……その姿を見つけたのは、単に見ていた方向か、それとも元々の視力の差か。後者であれば、さすが狙撃手とでも拍手しておくべきだろうか。
「あ」、
かすかな妹の声を聞き取って、カイルは、力の入りすぎた釘打ちの手を止めて振り返った。
さっきから、やけっぱちめいて響き渡っていた、ガンガンドカドカという音が止まったことに気がついて、スカーレルが顔を出す。船のつくる日陰に座り、読めぬ名の刻まれた召喚石を凝視していたヤードも、目を持ち上げた。
三人は最初にソノラを見た。
それから、ソノラの見ている方向を見た。
それから、
「「「あ――!?」」」
と、三部合唱した。
「「「「!!」」」」
と、今度はソノラも交えて四部合唱した。
さもありなん。
彼らの視線の先では、下ろしたままの赤い髪を風になびかせた少女が、翠色の双眸をちっとばかし胡乱げに細めて、片手をあげていたのだから。
整備途中だった銃を放り出し、ソノラが砂を蹴り上げる。
「! 、、……っ!」
ずっと心配していた少女の名を叫んで、消えやしないかとでも思ったのか、距離が近づくなり手を伸ばして、相手の腕をひっ掴んだ。
そのままじゃ勢いも止まらず、胸に飛び込むようにして体当たり。
「おわ!?」
当然、突進してこられた勢いを、心構えもしてないのに支えられるわけもなく。結果、赤髪と金髪の少女は、もんどりうって砂浜に転がった。
押し倒す形になってしまった赤髪の少女を、金髪の少女は即座に身を起こして覗き込む。そして怒鳴った。
「どこ行ってたのよ! 姿見せないわ連絡もないわ! あたしたち、ずっと心配してたんだからね!?」
ナップたちなんか、毎日毎日――今日だって、あんたの捜索に行ってるんだよ!?
「ご、ごめん」
「ごめんじゃない! あたしの流した涙返せ!」
「いや、それは無理」
「無理でもいいから返せ、ばかっ!!」
「あ〜――じゃあ今から泣くからそれを回収」
「出来るかっ!」
「じゃあどうしろと!!」
少女ふたりが発展性のない怒鳴りあいをしている間に、カイルたちもその場へ到着した。
最初の数秒こそ、しげしげと、ソノラの下敷きになったを見下ろしていたものの。それでは埒があかないと悟ったカイルが、ソノラの肩越しに腕を伸ばしての襟首をその手で掴む。
「わあ!?」
「うわわっ!」
持ち上げられた、その拍子に砂浜に落ちたソノラの声もなんのその、じっ、と、カイルは目の前に持ってきた少女を見据え――もとい睨みつけた。
すう、と息を吸った動作に気づいたか、がひくりと口元を引きつらせる。
んでたぶん、そんな彼女の予想に反さず、
「――――〜っの、バカ野郎ッ!!!!」
海賊カイル一家の頭領たる彼の怒声が、砂浜に響き渡ったのだった。
やろう、やろー、ろー、ぉー、ぉー……
やまびこ、というか、その場の一同の耳を震わせた怒声の残滓が遠ざかるまで、おおよそ十秒前後。
腹の底から搾り出されたカイルの声は、全員の聴覚を一時的に麻痺させた。
もっとも至近距離でそれを聞いたなんか、目がぐるぐるぐるぐるまわって前後不覚っぽい。最大の被害を逃れた他三人にしたって、途切れることなく届いてた潮騒の響きが、途中停止になっちゃっていた。
「ったく……」
溜まりに溜まった何かを吐き出したことで、どっと力が抜けたんだろう。を砂浜に下ろして、カイルは、空いてた片手を額に当てると、そのまま大きく息を吐き出した。
「おまえな、オレたちがどれだけ――いや、もういいけどよ。このバカ野郎」
はあ、とこぼれる吐息。
半眼になったままの眼と、一気に弛緩しちゃったらしい脱力っぷりと――それから、“バカ野郎”。
それだけで、カイルの云いたいことは、全部に伝わったらしい。
「ごめんなさい。ありがとう」
こちらも、長々と何かを弁解したりはせず、ただ簡潔にそう云った。……うん、本来なら、それで終わるはずだった。
おろおろとしてるヤードがに「怪我はありませんか」って訊くか、苦笑することしきりのスカーレルが安堵混じりに彼女を突っつくか。
いままでだったら、そんな展開になってたはずだ。
だけど、
「――ごめんなさい」
二重に告げられた謝罪が、いままでとは違う何かがあることを、カイルたちに告げていた。
「?」
「ごめんなさい」、
彼女は繰り返す。そして、
「レックスとアティはどこ?」
