もう少しで整理も終わるから、というレックスの荷物が片付くのを待つこと十分とちょっと。
付け加えるなら、それから船を出発して数分後。
本当ならさっさか走っていってしまいたかったのだけれど、なんだかやけに一生懸命に頼まれてしまったこともあって、は、プニムとレックスを伴なってメイメイの店へとやってきた。
アティも呼んでくるのかと思ったら、彼女は、先日のリベンジを果たしにラトリクスへ行くのだそうだ。
誰にリベンジって――そりゃあれだ、一度目は会話らしい会話も出来なかったという、くだんの紅き手袋の引率者さんことヘイゼルさんである。
……最近、わりと別行動が多くなったな、レックスたちって。
そんなとりとめのないことを考えながら、フードをすっぽり被る。
「?」
「お母様にはいろいろとヒミツがあるのです」
「……はい。おかあさん」
いきなり何を、という疑問を見せたレックスだったが、すっぱり云いきったの台詞に、にっこり笑って頷いてくれた。
うむ、これはこれで、ある意味しあわせなのかもしれません。
フードの重石、とばかりに頭に乗っかってくるプニムが落ち着くのを待って、入口の布をめくる。
「こんにちは」
「にゃ? あらら〜、こんにちは、(仮)ちゃん、先生♪」
「かっこかりかっことじ?」
これは何かの嫌がらせか、それとも面白がっているのか。
なんとなく後者っぽい気がするが、黒頭巾ちゃんのに対する呼称をそれで固定しちゃったらしいメイメイの挨拶に、当然、は肩を落とし、レックスは首を傾げる。
そんなふたりの心境など何処吹く風よ、今日もメイメイはご機嫌だ。
「何々どしたの? 珍しい組み合わせね〜」
相性占い? 恋占い? それとも改名相談かしら?
いったい何を勘違いしたのか、頭に花の咲きそうな浮かれ調子でのたまってくれる占い師に、「いいえ」とはかぶりを振った。
「お願い、というか訊きたいことがあるんです」
「にゃふ?」
いそいそと占い道具を取り出そうとしていたメイメイが、頭上に疑問符浮かべてこちらを振り返る。手持ち無沙汰なのか、なんとなしに手を上下にゆっくり振っているのがご愛嬌。
傍らのレックスもまた、が何を問おうというのかクエスチョンマーク。
ふたりぶんの視線をフードの上から感じながら、は、“訊きたいこと”を口にした。
「メイメイさん、この手紙に見覚えは?」
ちょっとシワの寄ってしまった白い紙、くだんの手紙の二枚目を差し出す。
それを手にとったメイメイは、ざっと目を通したあと、文章を口に出してつぶやいた。
「……限りなき界廊の最奥」
表情は見えない。
けれど、少なくとも、その声から笑みは消えていた。
「んー……残念ながらぁ。“私”は見覚えないなあ」
「じゃあ、もうひとつ」
そこへ、さらにたたみかける。
「無限界廊を。この島から、開けられるんですか?」
「無限――回廊?」
僅かにニュアンスを違えて、レックスが復唱するその前で。
「……無限界廊」
彼とは逆に、明らかにその存在を知っている口ぶりで、メイメイもまた、その名を繰り返した。
無限界廊。
知る人ぞ知るというか、にしたって、自分の他には、聖王都における仲間くらいしか、その存在を知る相手に心当たりがない。
それは、いつかの戦いの当時、そしてその後も、訓練すれども実戦に恵まれないと嘆いていた一行のために、メイメイが開いてくれた場所。
聖王都にある至源の泉。そこに流れ込んでいるという四界の力と、彼女の用いる呪文のようなもので、その扉は開かれた。
今だから思うのだが、いつぞサイジェントで某サプレスのエルゴの守護者な兄ちゃんに放り込まれた空間も、そこらへんだったんじゃなかろうか。まあ、余談ではあるのだが。
そこは果て無き試練の門。
己の力が保つ限り、どこまでも続く戦いの場。
……名を、無限界廊という。
空気が、僅かに張り詰めた。
笑みを消したメイメイは、黙ってを見据えている。もまた、答えを待ってメイメイを見る。
とはいえ、すっぽり被ったフードのおかげで、見えるのは、彼女の胸から下くらいなもの。その豊かな胸が、大げさに上下した。
「んー……」
