黒い髪、ゆったりとした術士服、異形を象る錫杖。
他を圧倒する気配もそのままにどこからとなく現れたオルドレイクが、勝ち誇った笑みを浮かべてそこに立っている。
畏怖を覚えるべき佇まいだが、幸か不幸か、今は誰も、それに気をまわす余裕などなかった。
「こいつはてめえの仕業かッ!?」
駄目元のつもりか、まじないにかかろうとしていたヤッファが、ばね仕掛けのようにオルドレイクを振り返り、詰問する。
それに対する相手の返答は、
「ああ、そうだとも」
と、実に簡潔だった。
にわかにざわつくなか、だが、「ただし」とオルドレイクは続ける。
「あくまで、我はきっかけを与えたに過ぎぬがな」
「きっかけ……?」
霊体である分、オルドレイクの魔力に対する拒絶は強いのだろう。彼女を庇うように立つフレイズの少し後ろで、ファリエルがつぶやいた。
耳ざとく、オルドレイクはそれを聞きつける。
口の端をにやりと持ち上げて、
「低脳なはぐれ共にもわかるよう、説明してやろう」
どこまでも大上段に構えた姿勢のまま、そう告げた。
「その小僧は元々、偉大なる派閥の先師によって、呪いを受けていた」
「病魔の呪い――」
「ほう」知っておったか、と、僅かに瞠目し、「ならば、理解するは容易かろう?」
病魔の呪いにかかった者は、どうあがいても死ぬことは出来ないと。
イスラはまず、派閥に忠誠を誓うことで、死霊の女王との名を持つオルドレイクの妻、ツェリーヌの治療によって病魔を鎮めたと。
「だが、剣の力によって小僧は呪いを抑え込み……増長した挙句に我らを裏切った!」
「裏切るわ普通! っていうかあんたの目は節穴!?」
なんで酷い目に遭わす当人の軍門に、何の下心もなくくだると思うか。
ついついがなったを眼光鋭くオルドレイクは一瞥――し、怪訝そうに眉をひそめた。
……あ。
そういえば、今、“”の姿だ、あたし。
一瞬ひきつっただったが、当のあちらさんはそれ以上の興味を抱かなかったらしい。ついと逸らした視線は、勝ち誇った色を乗せたまま、苦しむイスラに注がれる。
「我は待っていたのだ。思い上がった小僧めに、相応の罰をくれてやるそのときを――」
くくっ、と、オルドレイクは喉を鳴らす。
細められた双眸は、そうして、アティとレックスを映していた。
「それが、貴様らのおかげでたった今、叶ったのだよ!」
「な……っ!?」
「どうして――」
瞠目するふたり。
そこにたたみかけるオルドレイク。
「剣の力が失われた今、傷だらけの小僧の命は皮肉にも呪いの力によって保たれていたはずだ」
それを解いてやれば、どうなると思う。
――思考に費やす空白は、そう長いものではなかった。
「あ……っ!?」
苦悶するイスラの声は途絶えることがない。それにかき消されるくらいでしかない小さな、掠れた声で、数人がまず気づいた。
「反動――今までの……」
「どういうことだッ!?」
口元を手で覆い、呆然とつぶやくフレイズに、ギャレオがくってかかる。
未だ事態を察せられぬ他の面々の視線をもその身に浴びて、フレイズは、答えをつむぎだす。
「病魔に蝕まれつづけたというイスラの身体が、人並みに丈夫であるわけがありません……にも関らず、彼は剣の力へ身を任せ、休む間もなく肉体を酷使しつづけた」
「っ!?」
フレイズに視線を向けていたなかの何人かが、ばっ、とイスラを振り返る。
未だ動かぬ視線もまだあり、フレイズは、それに答えるべく再度口を開いた。
「剣がもたらす活力を失った今、彼の身体はその反動で崩壊しようとしているのです」
「……そして、死ねない呪いが解かれたことで、ぎりぎりで保たれていた彼の命も失われようとしている……?」
いつも飄々としていたスカーレルの顔色も、いまや紙のように白い。
それは、誰もが似たり寄ったり。
だがそんななか、またも、勝ち誇った笑い声をあげる者がいる。誰かなど問うまでもない、それをもたらしたオルドレイク当人だ。
「ふははははははははは!! そのとおり、ご名答だ」
哄笑。見下したようないらえ。
そして、オルドレイクは再びレックスとアティを見る。
「改めて礼を云おうか」
貴様らが紅の暴君を消してくれたおかげで、裏切り者を制裁出来たのだからなあ?
