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【目覚める深遠】

- 奇跡の終わり -



 それは、衝撃というにはあまりにも呆気ない感覚だった。
 身体の中に在ったもの。道とも回線とも云うべきそれが、膨張し、臨界に達し――最後に、その体積を保ったまま、瞬時にして四散した。

 だが、呆気ないと思えたのはそこまで。

 体内に、いや、心の裡に、不意に大きな空洞が生まれる。
 真空に誘われる大気のように、何かが、たぶん自分という何かが、その空洞めがけて吸い込まれていく。轟、と、たとえるならばそんな暴風。

「――――!!」

 なくなる。
 無くなる。
 失くなる。
 喪くなる。

 ああ。これが、そうなのか。
 魔剣が砕けたときのレックス、アティ、そしてイスラを襲ったものは。
 自分の一部とも云えるほど、強く密接に結びついていたものが瞬時にして消え、そこを埋めるべく、止められもしない勢いで流れ動いていく自分という何か。
 かろうじて最低限の繋がりだけは保っていた適格者たちと違い、完全に、消え去ったその部分。
 うしなった。
 そのことによって、自分の裡に、“何もない場所”が生まれた恐怖。
 流れ込んでいく、いや、移動する。それは濁流とも、奔流とも、暴風とも……たしかに自分の心、その裡における動きでありながら、虚無に自らを堕としこむような恐怖だった。
 消えてしまう?
 そんなことはない、これは自分の心で起こること。だけど、あまりにも急激なそれに、認識が追いつかない。
 こわい。
 こわい、ただ、こわい――そう思うこと、場所さえもが次の瞬間には別の箇所に移る。
 そこに、別の思惟が流れる。それも攫われ、また他の感情。いや、この思惑。違う、これは感覚。そうじゃない、これは――
「……っ」
 目頭が熱い。どこかがそう感じた。それもどこかへ動く。
 裡に生じた空白を埋めるように、涙が零れる。何が零れる。涙。どこから。眼から。違う、手の先。間違い、喉の奥。これは汗。汗腺。ううん、爪先。
 あらゆる感覚が混乱する。
 あらゆる感情が混線する。
 認識が追いつかない。
 外と内が乖離する。
 ぱきぱき、ぱきぱき、ひび割れていく――

……っ!!」

 声。喉を震わせた、違う、届いたのは鼓膜に。そして胃の腑、そうじゃない、脳へ。
 何かに包まれる。頭に、いや、背に腰に、回される腕。強く、ぎゅう、と。
 ――声。
! 気を確り持って!」
 強く、耳朶を震わせるのは誰の声。
 散らばる記憶と照合、だけど、手が届く前にするすると何もかもが逃げて動いて転じて――消え、
「どこにも行かないって云っただろう!?」
 ここにいる。
 声と重なって、記憶の欠片が輝いた。
 行くな、と。
「僕がいるから! ここにいるから! だから君もここにいるんだ、ここにいる――ここにいて!!」
 ここにいる。
「……っ」
 ――ここに。あたしは。は。は。在る。
 輝いたそれを基点に、かき集めた幾つかの欠片。単語の群れは、それでも、つぎはぎだらけに形をつくった。
「――……っ!」
 強く。かき抱く腕。揺れる白い髪――だけど、本当は黒い色。
 押しつけられたそのひとの胸から、

 とくん

 ……馴染んだ白の、鼓動が聞こえた。
「あ……」
 つぶやいた瞬間。がそれを感じるのを待っていたかのように、さっきと逆、彼の側から流れ込む白。
 道を喪った空白に、それは、無理のないゆるやかさと出来るだけの速さで染み渡っていく。奔流を和らげていく。
 うしなった、以上に。優しく暖かく、懐かしい。
 これを、あたしは知ってた。
 そして、あたしが喪うもの。
 在ることを忘れずにいても、それを通す、それを感じる、そのための道は砕けて消えた。
 だけど満たされる。
 だから忘れない。

 白い焔はリィンバウムをめぐる、ちから。
 喚びかける彼女の道と、いつも応えてくれた世界を感じる奇跡は、ここで終わりだろうけれど。

 ――――そう。
 どんなに遠く得難く見えても、いつも、いつだって、世界のちからは誰にも誰のなかにある。

 虚無なんて、絶望なんて、抱え込む暇もなく。
 そのちからは、あたしたちの傍らに満ちている。

――?」
 何を感じたか、ふと、イスラが力を抜いてを覗き込んだ。
 顔を上げる前に、ちょうどいいとばかりに胸に押し付ける。涙で顔ぐしゃぐしゃだし、ごめん。鼻はかまないけど。! と慌ててるんだか喜んでるんだか判らない声を聞いてから、視線を上へ。
?」
 にぱ、と口元持ち上げて笑うと、紅い双眸が、安心しきったように細められた。
「……よかった」
「ありがと」
 破顔するイスラの肩を、腕持ち上げて軽く叩いた。
 僅かに視界がふれて違和感を覚えた。けれど、そのとたん、身体に加重を感じてそんなの吹き飛ぶ。イスラの体重がたぶんまるごとだ、これ。
 肩口にかかる彼の髪は、黒に変じていた。
 それを証明するかのように、踊り、舞っていた白と紅も、いつの間にかやんでいた。


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