ともあれ、がヘイゼルに面会できなくなったことだけは、揺るがしようのない事実だったわけだ。
だもので、予定変更。
船に戻るというアティ、スカーレルと別れ、ラトリクスを辞したがやってきたのは、狭間の領域。
いや、こないだマネマネ師匠にさんざん無理させちゃったしね。しばらく養生するって云ってたし、そろそろ様子はどうかな、って思ったわけですよ。
もしヘイゼルにも面会出来てたら、今日はお見舞いだらけの一日になったろう。一人減ったおかげで時間短縮されて、午後からの予定だった師匠訪問が午前になっちゃったけど。
「……ありゃ?」
そんなこんなで訪れた双子水晶には、だが、誰もいなかった。
てっきりここでうだってると思ったんだけど、と、ポワソ一匹漂ってない無人の空間を見て、腕を組むこと数秒。
「フレイズさんに訊いてみようか」
「ぷー!」
方向の関係から、後で行こうと思っていた瞑想の祠へ向かう旨お伺いをたてると、プニムは一鳴き。
そのまま祠へ進むかと思いきや、
「へ?」
青いちびっこが駆けていくのは、これまた別の方向。
「ちょ、プニム、そっち違うって」
もあわてて、その背を追って走り出す。
不思議な色合いの下草を踏み、木々の間を抜けて、走ること数分もあったろうか。不意に開けた場所に出て、は足を止めた。
「――泉?」
しん、とした空間。波ひとつ立てずにたゆたう澄み渡った水は、鏡のような雰囲気さえある。
「ぷ!」
その足元で、プニムが鳴いた。
呼気にほぼ等しかったのつぶやきとは逆に、プニムの鳴き声は、それなりの距離、大気を震わせたらしい。
少し奥まったところにある岩場にいた人影がみっつ、声に気づいて発信元こととプニムのいるほうを振り返る。
「あ、さん」
ふわり、微笑む銀髪の少女。
「おや、こんにちは」
「ようここが判ったのう」
にっこり笑う金髪さん、にかっと笑う黒髪さん。
――あ、よかった。マネマネ師匠、元気そう。
しかしプニムってば、よく気づいたなあ。さすが野生の勘?
おいでおいでとの手招きに甘え、とプニムは彼らのいる岩場へと移動した。
「こんにちは、ファリエルさん、フレイズさん。――師匠、もう身体のほうは?」
「ぷ〜?」
「ん? 元気元気。心配してくれてたのか、ありがとな」
挨拶につづけた問いに、師匠は破顔してそう云ってくれた。
うん、輪郭が薄れてるわけでもないし、笑みも以前と同じ。よかった。
とプニムは、同時に胸をなでおろす。
それから、
「三人そろって、こんなところで何してるんです?」
と、問いかけた。
「ああ……」
同じ方向に首を傾げたをプニムを微笑ましく眺めて、フレイズが口を開く。
「帝国軍の問題が解決し、無色の派閥もどうにか撤退させられて、少し気持ちにゆとりも出来たことですし……他愛のない話をしていたんですよ」
「ま、俗に云う世間話っつーヤツじゃな」
「正確には物語なんですけどね?」
フレイズから師匠からファリエルから、二転三転。
三人ともが笑顔で告げるそれが少し気になって、どんなことを話していたのか訊いてみる。
と、
「天使たちに伝わる、昔のリィンバウムのいろいろなお話なんです」
たとえば、白い守護者の物語、エルゴの王の伝説――
指折り数えて挙げるファリエルの例示、最初のひとつめで思わず硬直しかけちゃったのはヒミツだ。
だが、そうは問屋が卸さない。
「……忘れていましたね、そういえば」
ふと表情を改めて、フレイズがに迫ってきた。
「あの白い焔。剣。結局聞かずじまいになっていたように思うのですが」
「あははははは、そういえばそうですね」
うーむ、今さらどんな顔して説明すればいいんだ。
とか悩んだのも一瞬、「フレイズったら」と苦笑混じりに、ファリエルが、ふたりの間に割って入る。