「……っ、なんて、ことを……!」
「ふははははっ! はーっはっはっは!!」
呻くふたりの対応など意に介さぬままの、オルドレイクの哄笑が響く。――耳障り。
そこに、
「死ぬ、の……ッ?」
苦悶の叫びをあげつづけていたイスラのつぶやきが、哄笑の合間を縫って場の空気を震わせた。
「僕、ボクは……死、ぬの……ッ?」
「死なせるものかっ!!」
虚ろな目で虚空を見上げる弟を抱きしめて、アズリアが懸命に叫ぶ。その手段も見つからぬまま。
「絶対に、助けてやる! 私が、絶対に、おまえを殺させたりやしない……っ!!」
ただ、そうすることで少しでも、イスラの命が留まるようにと。
そうした姉弟の姿を、オルドレイクは一瞥し――「く」と、蔑むように喉を鳴らした。おかしくてたまらない、と、その仕草は語る。
それが引き金か。
不意に、イスラの目が焦点を結んだ。
どこをも見ていなかった双眸、それが真っ直ぐに、オルドレイクへと向かう。
生まれた瞬間から己を苦痛の底に叩き落し、今また、死へ追いやろうとしている無色の派閥、その大幹部へ。
「あは、ハ……っ、ぐっ……げほッ」
ひび割れた笑い声が、イスラの喉から零れた。
咳き込み、血を吐き――彼は、身を起こす。
「――け、るな」
「イスラ!?」
動かないでと云おうとしたアズリアを、紅の光が弾き飛ばした。
「ふざけるなあアァァァァァァッ!!」
黒い髪は白く。
黒い眼は紅く。
紅の暴君を右腕にまとい、適格者は変貌する。
倒れ込んだアズリアのもとへ、ギャレオが駆け寄った。
それを振り返ろうともせず、いや、もう、目の前の男しか見えていないのだろう。イスラはただ、オルドレイクを睨めつける。
「僕が、望んだ結末はッ、こんなくだらないものじゃない……ッ」
一言発するだけで、激痛が走るのか、顔を歪ませながらも
「おまえごときに――僕の命っ、好き勝手にされ……てっ、たまるかあアァァァッ!!」
ひび割れた魔剣を手に、音高く、床を蹴る。
やめて、と叫ぶ誰かの声も、今の彼には届かない。
眼前に凝る闇、それを打ち倒す一念で、イスラは紅の暴君を振り上げた。
「ウ、が、アアアああアアアぁぁぁァァァッ!!!」
――けれど。
完全でなかったとはいえ、無傷の状態の魔剣さえ退けたオルドレイクにとって、それは虫が足掻くようなものなのだろう。
杖を振りかざしたオルドレイクは無造作にそれを振るい、接近するイスラを魔力で打ちつけた。
「ぐ……ッ!」
「誰かに力を恵んでもらわねば生きていけぬ分際でよくもほざく! 貴様の生きられる場所など、世界のどこにも存在せぬわッ!!」
同時に、浴びせられる罵声。
大きくよろめいたイスラの姿が、白い変貌を失う。けれども、彼は、己の足で転倒を踏みとどまった。
今にも倒れ込みそうにしながら、なお、オルドレイクを睨み据える。
「オルド……、レイ、ク……ッ」
ふん、とひとつ鼻を鳴らすオルドレイクの杖に、再び魔力が凝りだした。そうして断言。
「我らが望みし新たな世界に、貴様のような弱者は要らぬ……ッ!?」
イスラを標的として繰り出されようとした魔力は、だが、途中で膨張を止めた。
懐に飛び込んでくる、赤黒く汚れた焦げ茶の影に気づいたオルドレイクは、杖に魔力をたたえたまま、大きく後方へと飛び下がる。そして奇襲をかけた相手に攻撃を見舞おうと、たたえる魔力を解放しかけ、
「ぬ……ッ」
不快感露なつぶやき。
それは、影の頭上を飛び越えるようにして迫った蒼の光を打ち消すことで、魔力を消費する羽目に陥ったからだ。
威力としては、おそらく同程度。
ぶつかりあった魔力と光は、相殺するように消え去った。
残滓が溶けるその空間に、奇襲者が立ち上がる。その後方に、白い変貌を果たしたふたりの蒼が佇んだ。
「……レックス、アティ……どうし、て」
茫洋と、イスラが、自分とオルドレイクの間に立つ三人の名をつぶやいた。
まず、レックスとアティが答える。
「云ったはずだよ。悲しみも憎しみも、もう、これ以上繰り返させたりしないって」
