撤退していくオルドレイクは、なんとも心残りそうな無念そうな、そんな様子であったという。
故に、もしかしたらば腹いせに何かしに戻ってくるかもしれないと、警戒しなかったわけではない。
けれども、遺跡での戦いが終わって早数日。
派閥が乗り込んで来て以来、ずっと島を覆っていたぴりぴりした空気は徐々に薄れ、暗殺者や侵入者と思しき痕跡も一切発見されないことも合わさって、各集落にはまた、以前のとおりののどかさが戻ってこようとしていた。
そこで張り切ったのがカイルをはじめとする海賊一家。
なんだかんだとごたごた続きで、中断することの多かった船の修理を、今度こそ本腰入れて完了させると大張り切り。
砂浜に大工仕事の音が途絶えないのは、集落の人々が島から危険人物を退けてくれた彼らに対し、せめてもの恩返しとばかり、日々加勢に参上しているからだ。
おかげで、修理が進むこと進むこと。
力持ちヴァルゼルドやプニムがでかい材料は一気に運んでくれるし、アルディラがつくってくれた設計図は実に正確確実で、ほころびひとつ見られない。
中断されてた青空学校も復活し、レックスとアティ、それに子供たちは、楽しそうに森の広場へ出かけてる。
とはいえ、子供たちのほうは、卒業試験、なるものを終わらせたらしいので、生徒というよりは先生たちの補佐だとかなんだとか。がんばってるようである。
ああ、そうそう。
そんなふうにご機嫌な先生たちだが、遺跡の戦いが終わった後、無色の派閥相手に特攻仕掛けたご一同を砂浜に集めてお説教してらっしゃいました。
なんでも、剣の修復前には自分たちに無茶するな一人で背負うなって云っといて、どうして今度はそっちが無茶かましてるんだ、ってそんな感じのことだった。ええ、もちろんさんも、しっかりばっちりお説教くらいましたよ、こんにゃろう。
蛇足。
全員集めたお説教が終わった後、主犯格と見られたカイルはアティに、止めなかったということでアズリアはレックスに、それぞれ別の場所に連れてかれて更なる追加説教をくらったとか。……うん、だぶん説教だと思うよ、説教。そういうことにしておこう。何気にそのふたつのコンビが、説教後にどこか何かが変わったよーな気がするなんて気のせいさ。
……まあ、そんなのんきにしてていいのかと、思わない、わけでもないのだが。
何しろ、まだ、イスラがいるし。
紅の暴君を手に、好き勝手やらかしてくれた強力な相手が、まだ島には残ってる。彼をどうにかしなければ、本当の平和ではないのだろう。
けれども、無色の派閥という強敵の片方を、退けたせいでだろうか。
来るなら来いや、的開き直りのような気分を、たぶん誰もが持っている。
うん、来るなら来い。もう負けない。
そんな感じかな、と、イスラに関する懸念が話に出たとき、レックスは云ってアティは頷いた。
――あたたかい笑みを浮かべて。
そうだね。
向かい合っていた一行は、そう、笑い返した。
来るなら来い、もう負けない。
誰の心にもそれは生まれて、ならば相手の出を待ってからでも、けして手遅れにはならぬだろう。
……そんなこんなで出方待ち、どうせ嫌でも来るだろう戦いまでの束の間、訪れた平穏を誰もが噛みしめているのであった。
もまた。
ざぁん……ざざぁ……
寄せては返し、時折強く岸壁に当たる潮の音を聞きながら、は、地面に突き立つサーベルを引き抜いている男の、背を眺めていた。
格闘をすべとして鍛え上げた男の身体は、隆々と逞しい。エドスさん二号とかおちゃらけて呼ぶこともあるが、民間人と軍人とでは、やはり見た目はともかく質の違いが大きかろう。
純粋に力比べなら、もしかウィゼルといい勝負かも。
などと思って眺めていると、男はサーベルを手にしたまま、首だけひねってを振り返った。
「遺体は――」
「もう腐敗始まってると思います」
「……そうか」
