もう充分動けるようになっている、との彼女の主張に、機界の護人は「そのようね」と、あっさり外出許可を出してくれた。
単に、昨日の出来事とやらで憔悴していて、目が節穴になっていたのかもしれないが、動けるようになっていること自体は嘘ではない。
アズリアの負傷は、そもそもギャレオより遥かに軽かった。それでも今まで大人しくラトリクスに閉じこもっていたのは、部下の面倒をみるという部分もあったが、その部下が、上司が外出するのなら万難排除するどころか吹っ飛ばして護衛のために同行する、と云い出す性格であったからだ。
それに、今回ばかりはアズリアだって、反対されても押し切る気持ちで外出を申し出た。
――アルディラから訊いた昨日の顛末は、彼女にそうさせるに充分すぎるほどの、そう、それこそ診断に支障をきたすほどの衝撃を、たしかにふたりに与えたのだから。
そうして、彼らは問題なくラトリクスを後にし、森を抜け林を歩き草原を通って、ここ、海賊一家の拠点である砂浜に辿り着いた。
木々の間からほの見えていた船の下、砂浜に集まっている一行のなかに、あの姉弟がいないことをいぶかしく思いながら、アズリアは、砂浜に足を踏み入れる。
そのときだ、
「オレ、追いかけてくる!!」
「わ、私も……!」
海賊たちとなにやら話していた子供らが、不意にそう叫び、身体を反転させたのは。
「わ!?」
「きゃあっ!」
走り出した子供たちは、真っ直ぐにアズリアたちへと向かっていた。ろくに前方確認もしていなかった彼らは、当然のように、あるとは思っていなかった障害物に激突。
尻餅をつく程度の衝撃だったが、そこが砂浜で何よりというか、なんというか。
「あ、いたた……」
腰に手をやりつつ身を起こす、深緑の帽子をかぶった少年に、アズリアはすっと手を差し出した。単に、彼が一番手近にいたからだが。
「だいじょうぶか?」
「――、あなたは……」
はっ、と少年は身を強張らせる。それも当然か、と苦笑しかけたアズリアの後ろでは、ギャレオが「前も見ないで走ったら危ないだろう」と、呆れた顔で、もうひとりの少年に告げていた。
やはり硬直している少年の後ろから、さくさくと、砂を踏みしだく音。
「ごきげんよう、隊長さん。もう身体はいいのかしら?」
女性のような話し方をする男性――アズリアの性格上、どうも、こんなどっちつかずのような相手は受け容れ難いものであるのがだ、この際贅沢は云ってられまい。小さく会釈し、「ああ」と答えて身体の向きを変えた。
「心遣い、感謝する。……昨日の話は、護人たちから聞いた。無色の派閥が攻めてきたそうだな」
「――ああ」
金色の髪を揺らして、海賊一家の頭領が頷いた。
たしか、カイルという名前だったか。戦いのたびに、ギャレオといい勝負を展開していたのを覚えている。
豪放磊落を絵に描いたような印象だったはずだが、現在、彼の、いや彼らの表情はどれもこれも、あまり芳しいものではない。
あえてそれには触れずに、アズリアは当面の用件をつづけて告げた。
「治療のおかげで、どうにかここまで回復した。無色の派閥との戦いはまだ続くのだろう? ――次からは私たちにも加勢させてほしい」
そのことも含め。今後について改めて話すために、レックスかアティに逢いにきたんだが、と、つづけたときだ。
「……先生はいないよ」
どこかふてくされたように、少年のひとりがそう云った。
あの日、まだ小さな身体ながら、大剣をふるって懸命に戦っていた少年だ。技にキレを見せた濃緑の帽子の少年とは逆に、力に特化すれば先が楽しみだと思われた。
たしか、と、記憶を掘り返す。
大剣の少年がナップ、帽子の少年がウィル、と呼ばれていたろうか。
殆ど後衛にいた少女たちと違い、前線に出ていた少年たちが互いにかけあっていた声を、アズリアも何度か耳にした覚えがある。
だが、
「どういうことだ?」
改めて自己紹介するのもなんだと思った、わけではないが、それよりもナップのことばが気になった。
そうして問いかけたアズリアに応じるのは、きまり悪げな仕草で頭に手をやったカイル。
「ちょっとばかし、やらかしちまってな……」
どうしてそんな表情なのか、と、首を傾げたアズリアとギャレオが得心したのは、ことの経緯を聞く半ばごろ。
“やらかしちまった”内容を聞いて、だが、アズリアは失言かましたカイルを責めるより先に、深く深く納得してしまった。
「非情に徹して敵を討つ覚悟、か」
