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【その幕間】

- 約束を果たそう -



 ……舞い下りてくるなり、にこにこと説明される経緯を聞いているうち、とイスラはどちらからともなく、脱力を隠そうともせず顔を見合わせた。
「とまあ、そんなこんなで探しに出てきたとゆーわけじゃ」
「それは……あー、おつかれさまです」
「なんのなんの」
「……」
 朗らかなマネマネ師匠、乾いた笑いを浮かべて礼を述べる、そんなふたりを、どうしたものかといった表情で眺めるイスラ。
 ぶっちゃけ、島寄りのふたりと、その島を壊しかけたひとりである。
 いいのか、こんな、和やかな会話してて。――と、ツッコミをいれたのは、果たして誰だったのやら。少なくとも、形になる前に、師匠がふとイスラを見た。
以上に久しぶりじゃな、坊」
「ぼ――ぼん!?」
 ぶはっ、と吹き出す。云いえて妙だ、と、その反応が語っていた。
「……斬られたい?」
 紅の暴君をちらつかせてそう返すも、マネマネ師匠は口元の笑みを消す気配などない。
 やりにくい相手だ、たとえばあの占い師みたいに。――みたいに。
 怒って憎んで嫌ってしまえばいいものを、どうして彼らは、こんなふうに以前と変わらぬようにして自分と接するのだろうか。
「いや、ワシはまだ死にたくないぞ。だから、その物騒なもんをしまってくれると嬉しいな。でないと、こちら様が怯えるんじゃ」
「……こちら様?」
 渋々といった様相をつくったイスラが紅の暴君をしまうと同時、つい、と持ち上げられるマネマネ師匠の腕。
 両の手で、なにやら大切そうに包み込まれた……光?
 不規則に、苛立ったように点滅しているのが、手指の間からも見てとれる。
「どちら様です?」
 じ、とその光を凝視したが、師匠を振り仰ぐ。
「ビジュ様」
 なんてことなさそうに、師匠は答えた。

