TOP


【望み、願い、希望、…】

- 紅、砕けて -



 おそらく、それで力の大半を出しきってしまったのだろう。
 先にイスラがその場に崩れ落ち、次いで、レックスとアティが膝をついた。
 は視線をめぐらせる。
 紅の暴君に余力がなくなったことを示すように、有象無象とわいていた亡霊たちは、いつの間にか姿を消してしまっていた。
 がら空きになった階段を駆け、レックスたちの後ろを守ってくれた一同が駆け上がってくる。
 足取りがおぼつかない者が多く、顔を見るだけでも疲労困憊してるのは丸判りだったけれど、表情は明るい――いささかの戸惑いは隠せないが。
 その理由、イスラは、随分と輝きの失せた紅の暴君片手に、のろのろと顔を持ち上げる。やってきた一同、そして眼前のレックスとアティを見て、「はっ」とひきつった声を漏らした。
 ――それは、笑おうとしたのだろうか。
「ふ……はっ」、しゃっくりのような、嗚咽のような。「あは……あはははは――」それを、笑みと云うのなら。
「なんだよ、それ」
 イスラはつぶやく。
「なんで、適格者である僕が、負けたりなんかするんだよ……ッ!!」
「……両方適格者なら、条件同じだと思うんだけど……」
「煩いッ!!」
 睨みつけるその視線にも、力というものが感じられない。
「イスラ……」
 そんな彼へ、いたましげに、アティが声をかけた。
 肩を震わせて、イスラはアティを振り返る。同時にレックスも視界に入れ、彼は、ぶるりと大きく身を震わせた。
「見るなあァァッ!!」
 きつく目を閉じ、白いままの髪を振り乱し、左の拳を床に打ちつけて。
「そんな目で――哀れんでる目で僕を見るなッ!!」
 おまえらが悪いくせに。イスラは叫ぶ。
「おまえらさえいなければ、おまえらさえ消え去ってしまえば……」
 そうしてイスラは目を見開くと、いまだ、己の右腕に存在しつづける紅に視線を落とした。
 ひくっ、と、喉が震える。

「く……っ」、

 そんなになってまで、どうして、彼は笑うのか。
「ふくくっ、ははっ、あはハはははハハハははは……ッ」
 緩慢な動作で、腕を、身体を、持ち上げる。
「――道化芝居であろうとも、僕が生きてきた日々を否定される筋合いはない……」
 そうして向かい合うイスラを、同じく立ち上がったレックスとアティは、静かに見つめていた。
 動揺さえ見せぬふたりが気に入らないのか、イスラが、ギリ、と、歯を噛みしめた。
「消えて……ッ」、それまでの鈍さが嘘のような勢いで、紅の暴君が振りかぶられる。「なくなってしまえ――――!!」
「せんせい――!」
「先生ッ!!」
 誰かが叫んだ。
 迸る光は、先ほどより強い。どこに、そんな力が残っていたのか。
 けれども、レックスとアティは静かに右腕を持ち上げた。そこにまとう果てしなき蒼が、応えるように輝きを増す。
 瞬きひとつの間に、変貌は成る。
 さっきでさえ見せなかったふたりの姿に、「ひ……っ!?」とイスラが慄いた。
 レックスが床を蹴る。
 アティが、迫る紅を受け止める。
 ふたりの手には、果てしなき蒼。
 分かたれた状態であるはずのそれらは、一本一本でもなお、揺るがぬ力を宿しているのだと証明するかのように。
「イスラ――――!」
 紅の力は二度四散し、紅の剣は初めてその身を砕かれる。

 響いたのは、ただ、硝子の割れるような、どこか呆気ない音だった。



 いつか見た光景だ。
 ただ、あの日砕けたのは碧だった。今、大きな亀裂を入れられてぱらぱらと欠片を零しているのは紅。

「あ……ッ、うああアアアぁぁあアアぁァァァッ!?」

 事態に対する驚愕にか、その身を襲う衝撃にか。
 呼気続く限りと悲鳴を迸らせるイスラの姿が、白い色彩を落とす。白は黒へ、紅も黒へ。
 魔剣によって染め上げられていたイスラの身体は、生まれ持ったそれに立ち戻る。
 それを確認したあと、レックスとアティも変貌を解いた。
「良かった……」
 イスラの様子を確認するように覗き込んで、レックスが破顔した。
「ひ……ッ!?」
 追撃を加えられると思ったのだろうか。尻をついた姿勢のまま、イスラは後ずさる。
 当然、レックスはそれを追わない。ただ、微笑んで、胸をなでおろしただけだ。
 その傍らに、アティが並ぶ。彼女も、安心したような笑みを浮かべていた。
「そうですね。ぎりぎりのところで、完全に破壊せずにすんだみたいです」
 でも、自己修復が完全に終わるまでは、本来の力を発揮することは出来ないはずですよね。
 そんなふたりのつぶやきに、固唾を飲んでいた一行の間から、ため息が零れた。もちろん、安堵を込めてだ。
 呆然とそれを見上げていたイスラは、そこでようやくことばの意味を理解したらしい。
「は、はは……っ」
 気の抜けたような声を零し、「そう、なんだ」と吐き出した。
「また、手加減したんだ? ――――は……あは、ははは……っ」
 一行の視線がイスラへ向く。
 警戒も僅かに含んだそれは、だが杞憂だった。今のそれで完全に力を使い果たしたのか、ひび割れた剣を傍らに置いたイスラは、身動きも出来ず床に座り込んだまま。
 そんな彼の前に、進み出る人影があった。
「イスラ」、アズリアは、ゆっくりと、弟の前に膝をつく。「もう――充分じゃないか」
「……姉さん」
 まるで初めて存在に気づいたのだと云いたげな、そんな表情でイスラはアズリアに焦点を合わせる。
 イスラと目を合わせたアズリアは、ひとつ大きく頷いた。
「してきたことの是非はともかく、おまえは全力で戦ってきた。……そしてこれが結果だ。意地を張るのは、もう、終わりにしよう?」
 ――お願いだから。
 最後のそれは、呼気に混じって、イスラ以外の者が聞き取ることは困難だったろう。
「……っ」
 だが、たしかに届いたはずの姉のことばを振り払うように、イスラは視線を落とす。
「イスラ……」
「隊長の気持ちを、判ってやってくれ」見ていられなくなったのか、ギャレオがその後ろから告げた。「おまえを想う、姉としての気持ちを……」
 それを最後に、幾ばくかの間が生まれた。
 イスラはいずれに応えようともしないまま俯いているし、アズリアとギャレオは、そんな彼の応答をいつまでも待つといわんばかりの構えだ。
 けれど、それも長くは続かない。
「イスラ」
 アズリアの傍らに並んで、レックスがもう一度、イスラを覗き込んだ。

「君が本当に望んでること、教えてくれないか?」

 ――そんな、ことばと共に。


←前 - TOP - 次→