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【砕けゆくもの】

- 対峙の果てに -



 消滅した兆。
 不鮮明な道。
 ならば、歩む道は何処。
 選ぶ標は――何処。


 ……そんなものは、要らない。


 崖に打ち付ける波の音、吹きぬける風の音をかき消して。
 響き渡るのは、無粋で無骨な戦いの音。
 まさか絶壁の途中の岩棚に居座って、手助けに行きたいと身悶えている探し人がいるなどとは夢にも思わず続けられた戦いは、もう少しもすれば終わりを迎えるだろう。
「――くっ」
 小さな呻き声とともに、白い髪をなびかせた青年が、後方へと飛び退さがる。
 それをさらに追い詰めようとしているのは、同じ色の髪を持つ女性だ。
 振り下ろされる碧の剣を、水平に構えられた紅の剣が防ぐ。金属のぶつかり合う音が高く響いたあとは、こすれあう、きちきち、ぎちぎちという力比べ。
 普通の腕力勝負なら、まず男性は女性に負けることはないとされる。が、彼らはともに普通でない、人外の力を行使する同士。手にするのは、その意志でもって相手を切り裂く対の魔剣。
 ならば、雌雄を決するのは、胸に抱く意志ひとつ。
「ちょっとは、やるようになったじゃないか……!」
「――――ッ」
 耳障りな音をたてて剣をすべらせ、反撃に転じた紅の暴君。それを、とっさに返した剣の腹で受け流す碧の賢帝。
 対たる魔剣の、それぞれの使い手。
 彼らの抱く意志は、果たしてどちらがより強いといえるのか――

 そうしてその周囲でもまた、激しい攻防が繰り広げられていた。
 無色の派閥相手に手加減などしてもしょうがない、したらこちらがやられるし、そもそも今回に至っては、殺すまいとい意識はあっても、手加減しようという気はちらとでもあるかどうか。
 ――ガシャン!
 けたたましい音をたてて、ヴァルゼルドが弾を装填しなおした銃を構えた。
 引き金にかかった指が曲げられると同時、立てつづけに発射される銃弾。一発一発は、的確に、向かってくる派閥兵の武器を弾き飛ばし、あるいは四肢を貫通する。
「ミッションコンプリートッ!」
 最後の弾も漏れなく役目を果たしたのを見てとって発するヴァルゼルドのことばは、ロレイラルの住人でなければ判るまい。
 可能なのはアルディラだが、彼女は召喚術を連打しているためのんびり解説する気などないだろう。もっとも、この場でその意味を追及するような者もいないのだが。
 銃身を冷ますために僅か後退する彼の横では、ソノラがその空隙を埋めるかのように己の銃を乱射していた。
 ちらりと彼女を見たキュウマが僅かに眉をしかめる。少々荒れすぎではないかと思ったのだが、あえてそれは口にしない。
「――――」
 その代わりというわけでもないのだろうが、彼の繰り出す攻撃もまた、常以上に的確に相手の急所を狙っていた。
 シノビであるキュウマは、殺すすべだけではなく殺さないすべも熟知している。そんな攻撃をまともに受ける派閥兵士、及び暗殺者どもの方こそ、たまったものではないのかもしれない。
「いくぞ、スバル!」
「うん!」
 招雷! 風刃!
 たてつづけに紡がれた母子の呪。それによって迸った雷、荒れ狂う風の刃によって生じた派閥側の被害もまた、推して知るべし。
 いつもはどこか気だるそうなヤッファでさえ、珍しく自分から前に出ている。遠目に姿は判りづらいが、傍らで次々と矢を放っている妖精の声は、よく聞こえた。
 曰く、
「マルルゥは怒ってるんですよー!!」
 ……たぶんそれは、この場に出てきた全員の心境だ。
 これまで島ほっぽりだしてたくせに出てきた無色の派閥、実姉を裏切ってそちらについたイスラ、同じく所属軍を捨てたビジュ、――そうして何より、行方不明の誰かのこと。
 生きているという前提があっても、どんな状態なのかは判らない。
 動けなくて苦しんでるんじゃないか?
 どこかで倒れたままでいるんじゃないか?
 黒マントの姿を見たカイルたちにしたって、あれがだという予感はするものの確証を得ているわけではない。不安は、皆に共通していた。
 んで、その元凶とも云える相手が目の前にいる。
 ……力が入らないわけがない。

