誰か――
誰か。答えられるものなら答えてほしい。
教えてくれるものなら教えてほしい。
ただ、守りたかった。
大好きな人たちを、大切なものたちを、悲しみから、苦しみから。
ずっと笑顔でいてほしい、それだけを願ってた。
傷つけたくなかった。
奪い取りたくなかった。
敵からも、味方からも、誰一人、何一つ、全部を、全てを。
ただ、守りたかった。
奪われる者の悲しみ、打ち砕く者の虚しさ。
――遠い赤い日、目の当たりにしたふたつの慟哭。
もう、繰り返したくない。
もう、繰り返させたくない。
だから、剣を振るってきた。――なのに。
教えてほしい。答えてほしい。
誰でもいい、解への標を示してほしい。
それとも。
それは解なき問いなのか、見てはならない夢なのか。
対立する概念は、お互いに消し合うしかない運命だというのか。
――ならばどうして。
ひとは、他者と共に生きていくのか。
なんのために、想いを紡ぐ言葉を作りあげたのか。
判らない。
判っていたのかさえももう、判らない。
砕け散ったものがなんだったのか、砕けるようものがあったのかどうか、それすらも。
教えてほしい。答えてほしい。
誰でもいい、告げてほしい。
今、この場所にいるその意味を――――
――この砂浜に流れ着いて、もうどれくらいになるだろうか。ふと、スカーレルはそう思った。
それは、あの嵐の日から、島に辿り着いてから、何日になるかという問いと同じ解を得られる疑問。船に入って自室に戻れば、確認は出来る。そこまでして知ろうと、今は、思わないけれど。
大した生産性もない思考をめぐらせることに、少し自嘲。だけど、それ以外にすることもないというのが現実だった。
漂う重苦しい空気の下、悟られぬよう嘆息して、スカーレルは冷め切った食事に覆いをかける。量としては、成人がふたりいてちょうど食べきれる程度のもの。本来食されるべき朝食の時間はとうに終わってしまったけれど、昼にあたためなおして食べる予定。捨てるなど、彼らの間では問題外だ。
……ちなみに、今朝の食事には同程度の量、昨日の夕食が混ざっていた。昨日の昼食には昨日の朝食、昨日の朝食には一昨日の夕食……そんな食事情が三日もつづけば、さすがにため息のひとつもつきたくなろうというものである。
無下に繰り越されていく食事への同情と、それでもつくってしまう自分たちの滑稽さと。それから、その食事繰越の原因となっている、ずっと部屋にこもったままの赤い髪した先生ふたりとを思って。
同時に、この状態がもうしばらくは続くだろうことを考えたスカーレルの脇から、ずい、と無骨な手のひらが差し出された。
「よこせ、それ」
仏頂面して腕を突き出してきたカイルを振り返り、スカーレルは首を傾げた。
「どうしたのよ、いきなり?」
「どうしたもこうしたもねえ、もう三日だぞ!」
手を出したまま、カイルは怒鳴る。
「一日目ならまだいい、二日目もしょうがねえ、けどもう三日だ! いい加減飲まず食わずじゃ身体が保たなくなってるころだろうがっ!」
つまり、カイルは、
「無理矢理にでも食べさせてくる、ってわけ?」
「当たり前だろ!?」
食事を差し出そうとしないスカーレルに焦れたか、距離を詰めて自ら料理をとろうとする。
その手を、スカーレルは弾いた。
「え――スカーレルっ!?」
後方から見ていたソノラが、驚いた声をあげる。心境としては、兄に同意していたに違いない。
唐突なカイルの行動に、やっぱり固まっていた子供たちも、こちらに向けていた目をまん丸にしてしまっている。
あら。少しは緩衝材になってるのかしら、カイル。
