――うはあ。
目を覚ますのと同時、喉を震わせたのはそんなつぶやき。いや、ぼやき?
「うーむ」
身を起こしながらうなっていると、眠りを浅くしていたらしいソノラとプニムが、「うー?」「ぷー?」と云いつつ目覚める気配。
窓から見える光景は、太陽がおはようって顔出しを始めたころだ。いつもとそう変わらない起床時間。
「、どしたの? 早いね」
「んー、ちょっと夢が」
「どんなん?」
「ぷー?」
問われ、ちょっと思考。
「……あー……なんていうか、ホームシック?」
小さい頃、のんきに生意気なこと云ってたときの夢。
そう答えるの横、やわらかな金髪をそこかしこもつれさせたソノラの頭が、ちょうど視線の正面に。
ちょっぴり寝ぼけ眼のまま、ソノラはに目を合わせ、
「そうだねぇ。いい加減、ここで暮らして長いもんね」
あたしも、そろそろ海が恋しいなーって思うこと、多くなっちゃってるし。
の肩越しに窓の外、太陽の光できらきら縁どられている海を見やり、ソノラは「でも」と付け加えた。
「アニキのほうが、もっとじりじりしてんだろーなあ」
「ぷ〜」
だろうね、と云っているのか、プニムが身体を揺らしながら頷いた。
「でもほら」、ゆらゆら揺れる青い生き物を突っついて、ぽてんとシーツに倒してみたりしながら。「何にだって終わりは来るし――まあ、終わったら終わったで、また次になにか始めるんだろうけど」
さっき見てたばかりの夢に感化されてしまったは、そんなことを云ってみる。
「なるほど」
ソノラは目をこすりながら、それに頷いてみせてくれた。
「あたしらは、たとえば海賊家業。先生たちやあいつらは、軍学校に再出発」
「あたしは、そうだなあ、家に帰る旅の再開」
そうして島の者たちもまた、穏やかな日々を過ごしていくだろうか。
もちろん、そのためには、まだ越えねばならぬでっかい山が存在している。だけど登りつづける限り、途中で休もうがくじけようが、どこかには登りつめられる。
「ぷ!」
ぽーん、と、シーツに突っ伏してじたばたしていたプニムが、起き上がりしな飛び跳ねた。
「あはははは、ごめんごめん」
よくも倒したな、そんな勢いで飛びかかってくるプニムとじゃれるに、横からソノラもちょっかい出して加わって。
ひとしきり、その部屋からは元気な笑い声が零れていたのだった。
それは、そんな他愛のない、朝のやりとり。
――そして、その日のはじまり。
朝食後のことだ。
今日は何をしようか、と、思いながら、砂浜にある船の陰にて当番である食器洗いなど終えたと同時、それを待ってたらしいレックスがを呼んだ。
「、」
「はい?」
たしか、今日は青空学校が休みだから、ここのところほったらかしにしてた道具やら荷物やらの整理をするんだ、と云ってた。
そのために、朝食後早々、ふたりして部屋に戻ったはずだけど。
運ぼうとしてた食器を、
「アタシが持って行きましょうか?」
「ぷい、ぷ!」
ありがたく云ってくれたスカーレルとプニムに預け、は、船の入口に立って手招きをつづけてるレックスへと駆け寄った。
「なんですか?」
見上げるレックスは、いつもどおり赤い上着に紺のマフラーといった恰好。わりといいお天気つづきなんですが、暑くないのだろうか。
視点の関係で、彼の口元はいつも隠れて見えない。けど、その上にある双眸は、どこか戸惑ったような感じ。
「うん、それがさ。荷物の整理してたら、これが出てきたんだ」
云いつつ、レックスが白い封筒を差し出した。
宛名も何も書いてないそれに、は見覚えがあった。
「あ。これ、メイメイさんの下僕宣言」
「そうそう」
「……で、これがどうしたんです?」
うん、とひとつ頷いて、レックスは封筒から便箋を出した。あのときと同じ、四つにきちんと折りたたまれた白い紙が――二枚?
