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【そしてひととき骨休め】

- 紅い魔剣の使い手のこと -



 そんなふうに、風雷の郷をひとしきり騒がせて、気づけば太陽はもう中天。
 船に戻って昼食にしよう、と、レックス共々林のなかを歩いていると、横手にある木々の先からも、足音がひとつ近づいてきた。
「誰?」
 特に警戒した様子もなく、レックスが誰何する。
 無色の派閥の暗殺者は足音なんて立てないし、オルドレイクやイスラなら、もちょっと挑発するなり先手打つなりするはずだ。
 そうしてそのとおり、
「レックスか?」
 という声とともに茂みを抜けてきたのは、ぱりっとした将校服に身を包んだアズリアだった。
 いつぞ血まみれ泥まみれになったあの服は、クノンがきれいにしたものだ。いったいどういう手段を使ったのか知らないが、渡されたアズリアとギャレオは、新品同様だと驚いていたそうだ。
 そうして進み出てきたアズリアは、声を発したレックスの傍らに立つとプニムに目を止めると、
もいたのか」
 少し驚いた顔で、そう云った。
「?」
 驚かれる理由が判らないの頭上には、当然疑問符が浮かぶ。
 が、アズリアの表情にあった驚きは、それとほぼ同時に消える。そうして次に出てきたのは、
「ちょうどよかった。時間はあるか?」
 という、心なし和らいだ顔と声での、に対する問いかけ。
「時間?」
「ああ。その……ちょっと、話がしたいんだ。あの子のことで」
「――時間あります。ばっちり。夕方までどんとこいです」
 アズリアの云う“あの子”が誰を指すか、この場の全員、知っている。
 申し訳なさそうに、ことばを探すように、慎重に告げられた彼女のことばへ、は間をおかず即答した。
「……。お昼は?」
 そんなを苦笑して見下ろし、レックスが云う。
 と。
 問われた本人が応じるより先に、アズリアが心なしあわてた様子で割って入った。
「あ――食事がまだなら、その後でも構わないぞ。特に急ぐわけでもないからな」
「アズリアさんは?」
「ギャレオが戻ったから、早いが済ませてきた。……いや、特におまえを探していたわけじゃないんだ、ただ偶然で、だが、話すならおまえがいいだろうなと思ったから」
 戻った、というのは、風雷の郷につくったというビジュの墓からだろうか。
 問われてもいないことまでさっさか答える――どことなしうろたえてるように見える――アズリアから、レックスへ視線を戻し、は頷いた。
「そのへんで、適当に果物でもとって食べますよ。よかったら、少し残しといてくれますか?」
「ああ、判ったよ」
「い――いいのか?」
 レックスとのやりとりで、逆に、アズリアが申し訳なさそうにつぶやいた。
「お構いなく。サバイバルなら慣れてます」
 ええそりゃもう、野草まで煮込んで食べたことさえありますから。
 胸を張ってそう云うと、今度はレックスとアズリアが顔を見合わせ、
「……どういう生活してたんだい、
「いっそ帝国軍に勧誘される気はないか?」
 と、真顔で詰め寄ってきたのであった。
 前者はともかく、後者は丁重にお断りいたしましたけれども。