こもりっぱなしの先生たちほどではないけれど、同じだけの日数、暗いままでいた子供たちの表情に表れた久々の変化。それに、少しだけ安心する。なにしろ、食事を持っていっても先生たちはこもった部屋から出てこようとしない。ギャレオやゲンジ、あまつさえジャキーニまでもが赴いて声かけにきてくれても、繰り返すのは生返事ばかりで。そのたびに落ち込んでいく子供たちを慰めるすべなど、彼らは思いつけなかったのだから。
そんなふうに安心はするけれど、スカーレルはカイルに料理を渡そうとはしなかった。
「スカーレル!」
非難混じりの怒声に、だが、彼は揺るがない。
「生きる意志をなくしてる相手に無理矢理食べさせたって意味がないわ。生かしておく意味だって、ない」
感情が滲み出さぬよう、淡々と云い切ったそれに、カイルの勢いが減じる。
「スカーレル……」
どこか痛みを感じているようなヤードのつぶやきが、静まり返ったその場に、常以上の大きさで響いた。
「放っておきなさい」、付け加えるか否か、迷ったのは本当。けれど、結局スカーレルはそれを舌に乗せた。「あのひとたちに、少しでもその意志が残ってると思うなら。……残ってるのなら」
――きっとあのひとたちは、自分から出てきてくれると思うなら。
「っ」
ざ、と、複数の足音が、彼らの耳を打つ。
視線を転じれば、いたたまれなくなったのだろうか、子供たちが砂浜を後にするところだった。
誰も、それを止めようとはしない。
はぐれ召喚獣出現への危険なんて、もうあの子たちには云っても詮無いこと。島についてから重ねてきた実戦は、彼らをそこまで強くした。
……ともすれば。
そう考えたのは、一家のなかの誰だったろうか。
所在なさげに拳をおろしたカイルか、佇んで見送るヤードか、ぎこちない手つきで銃の手入れを始めたソノラか――覆いをかけた食事を、日の当たらぬ場所へ持っていこうと立ち上がったスカーレルか。
……ともすれば。砕かれたという先生たちの心を再び繕うことが出来るのは――――
どうすればいいのかなんて判らない。
どうやればよかったのかなんて判らない。
ただ、他にやれることがないからそうしてる。
黙々と木々の間を進みながら、子供たちは油断なく周囲を見渡していた。それは、はぐれの襲撃に備える意味もあったけれど、別の存在を見逃すまいとしてるから。
けれど、彼らの前にはその存在どころかはぐれさえ、現れることはなかった。
三日ほども同じようにして――進む場所こそ違えど――島中を歩き回っているけれど、いつも同じ。
何も出ずに昼が来て、そこらの果物で腹を満たしてまた歩き出し、何も見つからずに日が暮れる。そして夕食、就寝。
探しものがそうあっさり見つからないことくらい、子供たちは予想してた。けれど、はぐれがちっとも出てこないというのはおかしいのではないか――誰かひとりくらいはそう考えていたかもしれないが、それは一度も表に出ていない。
出す余裕がないし、出しても答えが見つかるか判らない。
自分たちの手はまだ小さくて、それまでカタチにしてしまったら、抱え込める容量から溢れ出してしまう。
少なくとも、自分たちは、自分たちの手にどれほどのものが掴めるか、たぶん知ってる。
……先生もきっと知ってた。
だけど先生は、自分じゃない誰かのために、溢れ出すものさえも手繰り寄せて抱え込んでしまってたんだ。
その結果が、今だ。
あのとき、イスラによって魔剣が砕かれて。船に連れ帰られた先生たちは、泣き止んではいた。
だけど、目はどこを見てるか判らなかったし、呼びかけても反応してくれない。何か、小さな声でずっと、誰かを呼んでた。求めてた。
……“おかあさん”
と。
先生たちは、つぶやいてた。――つぶやいてる、今もきっと。
だったら、自分たちに出来ることは、“おかあさん”を探してあげることじゃないかと。
云い出したのは誰だっけ。兄弟の誰かだったと思うんだけど。
“おかあさん”