 白昼堂々と剣を交えてしのぎを削る、なんてねえ。
 そう苦笑するスカーレルとて、力の入り具合は他と似たようなものだ。もっとも、彼の場合は相手が相手。
 状況的にそうなったのか、自らそれを買って出たのか。それはスカーレル自身に訊いてみなければ判らないが、――現在彼が相手取っているのは、赤味の入った髪を翻す、かつての同僚だ。
「――っ」
 明確な殺意とともに繰り出される攻撃、そのひとつひとつは常ならば致命傷。
 けれど、完璧にではないとはいえ、スカーレルは相手の癖をいくらか知っている。それは相手にも云えることだが、だからこそ、互いが互いの足止めになるのだ。
 それに加えて、
「スカーレルさん!」
 背後からの一声。
 つっと身体を僅かにずらせば、飛来した矢が一条、そこに生まれた空間を切り裂く。
 チッ、とかすかな舌打ちとともに矢を回避したヘイゼルへ向けて、スカーレルは剣を繰り出す。今の一瞬で喚び出されたピコリットが、サプレスに帰る光を横目に。
 後方では、別の呪をつむぐアリーゼの声。
 そう。少なくとも、援護という一点において、スカーレルはヘイゼルに勝る。攻撃もそうだが、回復があるとないとでは持久力が大違いだ。
 そもそも、紅き手袋は暗殺集団ではあっても召喚師集団ではない。そこが、弱点といえば弱点なのである。……彼らが本来の手段でもってこちらの殲滅にかかれば、その弱点も大したことではないのだが。
 一応警戒して夜半の眠りを浅くするスカーレルだったが、幸い、これまで襲撃を受けたことはない。
 そして今のように昼日中の戦いなら、要となるのは互いの戦力。
 ならば、敗北を喫する要素は少ないと云っていいだろう。
 何より自分たちは、目の前の相手に向けて少なからぬ怒りを抱いている。それで威力が割り増してるのは、誰を見ても明らかだ。
「……また腕が上がったのね」
 一点に向かおうとした思考を引き戻すため、スカーレルはふと、茨の君……ヘイゼルに語りかけた。
 彼女からの反応など期待してはいない。が、
「人のことを云えるの?」
 組織を抜ける前に見たよりも、切れが増しているわ。そう、相変わらず感情のない声で告げられて、少し目を丸くする。
 そして、
「でも、彼女のほうが強い」
 その二人称が誰を示すのか悟り、腕に力がこもる自覚。
 そういえば、このコは、あの戦いのとき、彼女と剣を交えていた。かなり梃子摺っていたようだったことも、覚えている。
 だがスカーレルは、それを、得意とする戦場の相違からだと捉えていた。だから、こう答えたのだ。
「白兵戦は、ね」
「……いいえ」
「?」
 響きあう剣戟の合間、小さな声で交わされるそれは、他の誰に届くことはない。
 一合、剣をぶつけると同時に紡がれた否定に、スカーレルは首を傾げた。
動作に続けて、その理由を問おうと口を開きかける。

 ――――バシイィィッ!!

