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【砕けゆくもの】

- そして目覚める -



 ――そうして、彼は目を覚ました。
「ん……?」
 窓から入る陽光に刺激されて、というわけではない。いい加減に起きろ、と、身体に命令されたような感覚。
 その証拠とでもいうのか、まだ霞がかったような意識に反して、持ち上げる腕はやけに軽々。ちょっと振ってみると、意図した以上に大きな動き。
 これは……寝すぎて体力蓄えすぎたかな?
 などと考えて苦笑していると、カチャリ、部屋の扉が開く音。
「……先生!」
 おそるおそる、そんな感じで顔を覗かせたナップが、起き上がったレックスを見て、表情を輝かせた。
「え!? 起きたの!?」
「ミャミャ!」
「ピ!!」
 その後ろから、体当たりするようにウィルが姿を見せる。さらに乗っかるようにして、テコとアール。
「うわわわわ!!」
 当然、ナップひとりでその負荷を支えられるはずもない。
 結果として、雪崩れのごとく部屋に倒れ込むふたりと二匹を、レックスは、彼ら以上に目を丸くして見届けることになってしまった。
「……いてて」
「ご、ごめん」
 ナップを一番下敷きにして積み上がった即席だるま落としは、あわてて解体。
 バツの悪そうな顔で謝る弟、それからアールとテコをちょっとだけ恨めしげに見やったナップは、だが、そのことについては何も云わず、身を起こすと同時に、ばっ、とレックスを振り返る。
「先生、だいじょうぶ?」
「あ……そうですよ、もう起きてだいじょうぶなんですか?」
 心配してくれるふたりに、「うん」と応えて、レックスは立ち上がった。
 なんだか、随分長いこと眠っていた気がする。
 太陽の光を見るにまだ午前中らしいけど、いったい“いつ”の午前中なのやら。
 そう問うと、ナップたちは何故か、ちょっと複雑な表情になって顔を見合わせた。
「えっと……先生は、こないだ、イスラが紅の暴君出したときのこと覚えてる?」
「――バカ!」
 前置きをすっ飛ばし、一気に核心をつつく形になってしまったナップのわき腹を、焦った感じでウィルが小突いた。
 が、一度飛び出したことばが、それで引っ込むわけもない。
「――紅の暴君」
 耳に入ったそれを復唱し、レックスは軽くまたたきを数度。
 今の一言で、ぼやけていた意識は冷や水をかけられたように目が覚めた。……覚めすぎて、むしろ頭が痛くなるくらい。
 だって、覚めた意識にここぞとばかり上ってきたのは、あの光景。
 赤い髪。
 紅の刃。
 貫かれてたひと。貫いた剣、その使い手。

