そうして、アズリアと別れ、船に戻る。
時刻としては、正午をいささかまわって……そう、優雅なおうちならば午後のティータイムっていう時間帯だろう。木々の向こうに見える太陽の角度から、適当に見当をつけた。
さて、昼ご飯はちゃんと残してくれているだろうか。歩きしな、手近になってた果物を適当に放り込んだりはしてみたから、切羽詰って空腹というわけではないけれど。
かっこつけだとか暑苦しいとか邪魔にならないのかとか散々云われても、ここんところ肌身はなさずまとっている黒マント、その裾を木々にひっかけないよう気をつけながら、林を歩く。
逢う人逢う人、そのいでたちに何か云いたそうな顔をしてるのは知ってるけれど、数日これでとおしていたら、もうみんな慣れてくれたらしい。
――なにしろ、まだ、顔見せちゃならんひとがいるわけだし。
ヘイゼル、メイメイ、……それからジャキーニ。
いずれも、こんな時間に落ちてくるなんて知らなかったころの“”が初対面だった相手だ。
この島でのコトが終われば聖王都に行けるから、それまで用心。
船の修理も順調だし、うまく行けばあと半月もせずに出航できるだろうとのこと。いや、もちろん、全部が終わるのが大前提だけどね。
「ん?」
立ち並ぶ木々の向こうに、修繕中の船が見えだしたときだった。
潮風に混じって漂ってくるにおいに気づき、は、くん、と鼻をならす。
食欲をそそる、いいにおいだ。
程よい焦げや香ばしさ、そんな感じ。しかも、ちょっぴり懐かしい。
それに誘われるようにして、足を速める。翻るままだったマントを持ち上げて、小走りに。
船に近づくにつれて、においはだんだん強くなった。やはり、出所はこちらで間違いなさそうだ。
なんだろう?
首を傾げて、いざ林から砂浜へ
「――――!」
踏み出そうとした己の足は、だが、急停止。
「もっと気合入れてひっくり返さんかい!」
この晴れ舞台のため、ワシらは汗と涙の特訓を越えてきたんじゃろうが!!
「へい、船長!!」
……と、実に威勢の良いやりとりを交わす、素で逢っちゃならねえとついさっき思ったばかりのヒゲ船長がいたからである。
うわあああああ。
砂浜には、船の修繕に勤しんでたカイルたち、学校終わってたらしい子供たち、修繕の手伝いに来てたんだろう集落の人たち、おまけにスバルやパナシェ、ゲンジまでいる。
いくらジャキーニに顔見られちゃ駄目だからって、あの一行の前に黒頭巾で出て行ったら、水臭いとかいってはぎとられそうだ。それは困る。
……けど。
漂ってくるにおい、すごく、すごく、おいしそうなんですけど!
茂み隔てた先に黒頭巾ちゃんがいるとは気づかぬ砂浜の一行は、実に楽しそうに、においの源だろうなにかを食していた。
漏れ聞こえる会話を聞くに、どうやら、オウキーニの新作料理らしい。
わいわい、がやがや、実に楽しそう。
――ぐきゅー。
存在を主張する胃袋を、思わず手でおさえたとき、
「あ! 先生!」
と、元気なナップの声。
「課題の採点終わったんですか?」
「あ、うん。だいたいね。……それより」、
「さっきから賑やかで、おいしそうなにおいがして、気になってしょうがなくなっちゃいました」
「もう、先生ったら」
顔を見合わせて笑ったらしい子供たちの声が、風に乗って流れてくる。ついでとばかりに、
「はいな! 追加焼きあがったでえ!」
というオウキーニの声、同時に、さらに濃くなる何ぞのにおい。
直後、きゃーっ! という甲高い歓声。誰の声かと思ったらスカーレルだった。うーむ、元々の声が高めなのだな、あの人。いまさらだが。待ってました、と、嬉しそうに、彼はオウキーニから“焼きあがった追加”を受け取ってるようだ。
果たして自分たちにまわってくる分残ってるのか、と、ちょっぴし不安そうなレックスとアティのやりとりも。
