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【砕けゆくもの】

- 砕けゆく -



 誰かが云っていた。
 剣は彼らと共にある。
 剣は彼らと結びついてる。

 剣は。
 彼らの心、
 彼らの魂、
 もはや分かち難く結びついた、彼らそのものであるのだと――


 呆気ない音だった。
 さながら、ガラスが割れるときのような、味気ない硬質な音だった。
 何度も目の当たりにした強力さ。それが、まるで嘘だったかのように砕け散る様は――無力。ことばにするならば、それだけだった。
「――あ」
 陽光をきらきらと反射しながら、欠片が宙に舞う。
 碧の欠片。
 砕けた欠片。
「あ……」
 それが碧の賢帝の残骸なのだと、
「ウソ――?」
「先生の剣が、折れるなんて……」
 呆然としたその声とともに、眼球を抜けてきた光景が脳に辿り着いた瞬間。

 ぴしり。――心臓に、亀裂が走った。
 ぴし、ぴし。亀裂は広がっていく。

 ぴしぴしぴしぴしぴしぴしぴしぴしぴしぴし―――――――とめどなく、際限なく、留まることなく、亀裂は拡大する。

「あ――」、

 砕けた剣。
 飛び散る欠片。

「あ、あああぁぁぁあああぁぁぁ――――」

 砕けた心。
 溢れ出す悲鳴。
 流れ落ちる涙。

 誰かが云っていた。
 剣は彼らと共にある。
 剣は彼らと結びついてる。

 剣は。
 彼らの心、
 彼らの魂、
 もはや分かち難く結びついた、彼らそのものであるのなら――

『うああアあアアァぁぁ――あアあァッ――――!?』

「レックス! アティ!!」

 眼前の敵など放り出し、カイルたちがふたりのもとへ駆け寄る。
 その彼らに先んじて辿り着いたのは、黒いマントを翻した(仮)。
「ちょっとっ! どうしたの、なんでいきなりっ!!」
 頭を抱え、身を震わせて泣き喚くレックスたちを支えようと伸ばされる腕。跳ね上げたマントの向こうに見えるのは、黒を基調とした服をまとう、少女の身体。
 だが、肝心要の顔だけは、相変わらず深く被ったフードで見えない。彼らに判るのは、少なくとも黒マントがレックスとアティを心配しているということ。
 後ろから抑えてフードをとれば、その素顔を見ることが出来たかもしれない。
 けれど、誰もそれをしなかった。
 レックスたちの狂騒に意識をとられていたということもある、だろうけど。
「うあ、あ。うぁァァアアァァ――――!!」
「おい! 先生! しっかりしろ!!」
「先生、先生っ!」
「しっかりしてよ、先生……!!」
 肩を揺さぶるカイルの声も、すがりつく子供たちの声も、きっと聞こえていない。
「ああぁああ……う、く、――ああぁぁぁあ――――」
「先生ってば!!」
「レックス!」
 呼びかけるソノラやアズリアの声も、きっと。
 ふたりの周りに集う一同から、勢いに弾かれたようにして外れた黒マントが、ばっと身体の向きを変えた。
「イスラ!!」
「形勢逆転、だね?」
「んなこたどうでもいいっ! なんで剣折ってこうなるのよ!?」
『……』
 いいのか。どうでも。形勢逆転=攻撃の可能性アリっていう事態は。
 わりとまだ冷静な部分が残っていた数名が、思わずそんなツッコミを思い描いたとき。
「封印の剣は、心の刃だ」
 それまで一切、手も口も出さずにいた隻眼の男が、初めてその場に割り込んできた。
 彼自身は、戦場の外側から動いてはいない。けれども、力強いその声は全員の耳へとたしかに届いた。結果、幾つもの視線が男に集中する。
「――それは」
 何か思い当たることがあるのか、黒マントが小さくうめく。
「切れ味だけじゃない、ってこと?」
「そうだ。強度も存在自体も、所有者の心に依存する。……ならば、剣が破壊されたこの事態、いかなる理由かおまえたちでも判るだろう」

