そうして目を覚ます。
「――ふあああぁぁぁ」
間延びしまくりの欠伸ひとつと引き替えに、あまり新鮮な気のしない空気をとりあえず胸一杯に吸い込んでみた。
うーむ、やっぱりすっきりしない。
のそのそ起き上がり、うろつく亡霊の間をすり抜けて外に出る。
「ん――――っ」
時間としては、もうすぐ夕方に傾きかけてるのかもしれない。太陽の位置をたしかめて、そんなことを思った。
いったい何時間寝てたんだ、あたしは。
軍属時代、それからここ数年においてもやらなかった、二十四時間睡眠に挑戦出来たんではなかろうか?
だが、まあ、その甲斐あってか、体調はそこそこ程度にまで回復しているようだ。血の量も……うん、立ちくらみが起きないところを見るに、動く分にはきっと支障なかろう。そんな早く回復するものなのかどうか判らないが、護りのオマケかもしれない。戦闘にまで対応できるかどうかは、その場次第。ま、短時間ならだいじょうぶだろう。
と、そこまで考えて、はふと腰に手をやった。
「あ」
顔をしかめる。
使っていた剣は、あのとき、イスラの剣で砕かれて放り出したままだということを思い出したのだ。
「……しまった」
これから何があるか判らないのに、丸腰ではさすがに辛い。
最近見かけないとは云っても、この島にはまだ人間に敵意を持つはぐれも多く存在している。獣だっているし、何より今は無事に済んでいるけど、亡霊だっているのだから。
となると、まず考えるべきは武器の調達手段。なのだけれど。
「……メイメイさんとこしかないじゃない、ここ」
集落にいくのは問題外、人目がありすぎる。それに、基本的に護人以外は戦いのすべを知らないひとたちだ、武器なんて持ってる可能性はとても低い。
そうなると、口にしたとおり、この島で唯一武具の売買を扱ってくれている某占い師さんのお店に行くしかないのは自明の理。
それはよくよく判っちゃいるのだが、
「い、いいのかなあ……この恰好じゃ……やっぱまずいよねえ……?」
疑問を見事に否定へと変じさせ、は頭を抱えてしまった。
そのままの姿勢でうんうんうなることしばらく、結局は決心する。
――どうにかしてこうにかして、顔を見せずに交渉してみよう、と。
ま、なるようになるさ。メイメイさんだし。
そんな、どこか投げやりな気持ちで、は喚起の門を後にした。
……焦げ茶色の髪を持つ、ぼろぼろの衣服を着た少女の背中が、木々の向こうに消えてからしばらく後。
がしょんがしょん、と、硬質な足音が喚起の門へと近づいてきた。
「こちら、こちらであります! 足跡はこちらに続いているであります!!」
「マジかよ……そっちは例の遺跡だぞ!?」
「……信用できるのか? その探索機能とやらは」
「ぷーぷぷー!!」
「ま、まあまあ……とにかく、行ってみましょう。他に、これといった痕跡も残っていなかったわけですし……」
そんな賑やかしいやりとりとともに林の中から抜けてきたのは、サーチ機能フル稼働中のヴァルゼルド、その頭に乗ったプニム、それからカイルとヤード、アズリア。
昨夜、島中を駆け回って何の収穫もなかったのは記憶に新しい。
ならば、もう一度最初の場所……戦いの行なわれた平原に戻って、自分たち以外の何者かによる痕跡が残っていないかどうか調べてみようと、連れ出されたのがヴァルゼルド。プニムがついてきたのは、云うまでもあるまい。
ちなみにギャレオは、ヴァルゼルドを連れ出しにラトリクスへ向かった際、入れ替わる形で養生となった。何しろ、ほぼ常態になったとはいえ、受けていた傷の具合が具合だ。アズリアの検診は朝だけだが、彼は夕方にもそれが入っている。時間もそうだが無理はさせられない、との上司の説得に、彼は不承不承だが従った。
そうして平原へ向かった一行は、即、ヴァルゼルドに告げた。
すなわち、“少女ひとり分と思しき何かの痕跡を見つけろ”と。
同年代の少女であるところのソノラのものと紛れるおそれもないとは云えなかったが、少なくとも彼女は一度船に戻るまでは、皆と行動を共にしていた。経過時間と合わせて考えれば、そう間違いもなかろうというのが予想であり希望でもあったわけで――果たして、ヴァルゼルドが平原の片隅から発見した痕跡は、誰が向かったでもない方向へと進んでいて。それで否応にも、彼らの期待は増した。
が。
茂みを揺らして木立ちを出た一行は、だが、そこで『う』とうめいて足を止める。
「おい、止まれ」
「静かに……!」
