「にゃ?」
浮かべていた微笑はどこへやら、メイメイは、ぴきっとその場に固まった。
「……ちゃん?」
「――――」
林立する木々の反響を、うまく利用しているのだろうか。声の出所わからぬまま、虚空に向けて呼びかけたそれに、だが、反応はない。
どれほど待っても沈黙しか返らないと察し、メイメイは、適当な方向に見当をつけて足を踏み出そうとした。
が、
「動かないで!」
その気配を感じたか、一歩目を出しもしないうちから、鋭い声が――やはり、どこからともなく。
下手な刺激は逆効果と感じたメイメイは、再び動きを止めた。
「……、ちゃん?」
心なしトーンを落として、再び呼びかける。
「…………」
否定も肯定も、それに対しては返ってこない。だが、この場合、無言もまた肯定ととって差し支えなかろう。
「さっきからいたの? その分じゃ帰ってないようだけど……みんな、心配してるわよ?」
重ねて問いかけると、ようやく、応答らしきものが返ってきた。
「戻れません」
いくらことば重ねても、けして揺るがぬだろう強い意志とともに。
だから、理由を問うのは諦めて、少し質問の方向を変える。
「……じゃ、どうしてここに来たの?」
「剣を……なくしたから。ひとつ、頂きたいと思って」
この時点ですでに、声の主がだとばらしてるも同然なのだが、まあ、云わないほうがいいだろう。云ったら速攻逃げ出されそうだ。
「剣?」
「それと」、今思い出したらしく、声のトーンが少し変わった。「先に着替えがほしいです。あと、マント」
「着替えはともかく、マントぉ?」
いったい何がしたいのかしら、この子は。
首をひねったメイメイだったが、しばし沈黙を堪能したあと、「判ったわ」と頷いた。
「剣は後として……じゃあ、服はどんなのがいいの? あと、マントっていってもいろいろだけど」
考え込むような空白が、数十秒。
のち、単語を選びながら、ゆっくりと、の声が問いに答える。
「服は黒、か、濃い紫でも。それの上下。下はズボン。……下着もあると嬉しいです。マントは――黒。頭すっぽりかぶれるフード付きで、全身覆えそうなものを」
「黒か濃い紫の服に、フード付きのマントね?」
「はい」
復唱し、応えを返され、メイメイは再び方向転換。どこへやら向けていた足を、今度は自分の店へと動かしだした。さすがに、これには制止がかからない。当たり前といえば当たり前だが。
怪しさ大爆発の恰好よねえ、と、告げられたコーディネートを想像しつつ店へと入り、ご指定の品を探し出し、それを手にして再び外へ。
「持ってきたわよー?」
「店の裏手にお願いします。あなたは中に戻ってください」
「はいはい」
云われたとおり、店の外側をまわり、入口とちょうど真反対の方向にある壁の下に品物を並べる。
「置いたわよ〜」
一声かけて、さっさと踵を返して店のなかへと舞い戻った。
入口にかけた布をくぐるとき、足音がひとつ届いたが――メイメイは、後戻りすることもなく、店内に身体を入れる。
シルターン調に整えた内装を、とくに何を考えるでもなく眺めていることしばらく、入口に近づく足音ひとつ。もちろん、店の裏手からだ。
視線を移すと、ちょうどその人物の手が、布をまくりあげていた。
「――ぶっ」
「……」
思わず吹き出したメイメイに、非難がましい視線が向けられる。
いや、目深に被ったフードのせいで、そんな感じがするだけ。本当に睨まれてるかどうかは判らない。
このまま紐をかければ、黒てるてる坊主の完成だ。そんな恰好の(仮)は、ぺこりと頭をさげた。
「ありがとうございました」
「ん。どういたしまして」
軽く応じ、腕を持ち上げて店内を指す。
「せっかくだから、剣は自分で選んだらどお?」
そのほうが、より馴染むのをとれるでしょ。
そう云うと、(仮)は、再び頭を上下させる。
脛の半ばまで届く丈の、黒いマントを軽く揺らして、剣の陳列してある棚のほうへと移動。メイメイの用意した、黒いタートルネックに包まれた腕が、さっそく剣を取って品定めを始める。
もしもマントなんて羽織ってなければ、黒いシャツに濃紺のズボンといった、いたってシンプルな恰好の少女が、真剣にああでもないこうでもないと迷う姿が見れたろう。
「あ。そうだ。剣帯は要る?」
「……はい」
持ち歩くのならば、必需だろう。そう思って訊いたらば、やはり(仮)は頷いた。
それから、ふ、と苦笑する気配。
「何も、訊かないんですね」
「にゃ? 訊いてほしい?」
「いえ」
メイメイさん、そういうひとですから。と、なんだか以前からの知り合いのようなことを云って、彼女は再び剣の選択に戻った。
それを横目にしつつ、もう一度店の奥へ引っ込んで。剣帯をとって出てきたときには、品定めが終わったらしい。(仮)の手に、細身の長剣が一本、握られていた。
ん? と首を傾げるメイメイ。
「ちゃん、前は短剣使ってなかった?」
「……これでいいんです」
頑固にも認めようとしない返答に、メイメイは苦笑する。
