刹那。
「アティ――――――!!」
「たんま、ストップ、時間よ止まれー!!」
林と崖と、二方向から声がした。
その声がどこまで、アティに影響したか判らない。そのときには、とっくに、碧の賢帝は前へと突き出されていたのだから。
だから――もしかしたら、その声がなくとも、剣の軌道はまったく変わらなかったのかもしれないけれど。
ガヅッ、と、鈍い音。
人の肉を抉る、湿ったそれでなく。
岩を抉り取る、硬く乾いた音だった。
「……っ、……っ」
腕を引いて前に突き出す、動作としてはただそれだけを行なったに過ぎないアティの息は、尋常でなく乱れている。
額には脂汗、全身は小刻みながらも震えが続いている。今、少しでも誰かがつつけば、そのまま倒れてしまいそうなほど。
腕は真っ直ぐに、碧の賢帝を突き出していた。地面に突き立った切っ先そのままに、アティは、のろのろと、頭の向きを変える。――林、弟の声がしたほうへ。
「――」
すぐ傍らをすり抜けていった碧の刃を凝視していたイスラもまた、その視線を追う。眼差しに宿る驚愕はとうに消え、昏い失望がそこにあった。
く、と曲げた指にはまだ、冷たく熱い紅の暴君が握られている。
「アティ」、
「……よか、った」
結果的には制止の役割を果たしたことになるのだろうか。声の主を見て、力なく笑みを浮かべるアティ。
何がよかったのか、と、彼は嗤う。俯いた表情を、誰も見ることは叶わないけれど――たしかに、彼は嗤った。
「わたし……やっぱり、出来ません」
音もなく、碧の賢帝は、彼女の手元に戻っていく。一連の動作は、そんなに彼女を消耗させたのか――無防備にさがる切っ先は、だらりと地面を向いていた。
うん、とレックスが頷く。
「……イスラを殺すことですべてが終わるとしても……わたし、やっぱり、それが正しいんだって認めたくなかったみたい、です」
レックスの声が後押ししてくれた、と。アティの微笑みは語っていた。
うん、とレックスも笑う。
笑顔を浮かべたまま、彼は僅かに首を傾げた。
「……ところで、なんではそんな変な恰好してるんだい?」
「…………」
レックスと同時に崖の方から登場した黒マントに、一行の視線が集まる。めちゃくちゃでかい声で叫んでた誰かさんは、ぽりぽり、後ろ頭をかくジェスチャー――を、しようとして。
「アティ!!」
まごうことなく。彼女の声は叫び。
「え――」
まごうことなく。腕に伝わる衝撃は甚大。
「……どこまでバカなんだ、君たちは」
まごうことなく。
揺らぐことなく。
振りぬかれたのは紅の暴君。
「――――あ……ッ!?」
見間違いなど許されない。
ほんの一瞬生まれた間隙、たわんだ緊張を縫い合わせてあまりある――それは、現実だった。