「あれ?」
首を傾げたに、レックスが「実はさ」と、少し気まずそうに切り出した。
「薄い紙が、二枚、重なってたみたいなんだ。今日、出してまた読んでみてたら気がついたんだよ」
「ああ……たしか手紙の礼儀ってそんなでしたね」
だけども、それがいったいどうしたのだろう。
用件は一枚目にきっちりかっちり――とはお世辞にも云えぬ文体だったわけだが――記してあるわけだし、何故レックスは、そんな困った顔でそれをこちらに持ってきたのか。
はて、もしや。
「二枚目にも、何か書いてあったんですか?」
思いついてそう問うと、やはり、レックスは頷いた。
「ああ。……たぶん、これ、宛かなって思って」
「あたし?」
「うん。とにかく、読んでみてくれるかな?」
首をひねりながらも差し出される便箋を受け取り、下僕宣言の一枚目をめくる。
と、目に飛び込んできたのは、一枚目と同じように、真っ白い紙に少し薄目のインクで書かれた数行の文字。字体は――うん、たぶん同一人物だと思われる。
「えっと……?」
――白い焔の女の子へ
出だしを見て、はその場にがくりと膝をついた。
「とと、。だいじょうぶ?」
「だいじょうぶです。……あたし宛ですね、これ、どー考えても」
「……だろ?」
膝をついた姿勢から、立ち上がるのも億劫で、そのまま砂浜に腰を落とす。
レックスは、そんなを行儀が悪いと怒りもせず、自分もその場にしゃがみこんだ。
つづきを、と、促されているのを察して、は改めて便箋に目を戻し
「……え!?」
悲鳴にも似た声をひとつあげ、その勢いをもって立ち上がる。
「うわっ!?」
間近にいたとは云っても、頭突きをくらうような至近ではなく。それでも、驚いた様子でレックスがのけぞった。
、と、彼は口を開きかける。
が、それを気づかぬうちに遮って、は砂を蹴立てて走り出した。
「メイメイさんちに行ってきます!!」
――ひらり、応答を待たぬまま遠ざかっていく茶色い髪の少女の背中。それを隠すように降ってきた便箋を手にとって、レックスは「……そっか」と、小さくつぶやいた。
苦笑にも似た、だが、浮かぶ感情はどちらかというと寂しげなもの。そんな笑みを形作って、彼は便箋に目を落とす。
“白い焔の女の子へ
夢と幻の遠い果て、限りなき界廊の最奥で
紡がれる夢幻の最深で
龍姫はあなたを待っている”
発見された二枚目の便箋、今、が目にするなりかっ飛んでいく原因になった手紙には、そう書かれていた。
歌のようだとレックスは云い、謎かけじゃないかとアティは云った。
ただ判ったのは、白い焔がを示しているということだけ。だから、こうして見せてみた。……それ以前に、こういったものを内緒にしまっておくなんて、ふたりの思考にはなかったわけだが。
「……っ」
遠ざかる背中は、もはや、立ち並ぶ木々に飲み込まれようとしている。それを便箋の向こうに透かし見たレックスは、うすら寒い予感に震え、立ち上がった。
どうしてだろう。
これきり、彼女が姿を消してしまうような――そんな錯覚に、襲われたのだ。
くしゃっ、と、便箋を握りしめて、足を踏み出す。はたしかに素早いけれど、レックスにはコンパスの有利がある。全力疾走すれば、いささか開きすぎた距離だって詰められるはず。
いや、その前に、まだ声だって届くだろうから、
「――――……?」
最初の一文字目ではたしかに張り上げたはずの声量は、だが、最後の一文字目で尻すぼみ、あまつさえ疑問符さえくっついた。
何故って、まあ、ご覧のとおり。
「……マント忘れてたああぁぁぁぁっ!」
もう戻ってこないんじゃないかという錯覚を覚えたはずの背中の主が、さっきと変わらぬ勢いで、忘れ物とりに戻ってきたからだったりした。
それを見て目を点にしたレックスは、その後どうしたかというと、先ほどのかくやのありさまで、ぺったりと砂浜に脱力したのである。
まあ、あれだ。
曰く、嫌な予感ほどよく外れるしよく当たる、と、そんなところなんだろう。