ひたすらに昂ぶった心が鎮まるまで、どれくらいの時間を要したろうか。
相変わらず空は青く、海は青く。岩場へ吹きつける風は、時折気まぐれに強弱をつけて遊んでいる。
「……」
先生たちは生徒たちを見て、生徒たちは先生たちを見上げた。
お互い、涙や鼻水やらでぐしゃぐしゃの顔。――それを見て、誰からともなく破顔する。
「へへっ」
「……ふふっ」
「あははっ」
そうして、誰からともなく笑い出す。
おかしな顔、と隣を指差したり、人のコト云えるのか、と逆につついたり。
ひとしきり、そんなふうに久々の笑顔を堪能したあと、ふと、アティがつぶやいた。
「それにしても――よく、欠片を集めて直そうだなんて思いつきましたね」
「ナップが思いついたんですよ」
「い、いちいち云うなよアリーゼっ!」
本当のことなんだし照れなくてもいいだろ、と云う弟の頭をこづくナップ。
そんな彼に目をやって、レックスが首をかしげてみせた。
「でも、それで集めた剣の破片、どんな方法で直すつもりだったんだい?」
何気なくといえば何気なく、けれどもある意味当然ともいえる疑問に、だが、ナップは「う」と口ごもった。
見る間に視線を泳がせる長男を見る次男の目が、だんだんと半眼になっていく。その片割れも似たり寄ったり、末妹はきょとんと丸くしていた目の上、額に冷や汗一筋流し、
「……もしかして……か、考えてなかったの?」
「――――」
「…………」
「ナップ」
「い、いいじゃんかっ!? 剣なくたって、先生たちはちゃんと元気になったんだしっ!?」
何か云おうとしたベルフラウを遮って、腕振り回してナップが叫んだ。
ウィルがこめかみに指を当て、深くふかーく嘆息する。飛びついた自分たちも自分たちだが、見つけた後というか本命本番の手段をちっとも考えていなかったという事実を突きつけられて、もはやことばもないようだ。
そんな弟の仕草を見て、兄が何も気づかないわけがない。
くってかかろうとしたナップを、けれど、ちょうどよいタイミングで発されたレックスの声が留めた。
「はは、そうだな」
そうですね、と、アティが頷く。
「みんなががんばってくれた気持ちが、きっと一番効き目のある薬だったんですよ」
「あ」
「――その」
「……っ」
「えと」
心底嬉しそうに、楽しそうに、――なんだか初めて見る笑顔でもって告げられたお褒めのことばに、子供たちはじゃれあいも忘れて真っ赤になってしまった。
そんな彼らを見て、レックスとアティが、また笑う。笑って、立ち上がった。
「それじゃあ――」
と、同じく立ち上がろうとした子供たちに手を差し伸べて、口を開きかけたとき。
「……待て」
それを見計らってでもいたかのように、低く力強い声が、一行の耳朶を打っていた。
振り返った先、林を背にして佇む男を、彼らはほぼ同時に視界におさめた。
大雑把に伸ばされた髪、無骨に鍛え上げられた体躯、一行を見据える鋭い隻眼、――腰に佩いた刀。
――ウィゼル。
無色の派閥大幹部、オルドレイクの傍らにてその力を揮う男。
「……ッ!」
まだ力の戻らないレックスとアティを庇おうというのか、子供たちがばらばらと前に飛び出した。
が、ウィゼルは刀に手をかける素振りも見せず、ただわずかに目を細め、小さな彼らを一瞥しただけ。そうしてその隻眼は、そのままレックスたちへと向けられた。
「不用ならば、それはその場に置いていってもらおうか……」
“それ”が、魔剣の破片を指していることは明白だった。
あの日砕け散ったままの形で、たまに思い出したように陽光を反射する魔剣の残滓。
身を硬くし、欠片を握りしめる一行の反応など知らぬげに、ウィゼルは「わざわざ探す手間が省けたわ」とうそぶいた。
「砕けたとはいえ、魔剣は魔剣。使い道がないわけではない」
そこで一旦ことばを切り、ちらりと横目を向けたのは、さらに後方に佇んでいた赤い髪の少女へだ。
「――」
視線を追ったレックスとアティが、僅かに目を見開く。
まだ、いてくれたのかと。そんな驚き、それから安堵。……いてくれてよかった。
あなたに、云わなきゃならないことばをやっと、思い出したから。
けれどもその前に、ウィゼルが立ちはだかる。
「さあ」
と、彼はその太い腕を持ち上げた。
「おとなしく、それを渡して立ち去るがいい」
「――いやですっ!」
真っ先に叫んだのはアリーゼだった。杖をぎゅっと握りしめ、足は少し震えて、それでも絶対に踏みとどまってみせると強い意志を垣間見せ。
ことばにはしなくとも、他の兄弟たちもそれは同じ。
召喚獣たちもまた、そんな相棒を守るようにウィゼルを睨みつけた。
「みんな」
「どいてくれる?」
――その横を、通り抜けて、レックスとアティが前に出る。
戸惑いながらも道を空けた子供たちの前で、ふたりは足を止めた。ウィゼルとの間に遮るものは何もない。
そうして真っ直ぐに、鋭い隻眼と視線をぶつけ、レックスとアティは首を振った。横に。
「これは、貴方たちが好きにしていいものじゃない」
告げられたことばを聞き、ウィゼルは器用に片眉を持ち上げた。
「ならば戦ってこの場を抜けるか。……今のおまえたちで俺に勝てると思うているのか?」
「――――」
オルドレイクが召喚師としての頂点を極めんとしているのなら、ウィゼルは間違いなく剣術の頂点を極めている。純粋な直接戦であれば、彼の右に出る者などいないだろう。それは、これまでの戦いからもはっきりしていることだ。