 剣の破壊は、心の破壊。

 その答えが全員の思考に染み渡るまで、数秒ほどの沈黙があった。
「――っ、――――っ」
 カイルの胸に半ば押さえつけられた形になっているアティの声は、か細くそして不鮮明。
 だけど、駄々っこのようにカイルの背を叩く腕、左右に振ろうとしてかなわないでいる頭、震えつづける身体が、終わらぬ恐慌を証明している。
「うああアあアアァぁぁあアあァッ!」
 一方の、ヤッファに羽交い絞めにされているレックスも、状態は殆ど変わらない。先んじて支えようとしてたヤードなど、彼の勢いに弾き飛ばされてしまっていた。周囲に転がる幾つかの色は、懐から落ちた召喚石だろうか。
 とうのレックスは、そんなことにさえ気づかない。滂沱と頬を濡らし、叫び声をあげる口は閉ざされることなく、見開かれた目は何を見ているのかも判らない。
「あはははははっ!」
 それに重なって、イスラの笑い声。
「お似合いだよ。戦うことも出来ないなら、そうやって赤ん坊みたいに泣きつづけてればいいんだ!」
「ああぁぁぁああぁぁ――――……!」
 反論さえ出来ず、ただ、ふたりは泣きじゃくる。
 剣が破壊された瞬間の衝撃でそうなったのか、否。
 魔剣を用いられたとはいえ、一撃で破壊されるほどにまで彼らの心が追い詰められていたのなら、今日でなくても――いつか、そうなっていたのではないか。
 ……そこまで。彼らを追い詰めたのは。
 殺したくない、守りたい、そう云って微笑んでいた彼らに、こんな姿を晒させてしまったのは。

 ――答えはすぐに浮かび上がる。けれど誰も、それを口に出来なかった。

 いや、誰かはそうしようとしたかもしれない。
 けれども、事態がそれを許さなかっただけのこと。
「……っ」
 誰もがレックスとアティに意識を奪われていたさなか、その真ん前に立ちはだかる形になっていた黒マントが、不意に、腰に佩いていたと思われる長剣を抜き放つ。
 視界の端にそれを見た数人が、はっ、とそちらを振り返った。
!」
 肯定されていないということも思考の彼方、ソノラが黒マントに向かってその名を叫ぶ。
 黒マントが対峙し、威嚇するように剣を向ける相手は、紅の暴君を構えなおしたイスラだった。――手にしている、どうみても普通の剣としか思えないそれでは到底、対抗出来るとは思えない相手。
「何のつもり? 。一度殺されたのに、懲りないね」
「……そっちこそ何のつもりよ。レックスたちがこれ以上戦えないの、判ってるでしょ」
「――――は」、
 イスラは、黒マントのことばを笑い飛ばす。
「あははははははっ!」
 剣を持たぬ左手で腹をおさえ、芯からおかしいとでも云いたげに、けたたましい笑い声をあげることしばし。
「――だって、そんなんじゃ先生として恥ずかしいだろう?」
 笑いをおさめ、未だ恐慌おさまらぬレックスとアティを指して云いきると、紅の暴君を振りかぶる。
「なら、このまま楽にしてあげるのが、最後の情けってものじゃないか!?」
「そんな一方的見解な情けは要らんつーのッ!!」
 迸るイスラの声と、紅の力。それに負けじと怒鳴り返す黒マント。
 その場から動こうとしない黒マントごと切り裂くつもりか、イスラはそのまま、紅の暴君を振り下ろす――!
「なら、君も死になよ、もう一度!」
「もう一度も何も、死んだことなんかまだないっ!!」
「やめろバカ!!」
さん!!」
 紅の暴君に対抗せんと、構えられる長剣。
 自殺行為としか思えぬ黒マントの行動に、制止の声が背後からあがる。――そればかりではない。
「召鬼」、
「させません――!」
「グルオオォォッ!!」
「――爆炎!」
 黒マントとイスラの間に、三つの影が割り込んだ。
 銀の髪を翻す少女の亡霊、咆哮をあげる獣人の男、一瞬にして印を結び、炎を生み出した鬼忍。――護人たち。
「あ?」
 じんわりと、白く霞みかけていた輪郭をはっきりと取り戻し、黒マントが呆気にとられたような声をあげた。
 その前方で高い音をたて、紅の暴君より発された力が押しとどめられる。霧散するまでに至ってはいないが、この調子なら跳ね返すまで出来るだろう。
 防壁となった護人たちを見るイスラの目は、不快感露。
「正統な適格者に牙を向く気か?」
 振り下ろしたままであった紅の暴君を、今一度持ち上げる。
「――なら、まとめて消えてしまえばいいさッ!!」
「スクリプト・オン!」
 語尾に重ねて再び襲いくる力、それが届く寸前、四人目の護人であるアルディラの声。
「魔障壁・最大出力で全面展開!!」
 それが紡がれると同時、護人たちの前方に薄いベールのようなものが出現した。風にあっさり攫われそうなベールは、だが、

