、いったい?」
 ことばの意味は、明確だった。少なくとも、にとっては。
 蚊帳の外になってしまったレックスたちを申し訳なく思いながら、は、愕然と身を強張らせる。
 こちらを見るメイメイの目は、どこか申し訳なさそうだ。
 それでも、彼女はことばを続けた。

「ひとつずつ、糸は解けてた。私にはそれが何かまでは見えないけど――心当たり、あるでしょ?」

 例えば、遠い、くろがねの背中。
 例えば、赤い世界を抜けて放した小さな手。
 例えば、“今”に在るために魔公子が施してくれていた術。
 例えば、“今”の世界と繋がりを得ていた道。

 例えば、“”という名前。

 例えば、“今”へ辿る標とした、菫色の召喚石。

 ……残っているのは、最後のひとつだけ。

 ぱち、ぱちぱち。視界の端で光が踊る。
 そうだ、これを知ってる。
 ここにいるそもそもの理由――遠い時間の果て、遠いかの地、聖王都で、幻獣界の女王様にブチかまされた光。あちこち、を連れまわした光。
 この光は、そう、そういうものだった。
「……バネみたいなものよ。どんなに伸ばしたり曲げたりしても、元の形に、時間に場所に、戻ろうとする力。それを、幾つもの枷が抑えてたのね」
 世界の力というよりは、そのひとの魂が持つちから。
 静かな声が納得できなくて、は、気持ち大きな声で反論を試みる。
「だけど、枷って云うなら――まだ島のことが全部終わってないのに!?」
 けれども、メイメイは静かに云った。
「この島は“今”を訪れる前から、貴方の枷だったかしら?」
「……それは」
 ことばに詰まる。
 メイメイがたたみかける。
「私と同じよ、ちゃん。……この島が枷たり得、越える礎たり得、そしてその糸を解くことが出来るのは、貴方じゃない」
 知らず転じた視線の先には、戸惑った表情で、だけど何を云えばいいのか判らずにうろたえているレックスとアティがいた。
 ふと見える。
 幻だろうか、夢だろうか。
 ふたりの傍らに、周囲に、海賊一家や護人たち、島のひとたち、帝国の三人――そして、淡く蒼銀の光をまとう青年。

 ……どんなに目を凝らしても、赤い髪して翠の眼を持つ少女も、焦げ茶の髪と黒い双眸の少女も、そこにはいない。

 幻ではない、夢ではない。
 これは、きっと、事実。


 ――――“”は、もういない。


 ぱちっ、と、視界の端で光が踊った。
 そのときが近いよと、告げていた。
「……」
 押し黙ったの肩に、そっとメイメイの手が触れる。
「兆し、感じてるでしょう?」
 私にまで、それ、伝わるくらいだもの――そう云う彼女の視線は、ではなく、周囲の空間を。光踊る場所を見ていた。
 頷く。こくり、緩慢に頭を上下させた。
 それからふと、生まれる疑問。
「じゃあ……戻ろうって躍起にならなくても、これ、働いたかもしれないんですか?」
「それが」、苦笑とともにメイメイは云う。「そう、うまくはいかないのよね」
 糸を全部解いてバネに任せてしまえば、最初から、あの時間に戻れていたのかもしれないと。
 そんな自嘲も含んだの問いは、即座に否定された。
「界の狭間の向こうにあるもうひとつ、そこへ連れて行かれるの」
 それは知っている。
「で、そこでバネが縮みきって、別の場所へ飛ばされるの」
 それも何度か体験した。

 ……なんか、嫌な予感。笑うしかないような。

「つまり、バネに任せちゃうと、運良く本来の目的地に出でもしない限り、引き戻されてー飛ばされてーの……延々と彷徨うことになっちゃうわけ」

 やっぱりか。
 さんざ翻弄された苦い記憶とともに、はがくりと項垂れる。
 あちこち連れられたバネを、一時的に召喚術で固定して……そうしてレックスたちと出逢って、ヴァルゼルドと出逢って、“”だと名乗って……
 そんなふうに紡いだ糸は、もう、解けてしまった。
 腰に固定した白い剣が、ずしりと重みを増したような気がする。バネがかろうじて働かないでいてくれてるのは、どうやらこの剣のおかげらしい。
 ――そうだね。これは、“”である“”を召喚する石を、核にしてつくられたものだから。
「話がよく見えないんだけど……は、もう、帰らなくちゃいけないってこと?」
 沈黙でもって、やりとりを眺めていたレックスとアティが、おずおずと、間に割って入った。
「今帰らないと、迷子になってしまうってことですか?」
 ええ、と、メイメイが応じる。
「あてなく彷徨う迷子になるわ」
 形としては、レックスたちに向けたものだったけれど、たしかに、へ駄目押しするかのように。
 だけど、
「でも、あのディエルゴとかいう奴、どうにかするまでくらい――」
 云った瞬間、また、光が踊った。さっきより、強く。
 思わず目をしばたいたを、レックスとアティは不思議そうに不安そうに見下ろし、メイメイは眉根を寄せて見つめる。

 占い師は云う。
「断言するわ」
 と、普段ならけっして云わないだろう前置きとともに。

「剣の楔は、もって、道を失った後から24時間」

 数えればすでに、その三分の二以上は経過しているとみて間違いない。

 それまでにすべての準備を終え、
 万全な状態で遺跡まで乗り込み、
 亡霊たちを打ち倒し、
 遺跡の意志を沈黙させ、
 取って返し、
 無限界廊の最奥まで進むことが、

「――果たして可能だと云いきれる?」

 忘れてはならないと、その双眸が告げていた。

 最初の願いは何。
 叶えたい望みは何。

 ここに落ちたそもそもの理由、本来向かおうとしていた場所。

 通れなかった道を通り、
 彷徨う間に紡いだ糸を解いて、

 ――遠い遠い時間の向こうへ帰る、それが、“”の抱いた最初の願い。


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