「無色の派閥の連中も、意外とあっさり負けちゃったね。もう少しくらい、頑張ってくれると良かったんだけど」
「イスラ……」
高みに立ち、こちらを見下ろすイスラの表情は、よく見えない。ただ、笑みを浮かべているということくらいで――それが、そこに含まれている感情がいかなるものなのかまで、察することは難しい。
笑顔の裏には、毒めいた台詞を発するものしかないのだろうか。
いつか見せた幾つかの表情は、もう、消し去ってしまってるのだろうか。
「ま」
と、イスラは肩をすくめる。
「あの状況から立ち直った、君たちを褒めるべきかな」
「ていうか、見てたの?」
ぽつり、突っ込むを、ちらりとイスラが一瞥する。ちなみに、周囲からは呆れたような咎めるような、そんな視線が集まった。
いいじゃないか気になったんだから。
そうしているうちに、うん、と頷くイスラ。
「見てたのとは違うけど、島で起こったことは大体判るよ。――先生たちや護人たちなら、それが何故かは知ってるんじゃない?」
そのことばに、
「――核識――」
誰かが、ため息のように、吐き捨てるように、つぶやいた。
「そういうこと」
「……」
「テメエ、そこまで魔剣と……」
ヤッファが睨みあげる視線を軽く受け流し、イスラはやはり余裕の表情。
「安心してよ。そこのふたりみたいに、自我を乗っ取られたりなんかしていないから。これは間違いなく僕の意志、僕の揮う力なんだからさ?」
あからさまな揶揄に、一行の周囲にある空気が、僅かに張り詰める。
ずい、とカイルが前に出た。
「そんな余裕こいていられるかどうか、周りを見てみろや」
「いくら紅の暴君の力が強大でも、貴方ひとりに私たち全員では、分が悪いでしょう」
ふうん。そうつぶやきながら視線をめぐらせていたイスラは、ヤードのことばに応えるように、彼へと焦点を合わせる。
「……たしかにね」、嘲るような笑みを浮かべて「ザコも群れると始末に困るって、実感してるよ」
「にゃ……ッ!?」
ちょっとはしおらしくなったかと思った矢先に、これだ。気負い込んでたらしいソノラが、気の抜けた声をあげる。
それじゃメイメイさんだぞ、ソノラ。
追い打ちをかけるように、イスラの唇が持ち上がる。
「まさに」
「――数の暴力ばんざーい」
「…………」
先手をとられたイスラが、む、と眉根を寄せてを見た。云われっぱなしは癪に障るのか、心なし早口で、
「……それで? よってたかって僕を袋叩きにしてから今度こそ、力ずくで剣を奪おうってつもりなのかい?」
「袋叩き程度じゃ奪えないでしょーが、魔剣は」
「…………」
憮然としてを見るイスラの目は、こう語る。たぶん。
それはそうだけど挑発しようとしてるんだから冷静に切り返すんじゃなくってちょっとはそれらしい反応してよ。
応じて、は目で語る。
ハ。読みが甘いわ。あたしがいったい、今までどれだけ修羅場くぐってきたと思ってらっしゃる。
――まあ、威張れることでも自慢できることでもないのは、よく判ってるが。
「……」
どこか途方に暮れた顔で、ナップら子供たちもを見た。まるで親の仇と云わんばかりだった彼らの表情は、今のやりとりで気が抜けたのか、良い感じに微妙である。
そうしてその傍ら、す、と進み出た人影がふたつ。
えっと、と、やっぱしどこか気が抜けてたらしいレックスが、口火をきった。
「もう、やめないか? イスラ」
「……はあ?」
に固定していた視線を移動させて、イスラは意外そうに首をかしげた。
「このまま、貴方を負かして云うことを聞かせるなんてこと、出来ればしたくないんです。お願いです、無駄な争いはやめにしましょう」
「俺たちと一緒に、遺跡を封印してくれないか?」
「は……っ?」
まん丸になったイスラの目。何故か、はそこで目を凝らして、どうにか彼の表情を見極めようと、僅かに身を乗り出した。
どうして、そうしようと思ったか判らない。ただ、身体が動いてた。
「ははっ」
こちらの動きに気づいてるのかいないのか、ほんの数秒だけ驚きを示したイスラは、次に、声高く笑い出す。
「あははっ! あははははははははっ!」
それを聞きながら、ふと。腰に熱を感じて、背中側に固定した剣に手を当てた。
火傷する、というほどではないけれど、鞘の上から触れた白い剣は、何か訴えるように熱を帯びていた。
――それじゃあ駄目なんだよ。何も変わらない。
流れてくる。形らしい形にもならぬ、ただ、“それじゃ駄目だ”と訴える誰かの思惟。
一瞬、またあの碧かと思った。けれど、蒼が生まれた今となっては、あの光はもうないのだと思い出す。
ならばこれは誰だろう。
紅の暴君? その先にあるという、遺跡の意志?