「わたしたちが望んだ結末も、こんなものじゃないんです。大切なひとたちが誰一人、苦しんだり泣いたりしなくていい優しい世界――そこには、あなただって笑顔でいられる、生きていける場所があるはずなんだから」
優しい、あたたかなふたりの声。
「……あ……っ」
それにうたれ、イスラが嗚咽を零す。
その語尾がまだ空気を少し震わせている間に、最後――が、びっ、と、白い剣を抜き放ってオルドレイクへ突きつけた。
「右に同じ。こんな展開と結末気に入らない」
「貴様が気に入ろうが気に入るまいが問題ではない。これが結末だ!」
重ね重ねの無礼でか、怒鳴り返すオルドレイクの額には、太めの三叉路。
が、そんなの知ったこっちゃないとばかり、は高らかに断言した。
「そのことば、そっくりそのまま返す! あんたに押し付けられる結末なんて誰が要るか! 叩いて潰して蹴り飛ばしてのし付けるから、派閥で肩身狭くして、そっちこそ大人しく丸まってろ!!」
……うわあお。漢気満載。
スカーレルやヤッファといった面々が、どこか乾いた笑いをこぼしたが、逆に、それで力づけられたようにアティとレックスは頷いている。
「そうです。みんなが願いつづける、ささやかで幸せな夢をあくまで邪魔するというのなら、わたしたちだってそれくらいしてみせます!!」
「この剣で、おまえの野望を払いのけて、道を切り拓いてみせる!!」
が云うよりも、説得力に溢れている気がするのはどうしてだろう。
先ほど乾いた笑いを浮かべた面々は、ふと、そう思った。
そうして、オルドレイクの形相が、ますます鬼気を増していく。
「黙って聞いておれば、くだらぬ能書きをぺらぺらと……!」
ならばよかろう。そうつぶやいて、彼は再び魔力を凝らせる。さきほどの比ではない、強大な容量。
「死への恐怖以上に思い知れ、貴様らのくだらぬ夢が、所詮絵空事でしかないということを――!!」
白い剣片手に、が腰を少し落とした。
蒼い剣右腕に、レックスとアティが身を構える。
ごん、と床が揺れた。
「へっ!?」
「――ぬ!?」
「うわ……ッ!?」
唐突な震動。
張り詰めていた空気を一瞬にしてたわませたそれは、断続的な地鳴りに変わる。
――ゴッ――ゴゴゴゴゴゴゴォォォオォォォ――――
ガルマザリアの起こすそれに似た、いや、それ以上? 腹に響く重低音。足元から突き上げる震動に、誰もが、倒れかける己の身体を、やっとのことで支える。
「ピピィーッ!?」
「わわわわわ、大地震ですぅ!?」
滞空しているのだから直接の影響はないはずの数人も、突如として起こった異変に我を忘れてしまっている。
だが、それは地震ではない。
最初のうちこそ、遺跡さえ崩壊させそうな巨大な震動ではあったが、しばし時間を経過してしまえば、荒れ気味の海を航海するときのような揺れが断続的に続くばかり。
そこに至って、は、と、レックスとアティが互いの目を見交わした。
何を感じたのか、表情は硬い。
彼らはつぶやく。
「――封印が解ける!?」
「島の意志の……っ!」
それが答え。
さして大きくもないそれは、だが、響く地鳴りを潜り抜けて、近くにいた何人かの耳を打つ。
そこにはイスラも含まれていて――彼は、愕然と、血に濡れた己の手を見下ろした。
「あ……っ」
僕のせいだ、と、その唇は動く。
「僕が、剣の声に従って、好き放題……力揮った、から。憎しみと怒りで、紅の暴君を振り回しつづけたから……っ!」
それを。
待っていたかのように。
――ぐるるラアァァッ!!
けだものめいた咆哮が、全員の、鼓膜ではなく意識を叩いた。
「……っ!?」
視線をめぐらせる。
そんなことしても無意味だと、自身すぐに悟ったが、反射的な行動まで止められはすまい。
だって、これは、いつか感じた不快感。
碧の賢帝。
紅の暴君。
それらが継承者によって姿を現すたびに覚えた、昏い感覚。
――グルぅ……ッ、ルッ、ウグルラアァぁッ!!
再び響く咆哮。
それは、意志。
――やっと……! やっとこのときがやってきた!
高らかに、宣言する。
――忌まわしき封印は砕け散った! 我を縛るものは、もう存在しないッ!!