「急がなくてもいいじゃない。今度、みんなが揃ったときに聞きましょう? その方がさんも手間じゃないでしょうし」
その横に、もうひとりファリエルが並ぶ。
「ソウヨ、ソウシマショ――ウヲヲッ!?」
後発のファリエル――ちなみに髪は夜明けの空に似た紫で、衣装は黒基調の色合いといった反転っぷりだ――が、予備動作さえなしに抜いて突きつけられた剣の切っ先に、外見からは似合わぬ悲鳴をあげて、のけぞった。
はらりと舞い、落ちる、紫の髪一房。
「……ちっ」
こらフレイズさん、人にはああ云っといて舌打ちするな、ってか今本気で狙わなかったか。
即座に黒髪さんに戻ったマネマネ師匠、そんな弟へ盛大なブーイング。
「こらフレイズ! おまえ、兄になんつう真似しくさるかっ!」
フレイズ、答えて曰く、
「ファリエル様への忠誠は、貴方に対する毛ほどの敬愛より、遥かに勝ります!」
「「うっわ、ひど。」」「ぷー」
迷いもせぬ即答とその内容に、と師匠、プニム、合唱。
「ふむ。まあそれはそれとして」
「「早ッ!」」
そして、これ以上追及すると分が悪いと察したらしい師匠の強引グな話題転換に、今度はとフレイズが合唱した。
ある意味漫才めいた金髪黒髪天使コンビと人間一名、プニム一匹のやりとりをぽかんと見ていたファリエルが、とうとう「あはははっ」と笑い出す。
軽やかな笑い声に三人と一匹が視線を戻すと、銀の少女は目じりに涙さえ浮かべていた。
「た……楽しい。フレイズって、こんな楽しい性格だったんだ」
「どういう意味ですか、ファリエル様!? 私はいつでも貴女と集落のことを一番に考えて……!」
「あは、はは、あはははは……っ、だめ、これ以上笑わせないで。あはははははっ」
「ファリエル様……!」
そんな主従を眺めていた師匠が、ぽつりと一言。
「そーいや、ファリエルやの年代って、“箸が転げてもおかしい年頃”って云うんだっけかのう?」
と、己の傍らで、やはり腹をおさえて吹き出すのを必死にこらえているをちらりと見、そうつぶやいたのである。
――話を戻そう。
箸が転げなくてもおかしかった少女ふたりが笑いをおさめた後、一行は改めて岩場に落ち着いた。
フレイズがどことなく傷ついた表情で膝を抱えているのが、なんかいじけてるみたいでかわいい。いや、実際いじけてるんだろうけど。
普段なら、こんなおちょくりポイントを師匠は見逃さないんだろうけど、今つつくときっとガルマザリア喚ばれそうだと悟ったのだろう、あえて何も云わないでいるようだ。
まだ目じりに少し残ってる涙を拭ったファリエルが、「それでですね」と口を開く。
「どうしてそんな話をしてたかっていうとですね、サプレスとリィンバウムでは、伝わる物語が同じでも、少しずつ違いがあって面白いからなんですよ」
「へえ、そうなんですか?」
興味津々相槌を打つと、ようやっと立ち直ったらしいフレイズが、ええ、と頷いた。
「そうですね……有名なものでいうと、こちらの世界でいう豊穣の天使の物語など、いい例かもしれません」
「……はい?」
豊穣の天使って、あれか。アルミネか。つまるところ、うちのアメルさんか。
一瞬にして発生し消え去っていったの思考など知らぬフレイズは、こちらの浮かべた疑問符を、先の催促ととったらしい。
「ファリエル様から以前聞いたことがあるのですが、なんでも、こちらでは、彼女は悪魔との戦いで最後まで人間に味方したと伝わっているとか」
「……え……あ、――えぇと……そ、そうみたい、ですね」
「ぷー?」
やけにしどもどになって応じるを、プニムが不思議そうに突っついた。
さもありなん。
その物語が、実は都合のいい部分だけ都合のいいように脚色されたものであることを、は知ってる。
召喚兵器――ゲイル。