 ともあれ、出来るなら人のこなさそうなところ、とアズリアに希望され、プニムをレックスと一緒に船に帰したが彼女共々到着したのは、島の中央こと集いの泉。
 島で巻き起こっている喧騒など知らぬげに、今日も水面は穏やか。風が時折表面を薙いでいく程度。
 聞こえるのは梢がさらさら揺れる音、ふたりが下草を踏みしだく音。後者のそれは、泉中央にある浮島への通路に差し掛かった時点で、硬質なものへと変わる。
 そうして浮島で足を止め、とアズリアは向かい合った。
「イスラの話って何ですか?」
 前置きも惜しいとばかり口火を切ると、アズリアは、少し視線を彷徨わせた。ことばを探し当てるまでに数秒、それからに目を戻す。
「先日……魔剣が砕けた戦いのとき、おまえはイスラに連れ去られたな」
「あ、――はい」
 誰も突っ込まないのが不思議だが、っていうか忘れてるのか気にしてないのか。
 当人ですら、云われるまで思考の隅に置いてた事実を引っ張り出したアズリアは、小さく頷いてことばを続ける。
「そのとき、……その。何か話したか?」
「……今後の動きどうのっていうのは、なかったですけど。まあ、なんというか、実のある話はしてないです」
 単にビジュを弔ったくらいだ。後は、ふたりして師匠に拉致られただけ。
 その後は眠りこけてたし……師匠なら、先に目を覚ましたイスラと何か会話したかもしれないが、は何も聞いてないし、師匠も何も云ってない。
 以上を鑑みて簡潔に応じると、「そうか」と目に見えて落胆するアズリア。
 だが、
「あ、でも」
 とあることを思い出したのつぶやきに、がばっ、と、落としていた顔を跳ね上げた。
「なんだ!? 何か――何か云っていたのか!?」
 今にも襟首掴み上げんばかりの勢いに、は数歩後退。背中に当たるは円筒の柱。
「い、いえ。ちょっと、あたし行方不明の間マネマネ師匠のとこで体力回復のために寝てまして。そのとき師匠と、イスラのこと話してて」
「……マネマネ師匠?」
 どうやら、その名は初めて聞くらしい。
 眉根を寄せたアズリアに、「狭間の領域で人の姿を真似しておちょくる愉快な黒髪の幽霊です」と簡潔極まりない説明の後、
「師匠とイスラ、前に逢ってるんですよ。――その、嘘記憶喪失のときに島めぐりで」
 これは嘘じゃない。
 まだいぶかしげにしているアズリアに、「つまり師匠とイスラは顔見知りなんです」と付け加えた。
「で――まあ。師匠がね、云ってたんです。イスラの見ているものは、あたしには絶対に見えないだろう、って。でもあたしの見てるものはイスラにも見えてるんだって」
「見えなくて、見えている?」
「あたしにもよく判りません。ただ――師匠は、だから、イスラはあたしと友達でいるんだろうって云ってました」
「……」
 見守るの目の前で、アズリアの眉間にどんどんシワが寄って行く。うーむ、二十歳過ぎたらお肌の曲がり角とかいうが、あんまりしかめっ面してるとそのまま顔が固まっちゃうぞ?
 ふたりとも何も云わぬ時間が、数分ほど経過したろうか。
 唐突にアズリアが、
「友達か」
 と、つぶやいた。
「考えてみたら、あの子にとっては、おまえが初めての友達なんだな」
 生まれたときから呪いに苛まれ、ずっとベッドの上だったイスラ。外に出たくとも出られず、同年代の子が道端ではしゃいでるそれを、羨ましそうに聞いていたこともあった、と、アズリアは小さな声で教えてくれる。
 ……外に出るどころか、自分で起き上がることさえも危うい暮らしを、イスラはずっと続けてきていた。
「そうだな……」
 ぽつり、アズリアは云う。
「それが一転して、あんな強大な力を手に入れたのだ。――力に溺れてしまったとしても、やはり、おかしくはないのかもしれない」
 むしろその方が納得出来る、とでも云いたげな彼女の台詞に、は、む、と顔をしかめた。
「溺れるって、そんな」
「だが、他に考えようがないと思うのだ」
 気づけば、アズリアの視線はではなく、足元に出来た己の影を見つめていた。
「自分を呪った無色の派閥、そのきっかけになったレヴィノス家、あの子の居場所を奪った私――何もかも壊してしまうのが、あの子の望みなのだろうと」
 弱々しい彼女の声に、ますます、むっとしてしまう。
 眉間が固まろうが知ったことかい、とばかり、は一歩、アズリアに向けて踏み出した。
「それ、おかしいと思います」
「――え?」
「本気で壊すつもりなら、今までだって機会あったはずです。奇襲してきた夜や、レックスさんたちが打ちひしがれてた間や……第一、ずっと紅の暴君を持ってたなら、最初から問答無用でぶち壊しに走ってもよかったはずだと思いませんか?」
 云いながら、ああ、そうだと自分でも思った。
 あの起き抜けに、マネマネ師匠とも話した。遺跡で、亡霊に囲まれてまどろんでた間も思った。
 そうだ。