遠目にも、遺跡の周辺に浮かび上がっている亡霊たちがはっきりと視覚出来たからだ。時間の上では午睡にちょうどいいとはいえ、まだまだ空が赤くなるほどの頃合いではないというのに、寒気をさそう姿が二や三といわず漂っているのは、いささか見ていて楽しくない。
ついでに云うなら、絶対に遭遇はしたくない相手だった。
以前訪れた際、カイルとヤードはここにいる亡霊と戦ったことがある。そしてプニムは、亡霊と戦うの姿を見たことがある。そのときの記憶が、彼らの足を縫い止め、進もうとしていた他数名に制止を呼びかけさせた。
亡霊を初めて見るアズリアが、かすかに喉を鳴らした。
「……なんだ、あれは」
「――過去、この島で起きた戦いによって、命を落とした亡霊ですよ。彼らは長い間、ああして留まったままなのです」
「ぷ……」
「遺跡と魔剣がある限り、ですな」
かすかなプニムの鳴き声を聞き分けて、ヴァルゼルドが応じた。
そんな機械兵士に、カイルが問いかける。
「おい、足跡はどうなってんだ?」
「は。方向としては、真っ直ぐに遺跡へ向かっているであります」
きっぱり云い切るヴァルゼルドを見るカイルの目が、僅かに細められた。
「あのなあ……は死にかけてたんぞ」
それでどうして、あんな危険なもんがうろついてる遺跡目掛けて直進するんだよ。
「ですが、この痕跡は間違いなく……」
「のものだと、はっきり判っていればいいのだがな」
ヴァルゼルドの探査能力を疑えないというのなら、この痕跡が探し人のものでない可能性のほうを重視せねばなるまい。
少なくとも、この場の一行にとっては、命にかかわる重症を負った人間が危険極まりない場所に自ら突っ込むなど考えられないことであるのだから。
アズリアのことばに、プニムが怪訝な面持ちで身体をかたげた。
「ぷ〜……」
「どうかなさいましたか?」
「……ぷ」
なんでもない、とかぶりを振るプニムは、昨夜……もう時間としては今朝といってもいい頃出遭った少女のことを、まだ誰にも話していない。そもそもジェスチャー以外でストレートに意思疎通できる相手など、テコかヴァルゼルドくらいで――それに。
それに、そう。
あの子は、自分の相棒とは違う姿だったのだし。
だけど、でも。
ああ、もう一度くらい逢えたら、何か判るかもしれないのにな。
「……出直しますか?」
いつまでも亡霊を眺めていても、埒があくまい。組んでいた腕を解いて、ヤードがそう提案する。
引き返していく彼らの気配は、さいわい、終始亡霊に気づかれることはなかった。
危険を冒さなかった分、実入りもまた、得られなくはあったのだけれど。
自分が出てきた遺跡で、その後何が起こっていたかなど知るわけもないは、これぞさいわいにも誰に見咎められることなく、林を抜け森を進み、目指すメイメイの店へ辿り着いた。
考えてみたら、無色の派閥のせいで集落の外に出るひと自体が皆無っていう状態なのだから、そう神経質になることもなかったかもしれない。
なんて思い至ったのは、それこそ、店が見えてきてから。
苦笑混じりに張り詰めていた気を抜いて、足を進めるの耳に聞き慣れた声が届いたのは、ちょうどそのときだった。
「どういうことだよ……?」
「うん……なんていうのかな、君たちと違って、私は、外側からあの人たちの笑顔を見てたわけでしょ」
「――」
足を止める。
前者と後者、そのどちらにも、は聞き覚えがあった。
声変わりもしてない少年のそれと、普段はもっと陽気で朗らかな女性の声。
その両者ともに、今は、なにやら張り詰めた声で会話している。
しまった、と思いはしたものの、はすぐ、その場で会話が終わるのを待つことに決めた。
盗み聞きの後ろめたさよりも、また出直してくる手間を省くほうを選んだわけだ。……それに、今、あっちのみんながどうなってるのか気になるし。
自己正当化、完了。
息をひそめて、す、と方向を修正。手近にあった、比較的大きな木に背中を預けた。顔を半端に出して覗くようなことはしない、声だけ聞ければ十分だ。
がそうしている間にも、メイメイと、訪問者らの話はつづいていた。
「だからね、ずっと思ってたのよ。ああ、ムリしてるなあ、って」
「……私、そんなこと気づきませんでしたわ」
話はどうやら、レックスとアティのことらしい。でなくちゃ、メイメイはともかく、あの子たちがこんな意気消沈してるなんてあるものか。
ていうか……どうなったんだろう、レックスとアティ。
嫌な勢いで侵食始めてた魔剣はとっちめてきたんだけど、ちゃんと立ち直ったろうか。ちゃんと自分の手がそれを持つってこと、判っただろうか。
