……失念してた。そう思った。
つい先日、アズリアと話したばかりのそれをすっぽり抜け落ちさせてた自分の間抜けさに、は思わず、拳骨を頭にお見舞いしたくなってしまった。
似たようなことを話したというレックスが出してくれたから良かったようなものの、彼かアティがそうしなかったら、長丁場必至どころか取り返しつかないことになってた気がする。
そんなふうに自省するの前では、イスラが驚いた顔して、レックスとアティを見上げていた。
視線を受けて、アティが告げる。
「遺跡の力を手に入れるなんて、本当は、あなたにとって、どうでもいいことだったんでしょう?」
「……っ」
「――え!?」
「どういうことだよ、それは!?」
息を飲むイスラと対照的に、彼らの周囲はにわかにざわめきだした。
わけが判らない、といったカイルの叫びに、アティはそちらを少しだけ振り返って、微笑んだ。
「判るんです……なんとなくだけど。わたしたちには、イスラの気持ちが」
だって、と、レックスが続ける。
「俺とアティと――イスラは、きっと、同じ形と輝きをもった魂同士、その、それぞれの側面でしかないんだろうから……」
はっ、と、ソノラが息を飲んだ。
「あ――」
「そのとおりね……」
つぶやく彼女の傍らで、スカーレルが頷く。
魔剣を知るヤードもまた、深く、頭を上下させた。
「だからこそ……貴方たちは、適格者として剣を手にとることが出来た」
それ以上、誰も何も云わない。
ただ、雰囲気は変わらず騒然としていたし、隣近所と見交わす視線は慌しい。そこかしこで、息を飲む音もする。
そこに、
「――何を……云いだすかと思えば……ッ!」
腹立たしげなイスラの声が響いた。
「不愉快だよ! なんで、僕がおまえらみたいな偽善者と一緒にされなくちゃならないんだッ!!」
罵倒を兼ねた彼の叫びは、けれど、レックスとアティを揺らがすほどの力を持たない。
ふたりは、少しだけ首をかたげて視線を交わし、それからアティが口を開いた。
「同じでしょう?」
と、確信しきった口調で彼女は云った。
「本音を隠すために、笑いの仮面を被ってるってことまで、――本当に、そっくりでしょう?」
あ、と、子供たちの疑問符が消える。代わりに浮かんだのは感嘆符。エクスクラメーション。
指摘されたイスラは、目を見開いて口を動かそうとしてるけれど、生憎かな、驚愕のせいなのか何なのか、ことばを出せないでいるようだ。
さらに詰め寄るかと思われたアティは、けれど、そこで口を閉ざした。ちらりと見やるは自分の弟。
視線を受けたレックスは――その目を、に向けた。
「……」
かぶりを振る。
云うのはあたしじゃない、と。同じであるというのなら、あなたたちのことばのほうが相応しい、と。
込めた意図を悟ったレックスは、うん、と口の端を少しだけ弛めると、再びイスラに向き直る。
「君の目的が本当に遺跡の力だったなら、碧の賢帝が砕けたあの日、一気にそれが出来たはずだ。なのに、君はそうしなかった」
それどころか、新しい剣が完成するのを待っていたかのように姿を現して、正面から戦うように仕向けてさえきた。
「……それは、どうしてだい?」
面と向かって矛盾を指摘され、イスラはまた、逃げるように視線を逸らすかと思われたけれど。
「……はっ」
肩を小刻みに震わせて、彼は笑い出した。
「あはははは……っ、は、あはは、あっはっはっはっは……っ!」
長く続くかと思われたそれは、十を数えるあたりで唐突になりをひそめる。
笑みをおさめたイスラは、口許を持ち上げたそのままの――だけどもどこかひきつった表情で、レックスを睨みつけた。
「そんなに知りたいなら、教えてやるよ」
――――だよ。
「え?」
紡がれたそれは、呼気の占める割合が大きくて。一番間近にいた、アズリアやレックスたちでさえ、聞き取れなかったらしい。
反射的に聞き返す彼らを見渡して。喉を整えるためか、イスラは一度、大きく息を吸った。
――ほしかったもの。
「僕の望みは」、
そうして彼は告げる。
「好き放題に揮える力でも、人並みに暮らせる肉体でもない」
ずっと、ずっと……ベッドの中にいたときから、願いつづけたことはひとつだけ。
「僕が、この世界から消えてなくなってしまえばいいってことだけなんだよッ!!」
血を吐くような、とはいうけれど。彼のそれは、血どころか、己の命さえ吐き出さんとせん、叫び。
それを耳にしたすべての者が、予想だにせぬその望みに、思考を、動きを、凍りつかせた。
「……あ?」
少し離れた場所から零れた、なんともおどろおどろしいつぶやきが、また、冷凍を加速させる。
その原因となったイスラは、周囲の様子に気づいているのかいないのか、また、俯いた。
