……かなり、女の子には酷なことなんだけども、と、師匠は云った。
“”がソノラに発見される前、まだ目覚めたばかりで髪も眼ものそれに立ち戻っていたときのことだ。
「残滓を、読んだ?」
「ん」
この時点からして失礼極まりないんじゃけどな、そうぼやいて、マネマネ師匠はまなじりを下げる。
「でも、おまえさんの意識が起きてる状態だと、混ざっちゃって読みにくかったんだ。ただでさえバラバラだったし、事前に云うと心構えしちゃって良し悪しどっちでも防衛しちゃうしな」
だから不意打ちしてしまったな、ごめん。
頭を下げる黒髪さんを、はあわてて押しとどめた。
「いやいやいや、そんな、いいです。――いや、よくないけど、ばれた以上はしょうがないなっていうか」
そう思ってるのは事実だし、なんていうかこう、師匠なら別にいいかと思うのも本当。
――というよりも、一度元の姿に戻ってしまった今となっては、それをどうにか回避しようとしてたのが莫迦らしいというか、なんというか。
メイメイやジャキーニならともかくとしても、うん、他のひとたちは“”をきっと知らないから。サイジェントのときとは場合が違うし、オルドレイクは……“”をそのとき知らぬままに逝ってしまったし。
間に横たわる時間の溝も、それから、場所と場所を隔てる距離も。
何か手段を見つけてあちらの時間に戻って。それから後に再会するのなら、今度こそ一から説明しちゃえばいいだけの話だ。何しろ物的証拠はちゃんと提出できる。ミモザさんにバルレル、えーとそれから、そう、白い剣。
んでもってどう足掻いても戻れないとしたら……ははは、護りの術の影響で姿変わってましたーで通してそのまま暮らして問題あるまいて。船が直れば聖王都には行けるだろうから、そこで身をひそめて二十年暮らして頃合い見計らって……いや、まあ、立派なおばさんになってるわけですから? 信じてもらえるかどうかはさておいて?
と、そんなことをかいつまんで話してみると、マネマネ師匠もゆっくりと破顔した。
「そう云ってもらえると、ワシも楽になれるな。……それにしても、なんつーか、出だしからして災難じゃったのう」
師匠が読んだのは、バルレルの術がにかけられてからのこと。
つまり、あの荒野からここにいたるまでの一連の出来事が、術の残滓に刻み込まれてて、“”の情報といっしょに、流れてきてしまったらしい。
より分けるのも困難だったため、飛び飛びながらに、そのままだいたいの事情を把握出来ちゃったんだそうだ。
「じゃあ、師匠。その手……」
「うむ。さすが魔公子、怖い怖い」
目覚めたとき、にかざされていたほうの手のひら。それは、火傷でもしたかのように赤黒く爛れていた。――今も。
すでに術者の手を離れた残滓とはいえ、どこぞの銀色悪魔王に匹敵する力を持つ魔公子が施した術だ、対象外であるマネマネ師匠の干渉に対して、強い抵抗を示したらしい。それが、火傷の理由。
「すみません――」
厚意を仇で返したような気分になって、は深々と頭をさげた。
「気にしない気にしない」、それを師匠は笑い飛ばす。「ちっと拒絶反応起こしてるだけじゃ。読むのは終わってるし、しばらくしたら元に戻るよ」
それより、“すみません”はむしろワシの側じゃなあ。
ひらひらと振った手をそのまま顎に持っていった師匠の、なにやら困ったような戸惑ったような恥ずかしがってるような――そんな口調と表情に、下げていた頭を持ち上げる。
「え?」
「いや、な。眠る前、考えがないこともない、ってワシ云ったろ?」
「あ――はい」
「残滓読んだのも、そのためなんじゃ」
「――ってことは」
双子水晶の一角に、ぱん、と元気よく手のひらを打ち合わせる音が響いた。
「もしかして、師匠が代わりに術をかけてくれるとか!」
「んな能力ないわい。ワシャただの霊体じゃぞ」
「……じゃあ、師匠が化けてあたしの代わりに?」
「それもムリ。声と性格と仕草でばれる」
即答に次ぐ即答。
ちなみにワシが真似出来るのは外見だけで、中身や経験は対象外じゃよ。と、師匠の補足を耳にした、がくりと肩を落とす。
「それじゃあ、どうやって……?」
「うん、じゃから、おまえさんにはちょっと酷かなーって話になるんだ」
「酷?」
