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【果てしなき蒼】

- 赤かった空の先 -



 どれほどの間、その作業に集中していただろうか。
 結構な時間だったと思うのだが、刃を打ち終え、柄を仕上げるというウィゼルを残して作業場を出た一行の目に入ったのは、開始時から一時間足らずしか針を進めていない時計の盤面だった。
「……え?」
 当然、頭上には疑問符が盛大発生。
 ウィルとナップが、いつぞやレックスからもらった懐中時計を取り出して確認する。――こちらは、五時間ほど進んでいた。
「「え?」」
 横から覗き込んだアリーゼとベルフラウ共々、子供たち、合唱。
 やはりそれを見たレックスとアティの見合わせる顔もまた、キツネに化かされたような感じだ。
「そういう部屋なのよ。にゃはは、おもしろいでしょ〜?」
 出てくるなりそんな行動をとった一行を眺めていたメイメイが、そこでやっと口を挟んだ。
 卓上、手元にある酒がよほどおいしかったのだろうか。頬にさす紅はいつもと同じかそれ以上、目元はほんのりと潤んで、今まさに開こうとしている唇は適度に濡れて匂やか。
 春先、蝶を引き寄せる艶やかな花を思わせる彼女の佇まいは、並みの男ならばふらりと理性を傾がせたかもしれない。
 だが幸か不幸か、たぶん前者だろうが、ここにいる男性陣は、朴念仁レックスに、色事はまだまだ先の話であるナップとウィル。
『そういう部屋?』
 奇しくも声を揃わせた彼らの問いに、メイメイはにっこり頷いた。
「そぉ。そういう部屋〜」
「そういう、って、どういう……?」
「そういう部屋っつったらそういう部屋なのよ〜」
「…………」
「諦めろ。その店主はあの娘以上に食わせ者だぞ」
 説明らしい説明をしてくれる気なぞ皆無らしい彼女の対応に、一行が舌を巻いて沈黙したと同時、ついさっき柄の取り付けにかかったばかりだったウィゼルが、作業場から姿を見せた。
 ……うん、こんな数分で終わるわけもない、よね。
 外から見て初めて、作業場という名の時空間妙ちきりんルームの怪を思い知り、一行は別の意味で沈黙した。
 そんな微妙な雰囲気などそっちのけで、メイメイが立ち上がる。
「お。終わったのね?」
 本当ならレックスたちが出てきた時点で発されてもよい質問だったが、不意の奇行で順番が逆になってしまったのだった。
 ようやっと軌道修正された話をまた戻すような気も回らず、というか回す気力もなく振り返るレックスたちの視線を受けて、ウィゼルは「うむ」とひとつ頷いた。
 ウィゼルが、その太い腕で無造作に握ったままのそれを前に出す。

「――――」
「……わ」
「きれい――」

 ことばを失う者、浮かぶ感想を述べる者。
 反応は様々だが、炉で盛る炎以外に灯りのなかった作業場の外、明るい世界で初めて目にしたその剣へ、彼らの視線は釘付けにされる。

 ――それは、蒼だった。

 海か、
 空か、

 いや、もっともっと――遠い蒼穹、風吹く高み、風薙ぐ海原。

 蒼。

 かつてもっていた色彩、碧はとうに失われている。それでも前と同じように、いや、それ以上の輝きをもって、その蒼はそこに存在していた。
「……これが、俺たちの剣?」
「いいや」
 湧き起こる感嘆そのまま、ほう、とつぶやいたレックスのことばをウィゼルは否定する。
 え、と疑問の視線を向けられるより先に、彼は淡々とその解を告げた。
「それはレックス。おまえの剣だ」
「……えっ!?」
「じゃあアティ先生は!?」
 とたん、レックスとアティを押しのけるようにして子供たちが身を乗り出した。
 それはそうだ。
 砕けるまで、レックスとアティは剣を共有していた。つまり、碧の賢帝はふたりの剣だった。それが、新しい形を得たからといってアティに使えなくなるとはどういうことなのか。
 くってかかろうとした子供たちを、だが、当のふたりの手が軽く留める。
「だいじょうぶですよ、みんな」
 振り返った子供たちの目に映ったのは、淡く微笑むアティの姿。
「――なんとなく、こうなるんじゃないかって思ってました」
「でも……!?」
「どちらでも、よかったんでしょう。でも、あのとき、レックスが剣を束ねることを選んだんです」
 それは、あの赤い日。
 無色の派閥が島を訪れ、世界を赤く染め上げ――オルドレイクが、継承者とされるふたりの前に立った瞬間。
「ほんの少しの差だった。だけど、わたしが選ぶよりも早くレックスは選んで……そうして、継承は成ったんです」
 静かなアティのことばに、子供たちは食い下がる。
「だけど、あのとき……剣が壊れたときだって、アティ先生は魔剣を使ってましたよね!?」
「ええ。仮にも候補でしたから」
「――と、いう……ことは?」
 懸命なアリーゼとは逆に、おっとりと返答するアティを見て、ウィルがなにやら思案する。
 さすがは片割れとも云うべきか、ベルフラウがそれと似たような表情を浮かべて、レックスとアティ、そして魔剣を交互に眺め、
「継承者ではない。でも、使えはする……そういうことですの?」
「はい」よくできました、と云うときのそれと同じ笑顔。「もちろん、レックスが貸してやろうって思ってくれればですけど」
「こら、アティ。貸さないわけないだろ?」
「……ですね」
 姉の額を小突く弟、ぺろっと舌を出して笑うアティ、あたたかい苦笑を浮かべるレックス。
 そんな先生たちのやりとりを見ていた子供たちは、またたきを忙しく繰り返し、――最後に、ぎろっとウィゼルを振り返った。
 その心境を表すなら、“まぎらわしい云い方してんじゃねえ!”と、こんなところか。
 だけども、そんな年端も行かぬ子供たちのガン付けに怯むようなウィゼルではない。目の前のやりとりなど何処吹く風で、持ったままだった蒼をレックスに渡そうと、腕をさらに突き出した。
「受け取るがいい」
「はい」
 頷いて、その柄に手をかけたレックスは、隣に立つアティを見た。
 視線の意味を察し、アティがそこに手のひらを添える。