あはは、と、くぐもった笑い声とともに吐き出される、それが、彼の真情。
「だってさあ……そうだろう?」
嘲りは他の誰でもない。罵りは、今、イスラ自身へと向いていた。――いや、本当は、最初からそうだったのだろうか。
「本来の僕は、誰かの手を借りなくちゃ、一日を無事に過ごすことも出来ないんだよ?」
赤ん坊と同じ、と、つぶやきかけて、「いや」とイスラはかぶりを振る。
「成長していく分だけ、僕の何倍もマシだね。何しろ、僕は永遠にこのままなんだから!」
あはは、はは、あははハハハハハ――――
喉を絞り上げるような笑い声。
さなか、アズリアの唇が動く。イスラ、と、つぶやいたようだったが、それは誰にも届かないままに溶け消えていた。
「ハハ、は……っ」
沈黙のなか、イスラの笑い声が徐々に小さくなり、そして途絶える。
「消えてしまいたかった」
項垂れた姿は悄然と、力なく。
「他人に迷惑だけかけながら生きている自分、なんの役にも立たない出来損ないの自分」
「……」
ピリ、と、横手の空気が帯電してることに、誰も気づかない。
同じく気づかないイスラは、床についた手を強く握りしめ、顔をあげようとせぬまま叫んだ。
「もうイヤなんだッ! 僕のせいで、誰かにつらい思いや迷惑をかけるのは!」
それくらいなら。彼は叫ぶ。
「僕は僕を殺したい――そう思って、何度も試してやったさ!」
「な……っ」
掠れた声でうめいたのは、果たして誰か。
たぶん、イスラには届いてないのだろうけど。
「でもね……ダメだった。血を流しても毒を飲んでも苦しいだけで、その先には辿り着けないんだよ」
ようやっと、ことばを発することを思い出したらしいファリエルが、か細い声でつぶやく。
「病魔の呪い……断末魔の苦しみを、永遠に繰り返させるための……」
「呪われた者は、自殺さえ許されない。死んでしまえば、呪いの意味がなくなってしまうから……」
あまりの事実でか、血の気を失っているアルディラの声に、また、何人かがうめく。
バカな――と、誰かがそう、声をしぼりだした。
「だから、僕は考えた。どうすれば、楽になれるのか――考えて、考えつづけて……そんな僕の前に、あの男はやってきたんだ」
薄闇からにじみ出るように。
そう称される男の名を、ひとつ。誰もが瞬間的に思い描いたそれを、スカーレルがことばにする。
「――オルドレイク」
イスラは頷きもせぬまま、先を続ける。肯定も否定もしていないけど、推測は間違っていなかった。
「無色の使徒となって帝国軍の機密を探るなら、自分の足で歩く自由を与えてやろう、とね」
「……いかにも、あの男がやりそうなことですね。利用出来るものは、すべて利用してのける……」
淡々とつぶやくヤードの表情は、険しい。
オルドレイク、無色へのそれだけではなく、かつて所属していた己への嫌悪もあるのだろう。
「だけど」、困惑を見せて、アティが云った。「あなたに呪いをかけたのは、彼らの仕業だと」
それがすべて紡がれる前に、
「知っていたさ!!」
黒髪を振り乱し、イスラが顔を持ち上げた。そして叫ぶ。
「だけど、そう云われて断れる人間が、本当にいると思うのか!?」
実際、あの苦しみを味わったことのないヤツには、判るはずなんかないんだ――それは、痛切ななんてことばだけでは表せぬほど、尽きせぬ慟哭に満ちていた。
息を飲むアティ、そしてレックス、アズリア。周囲の面々。
もまた、これには怒気を削がれて、無意識のうちに己の胸へと手を当てた。
「だけど――代わりに、失われてしまったものだって大きかった。無色の手先となった僕は、姉さんたちを、ずっと騙し続けてたんだから。ばれてしまうことが本当に、怖くて……」
「イスラ……」
何度、アズリアは弟の名を呼んだだろう。そうして、何度呼べば、それは弟に届くのだろう。
「だから、僕はまた、死ぬための方法を探そうと思った」
そして、と、続けられるその先を、は奪う。感情が出て、強い語調になってしまうことは避けられなかった。
「見つけたのが、魔剣?」
「……うん」
「――イスラ」
ずっと、ひとりで。誰にも応じず述懐しつづけるとばかり、誰もが思っていた。
けれども今、彼はたしかに頷いた。そして続ける。
「すさまじい力を持つっていう魔剣だったら、呪いを打ち破って、絶対に死ねると思ったんだ」
だから自ら、剣の奪還に志願した。
「そうして……海賊たちの襲撃の隙を突いて、剣を手に入れることには成功した」
「それが、あの日の嵐……?」
「継承に伴なう、魔力の暴走ということですか」
海に落ちた恐怖を思い出しているのか、僅かに震えのあるアリーゼのことばに、キュウマのつぶやきが重なった。
