――最初に砂煙が見えた。
続いて、まるっこい人影が見えた。
真っ赤な顔して走ってくるその人物が誰か、肉眼で判別出来るくらいにまで近づいてくるころには、ちょっと早い夕食の準備をしようとしてた海賊船一行、なんだなんだとそちらを注視していた。
散歩と称して出かけてたアティも、彼女を連れ戻してきた子供たちも、結局成果を上げれずに戻ってきたカイルもヤードも、留守番していたソノラもスカーレルも――眠りつづけるレックスを除く全員が、走り来る人影に注目し、手を止めた。
ちなみに、行方不明の事実は、この時点できちんとアティの耳に入っている。ソノラに説明したときと違って、“生きていることだけは絶対確実”という前置きのもとで話したおかげか、彼女にそう混乱は見られなかったのが幸い。
明日はわたしも探しに出ます! と息巻く彼女を、むしろどうやって落ち着かせようかと思案する、そんな一幕もあった。
未だ眠りつづけるレックスは気になったが、それでも、まあ、昨日の衝撃もようやっと薄らいで、のんびり夕飯を楽しむ心持ちになったいた一行に、このたび再び騒動を届けたのは――
「み、みなさん! シアリィはんはこちらにお邪魔してまへんかッ!?」
まあその。云うまでもないだろうて。
経緯を聞いた一行は、当然のようにざわついた。
「なんでこんなときに外に出ちゃうかなあ!?」
だー! と頭をかかえてがなるソノラの横、
「……切ない乙女心ってヤツでしょうねえ」
どこか遠い目をしたスカーレルが、いつになくお姉様っぷりを発揮してつぶやいている。
「で、村にはいないのか?」
「おりまへん。それに、あの子は約束を破るような子じゃないさかい」
何かトラブルに巻き込まれている可能性が高い。
カイルの問いに応じるオウキーニのことばは、そう云っているも同然だ。
「今、うちのあんさんやみんなも、外を探してくれてるんやけども……」
これを見捨てておくようでは仁義がすたる。
一同、即座に走り出そうと立ち上がり、
「おおぉぉぉ―――い!!」
かけたとき。
そんな声とともに、オウキーニの走ってきた方向からまたしても、砂煙が巻き起こった。
今度は誰だと振り返った一行の目に、筋骨隆々の男の姿が映る。ジャキーニの部下だった。
「何か手がかりがあったんか!?」
姿を認めるや否や、わざわざ砂浜まで疾走してきた理由を推測したオウキーニが叫ぶ。喜色半分、不安半分。
「へい!」
大きく頷く部下を見て、彼ならず、カイルたち一行にも安堵が広がった。
だが、続くことばに彼らは己の耳を疑う。
「今、船長もそちらに向かってます!」
「ニイさんも? なんでや?」
シアリィが見つかったなら、そのままユクレスにつれて帰ればいいだけだ。
なんとなく、嫌な予感が脳裏をよぎる数名。
そうして部下は、オウキーニの問いに対し、申し訳なさそうにこう云った。
「その、周辺に無色が……」
「……なんやて!?」
「昨日の今日で!?」
オウキーニと、アティの声が重なる。
ならば、ぐずぐずしてもいられない。夕食の準備は途中にして放り出され、先刻の数倍に等しい砂煙が一路、シアリィがいるとされる現場へと向かったのである。
ある程度距離を駆けたところで、オウキーニはその目的地がどこであるか見当がついた。
これまでに――といっても、無色の派閥が姿を見せる前だが――何度か、シアリィを伴なって食料を調達しに行った場所だ。そして、何故シアリィがそんなところに向かったのかも、なんとなく、予想がついてしまった。
自惚れているわけではないが、これは、けして愛想を尽かされたのではない。彼女はきっと、外に調達に出れず悶々としていたオウキーニを見かねてしまったのだろう。
その優しい心根に、オウキーニは、つん、と鼻の奥が熱くなる。
「もう少しやからな、シアリィはん……!」
ぐす、と一度鼻を鳴らして疾走する彼は、案内役だったはずの部下も、ついてきているカイルたちも、どんどん置いて引き離していく。まさに火事場の馬鹿力。
そうして走る先に、彼は、自分の義兄弟の姿を見た。
「ニイさん!」
「おう! 行くぞ!!」
別方向からやってきたらしいジャキーニとともに、再び走る。もう後続の姿は見えない。
無色の派閥相手にふたりだけでケンカを売るというなど、自爆以外の何ものでもない、が、ジャキーニもオウキーニも、そんなこたあ頭からすっ飛んでいた。
ジャキーニにとっては、何度も食事を差し入れてくれた恩もある、弟分の嫁さん候補。
オウキーニにとっては……云うまでもあるまい。
――そうして走る彼らの耳に、
「シャアァッ!!」
不吉な雄叫びが、空気を震わせて伝わった。
「いやあぁぁっ!」
泣き出しそうな少女の声も。
それを聴いた瞬間、オウキーニはさらに加速。
茂みに突っ込むのも気にしない、コケる危険も知ったことか、その向こうの人影目掛けて、彼は、最後に大きく地を蹴った――!
