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【果てしなき蒼】

- 君のいしを君に -



 ……もう少しイケます?
 ……限界近くなったら云うよ、まだ心配しなさんな。



 行き以上に晴れやかな表情で店に戻ってきたレックスたちを出迎えたあと、それと入れ替わるようにして、はメイメイの店を後にした。
 退去の挨拶もそこそこに、張り切って鍛冶場に移動する一行の声を背に聞きながら外に出る。――そして驚いた。
「うそ」
 かなりの時間、具体的に云えば半日ほどはこの店に滞在していたはずだというのに、今見上げた太陽の位置といったら、昼を少しまわったくらい。
 時間にして、おおよそ2〜3時間といったところか。
 そう、随分かかったものだなと思ったのだ、レックスたちが戻ってくるまで。
「……」
 時間の歪みって、これか?
 ウィゼルがぽつりと云っていたセリフを思い出し、腕を組む。
 レックスとアティ、たしか、ナップたちと話したあとに復帰報告兼ねて全集落まわってきたと云っていた。……なるほどたしかに、このくらいの時間がかかって妥当なところ。行く先々でけっして軽くない歓迎を受けただろうし、これでも早いくらいだ。
 肝心の話は子供たちと交わしたらしいし、剣を直さねばならないし、長話はしてないとみていいだろう。
 ……この島で一番不思議なのって、もしかしなくてもメイメイさんの店なのかもしれないな。店主含んで。
「さて」
 納得ともとれぬ納得をしたところで、は自分の胸元に手を当てた。そのまま、足元に視線を落とす。
 そこには、青い小さな子がいる。
 島に来た当初から、ずっと一緒だった子。思惑も多少あったらしいけど、誓約まで交わしちゃった幻獣界の住人。
「――ぷ」
 くりっとした丸い目で、プニムはを見上げていた。
「判る? あたしが前と違うの」
「ぷ……」
 フードこそ被ってはいないものの、肩からすっぽり羽織った黒いマントは相変わらず。そこにこぼれる髪の色は赤、見下ろす眼は翠。
 それでも、零れていたという魔公子の力は、その殆どが失せている。目で見るだけでは判らぬそれも、マネマネ師匠はじめ、彼らのような生き物には訴えるものがあるのだろう。岩場で再会したとき、プニムが首を傾げていたのはそのためだったんじゃないかと、こっそり云われて気がついた。
 そう。
 だからもう、そのときなんだな、と思ったのだ。
「……プニム」
 肯定の頷きを返したその子に向かい合い、膝を折る。
 心情を察してか、プニムは僅かに後退した。
 止めようとはせず、胸元においていた手を懐に探り入れ、召喚石を取り出した。目前にいる子の名が刻まれた、若草色に輝く石。
「ぷ――」
 不安そうな鳴き声に、ただ笑ってみせた。
「心配しないの。――はい」
「ぷ?」
「はい」
 石をつかんだ手を差し出すと、プニムはちょっと考えて、おずおずと両手でそれをとった。
 若草色の石は、いつかと逆に、からプニムへ移動する。
「あたし、もう、“”じゃなくなるんだ」
 今すぐにではないけれど、そう遠くないうちに。
「それに君も――帰る場所があるんだよね?」
 遺跡で現れた青年が、云っていた。すべてをうまく聞き取れたかどうか危ういけれど、本来の時間からは、という部分だけははっきり覚えている。
 つまりそれは、プニムもまた、この時代の存在ではないということではないのか。
 だからこそ、誓約を要した。
 徒に時間を飛び越えていたが、ヤードとの誓約によって安定を得たように、プニムも、との誓約によって――
「……ぷ」
「だから、これは君に返す」
 その手に渡した若草色の石を指して、はゆっくりと云い含めた。
「あたしの石はあたしの手にあるから、君の石も君に返す」
 “”と。
 刻まれた紫の石は、白い刃に姿を変えて、この手のなかへとやってきた。……数十年の時間を越えた、その不思議。
「それと、君のいた場所に君を帰す。……いつになるか判らないけど」
 石をどうするか、誓約をどうするか、もう、たぶん最初から、君が決めていい。
「ぷー」
 別にいいのに、と、その子は云ったようだった。
 たしかに、様々なしがらみに縛られる人間よりも、彼らは、生きていける場所があればそれでいい、と開き直れる強さがあるのかもしれない。
 そう思ったのと同時、「ぷ」とプニムがもう一声。
 小首を傾げた姿勢から、ぱっ、と身を起こし、大きく頷いていた。足元に転がってた枝を拾い、いつものようにすわらくがきか――と、は解読のために心の準備をする。
 けれども。
「お」
 がりがり、がりがり。
 おぼつかない手つきで一生懸命地面に描かれたそれは、らくがきではなかった。

 ――“

 いつ見てたのだろう。
 いつの間に覚えたんだろう?
 たしかに、プニムならヤードが持っていた石を見る機会はいくらでもあったろう。でも、そもそも、これがのことでなく、のことだと判ってるのか。否、を喚ぶ石に刻まれていたその紋様がを示すのだと、単に関連付けているにすぎないのだろう。
 そんなふうに判断はしても、目が丸くなるのは止められない。
「ぷ」
 “”と。
 描いた字の横に移動して、プニムは、手にしていた若草色の石を名前と自分の間に置いた。
 んで。――にっこりと。笑ったわけだ、プニムってば。
「ぷいぷぷーぷ、ぷーぷぷ」
「……このままでいいって?」
 はは、と身体の力を抜いても笑う。
「いいの? あたしいなくなるから二重誓約かまされても……っていや、そうか、石があるから可能性低いか」
 それでも、半分はぐれのような状態になることに違いはない。
 だっつーのに。
 この子は。
「――――いいの?」
「ぷ!」
 誓約したのは“”なんだよ、と、地面に彫ったその名前、ぺしぺし叩いて笑っちゃってくれるんだから。
「……そっか」
 空になった手を伸ばすと、プニムは心得てそれをとった。

「ありがとう。もう少しの間よろしくね」
「ぷい、ぷっ」

 “”とプニムは、これまでのようににっこり、相方と笑いあったのだった。


 そうして立ち上がる。
 ちょこんと地面に佇むプニムが、若草色の石を懐っつーかどこぞにしまうのを横目にしつつ、なんとなし眉間に指先を当てた。
「――で、どうしましょう。狭間の領域戻りましょうか」
 他者がそこにいるかのように問いかけて、口を閉ざして待つこと数秒。ゆるやかに伝わってきたそのひとの応えに、「はい」とは頷いた。
「ここよりあっちで解いたほうがいいですね。判りました」
 周囲には誰もいないというのに、いったい何者に話しかけているのか。他者が見ていたら、そんなふうに思ったかもしれない。
 ほら、プニムも首傾げてる。
 けれど、自身はそのからくりを知っているから、「狭間の領域行ってから教えるね」と笑ってみせた。

 知っているのは当然だ。誰かがいるのも当然だ。
 解けた魔公子の術の代わりに、今、の身を覆っているのは、マネマネ師匠なのだから。


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