……思えば、最初からすべてが間違っていたのかもしれない。
帰り道で足を踏み出せなかったことから始まって、触れてしまった誰かの道、そこに響いた嘆きと叫び。
落ちた時代での干渉と、あまりにも早く離してしまった彼らの手。
そして、出来るならば最後まで、偽ろうとした自分の浅はかさ。
もっと早く向き合えていたら、あるいは何かが変わっただろうか。
そう思うのは楽。
その考えにひたってそこで留まってしまうのは安楽に過ぎて――許されないことだと、知っている。
知っているから。
「おか――さん?」
あのころのように近づいてきた、レックスの腕を払った。アティの手のひらを押し返した。
……ふたりは、呆然と、自分の腕や手のひらを見て。
次の瞬間、みるみるうちに涙を競りあがらせた。
「おかあさん……!?」
優しい記憶。
あたたかいゆめ。
受け入れてくれてた、遠い――――
だのにどうして、そんなことするのかと。
「レックス。アティ」
涙が溢れ出す前に、ふたりの名を呼ぶ。強い口調に、彼らはびくりと身をすくめた。
「抱いて」、ぽつりと。視線を落としてレックスが云った。「……くれなくても、いい」
「教えてください……っ」
座り込んだまま、アティが上身をわずか傾げた。
ふたりは、叫ぶ。
「俺たちがここにいるのは、何のため……!?」
「ことばではなく戦いが、すべてを解す手段なんですか――!?」
本当は、もっともっと、たくさんのことが、ふたりの頭のなかで渦巻いていたんだろう。
それでも。端的にこぼれたに過ぎない叫びは、出てこなかった分の慟哭の重みさえ、併せ持っていた。
「本当に……それが、答えなんですか……」
「守りたいなら他を奪うしかないの……?」
碧の賢帝。
強いられる戦い。
そうしてきっと、なによりも。
あの遠い日を表層に引きずり出したのだろう、赤く染まった空と大地。
――守れなかったという、誰か。
――砕け散った碧の輝き。
長く続いた受け容れ難い光景を、ずっとずっと、それでもずっと、無理矢理にずっと、許容しようと踏ん張ってきたから。
どうせ、もう、限界だったのだと思う。
自らの矜持に反する行いを、人は長く続けられるわけないのだから。
たとえば、遠い遠い明日。
赤紫の髪を持つ養い親。漆黒の機械兵士。きれいな金髪の兄代わり。
……矜持。誇り。礎。
すべてがそうではなくても、それはきっと、歩く糧。
守りたいのだと云った。
それがきっと、彼らの矜持。そして願い。そして命題。
“守るためにここにいる”と、それが答えになる――のなら、どれほどに、容易か。
守るために失わなければならないものがある。
おそらく誰もが仕方ないと諦めるものさえも、守るのだと。取りこぼしたくはないのだと。拘るからこそ、それだけでは答えになりえない。
……でも。少し――その気持ちは、判る。
だってあたしも、両方どうにかしようって、じたばたしたこと、あったから。
……だから、少し怒るんだ。
守るために守らなければならない一番肝心なものへ、ふたりはずっと、目を向けてなかったから。
……だから、自分を不甲斐なく思う。
遠い昔の選択が、たしかに今も息づいて、今のふたりを形成するに至った一端なのだと知っているから。
……だから――
そっと手のひらを差し延べる。
いざなうためではなく、その存在を見せるため。
ああもう正直、どうすればいいのか判らない。判らないけど――ここで終わらせなければならないのだということくらいは、うん、知っている。
知っているから、ことばにしよう。
「あたしはあたしの答えを持ってる。けどそれは、あなたたちの答えにはならない」
『――――』
蒼い双眸が、二対。ゆっくりと、見開かれた。
そしてふと、思いつく。
「なあ」
何度か交代を繰り返した結果、今先頭を歩いているのは次男のウィル。
前を行く濃緑色の帽子に声をかけると、くるっ、と、見慣れた弟の顔が、ナップの目に飛び込んだ。
「ミャ?」
「何?」
足元からの鳴き声に重ねて、ウィルが首を傾げた。
後ろをついてきていた妹たちも、輪を描くように足を進めて顔を見渡せる位置につく。
「どうしたの?」「どうしましたの?」