 いつだって、イスラは文字通り何もかも壊すことが出来たはずだ。なのに、それをしなかった。
 中途半端に手を出しては引っ込めて、次にはもう少し強くして、けど引っ込めて、その繰り返し。まるで、レックスとアティに合わせて力加減しているみたいに。
 絶対の好機は幾つでもあったのに、それをすべて知らぬ振りして。
 けど、それは何のために。
 ただ、その意図だけが見えない。
「……そうだ、うん。やっぱり、あたし、違うと思う」
 見えないまでも、判ることはあって――いや、感じる何かまでも否定することが出来ないだけだとしても。
 手のひらを握りしめて云うを、アズリアは、少し呆然とした表情で見つめていたけれど、ふと、
「おまえも、そうなのだな」
 と、相好を崩した。
「……へ?」
 思いもかけぬことばに驚いて、いつしか手元に落としていた視線を戻すと、穏やかに口元を持ち上げているアズリアが見えた。――まだどこか戸惑いはあるけれど、でも、それは笑み。
「先日――無色の派閥を退けてから翌日だな。レックスとアティの立会いで、護人の皆にイスラのことを話したんだ。……そのときに、奴らも似たようなことを云っていた」
 けじめをつけるため、というのだろうか。
 が船でなまけている間に、アズリアは、紅の暴君の継承者であるイスラ・レヴィノスについて、護人たちに語ったというのだ。
 その際出たのが、呪いを抑えるために剣を欲していたがそれが果たされた今新しい欲が出た、いやさ遺跡の意志に操られた、など推測憶測飛び交ったらしい。
 で、そのときも、アズリアは似たようなことを云ったというのだ。
 曰く、病魔に冒されて奪われた自由を奪取した上に強大な力を得た今、それに酔いしれているのではないかと。
「……だが、レックスとアティはそれを否定した。今、おまえが云ったのと同じようなことを挙げてな」
 それに頷きはしたものの、だからといってイスラの考えが判るようになったわけでもない。むしろ、新たな矛盾を提示されて、余計混乱してしまったのがアズリアの本音。
 で、どうしたものかと徒然に考えていて、そういえばイスラと最後に接触したのはではなかったかと思っていた矢先、先ほどの遭遇に至ったとか。
「……アズリアさんって」
 ぽつり、はつぶやいた。
「イスラのことになると、弱気というか弟想いが過ぎるというか……甘いですね」
 実に正直かつ失礼な本音だったが、アズリアは「そうだな」と苦笑する。
 庇ってやらねばならない弟は幻影だったと云われはしたが、それでも、あの子のことを考えるとどうしても、と。
「やはり似ているな、おまえたちは」
 そんな経緯を告げた後、何故かしみじみとした調子でアズリアは云った。
「……そうですか?」
「ああ。前にも増して似てきている。……本当に、兄弟ではないのか?」
「あはは、あたしは一人っ子ですから」
 笑って躱して、
「ん?」
 と、ふとした引っ掛かりが、ひとつ。
 急に首を傾げたを、アズリアが「どうした?」と覗き込む。
「ああ、いや……ちょっと」
 そう告げた後、今度はのほうからアズリアを凝視した。
「ねえ、アズリアさん。これってあたしの主観かもしれないんですけど」
 前置きして、
「似てるって云えば、レックスさんたちとイスラのほうが、似てません?」
 問いかける。
 それは、アズリアにとっては予想外な台詞だったろうか。彼女は僅かに瞠目すると、そのまま腕を組んで考え込んでしまった。
 待つことしばし、ちょうど、泉のほとりから飛び立った鳥が木々の向こうに消えるころ、アズリアは腕組みを解いた。
「外見、ではないな。――いつも笑っているところか?」
「そうそう。そうです」
 さすが元友人にして現好敵手、かつ姉。の云わんとするところを、あっさり看破してみせる。
 それどころか、
「……そうだな。あの子はいつも、見舞いに行く私に心配させまいと、懸命に笑顔を浮かべていた」
 “僕は大丈夫。だから姉さん、泣かないで”
 苦しそうな弟を見て、その痛みを代われればいいと思った。何の手助けもしてやれない自分が悔しくて、情けなかった。
 ただ弟の手を握り締めて涙するしかない、まだ少女だったころのアズリアを、逆にイスラがそんなふうに慰めていたのだと。
 聞いて。
「…………」
 沈黙するに、気づいていないのだろう。アズリアは、ことばを続ける。
「そうだな……そう云われると、昔も今も、病魔が蠢いているとき以外で思い出せるあの子の表情は、笑顔ばかりだ。救いは、今のそれがせめて苦しそうではないことか……」
 半ば独り言めいたそれは、そよぐ風に乗っての耳朶を軽く打つ。
「――いったい、どこで、あの子は変わってしまったのか」
 あえて挙げるならば、オルドレイクがイスラに目をつけたというときだろうか。
 云おうと思えば云えた推測を、だが、は形にせぬまま飲み込んだ。

