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【砕けゆくもの】

- 紅を持つ者 -



 いったい、いつからそこにいたのか。
 妻であるツェリーヌ、己の率いる軍団を引き連れ、男は、怒りを隠し切れぬ表情で立っていた。
「――くっ」
 行く手に立ちはだかる無色の派閥。
 その一行に、ミスミが硬い表情のまま、槍の穂先を向けた。
「そこを退くがいい、邪魔をするならば斬り捨てるぞ!」
 なんとも無謀な宣言だった。
 魔剣を用いてさえ勝てぬ相手に、そのような大言。良くても一笑に付されるか、悪ければそのまま叩き潰されてもおかしくはなかったろう。
 けれど誰もミスミを非難しなかったし、それどころか、戦える状態である全員が、臨戦体勢をとろうとしたのだ。
 判断力の欠如とは云えまい。
 彼らはただ、泣きじゃくるふたりを、一刻も早くこの場から遠ざけたい一心だったのだから。
 ――だが、
「吠えるな」
 そんな一行を一瞥し、オルドレイクが見せた反応は、そのたった一言だった。
「……え?」
 戸惑う面々。だが、彼はもはやそちらに目を向けようともしない。
「壊れたガラクタに、もはや興味などないわ」
「……!」
 いきり立ち、誰かが何か云うより先に、
「どういうつもりだ、同志イスラよ」
 眼前の集団などないものであるかのように、ただひたりとイスラを見据え、オルドレイクは詰問した。
「……あ? 何、これ独断?」
 ついーと視線を追ったらしい(フードで頭の動きがよく判らない)黒マントが、未だわずかに警戒を見せながら、護人たちごしにイスラへ問いかける。
 そうしてイスラはというと、構えていた剣の切っ先を地面に向け、「まあね」とひとつ頷いた。
 無視された形になるオルドレイクの額に、三叉路が浮いた――かもしれない。重ねて、彼はイスラに告げる。
「奪回すべき剣を破壊してしまうとは……この失態、今までの功績だけでは見逃すわけにはいかんぞ」
 それはそうだ。
 オルドレイクの目的は、あくまで、魔剣と門を入手し、己の理想たる世界をつくること。イスラのしたことは、彼の目的に反する行いだ。
 けれども、イスラに悪びれた様子はない。
「失態とは心外ですね。すべて、考えあってのことですよ」
「なんだと……?」
 その反応は予想外だった。
 オルドレイクのみならず、固唾を飲んで成り行きを見守っていたカイルたちもまた、一様に疑問符を発生させる。
 肩をすくめたイスラが、足を踏み出した。紅の暴君を右腕に下げ、まず護人たちの横を通り過ぎる。とっさに身体を硬くした彼らには、軽く一瞥をくれただけ。
 次に黒マント。
「……」
 やはり、ちらりと横目で見やっただけで、足は止めない。最後に、来るなら来いとばかりに身構えたカイルたちの横も、これといって何をするでもなく通り過ぎた。
 そして、イスラは立ち止まる。
 彼とオルドレイクの間には、もはや何の障害もない。
「計画は順調ですよ。ご覧下さい」
 にこりと笑って、彼は、右腕を持ち上げた。
「……うむ?」
 従順なイスラのそれに、オルドレイクは鷹揚に頷く。持ち上げられた紅の暴君を見ようとしたのは、反射的な行動だろうか。心なし身をかがめ、

 ――風切り音が、周囲にいた者の耳朶に届く前。

「ぬがあぁァッ!?」

 目に見えたのは紅の残像。
 耳に届いたのは苦痛の叫び。

 とらえきれたのは、腹のあたりを貫かれたオルドレイクが、膝をつきその場に崩れる姿と――
「あとは――貴方を殺すだけで済むんですから」
 ずぷり、鮮血に濡れた刃を引き抜いて告げる、笑みを含んだイスラの声。

 ……ただそれだけ。

 と、ついでに、これは誰に届いたわけではないけれど。
「――ちょっと待て。それマズイんじゃ」
 そんな苦々しいぼやきが、黒いマントのなかで零された。


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