対して、こちらは、まだまだ成長途中の子供たちに、軍人であったとはいえ、最近ろくに食事もとっていなかった体調最悪の大人たち。はどうか判らないけど、こんな大勢の足手まといを庇ってウィゼルと張り合えというのは酷に思える。
戦力差は目に見えている。戦ったとして、その結果も。
――でも。
そうだとしても。
「……譲れない願いがありますから」
「守りたいものがあるから」
絶対に、退いたりなんか、しない。
そう決めた心をもう、曲げたりはしないのだと。
静かに、けれど確たる口調で告げたレックスとアティ。――ウィゼルは、そんなふたりを見て、ふ、と目を細めてみせた。
張り詰めていた空気が、彼のその仕草で和らいだ。
臨界近くだった緊張が、一気にたわんだ。
「え」
唐突な雰囲気の変化についていけず、子供たち、そしてレックスとアティも目を丸くした。
呆気にとられた彼らがそんなに面白いのだろうか、ウィゼルは明らかに笑っていた。
「――敗北を経て、ようやく、武器と心を重ねるに至ったか……」
面白い、と、彼は云う。
「見たいと思える素材につづけて出逢えるとは……奇なものだ。だが、悪くはないな」
「……それは、どういう――」
意味なのかと。問おうとしたらしいアティの声は、驚愕のあまりに掠れていた。
最後までつむがれなかった疑問へ、だが、ウィゼルは気分を害した様子もなく返答する。
「その剣を修復してやってもいい。そう云っているのだ」
「――え!?」
そしてそれは、思いもよらぬものだった。
「どうして――貴方は、無色の派閥の一員じゃないんですか?」
何故敵に塩を送るようなことをするのかというレックスの問いに、ウィゼルはつまらなさげに応じる。
「使い手の意志を体現する最強の武器をこの手で作り上げる。――俺が望むものは、それのみだ」
志を同じくして無色の徒になったわけではないのだと、彼は告げた。
だが、そう云われて容易にはいそうですかと納得できるものではない。ますます瞠目するレックスたちへ、ウィゼルはそのままことばを続ける。
「オルドレイクの狂気、あれはまさに、何者も及ばぬ強固な意志よ。それを武器にこめるため、俺は行動を共にしてきた」
風に乗って聞こえるそれを耳にした赤い髪の少女が、誰に気づかれぬ程度に天を仰いだ。
やっぱりか、と、その唇は動いたようだが、それに気づいたのは、彼女の足元に佇むプニムだけだったろう。
「しかし」
同時に見たくなったのだ。そう、ウィゼルは云う。
「狂気に立ち向かおうと足掻きつづけるおまえたちの意志が、それに勝てるか否かを、な……」
「――そ、そんな理由で……っ」
「信じられるか、と云いたいのだろう」
「……っ」
くいさがろうとしたナップは、先手を打たれた形で口ごもった。幼い反感を好意的に感じているのか、子供たちを見るウィゼルの目は心なしやわらかい。
「信じるも信じないも自由だ」
だが、あえて云おう。
「力無き意志では、意志無き力を止めることは出来ぬ」
それはついぞ最近に、おまえたちが痛感したことだろう。
淡々と告げられたそれは、たしかに事実。
「――――」
そしてそれを最後として、ウィゼルは口を閉ざした。レックスたちに向けられたままの視線が、彼らの是非を問うている。
どうする? と。
拒否すれば、戦いになることははっきりしている。
だが応じるにしても、それが信に値するかどうか判らない。
ならば――
「……信じます」
「剣の修復、お願いします」
それで先生たちがどうするか、なんて。判ってたというか、ああやっぱりね、というか。
ふたりは子供たちを振り返って、やわらかく微笑んでみせた。
「この人の云うとおりだ。気持ちだけで戦っても勝てる保証はない。そして、俺たちは負けたくないんだ」
守りたいものがあって、信じたいものがある。
今は、それをはっきりと判ってる。
だからもう、負けたくない。
「――曖昧に笑って、自分をごまかしたくないんです」
子供たちが戸惑いながら、けれどはっきりと頷いたのを見てとって、レックスとアティは、再びウィゼルに向き直った。
隻眼の剣豪もまた、顎を軽くひいて目を細める。
「良い目だ。ならば俺も、それに応えるだけの腕を揮ってみせよう」
「……でも、どうやって直すんですの?」
「そうです、道具も何もないのに」
普通の鍛冶道具なら、もしや風雷の郷にでも行けばあるかもしれない。だが、ものがものだ。砕かれたとはいえ魔剣の名を冠するそれが、そこらにある道具で直せるとは思えない。
当然のように発されたベルフラウとウィルの問いにも、だが、ウィゼルは揺らぐこともなく云いきった。
「心当たりがある。ついてこい」
ただそれだけ告げると、身を翻して歩き出す。
レックスとアティ、ナップとウィル、ベルフラウとアリーゼはそれぞれ顔を見合わせると、彼の後を追って足を踏み出した。
――林に踏み込む一歩手前で、ウィゼルが立ち止まる。
ずっとそこに佇んでいた赤い髪の少女を見下ろし、ただ一言こう云った。
「来るか」
それは問いというよりは、確認の色合いが濃いことば。
少女はひとつ頷いて、ウィゼルに並んで歩き出す。足元に鎮座していたプニムも、それについていく。
やりとりを見ていた子供たちはというと、先を行くふたり――というか赤い髪したほうの背に、何か云いたそうにしてたけれど。先生たちが沈黙したままでいることを鑑みたか、ひとまずは剣が先だと思い直したか、黙々と足を進めていた。