 ――泣かないで。

 アズリアのつぶやいた、幼いイスラが彼女に告げていたということばが、ぐるぐると頭のなかで渦を巻く。
 “泣かないで”そう云うのは、泣いて欲しくないから。
 病魔に苛まれて苦しかったろうに笑っていたというのは、きっと、アズリアを安心させたかったから。
 ……今ならともかく、いつか治ると信じてたらしい幼いイスラに、そんな芝居が出来たとも思い難い。ってゆーか思いたくない。

 “諦めなければ、すべてが叶うの?”

 ふと、連鎖的に思い出す。
 初めて逢ったあの日、イスラが強い口調で放った問い。

 諦めなければすべて叶うのか、なんでも出来るのか。
 自分にはどうしようもないもので押さえつけられていても、諦めなければどうにかなったというのか。

 ……諦めたから、イスラは、無色の派閥に身を寄せたのだろうか。
 いや、でも、それなら諦めたなんて表現は出ないはずだ。だって、諦めなかったからこそ呪いを解くために転身したのだ。
「――――」
 引っかかる。
 それじゃあ、イスラは、いったい何を“諦めた”のか。
?」
 ……考えろ。
 もう少しで、引っかかりに手が届きそうな、そんな感覚。

 考えろ、あたし。
 諦めた結果が、今のイスラの立場だっていうのなら、それを逆に見ていけばいい。

 強い力を手にしたイスラ。
 家も、姉も、派閥さえも裏切ったイスラ。
 独りになったイスラ。

 病魔の呪いを抑え、無敵といってもいい存在になったイスラ。

……?」

 常ならぬ力の反対は、日常。それを諦めた。
 最初に裏切ったのは家と姉。手放さなければ傍らに。それも捨てた。
 独りの逆は、孤独でないという、とは一概には云えないけど。それも、諦めた?

 病魔の呪いを抑えなければ、苦しみは永劫に続く。それを――?
 魔剣を手にしていなければ、苦しみも終わることはない。それもまた――?

「違う」
?」

 アズリアの呼びかけには気づいていた。
 けれど、は邪険に手を振って、それを退ける。
 相手が相手なら、気分を害されても文句の云えないあしらいだ。けれど、アズリアは辛抱強かった。
 少しだけ驚いた顔をした後は、ただ、黙ってを見守っている。

 警鐘だ。
 心のどこかが、たぶん第六感と云われる部分が、警鐘を鳴らしてる。かんかん、かんかん、ひどく煩い。

 イスラが諦めたもの。
 それが、師匠の云ってた“坊に見えてた、の見てるもの”ってことじゃなかろうか。
 それじゃ、あたしの見てるものって何だろう。
 物理的に、見えてるものじゃないと思う。
 源、って師匠は云ってたし。
 世界の力? そんなわけないな、たしかにみんな知ってるけど、知覚してるわけじゃないんだから。

 ……イスラが諦めたもの。
 ――あたしが諦めないもの?

 元の時間に帰る……じゃないか。イスラ、この時代のひとだし。

 イスラが目を背けたもの。
 あたしが見てるもの。

 なんだろう、それは。

 イスラが見てるもの。
 あたしに見えないもの。

 どんなものなのか、それは。

 それを見つけられたら、イスラの行動の矛盾も、理由も、判る気がするというのに――
「……ダメだ」
 思考していた時間は、果たしてどれくらいだったろう。
 がくりと肩を落としたを見て、アズリアが、いつしか強張っていたらしい身体の力を抜いた。
「何を考えていたのだ?」
「イスラが、何を考えてるのかな、って……」
 思ったんですけど。
「ダメでした。手がかりはいくつかあるはずなのに、形にならない。イスラが笑う理由って、何かを隠してるんだろうけど、それが何か判らない」
 ある意味、レックスやアティより難しい。
 そう結んだを見るアズリアの目は、ほんの少しだけ見開かれていた。それから、彼女は小さく頷く。
「……そうだな。私にも、判らない。あの子が今、何を考えているのか」
 姉だというのに。不甲斐ないとばかり紡がれた声は、アズリアの切なる胸の内。
 ふたりの気分を表すかのように、ゆっくり、重みを増す空気。
 それを断ち切ろうと思ったわけではないけれど、は、普段より大きめな声でアズリアに云った。
「やっぱり、イスラ当人に突っ込まないとだめですね。――アズリアさん、それまで考えるのやめましょう、でないと、頭がくんずほぐれつです」
 云ってる途中、もしや怒られるかと思わなくもなかったが、帝国海戦隊第六部隊隊長さんは意外にも表情を和らげて、
「……そうだな」
 と、同意してくれたのであった。
 やっぱり、レックスとアティはおまえに似ている、と、ちょっぴし順序が逆じゃないかい、ってな感想までつけてくれて。


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