当然、彼らはすぐに走り出した。
途中だった朝食も、まだ食べてなかった朝ご飯も、そっちのけ。
砂浜を出て林に入ると同時に襲いかかってきた亡霊どもは、果てしなき蒼やら白い剣やら岩石落としやらでばっさばっさとなぎ倒し、走ることしばらく、メイメイの店に到着した。
「亡霊……いませんね」
「いない、な」
正直、最低最悪の想像がなかったわけではないから、一安心――したいところだが、アレだ。生命に反応するのが亡霊の性であるなら、店主である彼女がすでに生命でなければいやいやいやいや、もう考えちゃならんですよ、それは。
けれども、木々に囲まれ、しん、と佇むその店には、血生臭さや澱んだ気配が全然ない。
なら安心してもいいんだろうか。
レックス、アティ、は顔を見合わせると、ごくりと喉を鳴らして、止めていた足を踏み出した。足音を立てるのも憚られ、何故か抜き足差し足で店の前へ。その間に、はすっぽりと黒フードを装着する。プニムの重石も完了。ふたりが怪訝な顔で見たが、「おかあさまのヒミツ」で黙らせた。
アティと、プニムの視線を受け、レックスが、入口横の壁を軽く叩いた。
こんこん、と、硬質な音。
「メイメイさん?」
未だ不安を消せぬレックスの声。
それに応えて、
「――にゃ? あー、おはよー?」
頬を朱に染め、髪をお団子にまとめた女性が姿を見せる。
島大混乱のさなか、呑気に酒を飲んでたらしい彼女の姿形や表情を見、今しがたの奇声ともとれる応答の声を聞いた訪問者三人と一匹は、
「あー……いつものメイメイさんだ。よかった」
「ぷいぷーぷー」
「いつものメイメイさんですねえ。よかったです」
「まごうことなきメイメイさんだな。よかったよ」
安堵と共に、盛大に、詰まっていた息を吐き出したのだった。
「……にゃんか、バカにされてる気がするんだけどぅ?」
『気のせいです』
今は静かとはいえ、いつ亡霊が出てくるかも判らない。
ちょっぴし笑みを引きつらせてつぶやくメイメイの背を押すようにして、三人と一匹は店内になだれ込んだ。
朝っぱらからどうしたの、と問う彼女に、昨日からの出来事を早口に告げる。
遺跡に特攻したこと、イスラのこと、無色は今度こそ島を撤退したこと、――それから、復活した遺跡の意志のこと、際限なく湧き出ている亡霊のこと……
「それで、メイメイさんも危ないなと思って、うちの船に避難しないかって」
朝まで忘れていたことは伏せてそう云うと、は改めてメイメイを見上げた。
一般人にとっては一生分の驚きを使い果たしそうな話だったと思うのだが、彼女は、世間話をしてるような表情で、時折相槌を打つ以外は沈黙を保ってその話を聞いていた。
「ふーん……じゃあ、あなたたちの船は平気なの?」
「あ、そうなんです。どうしてか判らないけど、あの一帯は亡霊が出ることも入ってくることもないみたいで……」
云いながら、アティがふと、自分たちの入ってきた店の入口を振り返った。
「でも、ここも同じ……みたいですよね?」
「場所に、何か理由があるのかな……?」
姉の視線を追ったレックスも、判らない、と首を傾げる。
そんな姉弟を見て、メイメイはちょっとだけ口の端を持ち上げた。唯一振り返らずにいたは、そうしてそれを目撃。ああ、なんかしたのか、と、迷いもなくその結論に到達した。
けど、メイメイ自身が何も云わない以上、指摘する理由もない。彼女が表情を消すのと同時、視線を戻したレックスたちと共に、もう一度、船に避難する旨はないかと問うてみた。
「んー」、頷いてくれるかと思ったが、メイメイの返答は素っ気ない。「やめとくわ」
「え?」
「どうして!?」
危険ですよ、そう顔に書いてレックスとアティがメイメイに迫る。