身も蓋もないのいらえに、男――ギャレオは少し落胆したようだった。土を落としたサーベルにちらりと視線を落とし、
「ならば、これだけにしておこう」
と云って、身体ごと向き直る。
「すまんな。無理を云ってつき合わせて」
「いえ、気にしないでください。ビジュもきっと喜んでますよ」
云ってるとしては、わりと本気の入ったセリフだったのだが、あにはからんや、ギャレオの表情が微妙に歪む。
「……そうか?」
「違います?」
「……」
問いに返した問いに、さらなる返答はない。
まあ、元々そりの合わない間柄だったらしいが、が最後に出逢ったビジュならば諸手あげたりはしなくても、疎んだりはしない気がする。
ギャレオはしばし首をひねっていたが、ややあって、思考してもきりのないことと判断したのだろう。「まあ、それはそれとして」と、持参していた白い布で、サーベルを丁重に包みだした。
見守ること少々、出来上がった包みをかかえ、ギャレオが再びに目を移した。
「俺はこのまま風雷の郷に行くが、おまえはどうする?」
考える、までもなく。が首を振ったのは、上下ではなく左右。
「あたしはいいです。お別れは一度で十分」
「そうだな」
ふ、と無骨な顔つきを精一杯やわらかくして、彼は頷いた。
森を歩くギャレオの背を見送って、もまた歩き出す。
行き先は、彼とはちあうまで元々行こうとしていた方向――ラトリクスだ。
本当なら一直線だったのだけれど、途中でギャレオと遭遇した。なんでも、彼の云うところによると、風雷の郷に片隅を借りてビジュの墓をつくるつもりなのだという話。
遺体の場所を知らないか問われて、それならばと案内した次第。
……まあ、もうあれから何日も経ってるうえに、遺体は土に深く埋めてしまったため、掘り返すときっと数日ご飯の食べれないモノが出てきそうだ。
ので、先述のとおり、サーベルだけをそちらに移すことになったというわけ。
……いい上役持ってたんじゃないか、ビジュ。
青く晴れ渡った空に、あの刺青男の幻を見たりはしなかったが、つらつらと歩くことしばらく、ラトリクスに辿り着く。
先に行ったプニムは、もうアルディラと遊んでたりするんだろうか。前みたいな懐きっぷりはなりを潜めているけれど。
「こんにちはー」
「ぷ!」
「いらっしゃい。そろそろ来ると思っていたわ」
「あ、」
中央管理施設の入口をくぐると、なにやら小さな機械を手にしたアルディラ、その肩に乗って彼女の手元を覗き込んでいたプニム、同じく覗き込みの体勢だったアティが、いっせいにこちらを振り返る。
そういえば、今日の授業は短時間で終わるって云ってたな。たしか、スバルとパナシェの家庭訪問するからとか。
「ふたりで押しかけても、ミスミ様はともかくパナシェ君のご両親が緊張するでしょうから、レックスに任せちゃいました」
どうしてアティだけここにいるのか、とが問う前に、本人から答えがよこされる。
「あー、そうなんですか」
「ええ。それで、時間が出来たから、彼女の様子も見にきたんですけど……」
「……どうでした?」
「それが……なんというか、けんもほろろで。結局スカーレルさんが来たから、交代してもらっちゃったんですよ」
なるほど、と頷く。
アティになんら否がないのは明白だけど、やっぱ彼女、一筋縄じゃいかなかったか。
「」
ちょっと落ち込んでしまってるらしいアティの気を変えるように、アルディラがちょいちょいとを手招いた。
「ちょうどよかったわ。あなたも見てみる?」
「え?」
手にした機械を示して問うアルディラのほうへ、は首を傾げて近寄った。目線の高さに合わせて持ってきてくれた画面を、云われるままに覗き込む。
――誰かの写真だろうか、と、いささかぼやけた画面を見て思った。
そうして、画面の揺らぎが覗く角度のせいであることに気づいて、ちょっと身を乗り出す。
「あ」
ようやっとはっきりした映像を見て、思わず声をあげていた。
「これ、クノンとファリエルさん?」