あてもなく島を探し歩いて、もう三日目。
探し出したい気持ちこそ減じたりなんかしていないけど、いつまで続ければいいのかと、思っていたのも事実だろう。
……標ないままの歩みは、考えていた以上に、気持ちを挫くものだと知った。
「あのさ。探すのもいいんだけど」、
別に疲れたとかじゃないんだけど。
「全然、行方にアテがないわけだろ?」
「そうですわよ」
「だからこうやって――」
「護人のおっさんたちだって、何も見つけてないだろ?」
「でも、あのひとたちは、集落を守らなくちゃいけないから」
結局、自由に動けるのって自分たちくらい。
だから。動けないままの先生たちのことも、それから船を離れられないカイルたちが少し苦い顔してることも知っていて、今、子供たちはここにいる。
――何のために。
それはもちろん、先生たちにまた、笑ってもらいたいためだ。
沈みきった姿を見てるのが辛い。
光のない眼を見るのが辛い。
声をかけても、手を触れても、何の反応もしてくれないのが辛い。
歩くのをやめてしまった先生たちを見るのが、辛い。
……追いつこうとがんばっていた背中が、けして届かぬと思っていた背中が、どうして今にも手の届く場所に蹲っているのか。それが辛かった。
追いつきたいと願うのは、まだまだ遠いと知っているから。
本当ならもっともっと年月を、経験を重ねた先でなければ、その背に手は届かない。
――今。
ちょっと走って手を伸ばして背に触れて……追い越して飛び出して。その先で何をすればいいのか、まだ、自分たちは知らない。
先生。
――先生で、いて。
いつか追いついて追い越したくて、でも、まだ、遠い背中でいてくれることが、自分たちの望み。彼らへと師事した、自分達の誇りだから。
だから――には申し訳ないんだけど――目的はあくまで、先生たちのこと。彼女を見つけるのは、その過程に過ぎない。
「碧の賢帝って」、
ふっと思い出したそれを、ナップは慎重にことばにする。
「先生たちの心、だよな」
「……うん……?」
「ビ?」
兄が何を云おうとしているのか判らぬまま、弟妹たちは頷いた。彼らの傍に常に在る、小さな召喚獣たちも。
「あれが砕けたから、先生たちの心も砕けちゃった――んだよな?」
「キュピ?」
「それで?」
「ええと――その、つまりっ! あの剣を元の形にすること出来たらさ、先生たちの心も元に戻るってことにならないかって!」
「――――」
誰かが云っていた。
剣は彼らと共にある。
剣は彼らと結びついてる。
剣は。
彼らの心、
彼らの魂、
もはや分かち難く結びついた、彼らそのものであるのなら――
はっ、と。
雷に打たれたように、弟妹たちが凍りつくのをナップは見た。とはいえ、それはほんの数秒、いや、一秒だってあったかどうか。
そうして次の瞬間、彼らは走り出していた。
ほんの三日前に戦いが繰り広げられたあの場所へ。
碧の賢帝が、先生の心が、むざと砕けたあの岩場へ――
――ふたりは動かない。
動けないわけではないのだろう、けれど、の投げたことばに思考がおっついてないらしい。
全面的に信を寄せた相手に手を弾かれ、挙句に問いかけても答えさえくれないと云われれば、驚愕だって生まれてしょうがないか。……揺れ続ける心は、その驚愕や衝撃、増幅して溢れさせてしまってる。
「あなたたちにあげる答えなんて、あたしは持たない。誰も持たない」
それでも、答えを求める気持ちがまだあるのなら、
「――――ついてきて」
こんな狭苦しい場所ではなく、あの場所へ行こう。
遠い、遠いあの日へと、ふたりが立ち戻ってしまったあの場所へ。そして。そこでもう一度、見つめてほしい。
……心砕けたあの岩場で。砕けたものは、何だったのか。
振り向きもせず背を向けて、扉をくぐる。
いつもどおりの調子で歩きながら、耳を澄ました。
床を叩く足音がふたつ、のろのろとついてきているのを確認して、船を出る。
いつの間にか、人っ子ひとりいなくなってしまっている砂浜を見て、ちょっと呆気にとられた。
「……気を利かしすぎじゃなかろーか」
そうごちて。
だけど、立ち止まったのはほんの数秒。
ついてくるふたりに追いつかれる前に、は、砂を散らして歩を進める。