よく一流料理の評価に使われるまったりとしてコクがありそれでいてしつこくなく……というやつじゃなくて、ひどいとかいう意味の、酷。
が傾げた首の角度に合わせて、師匠も首を傾けた。
「要するにな。ワシは霊体じゃから、本当の意味での肉体がないじゃろ?」
「そう……ですね」
ファリエルもそうだ。昔の戦いで命を落とし、フレイズによってこの世に留まることになった――亡霊なのだと。
彼女とは違うけど、マネマネ師匠もまた、霊体。フレイズの兄弟って認識が今も先立ってるから混ぜこぜっちゃうけれど、正確には“兄代わり”といったほうが適切な関係。
「んで、見てのとおり姿を変えることが出来る。霊的次元における粒子がどうのこうのってのはおいといて、――腕だけゆっくりやってやるから、見てな?」
「はい――え!?」
ことばと同時に差し出された手のひらへ視線を落とし、は目を見開いた。
水にひたした薄紙みたいに、師匠の手の輪郭が、宙に溶け出していたからだ。その周囲、きらきらと零れる光の欠片。とても微細な粉のようなそれは――
「これを再構築することで、ワシは姿を変えてる。身体つきから何から写し取れるのは、ワシに元々実体というべき実態がないからじゃな」
そう、いつかそのことを聞いた。
ではなくとして、ここへ訪れていたときに。マネマネ師匠はそういう存在なのだと、ヤードとともに教えてもらった。
あれからまだそんなに日も経っていないはずなのに、もう随分昔のことのようだ。
そんなことを思っていただったけれど、零れる光の粒子が己へ飛んでくるのを見るに至って、「あ」と身を退きかけた。が、そこに強い声が飛ぶ。
「腕出してみ」
「……」
一瞬、躊躇。
得体の知れない不安と、いや、師匠なら変なことするはずないという打消し。それに要した時間だ。
それから、おそるおそる手を出した。その手に、ゆっくりと粒子がまといつく。
――不思議と、不快な感じはない。
それどころか、視覚と触覚が一致してない。光の粒が触れているのはたしかなはずなのに、それに対する熱や大気の動きといった違和感を一切感じないのだ。それこそ、本当に、空気のように。
「……」
差し出された師匠の腕と、前へ伸ばしたの腕。
それが、光の粒子で繋がれた形になる。傍から見る者がいたら、腕と腕が溶け合っているように見えたろうか。
だがその実、溶けているのはマネマネ師匠のほうで――それを周囲に凝らせているのがの側。
「――あ――」
しばしその現象に見入っていたは、そこでようやく気がついて声をあげた。
うん、と、満足そうに師匠が笑う。
「そ。……ワシが着ぐるみやっちゃうよ、って、ことなんだな」
身体の周囲に膜を張り、そこに本来のものでない――この場合は“”の――姿を描き出す。
理屈としてはバルレルのかけた術と同じ、ただ違うのは、マネマネ師匠が自らその膜の役割をしているということだ。
そうなると当然、膜自体にマネマネ師匠の意志が存在することになる。だものでの行動すべて、師匠に筒抜けになってしまう。というのが、師匠の云っていた“酷なこと”だった。
そりゃそうだ。
歩く話す食べるならまだしも、風呂やトイレまでとなったら……ははははは、ルヴァイド様、あたしもうお嫁に行けないかも。
……まあ、師匠はサプレスのひとで、霊体で、つまり、そーいう性欲とかいう俗世のものなんか知らんぜヘイヘイ♪ だし。と自分を誤魔化してみても限度というものがあるのだが、他に有効と思われる手段はない。
それに、とうのマネマネ師匠が、「チ、兄役じゃなくて姉役やっとりゃよかった。女性体ならもちょっと抵抗なかったろに」なんて笑える愚痴をこぼしてくちゃったおかげで、まあいいかという気分になったのも事実。
ともあれ、つつがなく“変身”は終了し、“”は再び、レックスやアティの前に姿を現すことが出来たというわけだ。
ただ、それはやはり、マネマネ師匠の負担が大きい。
もってせいぜい数時間――とのことばどおり、狭間の領域は双子水晶に戻ると同時、待ちかねていたように、師匠はから身を離した。
「――っ、――ぷはあ」
「……師匠……」
いつも飄々とした笑みを浮かべてた黒髪さんは、疲れきった表情で宙に漂っている。輪郭なんか薄れて危なっかしくて、風でも吹いたらそのまま消えてしまいそうだ。
あまりに消耗したその姿に、はことばを失った。