――ふふ……ぐふふふっ、ギひゃはははははははは!!
汚らしい哄笑。
オルドレイクのそれが、まだかわいげあるような錯覚さえもたらす。
錯覚だけど。
――破壊してやる! 殺して壊して支配してやるウウゥゥッ!!
それを。
その存在を。
――我が名はディエルゴ!! ハイネルのディエルゴ!!
如何なる名で称するか――いつか誰かが答えをくれていた。
――怒りと悲しみに猛り狂う島の意志なり――――!!
その咆哮の残滓が消えもしないうち、一帯に異変が起こる。
「フシュウゥゥゥ――――」
掠れた呼気めいた、あるいは
「オオオオオッ! ウオォォォぉぉッ!!」
獣のような叫びとともに。
一度は散ったはずの亡霊たちが、あちらからこちらから、次々にその姿を溢れさせていた。
どういうことじゃ、と叫ぶミスミ、まるでサプレスの底、悪魔たちの領域のようだ、と、蒼ざめるフレイズ。
「島の意志の復活に呼応しているんです!」
事態を読み取ったヤードが、混乱をおさめようとそう怒鳴った。その隣で、冗談もほどほどにしてよッ! と、近づいてきた亡霊を斬り伏せたスカーレルがぼやく。
「ちくしょお! こんなにたくさん卑怯だぞぉッ!」
「スバル! こっちじゃ!!」
斧を振り回して無謀にも突進しようとした我が子を、ミスミが抑え込んだ。
その母子を庇うように、キュウマが亡霊との間に立ちはだかる。
いざ切り結ばんとした亡霊の眉間を、彼の真横を切り裂いて飛んだ銃弾が打ち抜いた。
「ソノラ殿!」
振り返り、感謝の念を述べようとしたキュウマの表情が凍りつく。硝煙をあげる銃を手にした少女に、亡霊が迫っていたのだ。
「あっ!?」
咄嗟の反応で、トリガーをひくソノラ。だが、銃はガチガチと硬い音をたてるだけ。
「弾が……!」
「お伏せくださいッ!!」
窮地とみたヴァルゼルドが、――手にしたライフルを、亡霊に叩きつけた。彼の弾もまた、尽きていたのだろう。
あまりの衝撃に銃身がきしんだようだ、銃としての性能が懸念されるが、そうしなければソノラがやられていた。
「すまねえ!」
「なんのであります! 鈍器は武器の元始であります!!」
ちょっぴし的違いな方向に胸を張るヴァルゼルドの傍ら、アルディラが口惜しそうにつぶやいた。
「このままじゃ――再封印の儀式を行なうことも出来ない……!」
「「再封印!?」」
周囲の面々が、ばっ、と彼女を振り返った。
「今は無理ですっ! せめて亡霊たちの動きだけでも止めないと!」
期待をあっさり打ち砕き、ファルゼンとなって亡霊たちと対峙していたファリエルが叫んだ。
その間隙を縫って、亡霊が彼女の傍らをすり抜ける。その刃が狙うは、別方向からの亡霊と剣をぶつけていた女性――
「ぐッ!?」
「アズリア隊長ッ!!」
視界の端でその動きをとらえたか、どうにか彼女は一撃目を回避することに成功した。振りぬかれた刃は服を、そして皮膚を浅く切り裂いた。が、それだけだ。
けれど、体勢を崩したアズリアを、元々対峙していた亡霊が見逃すわけもない。獲物である大剣を、亡霊は高々と振り上げる。
自分の相手を退けたギャレオが走るが、とても間に合う距離ではなかった。
激痛を覚悟し、身を強張らせたアズリアは
「僕の姉さんに……ッ、手を、出すな――――!!」
唐突に響いたその声に、はっ、と、目を見開いた。
紅い光が閃る。
それに蹴散らされるようにして、彼女の周囲にいた亡霊が一網打尽に打ち砕かれた。
光の源――弟を、アズリアは呆然と振り返る。
「イスラ……おまえ……」
どこに、そんな力が残っていたのかと。
果たして彼女は問おうとしたのか。だが、その声は、途中で力をなくした。
「ごめんなさい、姉さん」
力なく、けれど、はっきりとした微笑みを浮かべてイスラが云った。
「最後まで、迷惑ばかりかけちゃったね。……それから、ありがとう。――たくさん、たくさん想ってくれて……」
ただそれだけを告げて、イスラは身を翻す。
「あ……」
遠ざかる弟の背中を、アズリアは、力の抜けた身体を持て余したまま見つめつづけた。