「「――――」」

 そして、イスラとは、その場に凍りついた。


 ……数秒後。
「なんですってか!?」
 単なる経験の差だろうか、順応性の差だろうか。イスラより先に硬直を振り切ったは、相手が目上であることも忘れてマネマネ師匠に詰め寄った。
 詰問形と敬語が微妙に入り乱れたの台詞に、師匠は別に違和感も覚えなかったらしい。うん、とひとつ頷いて、よく見えるように目の前にそれを持ってきてくれる。
「らしいぞ。……何やらあったんじゃろ?」
「――」
 マネマネ師匠の手のなかからこぼれる光は、さっきと比べてやわらかになっている気がする。そう、さながら、今のやりとりを肯定するみたいに。
 改めて、その光を覗き込む。
「……ビジュ?」
 一度だけ、強まる光。肯定だろうか。
 そういえば、と思い出す。この島で死んだ魂は、輪廻に戻れないということを。囚われつづけるということを。
 この魂も、そうなってしまったのだろうか。
 そんな不安が顔に出てしまったらしい。師匠が、「いんや」と笑う。
「狭間の領域に置いとく限りは大丈夫じゃよ。遺跡にいるような亡霊になったりはしない。――ただ、こんな剥き出しじゃから、今生の自我とか記憶はこぼれていってしまうけどな」
 狭間の領域。
 夜になると輝く無数の瞬きのいくつかは、目の前のそれと同じような存在なのだと師匠は付け加えた。
「じゃあ、なんでこんなところに連れてきたんです? 出しちゃ危険なんじゃ……」
「ん。心残りあるみたいじゃったから、意識あるうちに解消させてやろうと思って」
「心残り?」
 と、それまで黙ってやりとりを見ていたイスラが口を挟んだ。
 僅かに身を乗り出した彼に反応して、光が、びかびか激しい点滅。
「それって、僕に何か云いたいことがあるとか?」
 イスラが浮かべた笑みは、挑発的なものだった。あの岩場で見せてたものと、よく似ている。
「いいよ、どうせ最期だし聞いてあげる。――何が云いたいんだい? 力が手に入らなかったこと? ああして殺されたこと?」
 口の端を奇妙に歪めてそう云ったあと、
「いや。おまえさんはどーでもいいらしい」
「……え?」
 さらっと告げられた師匠のことばに、イスラは目を丸くした。
「ってこた、あたしですか?」
 代わって自分を指さしたに返されるのは、頷き。
「そう。まあ、ちょっと聞いてやってくれるか?」
「え――はい、そりゃもちろん。あたしも云いたいことがあ……」
 頭を上下させて応じる途中で、もまた、目を丸くする。
 またたきひとつ、するかしないかの間。それまで目の前にあった黒髪さんの姿が失せ、そこに、今日血まみれになって息絶えたはずのビジュが立っていたのだから。
「……」
「……」
 ことばをなくしたとイスラの目の前で、ビジュ(に器を貸したマネマネ師匠と思われる)は、なにやら物珍しそうに己の身体を見下ろし、手ではたいたりして感触をたしかめている。
 ひとしきりやって気が済んだか、「へぇ」と、刺青歪めて彼は笑った。
「つまらねえつまらねえって思ってたが、最期の最後でこんな体験が出来るってな、悪くねえかもなァ?」
 そうごちて、瞠目したままのイスラと、同じく口をぱくぱくさせているに視線を移す。
 並ぶふたりを均等に視界におさめ、その反応に満足したか、さらに口元を持ち上げ――僅かに焦点をずらした。ヒヒッ、と、ちょっとぎこちなく笑う。
 似合わないな、と思った。
 以前のビジュに対してなら思わなかったろう感想を、以前と同じはずの笑みを見て思った。
「じゃあやるぜ」
 そんなに告げられる、ビジュのことば。
「――は?」
 何を。
「再戦だ、再戦。もう忘れちまったかよ、――ヒヒヒッ」
「は――!?」
 呆気にとられた。
 心残りというから何かと思えば、決闘か? そんな意味のことばを投げ返そうとして、あ、と思い出す。
 再戦は次だと彼は云った。
 その背中を見送った。……いつか、森のなかでのことだった。
 たしかそのあと、なんだかんだで無色に寝返ったぽくてうやむやになってたような気がする。
「……わりと律儀?」
「まあ、約束だしなァ」
 長剣抜きつつそう云うと、ビジュはそううそぶいて、イスラに目を向けた。
「返してやってくれませんかね?」
「え?」
「あんたがいつかかっぱらった、こいつの剣ですよ。あいにく、オレは武器がなくてね、ちっとまわしてやってくれませんか」
「恨まないのか?」
「あん?」
 剣の代わりに示された問いに、ビジュは顎を突き出した。ハ、とめんどくさそうに。
「ああ、結局あんたに殺されたも同然だしなァ。恨めって云えば恨んでやらないでもねえが。今となっちゃあ――ね」、
 一拍おいて、に、と持ち上げられる口の端。
「あんた意外と情に厚かったんですなァ?」
「……っ」
 息を飲むイスラ。それを見て、は、ああやっぱり、と思い返す。
 あのとき目の当たりにした彼の表情、それが見間違いなんかじゃなかったんだと。
「どうでもいいんだよ」
 周囲の反応などそっちのけで、ビジュは続けた。
「死んだは死んだ。生き終わった。それでしまいだと思ったら、心残りを果たす機会まで手に入った。こんな恵まれた死に様はねえぜ」
「……終わった?」
「おうよ。テメエらから見りゃ、オレはみっともねえ生き方をしてたんだろうがな」
「否定できないあたりがなんとも」
「うるせェ。――だが、ま、オレはそうして生きた。そして死んだ。ああ、もういいね。足掻いて足掻いて足掻いて、バカみてぇな理由で終わった。それでいいんだよオレは」
 何かを吹っ切ったような、さばさばしたビジュの口調に、はふと自分の身体を見下ろした。
 ビジュに突き飛ばされて、そのおかげで助かった自分の命。
 バカみたいだなあ、たしかに。なんて同意したら、またうるせェとか云われそうだけど、うん――たしかに。
「話はもういいだろ、剣をお願いしますよ?」
「……」
 刺青歪めて笑みをつくったビジュのことば。
 それに応じてイスラが懐から取り出した剣を受け取り、は、持っていた長剣をビジュに差し出した。
「武器のハンデ、大きいと思うんだけど」
「テメエの武器を斬るほどバカじゃねえだろ。脳足らずだけどな。ヒヒヒッ」
 手に馴染ませるためか、数度素振りしてビジュは笑った。
 数歩分の距離を後ろ歩きで開けながら、はさっきから気になっていたことを口にする。
「どうでもいいかもだけど、なんか、そうやって笑うの似合ってないよ?」
「……」
 同じく後退していたビジュが、を見た。
 笑みはない、一文字に引き結んだ唇を開いて彼は云う。
「それが“オレ”だ」
 似合わなかろうがなんだろうが、そうやって生きてきた結果が、今だ。
「テメエらの知ってるビジュってのは、そういう奴だ。違うか?」
「……」
「違わないさ」
 外野に移動しつつ、イスラが応じる。
「いつも卑屈に笑ってて、命令無視は日常茶飯事、姉さんを散々困らせて、あまつさえちょっと甘いこと云ってやったらほいほいついてきた、僕が知ってるのはそんな君だった」
「ヘッ、よくお判りになってらっしゃるこって」
 以前の彼なら激昂したかもしれない、が、ビジュは低く喉を鳴らし、そう返しただけだった。
 はというと、久々に自分のもとへ戻ってきた短剣の感触を確かめていたけれど。彼らの会話が終わったことに気づいて、視線を手元から引き上げる。
 ……真っ直ぐに。
 こちらを見る、ビジュの目が、その先にあった。
「ヒヒッ」
 相変わらずの笑みを、彼はよこす。

 そして、

「行くぜ!」
「どうぞ!」

 呼応する二者のことばに、地を蹴る音がかぶさった。


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