「それってさあ……」
ことばの端々に笑みを残したまま問うイスラの声が、思考に陥りかけたの意識を引き戻す。
「まるで、自分たちが勝って当たり前って云ってるみたいじゃない?」
自惚れるなと、言外のそれへも含めて、
「ああ」
「勝ちますよ」
レックスとアティは、頷いた。
「――ッ」
強く。
自分を見据える二対の蒼に、イスラが初めてたじろぎを見せた。
アティは云う。
「みんなが教えてくれたんです。迷う必要なんてないって。誰がどう云おうと、抱いたそれが自分の本当の気持ちなら、恥じることなく、最後まで、貫くことが大切なんだって」
レックスは云う。
「だから、俺たちは君が何を云っても惑わされたりしないよ。周りの視線を気にして自分を卑下したり無理に笑顔を作ってごまかしたりも、もう、しない」
ありのままの自分の気持ち、それを、そのまま剣に込めて揮う。
だから、絶対に、負けはしないと。
強く。
云いきるふたりを見るイスラの表情が、歪んでいく。
「……そのとおりです」
嬉しげに頷くフレイズの声をかき消して、
「黙れ――――!!」
初めて、イスラは声を荒げた。
突然とも云える態度の変化に、叫びに、レックスたちはじめ全員が息を飲む。
けれども、数度粗い呼吸を繰り返したあと、イスラはそれ以上何か怒鳴るでもなく、「はは」と、また笑みを浮かべていた。
「惑わされたりしない……?」ははっ、と。抑えようもないのだと云いたげに。「惑わせてるのはどっちなのか、気づきもしないくせに……っ」
え? と。
首を傾げたのは、最前にいたレックスとアティだけじゃない。
声の届いた全員、もちろんも例外なく、その意味を問おうとした。
「イスラ」
「ありのままの自分を剣にこめて振るう、ね……」
アズリアの呼びかけは、だが、嘲りの色濃い弟のつぶやきで断ち切られる。
「なら、僕も最後まで好きにさせてもらおうじゃないかッ!!」
叫び、イスラの右腕にあった紅が、閃光を発した。
叫び。
――変えなくちゃいけない。終わりにしなくちゃいけない。
ひたすらに、ひとしおに。
切ないほどに、終わりたいのだと叫ぶ意志。
これは、誰の悲鳴なのだろう。
迸る紅が、視界を奪う。
「あっははははは! あは、はははははははははッ!」
響く哄笑は、留まるところを知らない。
光から目を庇おうと、反射的に腕を持ち上げかけ――奇襲をどこかで予感して、は、目を細めながらも懸命に周囲をすがめ見る。
それは、誰もが同じよう。
「ファリエル様……これは――!」
紅に染まる一帯、そこで展開した光景を見てが息を飲むのと同時、驚愕も露なフレイズの声。
「なんて勢い……」応えるつもりかどうか、ただ、つぶやきが零れただけかもしれないファリエルの声。「この霊気……剣の光に反応して……!?」
紅に染まる一帯、そこかしこから。
朧な姿の異形たちが、にじみ出るように湧き出していた。
オオオォォオォォォォォォ…………
聞くだけで意識を晦まされそうな、強い怨嗟で満たされた呻き。
壁に、床に、天井に。
反射し、木霊し、響き渡る、亡霊たちの咆哮。
「あややや〜っ!?」
真っ先に被害を受けてしまったマルルゥ、落下する彼女をヤッファが捕獲している。
「な、なんなんだよ……なんで、こんなに……っ!?」
「まるで、あやつを守るように……」
亡霊を間近で、しかも大量に見るのは初めてだったのだろう、驚くスバルの肩に手を添えてやりながら、ミスミが、冷静に亡霊どもの動きを看破する。
バカな、と、クノンがつぶやいた。
死後もなお、遺跡の魔力に囚われた魂。苦痛とともに彷徨いつづける亡霊。
生ある者すべてを標的とするのがそれらであるなら、イスラとて、彼らに狙われるのが当然ではないのだろうか。
ふと誰かが浮かべた疑問は、
「まったく、この島は素敵だね? そこら中に、こういった連中がうようよしててさ……」
亡霊たちによる防御壁の向こう、白く変貌したイスラによって解き明かされる。
「情操最悪だと思うんだけど」
まあ、どっかのハッスル銀髪悪魔さんなら大喜びかもしんないけど。
ぼやくの台詞は聞こえなかったかシカトしたか、イスラは、くつくつ笑いながら告げた。
「紅の暴君を使っておどかしてやったら、簡単に僕の云うことも聞いてくれたしさ」
それは、つまり。
「眠っていた奴らを、力ずくで従えたってことかよ……!?」
「――この、外道め……ッ!」
ことばの意味を悟ったヤッファとキュウマの非難も、イスラにとってはどこ吹く風か。