だが、先生たちが周囲の喧騒に飲み込まれてるうちに、子供たちがさっさと“追加”をとってきて渡す。
「はい」
「あ、ありがとう」
「いただきます」
そんな、ふたりの声が聞こえると同時だった。
――――ひた、と、さわがしかった声がやむ。いや、そこかしこで雑談は続いてるようなんだけど、一際大きかったカイルやオウキーニの声がしなくなった。
「おいしい!」
「うわ、本当にカリカリでトロトロ……!」
それを補うように、一口目を味わったらしいアティとレックスの歓声。
「そうか、うまいか?」
確認するように問いかけるカイルの声は、なんだか笑みを含んでいた。
けれど、問われた側はそれに気づいてないようだ。
「ああ、すごくおいしいよ。熱々で、このまるい生地のなかに、旨味がたっぷり詰まってて」
「だろうなあ」
「それに、この、中の具がまた――不思議な歯ごたえが、後をひく感じで……」
「ほうほう、歯ごたえがなあ……」
相槌を打つゲンジも、なんだか楽しそうだ。
それに被さって、子供たちがクスクス笑う声もする。初めて味わう味覚のはずですものね、と、これはベルフラウか。
「――それで、このお料理、なんて名前なんですか?」
ご機嫌なまま、アティが周囲の誰にともなく問いかけた。
そして数える一、二、三拍。
これをこそ待ってましたとばかりに、オウキーニが高らかに宣言した。
「“たこ焼き”や!」
「へえ、タコ……」
「……たこ……?」
……
そして数える一、二、三、四、五拍。
「ええええぇぇぇぇぇぇええぇぇっ!?」
「たこ!? タコってあの!?」
砂浜に響くは、レックスとアティの絶叫。
「ええ。タコなんですよ」
あまり感情を露にしないヤードのいらえさえ、湧き起こる笑みを隠せずにいるようだ。
「おまえらが云ってた、赤くてふにゃっとしてるアレのことさ」
カイルに至っては云うまでもなく、最初は食わず嫌いしてた子供たちでさえ、
「な。食べてみるとおいしいだろ?」
「私もびっくりしたんですよ」
「これなら、いくらでも食べられそうだよね」
と、大絶賛。
「ふふ。意外とイケたでしょう」
いつだったか、彼らのなかで唯一活け造りを食した経験のあるベルフラウが、満足そうに云っている。
そうして、そんな彼ら以上に喜色満面のオウキーニが、レックスとアティに問いかけた。
「どや? 食うてみたら、そんなに悪いもんでもあらへんかったやろ?」
顔を見合わせるくらいの間が空いて、そうですね、と、ふたりは頷いた。
「食わず嫌いだったことは、素直に認めないとなあ」
「ですね。こうして、食べてみておいしかったのは事実ですし」
それにしても、あのタコが……と、しげしげと眺めなおしてるっぽい先生たちの前で、
「よっしゃ!」
と、オウキーニが握りこぶしをつくったようだ。
「これでようやく、タコの名誉を挽回できましたでぇ!」
「あんたのおかげだな、ジイさん」
「なあに。ワシも久々に、故郷の料理を食わせてもらえたわ」
どうやら、タコ焼きを伝授したのはゲンジらしい。……なるほど、どうりで懐かしいにおいなわけだ。
わっはっはっは! とかなんとか、高らかに朗らかに笑いあう彼らの声を耳に、は茂みのこっち側で膝抱えて、虚ろに宙を見上げていた。
……たこ焼き、食べたかったなあ……
それから、ふと、首をひねる。
たしか、ファナンの街で、トリスたちと一緒にお祭りへ繰り出した日、たこ焼き食べたことがあるのを思い出したのだ。
……まさか、あれも、ここから伝わったとかいうんじゃなかろうな?
賑やかな砂浜の声に後ろ髪ひかれつつ、こっそりとその場を後にしたがほとぼり冷めたころ船に戻り、取りおいてくれてたたこ焼きを見て感涙にむせぶのは、もう少しだけ後の、そして別の話。
時間が経って冷えてはいたけれど、とてもおいしかったことだけは、記しておこう。