腕組みをしてつぶやく部下を横目に眺め、アズリアも首を上下させる。
「なるほど。いかにも、あいつらが悩みそうなことだ」
この場に来ていたのはアティだけだそうだが、それがレックスであっても、両者がそろっていても、同じことだったろうとは思う。
軍を辞めても、結局同じ葛藤を続けていたということか――
「え?」
「どういうこと?」
そう深く意図せず零した――むしろ独り言めいたそれに、海賊たちと子供たちは、すぐさま飛びついた。彼らの反応を見て、アズリアは「そうか」とまた頷く。
「その分では、奴等は、おまえたちに当時の話をしたことなどなさそうだな」
好きで話したいことでもないだろうが。
そんな、ことばにしなかった部分を感じ取ったのだろうか。なにやら思うところのありそうな子供たちを一瞥して、小さく息をつく。
「本当は、本人たちが語るべきことだとは思う。――が、場合が場合だ」
切り出してしまったことへの責任感もある。
けれどそれ以上に、彼ら……とくにこの子供たちには、話しておいたほうがいいように思ったのだ。
と同時、その範囲に含まれる可能性の濃い、この場にはいない少女を思い出した。
「と……はどうした?」
どこかに出かけているのだろうか、アズリアとしては、そんな気持ちでその少女の所在を問うたのだけれど。
「――――」
ぴき、と。目に見えて、海賊と子供たちは硬直した。
「……何故それを?」
「アルディラは、アナタたちになんて説明したわけ?」
妙に硬い声で問いかけてくる、黒衣の召喚師。そして、オカマ。
云い表しづらい勢いに気圧されたアズリアは、だが、戦闘中でさえやらぬ後退に踏み切ろうとした足を、すんでのところで押しとどめた。ギャレオが首を傾げる。
「説明も何も……俺たちが聞いたのは、無色の派閥が集落を攻めたということと、イスラが魔剣の片割れを持っていたこと、戦闘の結果が痛み分けだったということだけだぞ?」
そう。
それだけで――無色の派閥とイスラの所持する魔剣のことだけで、アズリアが看護役を脅してでも外出しようと心に決めるには、充分だったのだ。
説明を聞いた海賊たちは、そこで一斉に顔を見合わせた。
交わされるアイコンタクト。
どんなやりとりをしているのかは読めない。眺めていると、その手前、佇む子供たちが身をかたくしていることが、ふと気にかかった。
そういえば同じ場所で寝泊りしているのだから、彼らが知らぬこともなかろう。
「おまえたちは、知っているか?」
問いかけたそれに、
「――むぎゅっ」
何を答えようとしたのか、呼気を零しかけた大剣の少年の口を、帽子をかぶった少年が押さえつけた。
見れば、赤い帽子の少女が、ツインテールの少女の口を同じようにふさいでいる。
挙句の果てに、そんな子供たちの前にずいと出てきた黒衣の召喚師が、
「今はいません」
と。それ以上は訊くなと、硬い雰囲気を漂わせてそれだけ告げる。
「……」
「それでは判ら――」
「ギャレオ」
思うところは多々あれど、アズリアは、重ねて問おうとしたギャレオのことばを途中で遮る。背筋を走るうそ寒い感覚を押し殺し、わざとらしいと自嘲しつつも口を開いた。
「……そうか。では、話を戻そう。あいつらが、軍を辞める決心をした理由だったな」
そう切り出してはみたものの、委細に渡って告げる必要はなさそうだった。少し間をおき、話すべき事柄を整理する。
眼前で待ち構える海賊、子供たちが、少しじりじりとし始めたころ、再び唇を持ち上げた。
「あいつらが、そう決心したのはな――」
発見した旧王国の諜報員に命乞いをされ、そのことばを信じて見逃してやった結果、召喚鉄道を奪われた挙句に乗り合わせた帝国の重要人物たちを人質にとられてしまうという事件の引き金となったこと、それが自分の甘さであったことに対し、責任を感じてのことだ。
一息に云い切ったアズリアへ、驚愕をたたえた視線が注がれる。
海賊たちもそうだが、子供たちのそれがもっと強かった。
「……先生が……」
「辞めた理由って、それ……?」
どことなし呆然とつぶやく子供たちの横、金髪の少女が口を開いた。
「知らなかったよ、そんなの……」
「こちらから、訊いたこともありませんでしたし」
黒衣の召喚師が、同意を込めてそう云った。
「訊かれたとしても」、肩をすくめてアズリアは告げる。「あいつらのことだ、笑ってごまかしたに決まってるだろうな」
いやになるくらい、その光景は鮮明に想像出来る。