「うちの大事な大事なシアリィはんに何さらすんじゃ、こん、ボケがああぁぁぁぁぁ!!」
軽やかに宙に舞った巨体が、黒ずくめこと無色の派閥兵士の後頭部を鈍い音たてて蹴り飛ばした。
「――あ……!」
その目の前、今まさに派閥兵の刃を受けるばかりだった少女が、目をふさいでいた両手をのけた。ちょっとつり目の、だけど愛嬌のある双眸に映るのは、黒い男の姿ではなくて、いつも優しい――
「オウキーニさん……!」
不意をつかれた派閥兵をトドメとばかりに蹴り飛ばしたオウキーニ、そこでシアリィを振り返って、どこか困ったように笑ってみせた。
「やれやれ、探したで?」
「あ……っ、わ、私、食材……、オウキーニさんが、困……っ」
「だからって、こんな怖い目におうてまでがんばらんでもよかったんや。な?」
云っていることこそ叱り文句だが、彼の表情は優しい。
見透かされてたことへの恥ずかしさと、それまでの恐怖が、それで一気にシアリィに襲いかかった。
「ご……ごめんなさ……っ」
あの男を前にしても零れずにいた涙が、そこでぽろぽろ溢れ出す。
オウキーニはそんなシアリィを抱きしめると、その頭を優しく撫でてくれた。
「ええんや、もう何にも、こわいことなんてあらへんやさかいにな……?」
「いや、あるでしょ」
「うお!? 何じゃ貴様、いきなり!?」
唐突に飛び込んできた声とその主に、ジャキーニが慄いた。
振り返ったオウキーニは、「あ」と一声。
「あんさん、さっきの」
「はい」
「なんじゃ、知り合いか?」
「さっき、通りすがりに足引っかけて、シアリィはん探しを手伝うって云ってくれはったんですわ。その節はどうも」
(足を引っかけて転ばされときながら)お世話かけました、と、つづけようとしたオウキーニを、声の主こと黒マントは腕を突き出して留めた。
全身を覆うそれでよく判らないが、視線はオウキーニたちではなく、黒マントをも含めたこちらを取り巻く一行を見据えているようだ。
一行とは――云うまでもない、無色の派閥兵。
オウキーニとシアリィの桃色雰囲気に毒気を抜かれていたのかどうかは知らないが、今やじりじりと、彼らは包囲を完成させようとしていた。おそらく隙を見て一気に飛びかかるつもりであろうが――そうさせないのは、黒マントがいるからか? いささか、気圧されているように見受けられなくもない。
「オウキーニさんは、シアリィさんを守ってて」
突き出したままだった手のひらを軽く振り、黒マントはそう云った。
「は、はい。さ、シアリィはん」
普段は厨房が仕事場とは云え、オウキーニもまた、海賊としてならした腕を持つ。ぱっとあたりを確認し、多方向からの挟撃を受けづらい場所が空いているのを見てとった。
その傍ら、黒マントは、続いてジャキーニに指示を出す。
「部下さんたちは自分の身を守るほうに集中させといてもらえる? あんまり場所が広くないから、数を投入しちゃうと動きづらいし」
「お、おう……って、なんで貴様がワシに命令するんじゃ!」
素直に頷きかけたジャキーニだったが、は、と気づいて黒マントを怒鳴りつけた。
が、当の黒マントは、そんなのどこ吹く風らしい。腰に下げていた長剣を音もなく抜き放つと、身体の向きを変える。
「おい!」
鼻息荒く肩をつかもうとしたジャキーニの手を、黒マントはつれなく払った。
「文句は後で。まずは」、
その空白を見逃さず、次々と地を蹴る無色の派閥兵。事実上、火蓋は切って落とされたのだ。
ジャキーニがいる方向、そしてオウキーニたちのいる後方を除けて迫るふたつの剣を、黒マントは己の剣を振るい弾き飛ばす。
「――生き延びること!」
それが今の彼らにとって何よりの優先事項であることは、もう、疑いようもなかった。
「チッ、じゃから召喚師は嫌いなんじゃ!」
サーベルを引き抜いて、ジャキーニもまた、派閥兵に向かい合う。
その彼の台詞を聴いた黒マントが、ぽつり、「……そりゃそうだ」と含みありげにつぶやいたそれは、幸い、誰の耳に届くこともなかった。