白い風が、傍らを通り過ぎた。
「――あ」
すぐ真横を走り抜けた人影、紅の剣を右腕にまとったその人物を目で追いかけて、はひとまず、近づいてきていた亡霊たちを、防御考えず斬り伏せた。
「イスラ!」
あんたまた何無茶かます気よ!?
彼の駆ける方向には、レックスとアティ、そしてオルドレイク。三者はそれぞれに亡霊を相手どり、他に気を向ける余裕もなさそうだが――またオルドレイクに攻撃仕掛ける気じゃなかろうな。
後方に亡霊が向かう危険性を考えなかったわけではないが、もまた、身を翻して床を蹴る。
その足がイスラに追いつく前に、
「レックス! アティ!!」
抜剣によって、一時的に体力が持ち直したのだろうか。さっきまでからは想像も出来ない強い声で、イスラが、ふたりを呼ばわった。
ふたりが振り返るより早く、彼は先を告げる。
「亡霊たちはみんな、僕が引き受ける! 君たちは封印を――君たちが揮う剣の力なら、絶望だってきっと止められるから……!」
「で、でも……ッ!?」
「イスラ、それは――」
彼の体力を鑑みたのだろう、ふたりが見せる戸惑いと否定を、だが、イスラ自身の叫びが打ち消した。
「みんなが望んだ世界を、僕みたいなヤツでも笑顔でいられる世界をつくるんだろうッ!?」
それで。
開きかけたふたりの口が、止まる。
床を叩くイスラの足も、そこで止まった。ゆっくりと紅の暴君を持ち上げながら、彼は微笑う。
「最後まで、見せてよ? 君たちが見たのと同じゆめを、僕にも、さ……」
「イス――」
ラ、と、自分を呼ぶ彼らの声を、イスラはちゃんと聞いたのだろうか。
紅の暴君を正眼に持ち上げ、彼は、一度だけ目を閉じた。
「紅の暴君……ありったけの僕の想い、全部、おまえにくれてやる」
だから、
「ここにいるみんなを……僕が迷惑をかけてきた優しい人たちを、どうか――」
護らせてくれ――――!
見開いた、紅の目。
そこに映るは、自らのすべてを塵と化す覚悟で引き出した、紅の力。
そして、
「だーかーら、いい加減にしろ――っ!」
普通邪魔せんだろうってタイミングで走り込む、レックスとアティの遠いゆめである存在。
まあ、なんだ、その。
声はともかく、その相手を忘れていたことだけは、確かだったらしい。
「え」
引き出した力は止まらない。
迸る奔流のなか、その子はイスラ目掛けて駆けつけてきた。
ずきん、と、いつか、彼女の持つ白で貫いた胸が熱を帯びる。それで、呆然とした意識が我に返った。
そうして彼女は剣を持たぬほうの手を伸ばし、イスラの右腕を鷲掴み。
「、何……」
「やっかましい! あたしはこういうのが嫌なんだって、何度云えば判るのよ!!」
――いや、そんな何度も云われたっけ?
思わずそんなことを考えるイスラの腕を掴んだまま、ことばのとおりに怒りを露にして、は視線を移す。腕の延長、紅の暴君へ。
「どうせイスラのじゃ足りないんでしょーが、余った分は無茶するな、こっちにおいで!!」
既視感。
いつかこの遺跡の別の場所で、呑まれかけた別の継承者へ同じように手を伸ばして告げた、彼女のいざない。
そしてイスラもまた、そのときの誰かと同じように、目を見開いた。
「!!」
非難。他に何をこめろというのか、そんな声とともに手を振り払おうとするけど、信じられない力強さで彼女は腕を掴んだまま。
そして感じる。
不意に出来た枝道に向かって、放出しきれなかった力が移動していくのを。
「! やめろ、やめてくれってば!!」
こんな力、君にまで。
「やめ……?」
必死に制止を請ううちに、紅い流れを逆流してきた白い流れに気がついた。
あたたかくて。
優しくて。
とくん、とくん――と。
忘れてた、いつかの夜生まれた、誰かの鼓動と、きれいに重なるその流れ。
――ああ、これは。
そうだ、これは。
……遠いどこかで、まどろみのなかで、感じた最初のぬくもりと同じ。
腕から力が抜けたことに気づいたか、ちらり、と。油断なく、亡霊にかまけつづけるオルドレイクを見据えてたがイスラを見た。
もう翠じゃない瞳。
もう赤じゃない髪。
「名前呼んで」
「え? ……?」
「いや、違――って、ああ、そうか。名乗ってないや」
驚きながらも従うと、彼女は否定。しかけて、気まずい顔になる。
それから、「じゃあ改めて」と、云った。
「“”」
「え……」
「あたしの名前。“”って。呼んで」
「――あ」
名前を教えて、と、彼女に云った。
答えずに、三十六計かまされた。
そんな、他愛のない、いつか青い空の下での記憶。
……その答え。
「早く!」
のんびりしてる暇ないとばかり、彼女はイスラを急かす。
どうしてそう急ぐのか判らないけれど、ただそれに応えたくて、イスラは、彼女の名を呼んだ。
「…………っ!」
瞬間。
か細かった白が、爆発した。
それは魂に刻まれた道。
だけど自分のそれにじゃない。
同居していた誰かの魂の形を、知らず、なぞっていただけのこと。
道は外付け。後付け。おさがり。
揮う以上は自分の力、だけど、引き込む道はあくまで模造。
――いつか、それは消える。
自分に帰さぬ因によって開いた回線は、いつか閉じるときがくる。
そんなこと――知っていた。きっと。
辿って、迸る紅の奔流。
それを押しのけるようにして、本来通るべきの白い焔。
怒涛のようなそれに、びきばきにひび割れて、つつけば壊れそうな道が、耐えられるわけない。
メイメイに、無限界廊を開く約束を取り付けたとはいえ、帰るに確実な保証ではない。保険を考えるなら、どんなにか細かろうが頼りなかろうが、道を維持しておくべきなのだ。
ああ、うん。
でも、ほら。
後先考えず走っちゃうのって、あたしの十八番なわけですし――?
だから、ね。
後悔するかもしれないけど、今は、後悔しないだろうって思うから、動きたいって強くあたしが思うんだから、そう、動いてしまおうね。
そう。だから。
「ありがとう」
名を呼んでくれたイスラと、今まで在ってくれた道と、不甲斐ない借り主に応えてくれてた世界に感謝。
そうして、それから。
「おいで」
これが最後。
流れ込む白い焔、その感覚を忘れまいと、強く心に刻み付ける。
白と紅に畏怖するのか、包囲しつつも手をこまねいている感のある亡霊たちを一瞥した。
名をここに。
焦げ茶の髪と黒い双眸、この姿の名を呼んだ相手がここにいる。
覆ってた膜はもう消えて、このあたしがここにいる。
あたしを知ってるひとがいるここで、あたしは世界に宣言しよう。
――――それが、魔公子の術を解く、本当の最後。
この、名をここに。
術の残滓も何もかも、吹っ飛べと、いわんばかりの勢いで
「に応えろ、リィンバウム! これで最後、目一杯いくからね!!」
宣言した、それに応えて。
紅と、白が、現識の間をあますところなく走り抜け。
そうして――、砕ける。