以前はつけていた敬称を取っ払って、だけど、それが何よりしっくりくる呼び方で――同じ髪の色したのふたりの所在を、は、カイルたちに尋ねたのだ。
「さん……?」
さすがにいぶかしいものを感じて、ヤードがを覗き込もうとした。
が、はそちらを一瞥し、小さくかぶりを振っただけで応えにし……少し寂しそうに微笑んだ。
「すみません、時間がないです。レックスとアティはどこですか?」
「部屋にいるわ」
一歩離れた場所に佇んでいたスカーレルが、早口に告げる。
「ありがとうございます」
それを聞くなり、は立ち上がった。
砂の上に座り込んでたソノラ、膝に手をついていたカイルが、つられたように立ち上がり、姿勢を正す。
船へと向かうを追って踏み出そうとした彼らの足は、だが、振り返った彼女が突き出した手のひらで止めざるを得なかった。明確な制止の意図が、そこにあったから。
「」
「このあたしじゃないあたしを、あたしだって認めてくれたら、そのときは時間があると思う。だからそのとき話します。今度こそ、全部」
だけど今は、レックスとアティのところに行かねばならない。そう、言外に告げて、彼女は身を翻す。
……残された形になったなかの誰も、その背を追おうとはしなかった。
さながら――決戦に臨むようだと。
そう思ったのは、誰だったろう。
ふと、カイルが空を仰いで後ろ頭に手をやった。
「あー……なんだ。昼飯前に、軽くその辺走ってくっかな」
ソノラが、砂浜にほったらかしたままの銃を拾いに行きながらつぶやいた。
「砂まみれになっちゃったし、ちょっとメイメイさんとこ行って交換用の部品見てくるね」
スカーレルが、その肩に手のひらをおいた。
「付き合うわ、ソノラ」
「そお? サンキュ」
などと各々遠ざかる背中を見送って、ヤードは、苦笑混じりにひとりごちた。
「留守番が必要になったらどうするんですか……」
そんな彼も、だが、思い出したように懐へと手を当てて、
「そういえば、ここ最近、召喚術の鍛錬を怠っていましたね」
ついでに増えすぎた召喚石の整理もしましょうか。
そう口にすると、他三名に遅れることしばらくで、船を後にしたのであった。
教えてほしい。
応えてほしい。
……誰でもいい、告げてほしいよ。
今、何のために自分たちがここにいて、何のためにこそ動けばいいのか。
太陽の光から目を背け、目に見えるものから意識を外し、深く深くもぐりこめば、そこにあるのはただ闇ばかり。
否。
思い知らせようとでもいうかのように、繰り返し繰り返し、映し出される数多の映像。
――遠い赤い日。 喪ったやさしい人たち。
泣いていた翠の双眸。
――赤い夕暮れ。 守れなかった背中。
突き出してた刃。
――青い空と海。 地面を抉った碧の刃。
揮われた紅の力。
――――砕け散った――剣、……その先に在った、心。自分たちの。
そうしてとどめを刺すように、それは現れる。
混乱しきっていた意識のなか、それでも見えていた視界のなか。
突き飛ばされた弾みに外れた黒いフード。……その下からこぼれた、焦げ茶色の髪。
誰。
赤い髪と翠の眼。
あのひとの持つ色は、赤と翠。
誰?
焦げ茶の髪と夜色の眼。
あのひとだと思ってたマントのなかにいたのは、見も知らぬ少女。
――何処。
何処に行ったの。
何処、何処――何処ですか、おかあさん。
教えてほしい、応えてほしい。
あなたの手とともにもう一度、呼びかけてほしい、告げてほしい、示してほしい。
力こそが最後に勝つのか、
奪わなければ終わらないのか、
相容れぬふたつがあるのなら、戦いこそがその果てなのか、
……ならば何のために、ことばは。気持ちは。想いは。
最後には力で砕かれるしかないものならば、何のために。
人は、それを紡ぎあげていくというのか。
俺たちは、本当に救われていたのか。
「レックス。アティ」
――――――――
映像が途絶えた。
暗闇がはじけた。
またたき。そして瞠目。
耳に届いた声は、求めてた、遠いあの日に聞いた声。出逢ってずっと、傍にいた声。
虚空を無意味に見つめていた目が焦点を結んだ。
首をひねって、声のしたほうを振り返る。
――真っ先に目に入ったのは赤、そして、その髪に縁どられた翠。
「おか――」
云おうとしたのは、姉か弟か。
「最後のゆめだよ、レックス、アティ」
そのことばを遮って、彼女は、笑った。――告げる唇の僅かな震えや熱を帯びる目を、まだ自失しているふたりが気づいていないことに、安堵しながら。