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【その幕間】

- おやすみ、君よ -



 碧の賢帝、紅の暴君。
 二対の魔剣は封印の鍵。眠る核識にいたる道。
 剣は島の意志に通じている。
 意志は剣を通じて所有者に届く。
 島の意志とは何だろう。
 島全体の意志なのだろう。

 ならば、島に起こるあらゆる事象、引き起こされる感情の渦は、意志として継承者に届くのだろう――


「坊は寝とけ。別にチクったりせんから」
「……」
「横になるだけでも違うぞ?」
「……」
「顔をおまえさん、身体をにして、シアリィって娘の恰好で島中練り歩いてくるぞ?」
「……外道」
「はっはっは、苦しゅうない苦しゅうない」

 霊界集落狭間の領域、――双子水晶。
 普段ならば住人たちが集って賑やかなこの場所だが、いまは、しん、と静まり返っている。
 耳を澄ましてみても、そこかしこに在るはずの気配は殆ど感じられない。
 日はとっくに沈んでいるというのにこの閑散っぷりは、やはり、島の危機感を皆が感じているからだとか。

 ……それなのにいいのか、その元凶を引っ張り込んで。

 手近な水晶のひとつに腰かけて、は、マネマネ師匠とイスラのやりとりを、呆れ半分感心半分で見守っていた。
「……ふん、せいぜい利用させてもらうよ。僕に甘い顔を見せたこと、後で後悔すればいい」
 さすがに、ド外道な提案を実行に移されるのは嫌らしい。
 しぶしぶ折れたイスラが平べったい台状の水晶に身を横たえる。紅の暴君持ち出してキレたりされたらどーしようかと思ったものだが、それは杞憂に終わってくれた。何はともあれお手並み鮮やかです、師匠。
「やれ、最近の若者は頑固じゃなあ」
 ケ・セラセラ――どこかのまじないか何かだろうか、聞くだけで頭に花が咲きそうなことつぶやく師匠を見上げるイスラの表情は、どこか悔しそうだ。
「そっちが気楽すぎるだけじゃないのか?」
「うむ。それもまた一理、じゃな」
 のれんに腕押し。
 ぬかに釘。
 フレイズだけかと思っていたがいやいやどうして、マネマネ師匠に弁で勝てる相手っていなさそうな気がしてきたぞ。
「……だいたい」、
 おお。イスラ、まだ闘志が消えてないらしい。
「僕に寝ろって云うのなら、はどうなんだよ。彼女の方が、ずっと疲れてるはずだ」
「え――いや、あたしは」
「うん。もちろんも、ちゃんと睡眠とらないとな?」
「……」
 こ、このやろう。
 恨みをこめて睨みつけるも、イスラはと視線を合わそうとしない。
 逃げ出してやろうかと思った矢先、マネマネ師匠がそれを封じた。
「ほら、もおやすみ」
 低空飛行で退路を断つようにして回り込み、ぐいぐいと背中を押してくる。
「いや、ま、待ってください師匠、あたしまだ――」
「傷ついたのは心臓じゃろ?」、さらりと云われたそれに、ことばをなくす。「生きるに重要な臓器を再生させた身の熱量が、なんで一日二日で埋め合わせられようか。どうせろくに休んじゃおらんのだろうが」
 まるで見ていたかのように、マネマネ師匠のことばは正確だった。
 いつ誰に見つかるか判らない状況下、あまつさえ初日は亡霊が周囲を漂ってたなかで、熟睡など出来るわけもない。
 せいぜい、まどろみに身をひたしていた程度。だけど、
「それはそうですけど、でも、あたし、まだ気になることが」
「……誰も動けんよ」
 足を踏ん張るの耳元に口を寄せて、そっと師匠はささやいた。
「幹部が傷を負った無色の派閥然り、ここの坊然り――剣を砕かれたレックスとアティ然り」
「――――」
「ワシが知れたのは、ビジュの目で見てたことだけじゃがな」
 集落に戻り、師匠の手から離れて飛んでいった光は周囲に紛れ、もう、どれだか判らなくなっていた。
「なら」
 なら判るのではないか。
 レックスとアティが、どれほど危うい状態か。
 あの瞬間のふたりは、泣いたか泣かなかったかという違いだけで、あの日とまったく変わらない。――小さなふたりが、赤く、赤く染まっていた遠い日と。
「でもな、じゃないは、みんなに逢えないんじゃないか?」
「……っ」
 肩口にこぼれるのは赤い髪じゃない。
 悔しげに足元を睨む目の色は、翠じゃない。
 だから、黒いマントをかぶってた。
 でも見られた。――いや、師匠にもイスラにも出来れば見られたくはなかったんだけど、なんだかんだでこうなってしまったんだけど――だから、これ以上は、本当に。
 ――それは、師匠のことばのとおりだから――というわけでは、ない。
 を知らない、も知らない、この時代の人たちに見られても、たぶん大きな影響はないと思う。
 問題なのは、そのなかの数人。
 占い師さん、無色の派閥大幹部、そして隻眼の剣豪、――紅き手袋の統率者。そう、それからヒゲの海賊さん。彼らにさえ見られなければ良い、そうは思っている。誰の前でも黒マントをとおすのは、一貫性を欲してのこと。
 だから――別にの姿でも、いいのだ。
 でも。
 でも、――でも。
「でも、あたしは」
 あの姿で、あの子たちから、聞かなければいけないことばがある。
 あたしからは告げた。
 次はあの子たちから。

 ――そうしなければ、まだ、何も。

 早まった、と、苦い気持ちを噛みしめるの耳に、また師匠の声。
「ワシに、考えがないこともないんじゃが」
「――え!?」
「ただ、ちょっと時間がかかる。じゃから、その間、おやすみ」
 時がきたら、ちゃんと起こしてあげるから。
 振り返った先、にっこり微笑む黒髪さんの表情には、ちっとも後ろ暗いものはなかった。
「――――」
 躊躇がまったく生まれなかった、わけではない。
 ただ。そこに、目の前に、何を気にするでもなく休める場所があるということ、だましだまし来た自分の体調のこと、それらが師匠の手と一緒にの背を押した。
「……」
 ひとつ、小さく頷いて、は肩の力を抜いた。
 眼前には固い水晶があるだけだが、ふわふわのベッドから誘惑されてるような気持ちで近寄り、倒れ込む。
 ふと視線を転じれば、すぐ間近にイスラがいて、じっとこちらを見つめていた。

 おやすみ、と、ささやいたのはどちらだっただろうか。

 霊界集落狭間の領域、その外れにある双子水晶と呼ばれる場所で。見つかればどちらも大騒ぎになるだろうふたりは、そうして静かに目を閉じる。


 さてどれくらい眠るかな、と、意識を手放したふたりを眺めて、黒髪さんは顎をなでた。
 それから、「失礼」とつぶやいて、少女の方に手のひらをかざす。
「ああ、まだあったか、残滓。……よかった。ちょっと読ませてもらうな」
 ぴしぱし、対象外の相手は遠慮なくはじき出そうとする力は、欠片や残滓とは思えないほどに強力。
 けれど、黒髪さんは焦ることなく、ゆっくりと、それらに意識をめぐらせる。
 ゆっくりと。
 少しずつ、少しずつ。
 カタチを保てなくなってもなお、少女を護ろうとする力の残滓たちを、ひとつひとつ読み解いていく。

 ――その力が構築していた、かりそめの姿を識るために。


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