「気に病むことないわ。別に、キミたちだけが気づいてなかったわけじゃないもの。それだけ、先生たちがうまくやっていたってこと」
一部は気づいてたみたいだけどね、とメイメイが付け加えると、子供たちがなにやら顔を見合わせる気配。
「うん」、と、代表するようにナップが云った。「オレたち、護人の兄ちゃんたちに云われた……先生たちが、どこか……そんなだったの」
「そっか」
「だけど、どうして――どうして、ずっと黙って」
搾り出すようなウィルの声。
それに応じるメイメイの口調は淡々としていたけれど、どこか物悲しかった。
「そうすることを、あのひとたち自身が望んだから……でしょう?」
痛みも、
怒りも、
哀しみも、
憎しみも、
――嘆きも、
すべて笑顔の奥にひた隠して。
「……っ」
アリーゼが、何か云おうとして……けれど、吐き出したのは呼気だけだった。
ことばを見つけきれないでいる子供たちに、メイメイは優しく語りかける。
「よく、考えなさい」
あの人たちが、どうしてそんなことを続けてきたのか。
「その答えを見つけない限り、あの人たちの笑顔の奥にあるもの、ずっと守ってきた何かは絶対理解出来ない」
赤い赤い空。
消えた背中。再び得た手のひら。
ゆめのようにまぼろしのように、臨んだその姿。
メイメイに、それが見えていたわけではない。
はかなく頼りなく、だけど何より強く、あのふたりがかつて目にしていたものの存在を、おぼろげに感じていたに過ぎない、ただそれだけ。
それはふたりを揺らがせるものであると同時に、確固たる何かにもなり得るもの。
……ただ、それは、自分の口からこの子供たちに告げるべきことではない。それを、彼女はよく判っていた。
だから、彼女はただ助言するだけ。
半ば泣き出しそうな顔になって、何か懸命に考え出した子供たちの背を、軽く押してあげるだけ。
でも、それだけで充分のはずだ。
「それを見つけなさい。できるのは、きっと、あなたたちしかいないのだから」
そう云って背中にかけた手を、ふとナップの零したことばが止めた。
「だったら」
発された名前に、メイメイの表情が一瞬強張る。
彼女が命を落としかけ、今も行方が知れぬことを、メイメイはこの件に先んじて聞いていた。だが、それを差し引いても、どこか違和感のある驚愕。
すでに後ろを向いていた子供たちが、それに気づくことはなかったけれど。
「……だったらさ、もっと、判ってやれたのかな」
「それはないわね」
誰が見ていたわけでもないけれど、動揺をごまかすようにメイメイは云った。
「どうしてです?」
振り返ったウィルが見たのは、小さくウインクしてみせる占い師の姿。
「なんとなく」
やっぱ適任はキミたちだと、メイメイさんは思うわけよ?
どこかおちゃらけた云い方に、どっ、と子供たちは脱力する。それを、ここぞとばかりににっこり笑ったメイメイが、林のほうへと押し出した。
――微妙な表情で辞した子供たちの背中を見送って。彼女――メイメイが思うのは、“なんとなく”の理由だ。
なんとなく……本当に、なんとなく、なのだけれど。
たしかに、はレックスとアティに一番近い位置にいるんだろう。だけど同時に、誰よりも遠い位置にいるように見える。
彼女なら彼らの奥を見通せるだろう、きっと、誰より早く。
でも――彼女がそう出来ることが、そのまま、彼らの救いになるとは、どうしてもメイメイには思えないのだ。
「ううん、救われはするかも……だけど」、足音ももう聞こえなくなった林を見据え、ひとりごちる。「先生たちは、救われるんじゃなく……自分を救わなくちゃいけないから」
では、それは叶わない。
あの子はたぶん、救ってしまう。本人、その気がなくたって、結果はそんなふうになってしまう。きっと。
だから――そのための力を、あの人たちが見つけ出せるきっかけは、あの子供たちしか与えられないと思うのだ。
うん、とひとつ頷いて、メイメイは口元をほころばせる。
「……がんばれ、若人」
贈ることばは届かぬ声援ひとつだけ。でも、それで充分だろう。
夜が来たらもう一度、星のめぐりを見てみよう――星々の道をねじ曲げちゃったアレがどうなったか、改めて気になりだしたことでもあるし。
そう思いつつ、店に戻ろうと踵を返したメイメイの耳に、
「ぷりーずふりーず・ほーるどあっぷ」
……つい先ほど行方不明と聞かされた誰かの声が、どこからともなく響いてきた。