たしかに、彼女が選んだのは比較的細身の品。重量差で悩むことは、あまり、ないだろうとは思える。気がかりといえばリーチの違いだが、これも、慣れてしまえばどうでもいいことだ。
第一、剣を握る彼女の手は、初めてそれを手にするぎこちなさがない。一番馴染んでいるのは短剣なのだろうが、先に述べた理由では、彼女の戦闘力が大きく削がれるということはなさそうだった。
はい、と剣帯を差し出す。受け取った彼女は、少し迷うような間を置いて、それを腰に巻いて剣を通した。鞘を金具で止めて固定する。
すると途端に、少女からどこぞの剣士風になるのだから、おもしろい。武器ひとつで、こうも立ち居が変わるものなのか。
剣のおかげで少し持ち上がっているマント、未だに(仮)の頭からすっぽりかぶられているそれごしに、しげしげと眺める。そうしていたところ、剣帯の位置を小刻みに移動させて馴染ませていた彼女が、身体ごとメイメイに向き直った。
「何から何まで、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる(仮)を見て、少しあわてる。
なんでって……なんでか判らないけど、すごく、すごく真摯な声だったから。
「いいのよ、それくらい〜。いちいち、改まんなくても」
にゃは、と笑って手のひらをパタパタ。
いつもならきっと笑ってくれたろう少女の声は、でも、しない。
代わりに、
――りん、
手首に巻いた銀の鎖が、小さく揺れて音を奏でた。
「……」
(仮)の視線が、それへ向けられたことに気づいて、メイメイも己の手首に目を落とした。
「これ、気になる?」
「……そうですね」
ちょっと腕を持ち上げて問うと、なんとも曖昧な返事が返ってきた。
重ねてメイメイが何か云うより先に、ふわり、少女の周りの空気が和らぐ。どこか懐かしいものを見ているような、遠い何かに思いを馳せているような。
――りん、
その視線に応えるように、もう一度、銀が鳴る。
呼びかけているようだ、そう思うのは、同じ名前だと知っているからこそ生まれる錯覚だろうか。
「ちゃん」
彼女の名を呼んで、何を云おうとしたのか……もしかしたら、ただ、名を呼んだだけでよかったのかもしれない。
銀の音の残滓と重なったメイメイの声に、彼女は、僅かに首を傾げたようだった。片方の手を持ち上げ、唯一露出している口元へ持っていき、何かを思考することしばらく。
その手がおろされたときには、彼女の雰囲気は、さらにやわらいでいた。
「……ありがとうございます、メイメイさん」
再度、告げられる礼。
“――ありがとう、メイメイ”
重ねて聞こえる、遠い、遠い友の声。
――りん、
響く、銀の音。
「……」
ありえないことを知っている。
あの子の魂は、生半なことでは戻れない場所へ行ってしまったことを、知っている。
それでも、――それでも、輪廻の果てに戻ってきてくれたのだと、そんな錯覚に溺れたくなるほどに、それは、そろいすぎた光景で。
だけど、絶対に違うのだ。
「お代の代わりに、いくつか訊いていいかしら?」
(仮)の携える道は、ようやく本来の引き出し口を見つけたようだが、随分ひび割れている。あの子であるなら、絶対にありえないことだから。
「昨日出てた、あの白いのは……あなた?」
「はい。ていうか、判ってるんでしょ」
そりゃそうだ。
いつか雨の日、彼女が外付けの道を持ってることを、メイメイは看破してたのだから。
思い出しちゃった、と、彼女は続けた。
「あんまり使わないほうがいい、ってメイメイさん云いましたよね。――うん、おかげでボロボロですよ、今」
どこか自棄めいた話し方だけど、声は明るい。
急に目一杯使っちゃったんで、かなりガタ来ちゃったみたいです、と、付け加えられるそれで、あのとき暴れていた紅と碧を鎮めたのはやはり白だったのだと、メイメイは思う。
「後悔してない?」
おそらく切り札だろうそれを、失ってはいなくても、かなり磨耗させてしまったこと。
「後悔出来る余裕が出来たら、後悔します」
短距離走でも長距離走でも、タイムを見たりフォームを振り返ったり出来るのは、走り終わったあとだから。
――りん、
再度響く銀の音に、心と耳をかたむけて。
「そっか」
と、メイメイは頷いた。
「ま、疲れたらいつでもいらっしゃい。どうせ、あのひとたちのところに戻る気はないんでしょ? ――(仮)ちゃんは」
「……なんですか、かっこかりかっことじ、って」
「そのまんま♪」
ようやっと取り戻したペースのまま、にんまり笑って応じると、彼女はがっくり肩を落とす。
「ねえ」
それでも律儀に一礼し、店を辞しようとした背中に呼びかけた。
「はい?」
「ちゃんじゃないなら、今、あなたは誰?」
「……」
黒いマントを被った少女は、その場に静止した。
背中を向けているうえにフードもあり、表情は見えない。ただ、思考するような沈黙がしばらく続いた後、振り返らずに少女は云った。
「恰好つけて云うなら、“いつかあなたに逢う誰か”です」
――りん、
銀の音が小さく響くなか、店を後にするその背中を、メイメイはじっと見送っていた。