TOP


【彼女の決意】

- まどろみ・1 -



 ……まどろみは、心地好い。
 意識を手放すか手放さないかギリギリのふちで、夢と現を漂うのは、ふわふわとして気持ちいい。

 これが硬く冷たい床でなくて、シーツとイグサ敷物つきのベッドだったら、もっともっと気持ちよかろう。
 ついでに云うなら、うろうろとその辺を徘徊しくさっている亡霊ご一行様がいなければ、視覚的にも爽快であろう。
 場所柄的に無理な話であることは、だって充分承知はしているのだが。

「あーもう辛気臭い」

 一直線に歩いてきて、開きっぱなしの扉から入り込んで、少し進んだ通路のど真ん中。大の字になって転がっていた身体を起こし、は周囲を見渡してつぶやいた。
 実にうんざりした感満載のそれに、だが、周りの亡霊どもは何の反応も示さない。
 悪夢を見そうに虚ろな形相を晒し、頼りなく揺らぎながら、あてどなく遺跡内を徘徊している。とはいえ、もし生ある者が来たら、彼らは容赦なくその侵入者を自分たちの側に引きずり込もうとするのだろう。
 だというのに、何故、はこうも悠然と寝こけていられるのかというと――

「おっと」

 起き上がった際、ことん、と小さな音を立てて床に転がったそれを、は慌てて手にとった。
 バッテンに円を架けて生クリームでデコレーションした挙句に幾何学模様を塗ったくったような物体。金属と思われる手触りのくせに、ほんのりと暖かいそれは、魔よけのお守りだ。
 ……まさか、ここの亡霊にまで有効だとは思いませんでしたよ。
 他に人目を避けられそうなところを思いつかなかったが、先住者である亡霊の存在を思い出したのは、内部に一歩踏み入ってから。以前は一体だけぽっと出だったそれらが、わらわらと漂う姿を見、そのままUターンしたろかと思ったのが正直なところ。
 が、そうして佇んだ一瞬の空白はたしかにあったというのに、亡霊どもはなど目に入っていないかのように、そこらをふらふら彷徨うばかり。
 何でだろうと首をひねったは、そこでようやく、懐に入れっぱなしだった魔よけの存在を思い出したというわけだ。
 ……ちょっぴり、皮肉を感じないでもないが。
 何しろ、このお守りをくれたのは、昨日思いっきり人様の心臓突いてくれたご当人。
 ちょっぴり、“ざまをみれ”という気持ちがしないでもない。が。
「…………」
 それ以上に強く、瞼に焼きついてるのは、こちらを貫く瞬間に垣間見せたイスラの笑顔。
 船で別れを告げたときに彼が見せてた表情と、それはとてもよく似てた。
「んー」
 まだ気だるい身体を再び通路に横たえて、は魔よけを目の前にかざす。
「何がしたいんだろ、あいつ」
 オルドレイクは判る。あれは、現在の世界を破壊することと新しい世界を築くことしか考えてない。妻であるツェリーヌもそうだろう。
 ウィゼルは……何をしてるのか別の意味で判らないが、今のところは無色の派閥の用心棒かなにからしい。
 ヘイゼル。彼女に関してはもっともっと判らないことがあるが、紅き手袋の暗殺集団頭領が現職業、と思ってて間違いないだろう。
 ビジュ。――ああ腹が立つ。もう約束守ってやるもんか。
 んでもって――
 イスラは、何がしたいのか。
 記憶喪失を装って人質とったのは、まだ判る。姉であるアズリアのためだろう、とか、軍のためだろう、とか。表向き。それから無色の派閥に通じてたのも……まあ病魔の呪いと家を天秤にかけた結果、そっちが勝ったのだと云われれば納得できないこともない。アズリアを殺そうとしたのも……
「でもなあ」、
 紅の暴君を見たあとじゃ、ちょっと、なんだか、うん。
「本気で殺すつもりなら、あのとき出せばよかったんだよ。口封じにもなるんだし」
 そう考えると、イスラは果たしてあのとき、本当にアズリアを殺すつもりでいたのだろうか。発した叫びは、彼の抱いてた思いの一部ではあったのかもしれないが。
「……あーあ」
 視界をちらつく亡霊を、最後にちらりと見渡して、は、ちょいちょいと手招きを始めた睡魔のお誘いに首を振る。当然縦に。
 目を閉じれば、それまで見えてたものは消え、薄暗い闇が訪れた。
 間をおかず訪れるまどろみに、ゆったりと身をひたす。

 ……ゆらゆらと、もう少しだけ、まどろんで。
 そうしたら、起きて歩き出そう。

 まだ、進んでく方向さえも、よく判らないままだけど。


←前 - TOP - 次→