 ――バシィィッ!

 音と光を炸裂させ、迫り来ていた紅の力を、完全にとはいかないまでも相殺することに成功する。
「――くっ」
 とっさにベール――魔障壁を増強するべく腕を伸ばした護人三人が、かかる負荷に顔をしかめる。足と地面が擦れる音はかき消されたが、数歩分、圧されるようにして後退していた。
 その様子を見、今度は、イスラが小さく舌打ちを零す。
「……分が悪い、か」
 だが、彼のつぶやきは、護人たちにとっては皮肉以外のなにものでもないようだ。
 ふざけろ、と、ヤッファが口の動きだけでぼやいた。
「四人がかりで、凌ぐのがやっとかよ……」
 だが逆に云うならば、四人であれば凌ぐだけは出来るということ。
 ばっ、とアルディラが背後を振り返る。力なく泣きつづけるレックスとアティ――その周囲にいる、カイルたちを。
「今のうちに、早く! 安全な場所へ逃げなさい!」
 それは、自分たちが囮になるということだ。
 常のカイルたちならそれを許さなかったろうが、今は、そんな悠長なことをしていられるときではない。
 大きく頷いたカイルがまず、腕のなかにいたアティを担ぎ上げた。そのまま運ぶかと思いきや、ひょい、とフレイズの背に乗せかえて、空いた手でレックスを背中におぶった。身長と膂力上、たしかに妥当な判断だ。
 それでもまだ、レックスとアティは泣いている。もう、自分たちがどこにいて、何をして、どんな状態なのかさえ、判らなくなってしまったのか。
「せんせ……!」
「――せんせ、せんせいっ!!」
 ……彼らの狂態に動揺して頬を濡らし、それでも懸命に手を伸ばす子供たちも、見えなくなってしまったのか。
「しっかりなさい! アナタたちまで泣いてどうするの!」
 そこに、スカーレルの叱咤がかけられた。
 びくりと身を震わせ、子供たちはスカーレルを見上げる。それから互いを見――泣き止むとまではいかなかったけれど、かすかに頷きあった。
 それを確認し、ソノラが身を翻す。
「ほら、急いでここから――」
 云いながら視線を転じ、

「……!?」

 踏み出そうとした足を、彼女は止めていた。
 止めざるを得なかった。

「――オルドレイク」

 戦いの喧騒など知らぬげに、穏やかに降り注いでいた陽光が、そこだけ遮断されていた。深い、深い闇に沈んでいた。
 そんな錯覚を見る者すべてに覚えさせ、――無色の派閥の大幹部が、彼らの先に佇んでいたのだ。


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