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【砕けゆくもの】

- 朝が来たりて無色一行 -



 夜が明けた。
「ふわああぁぁ」、
 と、おおよそヲトメという単語からは縁遠い盛大な欠伸をかましつつ、肩に手を添えて腕をぐるぐる。両腕しっかり振り回したあとは、首を左右にメトロノーム。それも終わったら、背中目一杯伸ばす、伸びひとつ。
 徐々に白んでいく空を見上げながら、結局、うつらうつらと浅い眠りを漂うだけで過ごしてしまった己を少し恨む。
 が、雲ひとつ見当たらない暁の空を眺めているうちに、そんな気分も薄れていく。
「ん、いい天気になりそう」
 ついでに今の自分が抱えた問題も……っていや、これは忘れちゃダメだろう。
 毛布の代わりに身体にかけてた黒マントを剥ぎ取って小脇に抱えると、そのまま、一晩枝を借りた木から飛び下りた。
「ありがとー」
 そう一声かけて、マントをばさばさ翻す。
 一応しわや汚れがないこと、もしくは目立たないものであることを確認すると、最後に、ふぁさっ、と大きく一振り。そのまま、すっぽり身体を覆うようにまとい、止め具で固定する。
 仕上げに、フードを頭から。
 これで、怪しい人物一名様の出来上がりだ。
 改めて思うが、視界が悪いことこの上ない。
 昨日無色の派閥兵士ご一行様と戦ったことでも、つくづく痛感……けど、仕方ない、と自分を慰める。
 本当なら、遠い遠い明日で出逢うべきひとたちが、この島には何人かいる。そのひとたちに見られるわけにいかないし、他の誰かにしたって、いつどこで何が繋がってるやらだし。それに、どこに誰の目があるか判らないのだから。
「……オルドレイクならいいんだけどなー、問答無用で問題ないし」
 いささか前後関係あやしげなことをつぶやいてみる。だってほら、オルドレイク、自分の息子である美白魔王(候補)さんに――ねえ?

 まあ、何はともあれ。
 今日も特にやることないし、海賊一家の皆さんの様子でも見に行ってみよう――そうが決めるまでに、さして時間はかからなかった。

 サイジェントの日々よ再び、なんてのどかなことを考えながら砂浜に着くのも、スムーズだった。

 が、問題はその後。
「……おや」
 木々の向こうに、いまや見慣れた海賊船の姿を認めて、が身を隠せるような場所を目で探し始めると同時――その目的地のほうから、ばたばたと、複数の人間が走る音が聞こえてきたのだ。
 何か考える前に、はとりあえず、手近な茂みに飛び込んで、息をひそめる。
 果たして、足音の主たちは、かくれんぼ中の誰かさんには気づくことなく、あわただしく走り去る。
 赤に黄色に灰色茶色――色とりどりの後ろ姿をすがめ見て、は、「……なんか出た?」とつぶやいて。そうして、ある程度距離が開くのを待って、遠ざかる背中たちを追いかけた。
 今しがた見送った彼らのなかに、いつもより何人か足りなかったような。そんな、漠然とした疑問に首をひねりながら。



 そうして、疑問の答えはすぐに出た。
 一心に林を駆けていく彼らに、横手から次々と合流してく護人や集落のみんな。声をかけ、かけられ、応え、ふくれあがっていく一同の構成を、林を抜けた時点で見通すことが出来たからだ。
「――レックス? と……ナップくんとウィルくん、か?」
 足りない人物の名をつぶやいて、は、切り立った崖目掛け――いや、その手前に布陣している一団に向けて走っていく彼らをすがめ見た。
 先頭を走るのは、白い帽子をかぶった女性。アティだ。が、いつもならその隣に並んでる、同じ色した髪を持つ青年の姿がない。
「!」
 けれども、のんびりとそれを眺めてはいられなかった。今のつぶやきが聞こえたんだろうか、不意に、ヴァルゼルドが自分たちの走り出た林を振り返ったからだ。
 うわっちゃ、と、その視界に自分が入る前に身をすくめ、息を殺す。
 あの大きな足音が近づいてこないことを数秒待って確認し、茂みを揺らさないよう注意しながら場所を移動する。
 目指すは、あの崖の下あたり。
 ちょっと大回りになるが、林からの伏兵を気にすることはあっても、崖下に何者かが潜んでるとか考えるよーなやつはおるまい。っていうか、わざわざ崖下から飛び出るなんて、それこそヒーローか何かだよ。

 “とおりすがりのフラットの味方です!”

 ……しばらく前に己で口走った台詞が、不意に脳裏をよぎってしまった。
 思わず遠い目になりながら移動するの耳に、アティたちの会話が聞こえ出した。
「やあ、先生。やっぱり来たね」
「ええ。……決着をつけなければいけませんから」
 朗らかにぬかすイスラの声と――今までにない硬質さでもって応じるアティの声。
 その対比よりも、むしろ、アティの声にどこか危ういものを感じて、はわずかに眉を寄せた。




 無色の派閥が――イスラが姿を見せた。
 その報せが入ったのは、もちろん、彼らが船を飛び出す直前のことだ。火急に備えていたのが役に立ったといのだろうか、臨戦体勢はすでに万全。
 間をおかず飛び出しながらも、船においていくことになるレックスが気にならなかったと云えば嘘になる。
 だから、ナップとウィルに様子を見ていてくれるように頼んできたのだ。子供ふたりで大丈夫なのか、と、人は云うかもしれない。
 だけど、最近は砂浜に敵意のある召喚獣が姿を見せることはなかった。あそこには怖い人間がいる、とかなんとか噂にでもなってるのだろうか、少なくとも、こちらからちょっかいを出さない限りは安心だろう、という認識に移りつつもあったのが事実。
 うん、だから大丈夫。
 ――そう、きっと大丈夫。
「決着をつけなければいけませんから」
 この争いを終わらせて帰りますから……待っていて、くださいね。