遠く聖王国、禁忌の森に眠る、クレスメントとライルの生み出した忌まわしき遺跡。そこで垣間見た映像、“召喚兵器アルミネ”。
まつわる、大きな戦い。
マグナ、トリス、ネスティ、アメル。
彼らを縛りつづけた、深いくびき――――
「ところがな」、
師匠の声に、はっと意識を戻す。
「サプレスじゃ、アルミネは罪人とされているんじゃよ」
「――」、飲み込んで理解するまでに数秒。「罪人ー!?」
俯き加減にしていた顔をがばっと跳ね上げると、その勢いに気圧されたらしい他ご一同が、思わずのけぞっているところだった。
「な、なんで罪人!? むしろ被害者なのでは!?」
もはや、自分の存在する時間と体験した時間の前後など、関係ない。
あわくってマネマネ師匠に迫ると、「どうどう」と諌められてしまった。
の剣幕を呆気にとられて見ていた護人とその副官が、「被害者?」とでっかい疑問符。
「まあ、そうですね。身勝手な人間のために砕身した、そういう意味では被害者なのかもしれません」
でも、と、ファリエルは云う。
「なんでも、あちらでは、恋した男性を守るために界の意志に逆らった、最初の堕天使なのだと伝わっているそうなんです」
「――――」、さっきより、理解に時間がかかった気がします。「恋した堕天使――――ッ!?」
ちょっとまてアメルさん何ですかそれはー!? そんなこと、あのときだって今までだって一ッ言も云ってないじゃないですか!?
先刻に勝る勢いでファリエルに迫ろうとしたを、今度はフレイズが取り押さえる。
「さん、落ち着いてください」
「だ、だってだって……鯉!?」「いえ、恋です」「だから、恋って何!? あのアぐふッ」
勢いに任せたまま“アメル”と口走ろうとして、咄嗟のところでそれをこらえることに成功。
吐き出しかけた空気をそのまま丸呑みしてしまったため、気道を塊が直撃、撃沈する。
「……おうい。生きてるかい?」
「ぷー?」
フレイズに捕獲されたまま尽き果てたを、つんつん、師匠とプニムが突っついた。
ぴくり、と動かした肩に気づいたか、
「天使の恋って、そんなに意外か?」
と、楽しそうに云ってくれる。
「意外っていうか……なんていうか……まあ、あんまり縁なさそうだなーって思ってました」
「じゃろうな。精神生命体っつーのは種の存続に基いた求愛行為がない……ってのは一度話したか」
「それもありますけど、まあ、その、……今思えば偏見で」
そう、恋愛というよりは、広く深く大勢のひとをいとおしむ。それがアメルでアルミネなんだと、思っていた節がある。
そんなやりとりで落ち着いたとみたらしく、フレイズもようやく腕を放してくれた。
そこに、ファリエルが、くすくす笑いながら自分の副官に問いかけた。
「フレイズは、そんなアルミネ様があこがれなんだよね?」
「……ええ」
「そうなんですか?」
これまたなんというか、意外な事実を知った気がする。
驚きも露に振り返るへ、フレイズは、どこか照れたような笑みを浮かべてみせた。
「まあ、そうですね……界の意志に逆らってまで人間への愛を貫いた、その強さには憧れます」
「……はあ」
帰ったら訊いてみようかな、本人に。
そう思うの前、フレイズの台詞は続く。
「力尽きた彼女の魂は、今もまだ、この世界を彷徨っていると伝わっています。……出来ることなら、いつか、お目にかかりたいものですよ」
きっと、素晴らしいお話が聞けるでしょう。
「………………」
「ぷー?」
どことなく虚ろな目になって遠くを見る相方を、プニムが再び突っついた。
お芋さんに愛を注ぐ聖女さまをフレイズが見たとき、果たして今のようにはにかんだ笑みを浮かべてくれるかどうか。の脳裏を占めていたのは、ただただ、そんな疑問だけだった。
……逢わせてみたいもんだ、と、強く思ったことは内緒である。