目の前の彼らも似たような気分なのだろう、どこか落ち着きなさそうに身じろぎしていた。
「だが、先生たちはよくあんたらに話したな?」
それほどに信頼しあっていたのか、と、どこか感嘆めいたカイルのそれに、アズリアはかぶりを振る。口元に浮かぶ笑みは、どこか自嘲めいていた。
「そういうわけではない。除隊する日に待ち伏せて、強引に白状させただけさ」
「……強引にですか」
「あの先生たちに喋らせたんだから、相当……」
「しっ、睨まれてますわよ」
そんな子供たちのやりとりを余所に口を開いたのは、オカマことスカーレル。
「その事実って、軍のお偉いさんの耳には入ってなかったわけ?」
「……」
彼を見返す己の目が、どこか生ぬるくなっているのを感じるアズリア。先刻と打って変わって、首を横に振る動作も少しにぶい。
「知らんはずがない。なにしろ奴ら、自分たちのほうから事の次第を報告したのだからな」
だが、とつづけたそれは、かすかに弛んだ空気を再び引き締めた。
「軍学校の首席、かつ、事件解決に多大な貢献をした人物に対し、わざわざ泥をかぶせるような真似をして、いったい誰が得をするというのだ?」
「ならば、むしろ英雄あたりにまつりあげて事件の悪印象を消すために利用しよう――と?」
「政治的判断、ですか」
さらりと洞察してのけたスカーレルの横、ヤードが、あまり好感を持てぬ表情で付け加える。
それよりももっと苦々しい顔になって、ギャレオが腕を組んでいた。
「対面を第一に考える上の連中ならば、やりそうなことだな」
「それを嫌って、あいつらは逃げるように軍を辞めたのさ」
「……自分が自分で許せなかったんだろうな」
先生たちのことだ、と、ぼやいたカイルのそれは、場の一同が持つ気持ちを代弁したものだったかもしれない。
「それだから――いつもいつも、気づけば荷を背負いすぎて、傷ついてしまうんだ」
話しているうちにだんだんと重くなってきた気分を切り替えようと、ため息混じりにアズリアも告げた。
ともあれ、これで話はすべて終わったわけだ。
さて、と気を取り直す。
不在であるのなら、これからレックスとアティを探しに行こう。その旨を、海賊たちに伝えようとしたときだった。
「探さなくちゃ……!」
途中から俯いて、じっと何かを考えていた子供たちが、ばっ、と顔を上げてそう云った。
横で気遣わしげに見ている小さな召喚獣さえも、今は目に入っていないかのように、彼らは、互いと互い、顔を見合わせて大きく頷く。
「先生は、オレたちが探してくる!」
その一瞬で、彼らの意思疎通はかなったのだろうか。強い意志を双眸に、いや、身体全部にたぎらせて、ナップが宣言した。
「レックス先生は、寝せてあげててくださいね」
起きるまでにはきっと、探し出してきますから!
やわらかなツインテールを翻しながら、きっ、と告げるアリーゼ。
誰が何を云う暇さえ与えず、小さな身体が四つ、林に向けて走り出した。アズリアが知る由はないが、先ほどアティが姿を消した方向へと。
「……何なのだ」
というか、レックスの奴は眠っているのか?
出鼻を挫かれた形になったアズリアが、ぽつりとそう零したのは、小さな背中四つ、木々の向こうに解け消えて、それからもうしばらくした後のこと。
「まあ、なんだな」
後ろ頭に手をやって、金髪をくしゃっとかき回しながら、カイルもまた、ぽつりとつぶやく。
「先生のことは、きっと、あいつらが一番なんだろうさ」
何が、とか、どんなふうに、とか。主語なんてない、きっと云っている本人も具体的なところをつつかれたら盛大にうろたえたろう、そんな発言だったけれど。
「――そだね」
まず、ソノラが小さくうなずいた。
「そうねえ」
次に、スカーレルが口元をほころばせた。
「そうですね」
最後に、ヤードがふっと肩の力を抜いた。
そうして彼らは、自分たちに比べて耐性のなく、故にまだ呆気にとられたままだったアズリアとギャレオを振り返り、にっこり笑ってみせた。
「――で。聞いてのとおり、アティセンセはお出かけしてるけど……せっかくだから、寝てるレックスセンセの寝顔でも見てく?」
「――遠慮する」
数ある船室のうち、ひとつの窓を親指で示しつつ、実によい笑顔でもって告げられたスカーレルの提案を。とりあえずアズリアは、コンマ以下で切り返した。
ならば、と。海賊船長と黒衣の召喚師から誘われた捜索ツアーには、名乗りをあげてはみたけれど。