くつ、と、喉を鳴らして彼は嗤う。
「失礼なこと云うなよ。これこそ、僕が望んで選んだ道なのにさァ?」
あははははははははっ! ――また、哄笑。
ウオオォォォオオォォォ…… 絶えぬ怨嗟。
「――ぐッ!?」
一行の横手。
不意に迫ってきた亡霊が繰り出した剣を、標的とされたギャレオが受け止めて、小さくうめいた。
「ギャレオ!」
振り返りざま部下の安否をたしかめて、アズリアは、そのまま視線をイスラへと向ける。
「イスラ、やめるんだ! ――やめてくれ……!」
呼びかける彼女の周囲、そして佇む一行の周囲、じわじわと亡霊が距離を詰めだしていた。
それに焦りを覚えたか、アズリアは再度、声を張り上げる。
「そうまでして、おまえが叶えたいと望むものは、なんだというのだ!?」
それは、いつかレックスとアティと話したという問い。そして、いつかとも話した疑問。
姉の問いに対する弟の答えは、
「判りっこないよ、姉さんには」
――ひどく淡々とした、簡単なものだった。
「え……」
諦めきったような弟の口調に、動揺を露にするアズリア。そこに、イスラが重ねて告げる。
でもいいんだ、と。
「判ってもらえないなら、判らないそのままでいい。走ればいい、最後まで」
「イスラ……っ」
「だってもう、終着駅はすぐ目の前まできてるんだから……」
目を伏せてつぶやくイスラの視線は、アズリアと向かい合うことを避けているような節さえあった。
けれど、それは次の瞬間覆される。
「だっていうのに……ッ!」
ばっ、と、持ち上げられた視線は、真っ直ぐに、レックスとアティを貫いて。傍らの、にも注がれていた。
「……?」
「帰れって云っただろ、! 僕はもう君のことばなんて要らない、何を云っても認めたりなんかしないッ! なのにどうして、僕の前に立ち塞がるんだよッ!!」
待てコラ。
こっちの事情も心情も知らんと、何好き勝手云っとるか。
思わず階段駆け上がって脳天に踵落としをお見舞いしたい衝動にかられただったが、徐々に厚みを増していく亡霊の壁に、それを断念する。
ひとりで突破する無謀を鑑みたせいもあるが、それより先に、イスラが再び叫んだからだった。
「おまえらにしたって――」視線は、レックスとアティ。「どうしておまえらが碧の賢帝を持ったんだ、どうしておまえらみたいな偽善者が適格者になるんだよ……!」
「イスラ……!?」
血を吐くような叫びに、レックスとアティが目を見開いた。
が。
すぐに、ふたりは表情を変える。
の視界の端、見えるそれは、何かを見つけたような、輪郭朧な霞や靄をやっと形にしたような――
――波長、輝き、カタチ
木霊する。
いつか夢うつつのなかで聞いた、今は失われた碧の声。
――すべてを兼ね備えたものだけが、錠前を外すことが出来る
ああ、そうだったんだ。
レックスとアティ。ふたりは、共に、傍らに立つ自分のきょうだいを見る。
……そうだったんだね。
――同じカタチ、同じ輝きの魂……
碧と紅。
一対の魔剣。
そうだったんだね。
紅と碧。
魔剣は一対。
眠る遺跡。
意識は一つ。
継承し得るは適格者、それを選ぶ意志は――
――同じカタチ、同じ輝き
同じ。
カタチと輝きを抱く魂だからこそ、自分たちが、共に、碧の賢帝を手に出来たのなら。
ああ……そういうこと、だったんだ。
「亡霊たちよ!」
響くイスラの声。
何か、喉につかえていた異物を、すとんと飲み込んだような表情で互いを見ていたレックスとアティが、それで、はっと階上を振り返る。
オオオォォォォォォオオォォッ!
それまでよりも一際高く、怨嗟が一帯を埋め尽くす。
「この苦しみから解放されたいなら、目の前の連中を引き裂いて殺してしまえ!!」
怨嗟が。亡霊たちの悲鳴が、密度を増した。
文字通り、苦しみによってイスラの手駒と化した異形たちが、怒涛となって一行に迫る。
そこかしこで剣戟が、召喚術が、打ち交わされはじめた。
……そのさなか、
「終わらせてやる……」
亡霊たちの作る壁を挟んだ、ずっとずっと向こう。
「僕の願いを叶えるためにはもう、これ以外の方法なんて残されちゃいないんだ……ッ!」
血がにじむほどに唇を噛みしめたイスラのつぶやきは、誰に届くこともなく、戦いの喧騒に溶けて消え、
――島を。怨嗟を。彼を。すべて、終わらせるためには……
ああ。
これは、あいつの声だったのかと。
亡霊たちを迎え打つため、白い刃を露にした瞬間、いっそう強くはっきりと、響いたそれでは察した。