「ぷっ」
真っ先に指さしたのは、今と変わらぬ姿を持つ少女ふたり。いや、片方は機械人形さんだけど。
正解、と、プニムが耳で拍手した。ぺちぺち。
だけど違和感。
クノンはともかく、ファリエルはどうして宙に浮いてないのか――そう問おうとして、気がついた。
「あ! このクノンの隣の人!」
「……ええ、私よ。昔は髪が短かったの。すぐには判らなかったでしょ」
クスクス、笑いながらアルディラが頷いた。
「昔の、って、それじゃあこれ」
「ええ」、アルディラの代わりに、アティが告げる。「フォトディスク、って云うんですって。アルディラさんたちの昔の写真だそうですよ」
「へえ――」
そっか、それなら、まだファリエルが普通の(無色の派閥所属だったけど)女の子だった頃なんだ。
そう教えてもらうと、少しだけやりきれないながらも、興味がわく。
そっぽ向いてる獣人がヤッファ、隣にいるのが噂のミスミ様の良人であるリクトらしい。うむ、スバルって父親似だったんだね。
んで、そのリクトの隣、一歩下がったところに控えてるのがキュウマ。変わらないなこのひとも。
――――となると。
「……じゃあ、このひとって」
写る一行の真ん中。ファリエルにじゃれつかれて、どこか困ったような、だけどにしてみればふと懐かしい感じを覚える笑顔を浮かべて佇む青年。
見覚えのある姿を指さすと、アルディラとアティが同時に頷いた。
「この人が、ハイネルさんだそうです」
「彼がハイネル・コープス。島の管理責任者で、私たちのマスター……私の好きだった人よ」
「……」
そうですか、と頷いて、はしげしげと画面に見入る。
別にハイネルがかっこいいとかいう理由ではない、いや、見た目きれいだけど、見入る理由は少し違う。
彼だった。
いつか遺跡までを引っ張っていき、ちょっとだけ姿を現して消えた彼。そう、ハイネルと名乗った本人。
画面とは色合いが少し違うけれど、顔つきや衣装は彼のものだ、間違いない。
未だにあの日の謎かけは解けないままだけれど、っていうかほったからかしてたけど、彼がハイネル・コープスである裏づけが、思わぬところでとれてしまった。
しみじみと画面を覗き込むに、アルディラが話しかける。
「ね? 彼ってレックスとアティにそっくりでしょ?」
「お、男の人に似てるんですか、わたし……!」
があん、と、ちょっとズレたところでショックを受けたアティを見て、とアルディラ、おまけにプニムは顔を見合わせ吹き出した。
えーと――なんていうか、知らぬは本人ばかりなり?
「違う違う、そうじゃないのよ」
笑みの色濃く混じった声で、アルディラ、とりあえずアティの誤解を訂正する。
「見た目の話じゃなくて……ほら、この表情」
子供たちに囲まれて困ったときのあなたたちに、本当にそっくり。
「そうそう。よく似てますよ、この笑った感じ」
「……そ、そうですか?」
「ぷいっぷぷー♪」
わりと半信半疑だったアティも、プニムまでもが大きく頷く様子を見るにつけ、「そうなんでしょうか……」と、どこかくすぐったそうな表情になって、再度画面を覗き込んだ。
そんな和やかな雰囲気のなか、再び扉の開く音。
「あ」
先刻のくぐってきたそこから、今度はスカーレルが姿を見せていた。
「おまたせ、センセ……ってあら、」
アティに声をかけた後、の存在に気づいて、彼は表情を和らげる。そのまま、「残念ね」と続けた。
「あのコに逢いに来たんでしょ? ごめんなさいね、アタシと話して疲れたらしくて、もう今日は面会謝絶ってクノンから伝言なの」
「……何を話してきたんですかスカーレルさん」
「ま、ひどい。昔の話とか、イロイロよ」
その“イロイロ”の部分が気になるんですけど。
飛び出そうとしたことばを、あわやのところでは飲み込む。たぶん、アティもアルディラも。
実に微妙な表情になった女性三人を、プニムが不思議そうに見渡していた。