「……っ」
 ぽつりと零れたレックスの声を聞いて、ナップとウィルが身を硬くした。
 それを見て生じる不安は、暗雲のように心に立ち込める。
、は?」
 ぎこちなく問いかけると、ふたりは、なにやらためらうように、再び互いを見やる。ことばを探しているのか、先手を譲り合っているのか。
 急かしたくなる衝動を抑えて待っているうちに、ふとレックスは思い出す。
 あの光景。あのあと。
 抱きしめてくれた腕と、笑顔と、――もらった終わりを。
 それが夢でないことは、煩かった剣の声が聞こえていないことでもあきらかだ。
 なら、はあのとき、最悪の想像は免れてたと思って……うん、そうであるはず。そうであってほしい。
 だから、レックスは、先ほどの自分の質問に、こう付け加えた。
、怪我してたよね? ……もう大丈夫なのかな?」
 そしてその問いを受けたナップとウィルは、一瞬にして思考をめぐらせアイコンタクト。
 付け加えられた問いによって、反応を返し易くなったのは明らか。それならどのようにして、この寝起きの先生に衝撃を与えず応じるか。
 考え、そして兄弟が同じ結論を出したことを知るために要した時間は、またたき一度さえあったかどうか。
「うん」
「はい」
「……そっか」
 行方不明だとか、あの黒マントが本人かどうかも判らないとか。それらの事情をすべて差し引いた挙句にただの肯定でしかない端的なふたりの答えを、だが、レックスは微塵も疑わず、よかった、と云って胸をなでおろす。
 一抹の後ろめたさを感じながら、ナップとウィルは、それ以上を云える自信などなく、口を閉ざした。
 こういうのを説明するなら、スカーレルやヤードが向いてるのに、と、そんな文句さえ思いながら。大人たちに混じって戦っていても、彼らはまだ幼い子供。かけひきなんて出来るはずもなく。
 そうしているうちに、ふと、レックスが首を傾げた。
「随分静かだけど……みんな、どこかに出かけてる?」
「――――」
 ナップとウィル、再び硬直。
 云うべきか。
 云っていいのか。
 無色の派閥がまた出てきて、みんなそっちに向かったことを、果たして今のレックスに、伝えてしまっていいのだろうか……!?
「……、――」
 今度の逡巡は、先刻のものに比べて長い。
 それが致命的だった。
「何かあったのか!?」
 眉根を寄せて、レックスがふたりに詰め寄った。
「あ……」
「――え、と」
 がっしりと肩をつかまれたナップ、その傍らのウィル。途端にしどろもどろになったふたりを見て、レックスの表情がますます険しくなる。
「ナップ! ウィル!」
「ミャ!」
「ガ、ピ……ッ!」
 揺さぶろうとした腕を、けれど、アールとテコが止めた。
 彼のいつにない剣幕に気圧されて半ば自失状態になっているふたりに、そこでようやくレックスは気づく。
 不安に逸る心臓を、どうにかこうにか鎮めるために、要すること一分近く。
 ――はあ、と、ため息にも似た深呼吸をひとつして、レックスは、改めてふたりに向かい合った。
「……ごめん。でも、何かあったんだろう? だからみんないないんだよね?」
 それは、と、ふたりは云いかけて口ごもる。
 歯切れの悪い応答は、それだけで、雄弁にレックスの問いを肯定していた。
「無色の派閥だね?」
「!」
 悪いとは思ったものの、カマかけに、あっさりとふたりは引っかかる。見開いた目と、さらに強張った全身が何よりの証拠。
 小さく頷いて、レックスは立ち上がった。
 壁にかかっていた上着を羽織り整えて、棚の上にきちんとたたんでおいてあるマフラーをとり、首に巻く。
 それから、
「……先生」
「――」
 ベッドの脇にたてかけてある、大剣。いつだったか、メイメイの店で見立てたそれを見て、レックスは僅かに躊躇した。
 剣は、いわば戦いの象徴。
 それを手にするということは、戦いへ臨むということに他ならない。
「先生」
 が。何を、今さらためらうというのか。
 大事なものを護りたい、そのために、あの昏い力でさえ揮ってみせると。まどろみのなか、思っただろう?
「先生――」
 腕を伸ばす。手のひらに硬質な感触。指を曲げると、柄はしっくりと手のひらに馴染んだ。
 持ち上げる重みにも、違和感はない。
 傍にあったベルトを持ち上げて、背中にからげる。アティは腰に佩くけれど、レックスが使うのは大剣だ。同じようにしていては、幅広の鞘で動きが妨げられる。
「せ・ん・せ――?」
「うわ!?」
「……なんでここに?」
「ヲトメのヒミツっ♪」
 鞘とベルトをしっかりと固定して、上着やマフラーのよれを直した。腕を振り、首をまわしてみる。
 うん、大丈夫。
「ナップ、ウィル。それで無色の派閥は」
「にゃは?」
「…………」
 どこに現れたんだ、と。云おうとしたレックスの口は“ど”の形で停止した。
「やっほぉレックスせんせっ。目が覚めたみたいで何よりだわ?」
「…………」
 ついでに思考も停止した。
 ――振り返るまでいなかったはずの占い師さんが、朗らかな笑み浮かべて目の前三十センチの距離に立ってりゃ、止まりもしようってものである。
 ちなみにその足元、レックスと同じほどに混乱している子供たちも、また、似たような心境であったろう。
 そんな彼らも何のその、占い師さんことメイメイは、手に持っていた酒瓶を、軽く持ち上げてにっこにこ。
「いやあ、なんだか色々大変みたいだから、陣中見舞いに来てみたんだけど。タイミング、悪かったみたいねえ?」
 と、問いもしないうちから答えてくれる。
「船もがらんどうだし……またお留守番必要かなって、一応あがらせてもらっちゃった♪」
 もし無人状態ならば、いつぞ下僕としてお役目頂いたときのように、留守を守ってくれようとしたらしい。
 それは嬉しい。
 素直に嬉しい……が、これから無色の派閥との戦いに備えて満タンに注入した気合いが、二割ほど減じた気がする。
 そんなレックスの様子に気づいているのかいないのか、メイメイは酒瓶を手近な棚に置くと、「うん」と腕を組んで彼を見上げた。――にっこにこ、は消えていた。
「先生」、紡ぐことばも同じ。どこか寂しげ、どこか切なげ。「行っちゃうわけ?」
 どこへ、と。告げられぬ行き先は、きっと、レックスがたった今描いていた場所。
「……ああ」
「ダメだよ、先生!」
「そうですよ、起きたばかりで本調子じゃないでしょう!?」
 さっきから懸命に呼びかけていたナップたちが、再び、ここぞとばかりに声を張り上げる。
 それが、レックスの身を案じてのことだというのは承知している。嬉しいことは確かだけれど、首を縦に振るつもりはない。
「みんなは、そこに行ったんだろ? アティも」
「……っ」
 ナップとウィルは口ごもる。そして、これ以上秘めてもおけないと判断したか、ためらいがちに頷いた。
「うん……」
「自分が終わらせる、って」
「――でしょうね」
 ふたりの語尾に被せて、メイメイが云った。
 メイメイさん? と向けられる三対の目に臆すことなく、彼女はそっと目を伏せる。
「一度繋がれた道は、そう簡単に消えやしないのよ。……あんな強い力を持つものなら、なおさら」
 それが何のことなのか、判らぬ者などこの場にはいない。
 そうして。
 判ってしまったからこそ、レックスは、己を取り巻く世界が、一瞬大きくかしいだような錯覚に襲われた。
「……碧の賢帝――まさか、アティが!?」
「引き寄せようとしているわ。あの隊長さんたちと、あなたたちが最初に戦った崖の近く、海の傍で。出来ない話じゃない、だって、あなたたちはふたりとも」
「先生!」
「待っ……!」
 メイメイに最後までことばを紡がせる暇も惜しいとばかり、走り出したレックスの背を、声をかけそこなった子供たちが追いかける。
 いや。
「なんで、あんな、たきつけるようなこと!」
 先行を兄に譲ったウィルが、入口から半身を出した時点で止まって、メイメイを振り返り、怒鳴った。
 だが、少年の表情は、そのまま怒りから驚きに変わる。
「誰が止めても、時間がかかっても、行っていたわ。あなたたちの先生は、そういう人でしょ?」
「……っ」
 反論は、出来ない。
 だけど今。
 今、あの場所に向かってしまったら。
 みんながみんな出向いているあの場所に行ってしまったら、気づいてしまう。
 誰かが足りないということを、まだ説明出来なかったのに、行ってしまったら気づいてしまう。そんなことになったら、つい先日のときのように――
「……恨みますよ」
 いつでもにこやかに出迎えてくれる陽気な占い師を、そのときばかりは、芯から、そう思った。
 大きな声ではなかったけれど、強いその一言を最後において、ウィルは、もう足音も聞こえなくなった兄と、その先のレックスを追いかけるために走り出す。
 遠ざかる足音。
 刻々と静寂の満ちる船に、ひとり取り残された形になったメイメイは、「ふう」と息をひとつついて、ベッドの脇にあった椅子に腰かけた。所在なさげに持ち上げる眼差しは、だが、虚空というよりももっと先を見ているようだ。
 静かに伏せた瞼の裏に描くのは、道を求めて彷徨う幾つもの星。