そんなふたりの勢いに気圧されることもなく、彼女は「そろそろ店じまいしようかな、って思ってた頃だったから」と、いともあっさり応じていた。
「え!?」
「店じまい?」
「うん」
おうむ返しにつぶやいたをちらりと見たあと、ちょっと情けない顔になったレックスとアティへ目を向けて、メイメイは笑う。
「やだやだ、冗談よ冗談。――ちゃんと、先生たちの用事が済むまで待機しちゃうつもりだわよ?」
「お、驚かさないでくださいよ〜」
お茶目な含み笑いに、ふたりはがくりと肩を落とした。気が抜けたんだろう、微妙に口元をゆがませ、もとい弛ませて。
そうしてふと、メイメイが切り出した。
「……それでね、私から逆に、あなたたちへお誘いがあるの」
順繰りに、レックス、アティ、を眺めて、内緒話でもするかのように持ち上げた人差し指は、唇の少し前に。
「一応、ダメもとで訊くんだけど……この島は諦めて、みんなで、別の場所に逃げるつもりとか、ない?」
――それはまた。
予想もしなかった選択肢だった。
メイメイのことばを耳にした三人は、一様に目を丸くする。
「メイメイさん」
どこか呆然とつぶやかれた誰かの声に、メイメイは、内緒話の体勢のまま、片目を瞑ってみせる。
「私が本気を出せば出来ちゃうのよ、それくらいのことなら」
そりゃあ、まあ。メイメイなら出来るだろう。
だって彼女の友達だったし、ってことはもう随分長いこと生きてるんだろうし、どこぞの鏡と鍵だってこのひとが施した仕掛けだし、……無限界廊の入口だって、そうなのだから。
だが、その認識は、にだけあるものだ。
レックスやアティにとって、彼女はどこか不思議な占い師さんでしかないのではなかろうか。急にそんな突拍子もないこと云われて、ほら、ふたりとも沈黙しちゃってるし――
「……信じられない、か?」
三人の沈黙を同じ理由ととったのだろう、さっきと同じように視線を一巡させて、メイメイが、少しだけ気まずそうに笑う。
そんなことはないけど、と、が云おうとしたとき、
「そうじゃないよ。メイメイさんなら、たぶん出来ると思う」
ふ、と表情を和らげて、レックスが告げた。
「気持ちもすごく嬉しい。でも……俺たちは、みんなも――この島を見捨てたくないんだ」
「……ここは、楽園だから」
アティもまた、優しく微笑んで続ける。
「最初の目的が何だったとしても、ここは、四界のひとたちが手を取り合って暮らす楽園ですから……」
遠い遠い昔、人が召喚術を編み出す前にはたしかに在った世界の姿。その縮図がここにある。
創り手が望んだ光景、長い時間をかけて住人たちが培ってきた形。
まだ、それは――断たれたわけでもない、破壊されつくしたわけでもない。だってまだ、自分たちは戦える。まだ、守るための力はここにある。
そんなふたりのことばを受けて、メイメイもまた、ふっと口元をほころばせた。
「……そっか。あーあ、フラレちゃったかあ」
ま、そうじゃなくちゃ、あなたたちじゃないもんね。
つぶやいて、視線を向けるは、未だ答えを紡がぬひとり――。
そうしてメイメイの視線を受け、は首を傾げる羽目になった。何故かって、レックスたちと話してる間心安げに浮かべてた笑みが、その瞬間、きれいさっぱり消えていたから。
「メイメイさん?」
居心地の悪さを感じたが小さく身じろぐのと同時、レックスとアティもまた、彼女の雰囲気が切り替わったことに気づいて疑問顔。
三人分の視線を、もとい一人分はフード越しに受けたメイメイは、そっと瞼を伏せた。引き結んでいた口元を、ゆっくりと持ち上げ、こう云った。
「ちゃん。貴方は帰るわよね」
否はない。
返すは是だけしか認めない、そんな口調の後。再び開かれた彼女の双眸は、マントさえ貫かんと云わんばかりに強く、へ注がれていた。