 彼らの横手から、音が響いた。
 何かが破裂するような、乾いた大きな音が。


 ……そうして、音からほんの数分もせぬうちに、場は静まり返る。
 要したのは、半ば怒り任せと云えなくもなかった島側の一行が、無色の派閥勢を粗方無力化するまでの時間。または、不利を悟った茨の君が、暗殺者たちを退がらせるまでの時間。
 視線は自然と、戦っていた継承者たちに向けられた。
 誰も例外なく視界の端に見ていた、碧と紅のぶつかり合い。火花めいて飛び散っていたそれぞれの光が、今の音と同時に消滅したからだ。
 戦いの決着が、そのふたりの結果だけに左右されるわけではない。けれども、どちらかが勝てばその属する勢が勝利だ。魔剣とはそういう存在なのだと、全員が認識している。
 崖の下、沈黙の皮切りになった音を耳にした誰かが立ち上がった気配など知ったことではなく、彼らは、膝をつく継承者と、その喉元に切っ先を突きつける継承者を、各々の目に映す。
「……っ」
 ベルフラウとアリーゼ。子供たちが、小さく目を見開いた。
 傍らにいた誰でもいい、たとえばファルゼンでもフレイズでも、いやさ彼ら以外の誰かが見ていたらば、その表情が、勝利の歓喜ゆえにでないことを見てとれただろうか。
 子供たちの視線は真っ直ぐに、彼女を見ていた。
 その唇が、僅かに持ち上がる。
 かすかに震えながらつむがれたことばは、たった二文字の単純なもの。胸中にはもっと多くが渦巻いていたろうが、彼女たちに、それを表へ出す余裕はなかった。
「だめ……」
 誰か聞き返せれば、ふたりは、もう少し多くを語れたかもしれない。
 だけど、誰もが見ていたのは――白い髪を風になびかせ、碧の賢帝をイスラに突きつける、アティの姿。
「……」
 僅かな距離を空けて静止している切っ先を、イスラは感情のない眼で眺めている。何かを待っているように。
 しばし続く硬直の時。そう、誰も動かない。
 イスラも、そして、アティも。
 それは数分もあっただろうか、ややあって、イスラが僅かに首を持ち上げた。視線は、切っ先から、その持ち主へと移動する。
「君の勝ち、か」
「……っ」
 淡々と告げられたことばに、アティが小さく切っ先を揺らした。
「おめでとうは云わないよ。だって、君は判ってるはずだよね?」
 力で屈させられたといのに、イスラの目からは力が失われていない。それどころか、今のそれを待ち望んでいたかのような感さえ、見る者に与えた。
 もっとも、それが見える位置に立つのはアティのみ。そして彼女は、相手のそんな小さな変化を見通せるだけの精神状態であったかどうか。
 こくり、と、喉を鳴らして――アティはそれでも動かない。動けないのか。
「……そう」
 胸に当てたイスラの手。何か大事なものがそこにあるかのような、それとも、
「継承した者を殺さない限り、剣の活動は停止しない。君が僕を殺さなければ、紅の暴君はそのままだってこと」
 貫くのは喉ではなく、鼓動を刻むその部分なのだと、示したいのだろうか。
「――そして、僕を殺せるのは、同じ力を持つ君だけだってこと」
「……」
 ――崖の下。
 耳を澄まさずとも聞こえるその声に、眉を寄せる誰かがいる。
 彼らの選ぶ道に是非を唱えるつもりはないが、あの姿でなくなった以上、手を出していいのかどうか、悩む誰かがそこにいる。
 けれど、誰もそれに気づくことはない。
「みんなの笑顔を、守るんだろう?」
 イスラのことばに、そこで、アティが初めて口を開いた。
「……守れませんでした」
「――」
 それが誰のことなのか、この場の誰もが判っている。
 アティは続けた。
「……を――あの日。わたしたちは、あのひとを、守れませんでした」
「そうだね」、細めた目の奥、たゆたう感情がそれで隠れる。「君たちの理想は、それだけでしかなかったってことだね」
「――っ、の……!」
「カイル!」
 気勢を荒げたカイルを、スカーレルとヤッファが同時に抑えた。
 ここで下手に割って入るのは、愚の骨頂だ。カイルとて判っているのだが、瞬間的に感情が先に立ったらしい。
「だから、君はここに来たんだよね?」
 外野の応酬など、目にも入っていないに違いない。
 イスラが今見ているのはアティ――いや、碧の賢帝の継承者だけ。

「僕を殺すために。終わらせるために」
「……っ」

 ゆらり、揺らぐ。
 蝸牛よりも遅々とした動きで、碧の賢帝は、喉元からその胸へと切っ先の向きを変えられた。
 鈍重な、けれども確かなその動作をイスラはじっと眺めて。
 切っ先が止まると同時、またしても空白が生まれることを予想したのか――急かすように、告げた。

「さあ、早く」

 早く、

「……ぁ」

 僕を、

「ぁ、う……っ」

 ゆらり、揺らぐ。
 彼女の迷いを表すかのように、切っ先は、わずかに後退しようとした。
 けれども、イスラがそれをさせじと再び声を張り上げる。

「さあ!!」

 これで、すべてが終わるのだからと。

「あ」、

 自らに。
 云い聞かせたのは、碧と紅、果たして。

「あああぁぁアァァァァァ――――!!」

 きつく、きつく目を閉じて。
 一度退かれた碧の賢帝が、空を裂いて振り抜かれる――


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