あのひとを見つけて連れて行けば、先生たちが元気になるって保証があるわけじゃない。
でも、可能性があるのって、そのひとくらいだ。
「、今、何してるんだろうな」
「さあ……」
赤い髪と翠の眼。
もういない、誰かの姿を探して、子供たちは島を彷徨う。
「……もしが見つからなかったら、ずっとこのままなのかしら……?」
「そんなことさせませんわ! ――でないと……っ!」
でないと。
先生たちはきっと、いなくなってしまう。
「黒マントのあいつでもいいんだけどさ。絶対、何か知ってる気がする」
「ぷ!」
「そうだね。あの白い剣、さんが使ってたのとたぶん同じだ」
――焦げ茶の髪と夜色の双眸。
だと、信じてたマントの下から現れた、見も知らぬ女性。
まさか同一人物だなんて、思考の端にだってのぼらないまま――子供たちは、それでも、出来る何かを探して歩いている。
いつもあのひとと一緒にいた、青い小さなプニムだって、彼らと一緒にがんばっている。
ピーイィィィ……紺碧に高く響くは、鳥を呼ぶ口笛。
ほどなくして頭上は僅かに陰り、キュウマの腕に鳥が一匹舞い下りる。餌をねだる頭を軽くなでてやり、ひとつまみ褒美を与えて、足に結わえられた書簡を取り外した。
そうして腕を高く持ち上げてやると、鳥は再び空へ舞う。次に呼ばわられるまで、どこかの木陰で羽を休めるのだろう。
その行く末を見届けるのも惜しいとばかり、キュウマは書簡を解いた。
鳥の足に結わえられる程度の小さなものだ、手先の器用さが要求されると思われるが、彼はそれを難なく開いて、中から小さな紙切れを三枚取り出した。
「様子はどうじゃ?」
縁側に腰かけ、見守っていたミスミから声がかけられる。
軽く頷き、キュウマは書簡の内容を読み上げた。
「無色の派閥、イスラ、共に、未だ行動を起こした様子はないようですね。ラトリクス、ユクレス村、狭間の領域、特に変わりはありません」
とはいえ油断ならない状況であることに変わりはない。護人はめったに集落から離れなくなったままだし、連絡手段がキュウマの鳥やマルルゥであることもそのままだ。
「それから、アルディラ殿からです。遺跡にも、今のところは何者かが侵入した形跡はないとのこと」
「そうか。……あちらには手間をかけさせるのう」
せめてわらわも向かえればよいのだが。
嘆息する鬼姫を振り返り、キュウマは苦笑する。
「なりません。第一この地からでは遠すぎます、申し訳ないことはたしかですが、アルディラ殿とヴァルゼルド殿が適任ですよ」
「ちっ。もう少し北寄りに郷をつくるべきであったわ」
「母上……」
あからさまに顔をしかめた母を見て、隣に腰かけたスバルががっくり項垂れた。
その心を表すなら、“おいらのこと云えないじゃん”とかそんなところだろう。この親にしてこの子あり、だ。親はリクトでも可。
そんな他愛のないことをキュウマが考えたかどうかは、本人のみぞ知るところだ。
「なあなあ、キュウマ」
ひょいっと庭に飛び下りたスバルが、彼の着物の裾を引っ張った。
「は? 見つかったの?」
「……、いいえ」
問われ、三枚の紙に改めて目を通してみるが、そこにはの名も発見の字も書かれてはいない。つまるところ、彼女は行方不明のままである。
「そっかあ……海賊のあんちゃんたちも委員長たちも、心配してんだろうなあ」
腕を頭の後ろで組んだスバルは、そう、空を仰いでつぶやいた。
生きてることだけはたしからしいけれども、それだけでは杳として行方の知れぬままの現状、安心度は日を追うごとに減少している。
「そうですね……」
主君と仰ぐ少年のことばに、キュウマもまた、僅かに目を伏せて応じた。
そんな風雷の郷の真横を、まさかまさかの大まさか、赤い髪して翠の目をした誰かさんが、走っているとは知らぬまま。