 ――兆しは、もう、そこにはない。
 ――道も、いまだ、確とはない。

 兆しが道に変じたのなら、そんなことはないのに。
 いや、一度はたしかにそうなろうとしたのだ。だが、何かがそれを吹っ飛ばした。問答無用に力任せに。
 許せない以前にありえない。そも、想像さえ出来なかったことだ。
「……けど」
 置きっぱなしだった酒瓶を、軽く小突いてメイメイはごちた。
「私としては、濁らないよう祈るだけなのよね」
 いつものような“龍殺し”との筆文字が描かれていない、無地のそれ。シルターン縁の者になら、神酒と云えば通じるかもしれない。
 その酒瓶を抱え、片手で器用に封を解くと、メイメイはそのまま外に出た。
 とくとくとく、と、船の周囲に酒を撒く。
 潮には不自由していないはずの砂浜は、貪欲にそれを吸い込んだ。
 最後の一滴まで砂浜に与え終わると、「うん」とひとつ頷いて、空の酒瓶を抱えた占い師は船を後にした。
 ほんのり漂う酒の香りも、そう間をおかずして、風に攫われ消えていく。けれども、敵意を持つ者の侵入を拒むまじないは、しっかりと効力を発揮する。――少なくとも、周囲1キロ以内はこれまでどおり、はぐれの影を見ずに出歩くことが出来るはずだった。


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