 ――帰れるものならな

 どくん、と。
 騒ぐそれは、まだ小さな鼓動に過ぎないけれど。
 少しずつ、少しずつ揺らぎ、侵食を始めている。
「……先生が?」
 魔剣もないくせにでしゃばらないでよ、と、見せつけるようなため息をついたイスラの目は、次の瞬間見開かれる。
「――――!」
「ほう……」
 彼の少し後方、ぴりぴり引き攣れていく周囲の空気など意に介さぬ素振りで立っていたウィゼルが、器用に片眉を持ち上げた。一触即発の現状がわからぬわけでもなかろうに、武器に手をやる様子さえないというのは……彼は、今回の戦いに参加する気はないということなのだろうか。
 改めて、相手の布陣を確認する。
 前線には、名も知らぬ無色の派閥兵士たち。少し奥に行った位置にビジュ。それから、離れた場所に紅き手袋の一団。当然のように、ヘイゼルという女性もいる。一番奥には、紅の暴君を手にしたイスラ。……とはいえ、まだ剣の力を解放しきってはいないのだろう、黒髪の姿だ。
 ――今のアティと同じように。
「そうか、そうだったね」
 右腕に生えた碧の賢帝を見、イスラが笑う。己の右腕を覆う紅を、軽く揺らして。
「君もまた候補だった。――あのとき、レックスじゃなくて、君が継承していたっておかしくなかったんだっけね?」
 あのとき――レックスが、ふたつに分かれていた剣を、ひとつに束ねたとき。
 あのとき――オルドレイクの魔力が、を押しつぶそうとしたとき。
 ……
 ああ……そうだ。
 右腕のそれで、彼女の身体を貫いたのは、目の前の――
「イスラ……」
 ことばにしようと思ったわけではなかったけれど、自然、その名を紡いでいた。
 紅の暴君の継承者。
「――イスラ」
 哀しげに紡がれる声の主。
 ……アズリアの弟。
 ちらりと視線を動かすと、ちょうど、彼女が前に進み出たところだった。

 この場へ向かって走る途中、各集落から皆が合流してくれた。
 狭間の領域、ユクレス村、風雷の郷――そしてラトリクス。
 てっきり、アルディラとクノン、それにヴァルゼルドだけかと思っていたから、アズリアとギャレオの姿までもがあるのを見て、本当に驚いた。
 目を丸くしたアティを見た彼女は、さして気分を害した様子もなく……だけど、イスラが出てきているのを予感してたのだろうか。つくってみせてくれた笑みは、どこかぎこちなくて。

 今は、笑みではなくて口元を引き結んでるけれど、やっぱり、どこか無理をしてるように見える。
 ……いつだって強く、凛と前を見ていたアズリア。
 彼女がこんな表情を見せ始めたのは、……やはり、イスラの裏切りが明らかになってからだった。
 あの赤い日の夜にあったことを、から大まかに聞いた。それに、アズリア自身も教えてくれたから、知ってる。
 彼女が涙を見せたこと。
 彼女が泣いたこと。
 その理由は考えるまでもなく、イスラ。

 も。
 アズリアも。
 この島も、魔剣も――いわば無色の派閥の切り札とて。
 すべての因が彼と自分に収束するなら、そう。

 ここで彼を倒さなければ、争いは終わりなどしないのだろう――



「……」
 頭上で交わされる会話を、は、腕組みしつつ聞き入っていた。うーむ、とうなってしまいたい衝動は、どうにか押し隠すことに成功。
 息もしっかりとひそめているため、崖から身を乗り出して覗きでもしない場合、まずこちらを発見することは難しいだろう。そんな好奇心溢れた行動が出来るような空気ではないし。
 ……がいるのは、一行が向かい合っている崖の下。
 垂直に切り立ったそこは、だが、ところどころが小さな足場のように出っ張っている。そのなかで一番広い場所に、どうにか壁を伝ってやってきたというわけだ。
 実は、足場がなかったどうしようか、と、移動中に考えはしたのだが。ま、うまいとこあったから結果オーライ。
 と、そんなことはどうでもいい。
 今問題なのは、まったりと腕組みしているの頭上、喧々轟々とした彼らの会話。
 守ってやらなければならない弟なんか幻影だ、とイスラが云っている。応じるアズリアの声はか細かった。まだ、何かを明確な形には出来ていないのかもしれない。
 そうして、それをアティが遮った。
 強い調子で、前に出る気配。
「……」
 彼女が何か行動を起こすたび、空気が揺れる。
 それは、手にした碧の賢帝によるものかもしれない。けど、もっと――もっと違う何かが、ひしひしと大気を染め上げている。
 殺気。と、人は云うかもしれない。
「……」
 でも、それならどうして、今のアティから伝わる雰囲気は、こんなに切羽詰ってるように、追い詰められているように、感じるんだろう。
 まるで、その殺気が彼女自身を苛んでるみたいだ。

「……もう、いいですよ。はじめましょう、イスラ」

 戦いの始まりを告げるはずのその声は、今にもひび割れそうに揺れていた。


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