思案するような声を零しながら、メイメイの手が持ち上げられた。肘の曲げ方からするに、口元に指を当てるなりしてるのだろう。
「そっか。(仮)ちゃんが、異分子だったのね」
「え?」
紡がれた、問いとはまるきり関係なさそうなそれに、は思わず声をあげた。
「異分子? それは、どういう……たしかに、は名も無き世界からの召喚だけど――」
「ああ、違うの。召喚術がどうのこうのじゃなくって……変な意味じゃないのよ、先生。単に、便宜上ね?」
異分子の意味を出身世界の差異に位置付けたらしいレックスの、半ば抗議めいたことばに対し、メイメイは、苦笑しつつそれに応じていた。
それから、
「そっか――そうなのか。……そうだったのね――」
何やら、ひとりで納得したように、何度も何度も頷いている。
どうしたものだろか、と、とレックスは思わず顔を見合わせた。フードの下から上目遣いで見上げる誰かは、見ててちょっぴり不気味だろう。
が、レックスはメイメイへの戸惑いのほうが大きいようで、特に何をに云うでもない。
ややあって、
「そっか」
もう一度そう繰り返し、メイメイがふたりに――に向き直った。
「判ったわ。あなたが迎えに行くのね」
「……は?」、と、つぶやきかけて、手紙の内容を思い出す。「……“龍姫”がそこで待ってるんですね?」
顔を見られぬよう注意して持ち上げた視線の先には、お団子からツノののようなものを覗かせて、真摯な表情でこちらを見つめる女性の姿。
彼女は、そうして、こくりと頷いた。
「見届けに来たのですって。螺旋を止めた異分子を。……ただ、同じモノふたつは要らないから、在ってはならないから、龍姫は夢幻の最奥で幻影の言祝ぎに浸されてるの」
そのことばに、心臓が小さく跳ね上がる。
見届けに来た。異分子を。
同じモノふたつ。龍姫。
連想される答えは、――期待だった。そして、それが違っていたらという不安。
いつの間にか乾ききってしまった喉をどうにか湿らせて、は一歩前に出た。
「……開けて――無限界廊を、開けてくれますか?」
けれど、メイメイは応えない。
重ねて問おうとしたの肩に、つと、レックスの手がかかる。
「……」
何やら不安そうな声で、我に返った。
――そうだった。
レックスがいて、プニムがいて。……それにまだ、この島のことに決着がついてないことを、思い出した。
それを後押しするように、メイメイが口を開く。
「無限界廊は開けられるわ。集いの泉に四界の力がとおってるから。――でもね、さっき云った理由で、龍姫はこっち側に連れてこれない。この意味、判る?」
「……判ります」
龍姫が、の思うとおりの相手だとしたら、たぶん、そこへ辿り着いたときが――――
頷いて。
肩に乗ったままだったレックスの手に、そっと、自分のそれを重ねた。メイメイからは見えぬ角度でフードを持ち上げ、笑ってみせる。
見上げたレックスの表情は、置いていかれる子供のよう。安心させるようなの笑みに、少しだけそれが和らいだ。
「そうですね。急ぎすぎました」
だいじょうぶ。そう、心の中でつぶやく。
「今のことが決着ついたら、そのとき、またお願いにきます」
だいじょうぶ。途方もないと思われた、道への鍵が見つかった。
だいじょうぶ――それだけで、そう、きっときっと、だいじょうぶ。
「そしたら――」
「うんうん。まっかせといてちょーだいなっ♪」
頑張れ若人、メイメイさん待ってるからね、と、ご機嫌なお見送りを受けて、とレックスは来たときと同じように、ふたり、連れ立って店を後にする。
振り返っても店が見えるかどうかというところまで、無言のまま足を進めたレックスが、そこで、の頭の上に乗ったままだったプニムをそっと持ち上げた。
「ぷ」
と一声鳴いて、プニムは地面に飛び下りる。
その間に、彼の手はもう一度動き、今度はフードへ。布をつまんで、焦げ茶の髪を木漏れ日に晒す。
されるがままになっていたがレックスを見上げると、彼は、少しだけまなじりを下げて微笑んだ。
「……君が帰る方法は、いつも、普通じゃないよね」
それは、遠いあの日に姿を消した誰かさん。