プニムが、ぽかーん、と“”とマネマネ師匠を見比べてるのは見えてるけれど、説明の前にまずは謝罪。
「……すみません。もう少し急げばよかった」
「ん――? いや、気にすな。ちっと休めば戻るから」
にこりと笑って云われては、それ以上謝るわけにもいかない。
「ありがとうございました」
再度頭を下げて告げるのは、だから、感謝。
レックスとアティの長いゆめ、そうして“おかあさん”の遠い幻を、やっと終わらせることが出来た。マネマネ師匠の協力がなければ、きっと成らなかっただろう。
そう、だからもう、赤い髪と翠の眼は、きっと要らない。第一、これ以上ムリさせられない……どうしても、とか。よほど、とか。そんなことでもない限り。
戻ってしまった本来の姿、それから、それを覆う黒マントで、あとはどうにかやりすごしていかなくちゃ。――せめて、無色の派閥どもを島から追い返すまでは誤魔化さねばですよ。
何しろあっちにゃ、オルドレイクやらウィゼルさんやら……あ、そうそう。パッフェルさん(仮)もいるんだし……って。
「あ――そうだった」
今思い出すまで忘れてた。なんで、パッフェルさん(と思しき人)がいるんだろーか、しかも無色の派閥に。あのひと、蒼の派閥の情報員じゃなかったっけ?
血縁者かと考えるほうが、理には適ってる。何しろ今って二十年前。だけどもあの太刀筋や目元、身体つき。親子だからってあそこまで似るか?
「どした?」
「あ、いえいえ」
ま、いいか。思考を打ち切って、は師匠に笑ってみせた。
考えても答えは出るまい、戻ってから本人に訊いてみればいいだけの話。あの日つぶやいた名前に反応したってことは、何かしら関係はあると見た。ていうか本人である目算が高い。
自身ありえぬ時間と場所にいるのだから、彼女だって何かあってても不思議ではなかろう。
だから、思考はそこで停止。
焦げ茶に戻った頭の上、とっとこ登って鎮座しているプニムを落とさぬようににしながら、もう一度頭を下げた。ぺこり。
「……これから、どうするね?」
そんなを見て、マネマネ師匠が穏やかに問うた。
――もちろん、答えは決まってる。
口の端持ち上げて、は笑う。
そうして、
「もちろん――」
「マネマネ師匠!」
紡ぎかけた答えを遮るようにして、フレイズがあわただしくやってきた。
お、とマネマネ師匠が視線を転じる。
の背後、位置としては、ここ双子水晶の広場への入口となる方向。
「あ」
と、もまた振り返って声をあげた。
「――――、え?」
駆け込んできた(というか飛んできた)フレイズが、ぽかんと口を開けて固まっているのが目に入る。
元々顔つきが整っているだけに、そういう顔されると間抜けさが際立つというか……いやいや、オフレコでお願いします。
「貴女、は?」
焦げ茶の髪、黒い眼の少女を双眸に映したままのフレイズが、どこか呆然とした口調で問いかけてきた。視線は一点固定かと思いきや、よくよく見ると、頭上のプニムと少女自体を忙しく行き来している。
この取り乱しようからして、予想はついてるのかもしれない。
こないだも遭遇してるし、いい加減ネタばれしちゃう頃だろう。
そういえば、前に、着ぐるみさえなければ天使として相手の魂を感じることが出来るとか云ってた気がする。
さてどう云えばショック少ないだろう、と、心中首をひねったの後ろ、黒髪さんが、クク、と笑った。
「見て判らんかい、未熟者」
それがトドメ。
「――――っ、さん、ですか……!?」
肺につかえてた空気の塊ごと、吐き出すのを躊躇していたその名を、フレイズは叫んだのである。
だが、事態は感動の再会とは程遠い。
「無色の派閥が遺跡に出たー!?」
やはり魂の輝きとやらのおかげだろうか、焦げ茶の髪=さん護りの術解けちゃったよバージョンであることをあっさり受け入れてくれたフレイズから、彼が駆け込んできた理由を告げられて、は思わず叫び返していた。
ちなみにプニムも、その説明で頷いてくれてた。こっちはこっちで、元々細かいことにこだわらない子だからなあ。
「ええ」
精神生命体には絶叫さえさほどダメージを与えないのか、フレイズは真面目な顔してひとつ頷き、
「さんざん不義理を働いてくださったさんへの説教及び小言且つ折檻諸々は後日にまわしますが、とにかくその報せが入ったのです」
……あれ?
