唐突に背中へ走った衝撃。
それは、暗殺者どもをどう退けてウィゼルたちへ向かおうか必死に考えていたにとって、まさに不意打ち。
前のめりに倒れながら、突き飛ばした犯人を見ようと、どうにか首をひねって振り返る。
「……!!」
「――!?」
予想出来なかったわけじゃない。
位置関係からして、彼以外の誰も、を突き飛ばすなど出来なかったはずだ。
でも、意外さに目を見開いた。
突き飛ばされたこともさながら――突き飛ばした相手が、その名を呼んだこともそう、そしてそれ以上に。……笑っていた。
と位置を入れ替える形になったことで、その瞬間に放たれた居合と闇、暗殺者たちの攻撃をすべて身に受けながら――彼は、刺青を歪めて笑んでいた。
――ざざあぁっ!
中途半端にひねった姿勢のせいか、左肩から地面に落ちる。
だが、かわいらしく倒れたままでいるわけがない。肩におかしな痛みがないことを素早く確認し、飛び起きる。
「ビ……」
そして視界に入ったのは、紅い血だまり。
ずたずたに切り裂かれたその男の姿。
「――ビジュ!」
抱き起こそうとして伸ばした手は、だけど、当の本人によって弾かれる。
「ケッ」
――助けるつもりじゃなかったんだろ?
こちらを見上げる彼の目は、どんどん光を失って――それでも、にそう語りかけていた。
「そりゃそうだけど! ならなんで!!」
なんで。
あたしを庇うような真似を、したのかと。
問おうとしたのが判ったのか、赤黒いモノに浸されてよく見えない刺青が、ほんの僅かに歪んだ。
同時、ごふッ、と、ビジュは咳き込む。
吐き出された鮮血は、すぐさま地面に落ち、身体から流れているそれと混じって見分けがつかなくなった。
そのまま、ことりと頭が落ちる。
「――――」
死んだ。
ほんの僅かでも永らえたのが、もはや奇跡だ。肉体は無事な箇所を探すのが難しいほど損傷し、一番深い傷はざっくりと彼の身体を切り裂いて、骨や内臓までもが溢れている。まとわりつく小さな影たちはさっきからそこを中心に群がりつづけ、ばちゃばちゃと不快な音をたてていた。
……死んだ。
あまりにも呆気なく、その男は息絶えた。
ほんの何度かしか、まともに話したことはない。難癖つけまくられて、顔見ればケンカを売られて、――約束をした。
「――!!」
「――――! ――――!!」
誰かが何か叫んでる。
「……」
誰かが静かに傍らへ立った。
見上げる。
黒いズボン、紅の刃、白い髪――細められた紅い双眸。
「イスラ」
目を見開いたをちらりと一瞥し、イスラは、ビジュだったそれから視線を移す。そのときにはもう、細められていた眼にあった感情など消えていた。
でも、はたしかにそれを見た。
見たから――怒鳴りつけてやろうと思ったそれを行動に移せず、彼の名をつぶやくだけになったのだ。
「ははっ」
転じた視線の先、今度こそ狙いを彼に定めた無色の派閥を見、イスラは声をたてて笑う。
「あはははははっ!」
楽しそうに。おかしそうに。――――狂人的な笑みの奥に、何か隠そうとするように。
何かを。
そう、たとえば、たった今浮かべてた水滴の根拠。
「云ったろう! 君たちなんかの力じゃ、こいつを殺すのが精一杯だって!」
紅の力が揮われる。
「――ぐッ!?」
真っ向から受けることは避けたらしいが、余波を被ったオルドレイクの呻き声が、炸裂する音と光の向こうから響いた。
そんな僅かなものでさえ聴きたくないとでも云いたげに、再びイスラが力を揮う。
「碧の賢帝は砕け散った! もう、僕を止められる奴なんていないんだよ!」
響く哄笑。
迸る力。
すべてがそれに襲われ、霞み、砕ける。
「退くぞ、ツェリーヌ! 思った以上にこいつの傷は深手だ!」
この場での治癒は無理と判断したか、ウィゼルがそう叫んでいた。ツェリーヌも、おそらく頷いたのだろう。多くの気配が遠ざかる。
それを見てとって、イスラは満足そうに頷いた。
「逃げればいいさ。今は。――痛みと悔しさを胸に、せいぜいベッドの上でもがき苦しめばいい」
そう云うとぼ同時、イスラが背後を振り返る。結果的に派閥勢から庇う形になっていた、レックスやアティ、カイルたちを。
つられるように、もそちらを振り返る。
振り返って、彼らの視線がイスラではなく自分へ注がれていることに気がついた。
「……!」
はっ、と、身が強張る。
その拍子に身体が揺れ、肩にこぼれる焦げ茶の髪が、太陽を受けて輪郭を光らせているのが判った。――いつの間に滑り落ちたのだろう、被っていたフードが今、その役目を果たしていないことも。
手をフードに伸ばしかける。だけど、それは無意味。
呆然としたカイルたちの視線が、――泣きじゃくっていたはずなのに、今はただただ限界まで見開かれた二対の蒼い双眸が。何より雄弁に、彼らの受けた衝撃を物語っていた。
「――、殿?」
やはり目を見開いたままのキュウマが、掠れた声でつぶやいた。語尾には疑問符。
当然だ。
今の今までその人だと信じてたマントのなかから、見たこともない色彩の人間が出てくれば、混乱しないほうがおかしい。
何を云えばいいのか。
何から話せばいいのか。
そんな逡巡を遮ったのは、三度揮われた紅の暴君。
「……うわあっ!」
「きゃああ!」
単に脅しのつもりだったのか、力は、一行の少し手前で炸裂した。それでも、それは一行にたたらを踏ませ、後退させるに充分な威力と脅威。
巻き起こる土煙、吹き上がる土砂。
「君たちも同じことさ。思う存分苦しんで、泣き叫んで、そうして自分の無力を痛感してればいい!」
ごうごうという音を打ち消しかねない声量でそう叫び、イスラは身を翻す。
「――!?」
空いた手で、黒マントに覆われたままである少女の腕を掴んで。
「イス」、とっさに抵抗しようとしたは、続くことばを飲み込んだ。「ラ」
殆ど空気の塊としかとれないながらも、最後まで名を紡げただけで僥倖というべきか。
半ば引きずるようにして数歩を進み、振り返ったイスラは、今までの狂乱ぶりが嘘のように、静かな笑みを浮かべて云った。
「――それが、君の本当なんだね?」
だとしたら嬉しい、と、微笑みながら彼はつづけた。
「初めまして。……やっと逢えたね」
云うや否や、振るわれる紅の暴君。
「どわ!?」
思わず身をすくめたの横を素通りし、紅い力は、おさまりかけていた後方の騒乱を再び呼び起こす。
カイルたちがどうしているのか――退いたのかこちらに来ようとしているのか判らないが、後者を選んでいたとしても、これでは不可能だろう。
あからさまな足止め目的の力を揮ったイスラはというと、を掴んだまま、ずんずん、早足に歩き出す。
いろいろな意味で思考を漂白されたは、もうされるがままの状態で、林のなかへ、その先へ、イスラに連れられていったのだった。