「失礼な」
レックスも判っているのだろう。いや、はっきりとではなくても、今の会話で予想はついたのかもしれない。
わざとらしくぶーたれてみたものの、すぐには相好を崩した。
「だいじょうぶ。今度は、ちゃんとお別れ云うから」
それでも、と、レックスも笑った。
「寂しいものは寂しいよ。――お別れはいつだって寂しい」
それでも、と、同じことばでこちらも続ける。
「またいつか、どこかで逢える期待があるし、再会したときの嬉しさがあるよ」
「ぷ」
肩によじ登ってきたプニムが、そうそう、と頷いた。
そんなひとりと一匹を均等に視界におさめて、レックスが「かなわないなあ」と嬉しそうにぼやく。
風が梢を騒がす音が、ほんの少しだけ大きくなった――
「先生! !」
「おーい! ふたりともここにいたぞ!!」
それをかき消す喧騒、足音とともに、ナップとウィルが茂みから飛び出してきた。
「ををッ!?」
「ど、どうしたんだ!?」
咄嗟にフードに手をかけながらのけぞったの横、さしものレックスも目を丸くして、少年たちに問いかけた。
そうしてる間に、また別の方向から別の足音。
「カイルさん!?」
今日も船の修繕だ、と、大工道具担いでた陽気な海賊一家の頭領が、羽織っただけの上着を風になびかせて、四人と三匹のいる場所に駆け込んでくる。
あわや、誰かに体当たりか――そんな勢いのまま、下草と土を抉って急ブレーキ。ああ、草の命は短くて。
相当駆け回ったのだろうか、荒い息を整えるように数度呼吸を繰り返すと、カイルはおもむろに、懐から小さな笛のようなものを取り出した。それを、口に運んで吹き鳴らす。
――ピ―――イィィィィィ――――!!
呼子笛。
どこまでも響き渡っていくのだろう音色を聴いて、は、カイルの持つ笛をそう断定した。その裾、もとい黒マントを、ぐいぐいと引っ張る小さな手。
「さあ、早く行きましょう!」
「って、どこへ」
「遺跡! 喚起の門!」
何が“さあ”なのか、と、疑問符まぶしたの発言に、ナップがじれったそうに答えた。
彼が引っ張ろうとしてたレックス、そして、は同時に
「「は!?」」
と合唱。
そんなふたりの反応が、いい加減じれったくなったのだろう。
笛を懐にしまい込んだカイルが、ががしっ、と、レックスとの腕をそれぞれひっ掴む。
「いいから行くぞ! たぶん、おまえらで最後なんだからな!!」
「だから何がッ!?」
この場の腕力関係を判り易く示すならば、カイル>レックス>>ナップ≧ウィルで、たぶん間違いない。
つまるとこ、カイルに腕を掴まれたレックスとは、最初の数歩をたたら踏むようにして引きずられ、もとい、走り始めた。
その後ろを、ナップとウィルが荒っぽいカイルの行動に文句も云わずついてくる。
闖入者たちの奇行にうろたえていたふたりの思考がようやく、ことここに至って、どうにかまともに動き始めた。
慌しいカイルたち。
行く先は喚起の門。
――ならば、そう、その理由なんて、今さらひとつしかないではないか。
「カイルさん! 自分で走るから!」
云って、はカイルの腕から自分のそれを引き抜いた。
傍らでは、レックスも同じように、腕を取り返している。その反動で僅かにつんのめりながら、蒼い双眸が、キッと前方を見据えた。
「イスラ?」
「ああ」
「そう、です」
「喚起の門に姿を見せた、って、ラトリクスから報告があったんだ」
少し息を荒げながら、だが、ナップもウィルも懸命に、レックスとカイルの疾走についていく。
途切れ途切れの返答に、そうか、とレックスが頷いた。
それから、ちらり、と、気遣わしげな視線がに向けられる。
乱れた黒マントを着直していたは、それを見て少し気の抜けたらしい彼の視線に目を合わすと、にっこり、笑ってみせた。
「急ごう。今度という今度は殴ってでも、イスラの本音聞き出すつもりで」
それは、ことばどおりの意味ではない。
おそらく、いや、確実に展開されるだろう戦いをも含んで告げたの意を正確に悟り、レックスは――
「ああ。もう、本当に終わりにしないとな」
やはり、口の端を持ち上げて笑んだのだった。