なんか今、すごく不安を煽るコト云われた気がしますヨ……?
深く考えることを放棄した思考回路を再び動かそうかどうか――迷った末、結局、そのまま切り替えておくことに。
出てきたものが出てきたものだ、今からすでにただならぬ気配を漂わせているフレイズに、この件を下手につっついて薮蛇したくないっつーか、もう無色の派閥の件で忘れててくれよっつーか、ま、そんなところ。
「意外と早かったなあ」
台状の水晶に腰かけた黒髪さんが、頬杖ついて少し呆れた顔になる。どうやら、やイスラが寝こけてた三日間の間に、ある程度の事情はフレイズたちとも共有してたらしい。
隠しとおしてくれててありがとう、師匠。
はい、と頷く金髪さんの表情は苦い。
「オルドレイク本人の姿も見られるそうです――それも、発見した者の話では遺跡の方向を目指していたとのこと」
「……げっ」
「先日の傷が完治しているとは思えませんが、奴らもそれだけ焦っているのかもしれません。何しろ紅の暴君はイスラに奪われ、碧の賢帝は形を保ってはおらず、魔剣によって遺跡を掌握するあちらの狙いは躓いた形になっていますから」
「あちらさんは、とにかく遺跡だけでも押さえたいところじゃろうな」
ふむふむと師匠は頷くが、だからといってそれを許せるわけがない。
二本の魔剣、そして遺跡。
無色の派閥なんぞにこれらを好きにさせたら、絶対、今まで以上の厄介が起きる。そしたらまた戦いだ、レックスとアティが大変だ、あまつさえイスラが出てくりゃ三つ巴だ――
はっはっは。
冗談じゃねえ。
「となると当然」
「ええ」
腰に佩いた剣に、自然と手が触れた。
背中側に固定している形の短剣と、吊るしてる長剣。
もちろん本命は短剣で、長剣は予備というか誤魔化しというか。二刀流というわけではないが、せっかく調達した武器だ。せめて使い倒してやりたいではないか。
居住まいを改めたに視線を移し、フレイズは確りと頷いた。
「これより集いの泉に向かいます。そこで皆さんと合流し、無色の派閥を叩きます」
そのため、師匠には留守居をお願いしにきました。
「……ええい、年寄りを労わらんかい、若人どもが」
苦笑いしつつも、マネマネ師匠は近くに転がっていた貴霊石を手にとって立ち上がる。
それを見て、フレイズがふと眉を顰めた。
「師匠? 何か消耗するようなことが?」
「あ、それ――」
「いや別に。最近どーもだらけてるから念のため」
「……、そうですか」
答えかけたの口をがばちょと塞ぎ、黒髪さんは笑顔でお返事。
その腕のなかでもごもご暴れる焦げ茶の髪した女の子と、自らに瓜二つの“兄”を交互に眺めたフレイズは、どこか諦めたっぽい表情と口調でそれだけ返した。
何か云いたそうなのは傍目にも明らか、だけど、問い詰めても答えは貰えないと感じてるのだろう、そのまま深々と頭を下げる。
「瞑想の祠を使ってください。あそこならば霊気の回復も図りやすい」
「ん。そうさせてもらうわ」
フレイズの申し出を素直に受けて、師匠はふわりと宙に浮かんだ。なんでもなさそうにして飛んでいく背中が時折、ふっと傾ぐ。
懸念も露に――決して本人の前では見せないだろうけど――黒髪さんを見送った金髪さんが、そうして、を振り返った。
「さんは……」
「行きますよ。止めないでくださいね」
「ぷ!」
ちゃきっ、と、腰の剣ふたつの柄を鳴らして云うと、金髪さんは表情を和らげた。
力むプニムをちらりと見、視線を往復させると、
「どさくさ紛れに舞い戻って誤魔化そうなんて、考えないでくださいね」
「………… ちっ」
「女性が舌打ちをするものではありません」
「はーい」
「はい、は短く」
「はいはい」
「一度でよいのですよ」
「はい」
「よろしい」
「……」
教育ママよろしく満足そうに頷くフレイズを、はしげしげと見上げて一言。
「フレイズさん、お子さんを産んだ経験は?」
――――淡く輝く木立ちの向こうから、漂う霊気震わせて響いてきた怒鳴り声だか爆音だかを聞いた師匠が、
「おのれらが騒ぎ起こしてどーする」
と、けたけた笑っていたのは、本人のみぞ知ることだった。