「……でも、それって」
「うん」
声に、また、イスラは頷く。
「皮肉だね。剣が意志を持っていて、使い手の命を守ろうとするなんて」
ははは、と、ひび割れた声で彼は笑う。
「つまるところ、僕はますます死ねない身体になってしまったわけさ……!」
明かされる事実は、どれもが、あまりに想像の範疇を大きく越えたものばかり。
ことばをなくす一行の反応など、だが、イスラはどうでもいいのだろう。
「必死に考えた。どうすれば死ねるか。海を漂いながら――何日も」
そんな彼の視線が、ようやっと、眼前のレックスとアティをとらえる。
「それが、君たちと出逢ったことで答えが見つかったんだ」
え、と、戸惑うふたりから目を逸らし、イスラは、紅の暴君だったものを一瞥する。そして、また、レックスとアティを視界におさめた。
「紅の暴君は云ったよ。適格者は多く要らない。戦って、碧の賢帝を壊してしまえばいいって。剣と剣との戦いなら、適格者の命を奪ってしまうことも不可能じゃないってね!」
「――――!」
そうして結びつく。
ずっと、戦いを挑んできたイスラ。死にたがってたイスラ。
剣と剣とのぶつかり合いだけでしか、互いを殺すことが出来ない、魔剣に選ばれた適格者たち。
「まさか……っ!?」
「そうだよッ!!」
誰に云わせはしない、と、その叫びは一際大きく。
「僕は最初から、君たちに殺してもらおうと思ってたんだッ!」
なのに、戦いたくないと、レックスたちは云った。
「なんなんだよ! それじゃダメなのに! 戦ってくれなきゃ、殺してくれなきゃ、僕は死ねないじゃないか……ッ!!」
「イスラ――あんた……」
あの笑顔の奥で。
何度も垣間見せた表情の向こうで。
ずっとずっと、ただ、それだけを願っていたというのか。
「だから、君は……もしかして……?」
おそるおそる。そんなレックスのつぶやきに、イスラが返すのは同意の――悲鳴。
「そうだ、そのとおりだよ! わざと君たちを裏切ったし憎まれるようなこと云って挑発したんだ! 姉さんだって」、ことばを切ってめぐらせた彼の視線は、アズリアで止まった。「ああやって裏切れば、きっと、僕を憎むって思ったのに――徹底的に嫌ってくれれば、僕が死んだって、姉さん、泣かないですむと思ったのに」
どうして憎まないのと、逆に責めているような弟の視線と声に、アズリアは瞠目する。
「なのに……ッ」
ことばを失った姉から目を逸らし、イスラが見据えるのはレックスとアティ。睨むというよりは、非難の色合いが濃く。
「どうして僕を殺してくれないんだよッ!」
「――――ッ」
たったひとつの願いさえ、どうして叶わないのかと。
「もうイヤなんだよ、僕のせいで、周りのみんなを辛い目に遭わせるのは――姉さんだって、僕さえまともなら、軍人なんかに……っ」
慟哭は深く、大きく。
誰も、何も返せないなか、彼はただ、自分を殺しうる存在に懇願していた。
「お願いします……っ」
その剣で、僕を殺して。
「殺してください――お願いだから……っ」
「……」
レックスとアティは動かない。
彼らの背後に立つ一行からは、ふたりの表情を見ることは出来なかった。が、伝わる雰囲気から近寄り難いものを感じて、誰も何も云えぬまま。アズリアは半ば放心して、呆然と弟を凝視する。
そうして。
もう、感情が抑えようのないところまで爆発してしまったのだろう。それとも、応とも否ともないことに不安を感じたのか。
「みんな、僕が悪いんだ……僕が……ッ、こんな出来損ないで、……まれた、から……っ」
深く俯いたまま、床にぱたぱたと水滴を落としながら、イスラのそれは、留まるところを知らない。
「僕は、みんなを不幸にするだけなんだよ!」
――それならば。
俺を庇って 私を庇って 失われた優しい手は 俺たちの 私たちの せいだと
あたしが彼女を連れてきたから あの人が戦いを起こして 失われたくろがねの背中は あたしのせいだと
……いうのか、おまえは。
「……あー」
いい加減。
据えかねた。
黒いマントの裾、ひらりと翻し、は、向かい合う、レックスとアティ、イスラの間に割り込んだ。
行動に移ろうとしてたふたりが、驚いた顔でこちらを見る。
「一応でも“おかあさん”だし――手、出していいかな」
そう云えば、きっとふたりは頷いてくれるだろう。そのとおり、レックスとアティは「そうだね」と頷いた。
ただし、
「僕は呪われた子供なんだ、生きてちゃいけない存在なんだよ――――!!」
そのやりとりのさなか、さらに叫ぶイスラの声が響くと同時。
「でも、俺もごめん」
レックスもまた、我慢できないとばかりにそれだけを告げて、腕を大きく振り上げた。