 ――まるでそれを待ってでもいたかのように、剣は、ウィゼルの手から消えた。

「あ……」

 そうして変貌は一瞬。
 赤は白に。蒼は――蒼。
 以前は碧に染まっていた彼らの眼は、深い蒼。元々持っていた色とは違うけれど、碧よりずっと似合ってる。そう、子供たちは思った。
 何より、違和感がない。
 もしここにがいたら、じんわり馴染むあたたかな雰囲気が以前の抜剣と正反対だと指摘したかもしれない。そんな、彼女のように明確なことばには出来なくても、なんとなく、子供たちもそれを察していた。
「……きれいね」
 単語ひとつに万感の想いを込めて、メイメイがつぶやいた。
 細められた目は、けして酔いの心地好さによるためだけではないはずだ。
 褒められて悪い気がするはずもないだろうが、照れくささのほうが勝るのだろう、白い姿に変貌し、蒼を右手にまといつかせた姿のまま、レックスとアティがはにかんだ笑みを浮かべる。
 剣の仕上がりが満足行くものだったらしいウィゼルもまた、ひとつ頷いてふたりを眺める眼差しは、どことなくやわらか。
 子供たちに至っては、もう、ただただレックスたちと剣を眺めてため息をつくばかり。
 そんな心地好い沈黙を、「そうだ」というメイメイのことばと打ち鳴らした手の音が破った。
「その剣に、名前をつけちゃうつもり、なあい?」
 いい思いつきでしょう、と、にっこにこ提案するメイメイに、全員の視線が集中する。
「……名前、ですか?」
 たとえば、かつての碧の賢帝・シャルトス。
 今も在る紅の暴君・キルスレス。
 ならば今彼らの手に在る新しき剣は、

「ウィスタリアス」

 ……っていうのは、どうかしら。
「王国時代のことばで“果てしなき蒼”って意味よ」
 その剣にぴったりでしょ、と、笑みをたたえたまま告げるメイメイのことばを受けて、レックスとアティは、改めて剣へと視線を落とした。
 蒼く輝く刀身、腕にまといつくそれに、もう前のような不快感はない。腕の延長、己自身、そう、いつかの喩えを借りるなら、自分たちの心が形を得てここにある。
 ――果てしなく。
 心こそ、本当に、どこまでも果てぬ遠き路。
 それがかつて自分たちの見た赤い色でなく、蒼穹の色であるということが……ただ、嬉しいと思った。

 赤い世界。
 赤い大地。

 赤く赤く染まった遠い記憶、そしてその向こう、先のここに――――果てなく広がる蒼い空があったのだ。

「……いい名前ですね」
 こくり、アティが頷いた。
「ありがとう、メイメイさん。その名前、頂きます」
「にゃはは、お礼なんて。気に入ってもらえたなら何よりだわよう」
 改めて頭を下げるレックスに向けて、ぱたぱた手を振ってみせたメイメイだったが――ふと、その視線が目の前の人物から逸らされた。
「にゃ?」
 つと動かされた目は、真っ直ぐに店の入口へ。
 彼女のあげた疑問符につられるようにしてその視線を追った一行の目に、ばさっとまくられた入口の布が映る。
 そうして、そこへ駆け込んできた白い犬の姿した獣人の少年も。
「パナシェ!?」
 まさかこんなところで逢うとは思わなかった、そんな驚きも露に、ナップが少年の名を呼んだ。
 どうしてこんなところに、と、誰かが問うより先に、パナシェは息を整える間も惜しいとばかりに口を開く。

「だ、黙ってろ、って、ヤッファさんには云われたんだけど――ッ」

 ……彼の口から、カイルたちが無色の派閥との戦いのために遺跡に向かったことが告げられるのはその直後。
 そうして、ウィゼル、メイメイと別れたレックスたちが真っ直ぐに目指すのはどこか――それは云うまでもあるまい。
 同じく寡黙に身を翻した魔剣鍛冶師が向かったのが、どこであるのかも。


 蒼を手にして、継承者は駆ける。
 碧と紅の誘いによって開く門眠る、その遺跡へと。

 蒼を甦らせた男もまた、足を進める。
 比類するものなき狂気を湛えるかの男、そのもとへと。


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